ここに時代の悪魔は棲(す)む。ここにまた対峙する良心がある。そしてそのまま己が乞い願う血肉となる(心魂とは血肉の一部である)。
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ゲーテ・ニーチェ・マンライン──これがドイツ文学の背骨である──私は提唱する。
鏡花・谷崎・三島ライン──これが日本文学の肉體(にくたい)であろう──金の鉱脈だろうグラムだろう。自然主義文学だの白樺派だの、若さ故の無知で手をつけた事もあるが、あれは貧困みたいな栄養失調症の言語の欠乏の思想の無口だ(が、しかし、今のシケた世俗にゃ、ぴたりかもしれぬ)。我が国には既に全てがあるのだ。我が国には何も必要なものなどないのだ……ただ理(ことわり)だけが余計だった:理論、理屈、理想、理性。すなわち、理だけが足りなかった。或いは己が本能の、バルザック・ボードレール・バタイユライン……これはこれでまたやる機会があるやもしれぬから、今回は割愛す。
ファウストの書斎に忍び込むメフィストの図 (その当時、机上にある“電話”など存在するはずないんだが、時空を歪ませるの好きなんでね ※そりゃもう悪魔なので)
ゲーテ・ニーチェ・マンライン──これが我が国の背骨となる──私は提唱する。
背骨が必要だ。世間からは背の曲がった奴だ、と云われてきた。ないし骨の無い奴だ、と思われてきた。巳年(みどし)野郎の、優柔と不断。蛇みたく長い、優柔および不断。しかし間違えてくれるな、蛇に背骨だ骨だ無いだのと。人間の比にならぬ位、実は数え切れぬ程の背骨があってこそ、蛇なのだと。骨あるが故、ぐにゃぐにゃなのだと、堂々巡りで、堂々と優柔不断なのだと。君は優柔不断の容赦無い無慈悲を知っていて?即断即決など絞め殺してやる!
だんだん横柄な態度を取るメフィストの図 (片方の足は馬の脚です ※そりゃもう悪魔なので)
その為にも背骨が必要だ。もっともっと、しなやかが、したたかで、背骨が要(い)るというのだ。
であるから背骨が必要だ。もっともっと、しなやかが、したたかで、背骨が要るというのだ──私は提唱する。
「ウワバミというものは、そのえじきをかまずに、まるごと、ペロリとのみこむ。すると、もう動けなくなって、半年のあいだ、ねむっているが、そのあいだに、のみこんだけものが、腹(はら)のなかでこなれるのである」
-作者不詳「ほんとうにあった話」より
悪魔メフィストは赤い衣装に身を包んでいたというので、俺が一張羅の“赤いナポレオン(とシルクハット)”をば
この曲自体は、ビートルズのポール師匠の“イエスタデイ”よろしく夢の中で作った。例えば己がバンド、アンフィニッシュド・バラッズの“
あの夏の扉を ”というナンバーも夢に見た曲をそのまま形にしたものだったが、手前の場合、理屈こねて作るよりも感覚で作ったものの方がよく褒められる。天啓に打たれた様な無意識が一番強い、そこに理由も何も無い訳で。
今回は我がデモの中の“夢の中で作ったフォルダ”から、確か夢に見た時は(90年代末〜2000年代初頭頃の)V系バンドで歌う俺が演っていたこのナンバーを選び、ゲーテ・ニーチェ・マンラインその“ゲーテ編”の曲にする事とした……そうして、いざ録り終えたものを聴いてみたらば、V系シンガーの俺は何処へやら、歌い方、ふざけ方、ギターの弾き方、ベースの当て方、その他ミックスやマスタリングの仕方等々、様々な要因によってだろうが、そこに居たのは単なる“グラム歌謡メタル野郎”であった。またしても俺は、俺以外には成れなかった。メフィストとの契約によってファウストは別人の様に若返ったが、若返らせた方のメフィストは何時迄もメフィストでしかなかった様に。
「メフィストフェレスの赫い嘘」
作詞・作曲:Nori MBBM
ラファエル、横にガブリエル
ミハエルと主が見栄張る
穢い綺麗なあの面を
瞠る程に目は大きくなるの
赤は明らかな所以の
誰の眼にも真っ紅な嘘と
赫灼たる光に惹かれ
天に召します贋物の
太陽/天国/神に対応する
闇/夜/月よりも
人間共の醜悪な群れ
人神の破滅のメロディー
メフィストフェレスの赫い嘘
誇大妄想の人間達と
人権?何それ?
人形劇だよ
好きな所から来りて
好きな処へと遣って行く
真っ直ぐ歩むべし人間が
迷い込んだはその入口
或いはこの出口
同じ一つの口
詐欺師による手口
深淵ウロボロす
見るよ・見られているよ
ヴァルプルギスの夜の夢
踊り明かす魑魅魍魎と
此処?何処?
ブロッケンが頂上
盲いらせ!!
