しばしばかぎりなき懈怠(けたい)に浸りながら、自分の魂が肉体の軛(くびき)を脱して、この地上から空高く舞いあがるのを感じると、私はこうした肉の快楽(けらく)も、物質の存在を消滅させて、精神にその崇高な飛翔をとりもどさせてくれる、一つのてだてだと考えたのです。
-フェリックス・ド・ヴァンドネス
善の中にも悪が、悪の中にも善が、そう考える事で、欲望は正当化され、正統的な欲望は堂々、白昼堂々、罪を犯す事が出来る。悪にまた一歩、もう一歩、じりじりと破滅へ、ゆっくりじっくり殺される。その最中です!善に生きねば!
いま、利き手である右手を負傷して、紙に手を置き、ペンを握って字を書くことが出来ない。つまり、手紙を書くことが出来ない。文通仲間に返事を書けない。少しつらい。
醜い傷口、血、膿、人に見せられない。身体の割合からすれば、手なんてちっぽけなもんなのに、見せられない。
また、ギターを弾くことも出来ない。つまり、曲作りと宅録に、リハーサルやライヴも出来ない。結構つらい。
不幸中の幸いは、こうやってパソコンやスマホで文字をパチパチ、ポチポチと打つこと。これなら作詞も大丈夫、反対の手で。手の代わりに、テクノロジー。心で“イテテ”と叫びつつ、仕事は強引にやる。相変わらず、手は嫌だ。
やるべきことが山積しているのに、仕事以外では小説と映画に一日を費やす。30年、それなりの容量ではあるが、まだまだ全然、たくさん置けそう。すべてはロックンロールの為、怠惰に見えても許してほしい。
そして花咲くのなら、この散文こそ、今日時分に蒔いた種です。
ケータイを5年ぶりに新しくした(兄がくれた)。その前のケータイも4、5年くらい使っていた(それも兄から貰ったやつ)。写真の画質と私の腕、上がったのはどちらかしらん(ROLLYさん、お誕生日おめでとうございます)。