2022年2月26日土曜日

初著「六界記紀(ろっかいきき)」上梓

小生のブログ随筆集も六年目にして、一つの完成を見る事となる。この一つとは、未完成の完成である。アンフィニッシュド・バラッズ──未完の、終わらない詩である。アンチ・ヒストリカル──機能の、反歴史性である(昨日の、可逆性でもある)。我が夢と血反吐の、紀行文である。マイ・フィニッシュド・バラッズ、六界記紀である。


古今東西の初版本の装幀を吟味して自らカバーを手掛けた∨∧
※∨:イエスまたは谷、∧:釈迦ひいては山、Ⅵ:六界もしくはNの鏡像あるいは捻り契られた円環


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–序文–
(令和三年二月二十六日)


【天上・人間篇】
(平成二十八年八月十八日)

(平成二十九年三月十八日)


【修羅・畜生篇】
(平成三十年三月二十六日)

(令和元年六月十九日)


【餓鬼・地獄篇】
(令和二年七月二十四日)

(令和三年十一月二十五日)



 敬する文士の黒い星に服して


 (以下、敬称略)
 オノレ・ド・バルザック(1799.5.20-1850.8.18)、ロレンス・スターン(1713.11.24-1768.3.18)、室生犀星(1889.8.1-1962.3.26)、太宰治(1909.6.19-1948.6.19)、芥川龍之介(1892.3.1-1927.7.24)、三島由紀夫(1925.1.14-1970.11.25)


 My Finished Ballades.
 ──完全な、始まりなき詩



–跋文–
「かくして人間は完成する」

森、海、空。貴方が円環(ないし螺旋の錯覚)を作るから、手前はマクロを離れるか、ミクロに入らなければならぬ。或いは変わらぬ方法で、異にする場所を行かねばならぬ。石、川、松。行動と認識を一致させるという話であったが、言葉は終わることしか出来ない故に、文章は文章で抗議している訳だ。嗚呼、血が通って居ると思う。「古事記」と「日本書紀」(記紀)は認識と行動であって、もともとが歴史書ではない。順序だ順番だ、改革だ革命だ。夢物語が境目を暈(ぼか)して居座る様が、極めて太々(ふてぶて)しい。本当、血が通っていると思う。赤子の思い出と神話に一体、何の違いがあると云うのか。私もそれになりたい、人間そうしたい。

 完成させること。それも単なる完成ではなし。未完成を完成させること。それは額面通りに未完成を完成させることでなし。未完成の極点に達すること。死の領域から選ぶこと。それが中途半端だと云われた生き残りの、それ以外の物にとっては論外の、概観性変容風偏執狂的神経質疾患。疾うに熱の冷めた、疾っくに滾って萎えた、疾々(とくとく)と出逢い別れた、その後で尚も続いた、綴った、続く、綴る──


 未完の、終わらない詩
 Unfinished Ballades



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 “およそ少量の詩才ほど作家を毒するものはない”とは誰かが知っていた誰かの言葉。本当に怖ろしい言葉、全ての意欲を削がれそう私。

 “およそ少量の文才ほど音楽家を毒するものはない”とすれば、どうか。嗚呼、心持ち胸騒ぎも鎮まったワ、、あれ、実は彼の云う“怖ろしい言葉”って、やはりこれも漏れなく打算的な不安だったのかしらン?ホント罪な人ねヱ……だからサ、ミーは作家というよりも音楽家だったわネ。



 令和4年2月26日(土)、Nori MBBM 初著「六界記紀」上梓。私も眠くなったから、店はもう看板にします。これからあとは、私一人で、メチルをチビチビやります。あなた方とちがって、私の目は、メチルなんかで失明する心配はありませんからね。

 はい、おやすみなさい。



「名状しがたきことここに成就せり」
-ゲーテ「ファウスト」より

「われわれ詩人のうち、酒の偽造をしなかった者があろうか。われわれの酒蔵では、たびたび有害な混ぜ合わせが行なわれ、あまたの名状しがたいことが行なわれた。」
-ニーチェ「ツァラトゥストラ」より


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