2022年6月19日日曜日

ある令和がない、として

みずからペストの日々を生きた人々の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る残忍な猛火のようなものとしてではなく、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶして行く、はてしない足踏みのようなものとして描かれるのである。
-ベルナール・リウー

 嗚呼、荒らすだけ荒らして消えて行った。学校や職場や街中にも、沢山居たね。全く誰が得をしたのか、当人その犯人ですら一文も得られなかったという奴。通り魔の腹いせの自暴自棄か、全く話にもならぬ天災の日々よ。如何(どう)したら元が取れるかな、物語らしく起承転結を付けられるかな。ペストの二番煎じぢゃ芸が無いやね、コロナ君。おもろい話、何かない?

 或いは突然、ここで終わらせてみたらどうか。世界的な疫病や大国による侵略が起こった僅か4年足らずの、しかし劇的に目まぐるしい時代であった、という風に評価されるのだろうか。


久しぶりに帰省した、久方ぶりの飛行機で、梅雨の季節の真っ只中に
(でも、雲の上は相も変わらず、雨すら降らぬ)

すなわち、時間のなかの性行為は、空間のなかの虎と同じだ、という断言だ。
-ジョルジュ・バタイユ

 悲劇とか喜劇とか、そんなものである。呪われた部分とか呪われた子とか、そんなものである。そんなものは、区切り方ひとつである(その区切り方自体が呪われているとか悲劇的だ、などと云われたら元も子もないのだが)。そんなものをみんな楽しめたら良いのではないか、と思う。


この人格を決定づけたのが、その庵野秀明と吉井和哉の人格を決定づけたのが、あの永井豪の人格を決定づけたのが──ダンテ・ダッタ・ナンテ

 神だ悪魔だそれこそ究極の存在であると考えるのは一向構わないが、その後にも世界が続いている事の興味を持てないのは何故なのか。山を登った後の降(くだ)り道や谷底からまた這い上がる道の、その後にも世界が続いている事の伝説を見つけられないのは如何してか。従って書かねばならない、然(しこう)して認めなければならない。ある令和がない、として。

【MBBMの日めくりバーニン外伝】記憶の先の肉体の情報、少し戻ってその間の形状-弄くり回す。規則の側の現世の常識、少し潜ってその中で転調-捏ねくり廻す。天使や悪魔は先天的で、根本的にお呼びでない-紹介できるは堕天使くらい。召喚するは悪魔人間、デーモンでなし-デビルマンcry.ドグマッ(140字)


犀川のほとりには犀星の家、梯川のほとりには己が家
(そして両者いずれ馬込の家へ)

 がやがやした処より、がらんとしている白昼夢──あんな異論の無い名盤より、こんな異常なアルバム──ある令和がない、として。



 みな太陽を見つめて居られない。かっと緑(みどり)の影の目眩(めくら)ましに遭(あ)っちまうから。みな手前を見つめて居られない。がっと縁(えん)の線の導火(どうか)に遇(あ)っちまうから。もう手前は太陽を見つめずには居られない。太陽を目に宿して太陽の恩恵を太陽の代わりに享受するから。


「いかなる深淵(ふち)、いかなる大空の彼方に、汝が双眸(そうぼう)の炎は燃え立ちしや?」
-ウィリアム・ブレイク