第三の女
──“憂い”という名の灰の女
灰神楽
──はい、終わりました
よちよち墓穴へ
己が賭けに勝つ!!
ツィター!!
真っ二つに割られた
とて掻き鳴らすギター
洋琴で夜毎
心満たすな乱せ!!
人身の破壊のメドレー
メフィストフェレスの赫い嘘
古代文明の亡霊共と
心霊?神霊?
人形劇を
見るな・見られてやるな
ヴァルプルギスの夜の夢
踊り狂う初恋の人
エヴァ?リーリト?
ブロッケンが超常
10年前、10万かけて新宿のアトリエで作った自慢のお洋服なんです(by Nori MBBM)
詩を書くに当たり、10年近く前に完読して分かった気になっていた「ファウスト」をもう一度全て読み返してみたのだが、これがいざ始めてみるとあれやこれや延々終わらぬで、大変しんどい作業であった。若い頃に手こずった下巻・第二部は大分読める様になっていたが、今回も悪夢に魘(うな)されるが如く、赤い悪魔(メフィスト)の熱に当てられてしまった──実際、めちゃくちゃに体調を崩した。
手始めに以前読んだ中公文庫版の手塚富雄訳を再び完読し、昔つまみ喰い的に読んだ雅(みやび)で格調高い(しかし大正二年の発表当時は“卑俗”と非難されたという)森鴎外訳も今回初めて完読し、その他、気になる場面(特にグレートヒェンの登場する箇所)を中心に、岩波版・相良訳、新潮版・高橋義孝訳、集英社版・池内訳とその訳文を比較検討したのだが、もう曲どころぢゃなくなっちまったよ……やはり私は、手塚訳のグレートヒェンが一番好きだ、健気で優しくて、信心深くて不器用で、そして可哀想で、可愛らしいでは済まされぬ人間としての可愛らしさに溢れている。第一部の最後“牢獄”のグレートヒェンは、訳者によって訳文のニュアンスが大分異なるが、手塚訳の彼女の“気の触れ方”が目も当てられぬくらい気の毒で、しかし庇護欲(ひごよく)をそそられる可愛げもあって、何という感情を手前に抱(いだ)かせてくれたんだねゲーテ君!って感じ。
12月27日は親父の誕生日なんです(by Nori MBBMもとい憲宏)
60年近く掛けて大作「ファウスト」を書き継(つ)いだゲーテの、節々に見られる積年の哀惜(あいせき)も見逃せぬ。特にファウストの部屋の場面に多いのだが、大切なものたちが経年劣化してゆく、次第に朽ちて滅びゆく、誰にも共有されぬこの侘(わび)しさ、取り返しの付かぬその切なさ──本棚の書物たち、壁に掛けたコートや着物、そして自分自身の肉体に精神。そこをやっぱり、二十代の頃の手前は全然読めていなかった。いや読んだ記憶はちゃんとあったが、確たる実感を伴っていなかった。今の俺をして、こりゃもう“老いたな、父上(by ギレン・ザビ)”って感じ。
父(12/27生)・母(12/28生)の誕プレに酒やCDレコードなど贈る (名盤“ケルン・コンサート”は父も当然持っていたそうで、若かりし頃にアパートでLPを擦り切れるほど聴いたのを思い出す、とお返事を頂いた)
そうだ大人になってからガンダムを観ると、敵側のジオンの軍人とか連邦側の汚い大人達の言動も、それはそれで理解できる様になると云うが、この度「ファウスト」を読み返してみて、(グレートヒェンとは異なる意味で)メフィストがまあ健気で可愛くて、ギリシャの魔女や化け物達に馴染めないの分かるよドイツのブロッケン山に帰りたくなるの分かるよファウストとか天使達に苛立ちまくるの分かるよ分かるよ分かるよ……だから今回メフィスト視点で歌詞を認(したた)めたのであるが、すっかり世俗の悪に染まっちまったのかね俺ら、いや“汚れつちまつた悲しみに(by 中原中也)”って感じ。
1808年、ナポレオンはゲーテと面会した際に「此処に人有り(Voila un homme)」と云ったそうだが、メフィストもファウストに劇中で同様の事を述べていなかったかしらん? ほら、こんな一張羅の“赤いナポレオン(とシルクハット)”を身にまとって!!
さて、次回はゲーテ・ニーチェ・マンラインその“ニーチェ編”であります。その間にやらねばならぬ別件も沢山あるから、いつ発表できるか分からぬが(来年中に必ず演ってやるぞ、とは思っている)、久し振りに「ツァラトゥストラ」も一から読み返さねばならぬ。目下、鋭意制作中(デモ録音済み)であるが、これも夢の中でニーチェと共に“見た”自信作なのである。はい、深淵/深淵。それに飛び立つ鳩(はと)?そして我がディオニュソス!!
巳年生まれの息子が、巳年生まれの父親の誕生日に、愛を込めてはウロボロす (いつかの母親の誕生日にはイエモンのカバー を演ったグラム歌謡メタル野郎)