2025年11月25日火曜日

愛は感覚で在り、論理に非ず(腹を割って、頭を飛ばして)

三島・生誕100年の年に、そして没後55年の日に(大音響でワーグナーを聴き、大画面で能舞台を観る)

地頭の良い人ならば、即ち小さい頃から感覚に冴え、それ自覚的ないし論理的に統(す)べ、大人達の意図や意向を汲み、人生の地平遥かを見通せる者ならば──生涯コスモス的に──カオス的なものを退(しりぞ)けてゆけば良いものを、三島由紀夫は自作品や実生活でそれをしなかったから、むしろよりカオスへと向かいながら、コスモスを目指したから、私は彼を真(まこと)に愛しているのである。実に三島を愛しているならば、華麗なる修飾(しゅうしょく)が理路整然と展開される偏執的な文体を愛するだけでなし、彼の生涯の破綻(頽廃)、境涯の色盲(耽美)をこそ愛さねばならぬ……結局はこの一貫性の無さが彼を忌(い)み嫌う人々の、その最大の根拠にも成り得る訳だが。

静かにせい
静聴せい
話を聞け
男一匹が命を懸けて諸君に訴えてるんだぞ
いいか
いいか

 彼の悲愴な雄誥(おたけ)びが、脳裏に焼き付いて離れぬ。

これで俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ
それではここで俺は天皇陛下万歳を叫ぶ

 これが解せぬなら哀れだ。三島の哀れだ。日本の哀れだ。野次馬達の哀れだ。私は三島の思想にさして共感しない(“七生報國:しちしょうほうこく”の鉢巻をする気概はない)が、彼の最期の訴え、真っ直ぐで、産まれたばかりの様な、後先考えられぬ切実さには、甚だ共鳴する者である。

 馬鹿ぢゃねえの、市ヶ谷駐屯地の決起とか決起にもなってねえ、不発に終わった・出来の悪い・あんなやっすいドラマに感動とか、あんた騙されやすい人だね、楯の会とかカルトぢゃねえか等々、野暮な異論・反論、茶化し・冷やかしは様々にあるだろうが、つまりその世間の冷笑派の意見は“下らない茶番劇だと思い、それに真面目にショックを受けている馬鹿な大人が多いのにあきれた(月刊誌・諸君!99年12月号より)”という高名なる哲学者・浅田彰御大(おんたい)の一言に集約されると思うが、ならばそのスタンスでこちらも売られた喧嘩を買おうか。


愛は感覚で在ると(腹を割って)

 例えば三島由紀夫の割腹は、最上のスノッブであると。不可解な死、解(げ)せる何某かの人智があると。君にはそれが無かった、というだけの話で。「構造と力(1983)」なぞ破り捨ててしまえ、むしろこちらの方が“構造と力”だ、と解せぬ生を無に帰してしまえ。


愛は論理に非ずと(頭を飛ばして)

 市ヶ谷駐屯地での最期の演説の文字起こしとか、その際にバルコニーから撒かれた檄(げき)の全文の写しとか、ググればすぐに出てくるし、2、30分あれば事の経緯まで含め全て読めるから、読んだ事がないなら読んでみてよ。十年以上振りにまた読んで、いまだ解せぬ処はあるものの、彼の最期に感極まっちまったよ。

 私はあれを彼の純然たる有りの侭の姿と好意的に受け取るし、或いは悪意を以て否定的に取ったとしても(前述の通り)最上のスノッブとして機能する事を疑わず、それ故に三島由紀夫を愛すのである。この愛は宗教的なものではなく、ましてや右翼/左翼だ政治的なものでもなく、純粋に耽美・頽廃主義者としての愛である……そりゃ余計に君等に危(あや)ういか?


プレゼントをくださった友達とは残念ながら予定が合わず、独り「憂国」鑑賞会を催した(天吊り型プロジェクターと爆音ウーハーシステムのある処で)

 映画「憂国」、先ほど初めて鑑賞いたしました。良かったです、というよりも終生(しゅうせい)忘れ得ぬ一本となるだろう、という感想であります。原作小説は云う迄もなく三島短篇で随一(ずいいち)の、いや人によったら三島全作、文学全体で一番の傑作であろうが、あの壮絶な文体の前ではこの映像は、成る程と感心するよな、そんな壮絶でありました……ただそこはさすが三島、後(のち)のATG的前衛表現の嚆矢(こうし)となったらしい、時代を突き抜けるよな奇怪なる映像が、時世(じせい)の覆う一面の黒々しい帳幕(ちょうばく)を突き破るよな幾筋もの光が、エロスが、グロテスクが、ナンセンスがありました。“今も全く古びない”と云えば嘘になる──生まれてこの方この形容が腑に落ちたこと一度も無いのだ──が、撮られて然るべき作品であった。三島文学が常に周りから浮いてしまうのと同じ道理で、つまり三島がそこにちゃんと居る事によって、確実に浮世離れした、時を超えた映画となっていた。であるから撮られて然るべき、残されて然るべき作品であった。國(くに)を憂いた男/女がスクリーン一面に、舐め合い/吸い合い、汗を流し/涙を流し、真黒な血しぶきを上げ/真白な腸がにゅるにゅる今日(こんにち)は、そりゃ三島の奥さんも封印したくなる白黒無声映画/こりゃ世にもおぞましいモノクロサイレントフィルム、で御座居ました。


今年五月の誕生日プレゼント、ゲーテやらニーチェやら源信やら親鸞やらで頭一杯の我、中々その封を開ける事が出来なかった

 にしてもだよ?この映画の4年後に、この映像の中の芝居で演った事を本当に、現実でやるんだから!至誠。