2024年1月13日土曜日

SABRINA IN HEAVEN


悼辞「89 eighty nine」

2024/1/13(Sat) Nori MBBM

吐くぞ?隠すな!まだあんだろ?もう無いよ!声がガラガラだ?見ろ!もう出ない?弾くぞ!だから弾くぞ?こうやって!

 がんばれ、負けるな、俺達は仲間だ、友達だ青春だ、友情だ絆だ……白々しいフレーズが音楽番組で繰り返され、翌日の学校で野球部やバスケ部の奴等がそんな歌を口ずさむと、全ての気力を削がれてしまうみたく、好きなはずの音楽まで嫌いになってしまいそうで、だから“スモーキン・ビリー”が必要だった。

 中学の時の英語の先公は──こいつは俺を嫌っていたし、俺もこいつが嫌いだった──村上龍の「69 sixty nine」が映画化されるというので、大好きな原作が無茶苦茶に改変されないか心配だよね、と漏らした(気色悪い笑みを浮かべながら)。心配すんな、原作から既に滅茶苦茶ぢゃねえか、何をそんな有り難がってんだ。第一、俺が読書でいちばん萎えるのは、作者の詰まらん意図が見える時なんだ、読者如きに見透かされやがって。ありゃ何だ、フォントサイズを処々、恣意的に、白々しくも変えやがって。誰かに傍線を引かれた参考書を読んでいるみたく、こう読んでくださいねって、もう読む気も失せたわ。白々しいのは野球部の奴等が口ずさむ歌だけにしてくれ、とこの英語教師は野球部の顧問でもあった、ギルティ。それと確か、汗だらだら流したり、汚い描写が沢山あるから、今の時代ぢゃ“きもーい”とか云われて受け入れられないだろうねえ、とか抜かしていたけど、全然きもくなかったわ──sixty nine。だから先生ぢゃなく先公なんだよアンタ、中学生なめんな、15歳馬鹿にすんな──eighty nine。しかし村上龍は「限りなく透明に近いブルー」しか知らなかったが、ありゃミッシェルの“リリィ”の元ネタなんだってね?するとチバも読んでたんかな、村上龍。

 1989年にぬるりと始まった平成は、昭和の残り香を時たま感じさせながら、そうして無意に過ぎ去っていった。彼(か)の三十年間で最大の収穫は、イエモンとミッシェルだった。こりゃ平成、というより90年代が生んだ至上のロックンロールに違いなかった!!そのミッシェルも解散しちまって、アベも亡くなり、ロッソは骨太なロックで大好きだったけどニルヴァーナよろしくアルバム三枚だけで終わったし、ならばバースデーは延々と続いてゆくものだと思っていたのに。

見つけたぞ、
何を?
永遠を、
それは太陽に溶ける海だ。
-アルチュール・ランボー

 彼が今どこに居るかなんて知らない。が、曲を再生すれば相変わらず、叫んでは吐いている──

太陽をつかんで
しまった男は
ライオンの付いた
プールで死んでた

He got the sun

暗闇の中に生きてきた
男は生まれ変われると
信じた

He got the sun

太陽をつかんで
しまった男は
太陽から手を
放したくなかった

He got the sun

彼の身体は引力を
超えて真珠のネックレスが
はじけた空へうかんで

He got the sun

アカプルコに向かっている
小型ジェットの中
パーティーを続けてた
彼女は気付かないまま

He got the sun

太陽をつかんで
しまった男は
どうしてもそこから
動けずに立ってた

He got the sun

最後に見た夢は二人の
子供に囲まれた自分

He got the sun

エルパソに咲く花も
ヤシの実を見てないと
泣いたりするんだろうね
僕はそう思う

He got the sun
He got the sun

太陽をつかんで
しまった男は
ライオンの付いた
プールで死んでた


 マフィア映画のワンシーンで、真っ白な豪邸の真っ青なプールで、真っ赤になって太陽を浴びながら死にゆく男を想像したもんだけど、そうか、もう天国を見てしまったのか、観てしまっていたのか、あの平成の真っ只中に、既に、ヘヴン/ノー・ヘヴンと、サブリナと。


0 件のコメント:

コメントを投稿