2021年12月31日金曜日

令和三年“気韻生動”完了

たとえば、中央のほうで、ある朝一人の男がペストの兆候を示し、そして病の錯乱状態のなかで戸外へとび出し、いきなり出会った一人の女にとびかかり、おれはペストにかかったとわめきながらその女を抱きしめた、というようなうわさが伝わっていた。
-ベルナール・リウー

 こと現在の日本でも、ある一人の男がコロナの兆候を示し、そして病の自己憐憫(じこれんびん)の中で戸外へと飛び出し、いきなり入った役所の職員に飛び掛かり、俺はコロナに罹(かか)ったと喚(わめ)きながら、警察に抱き抱(かか)えられて消えて行った、というような報道が二、三あった──

 歴史は繰り返す、何時の世も変わらないのだね、学びが無いよ、うむ、学(がく)の無さは時を超え、国境も越えてゆくのだね、人間というのは強いね、逞(たくま)しいね、だから大丈夫だよ、コロナなど忘れて、今に無かった事にされるから、何をそんなに皆して騒いで居たのよと……


 追い付く追い着く自ら偶像に、満たし溢れ返る己が表象に。身体をイメージが侵して、凌駕(りょうが)して行くのが分かる。しかし、身体という奴は何十世紀もそのままではないか?

 時代もあるのだよ、つまり技術もイメージの後押しをして呉(く)れる。ちょうど今、こう書いて居るみたいにさ。



 今年も益々有難う、令和三年“気韻生動”完了。


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