2021年12月31日金曜日

令和三年“気韻生動”完了

たとえば、中央のほうで、ある朝一人の男がペストの兆候を示し、そして病の錯乱状態のなかで戸外へとび出し、いきなり出会った一人の女にとびかかり、おれはペストにかかったとわめきながらその女を抱きしめた、というようなうわさが伝わっていた。
-ベルナール・リウー

 こと現在の日本でも、ある一人の男がコロナの兆候を示し、そして病の自己憐憫(じこれんびん)の中で戸外へと飛び出し、いきなり入った役所の職員に飛び掛かり、俺はコロナに罹(かか)ったと喚(わめ)きながら、警察に抱き抱(かか)えられて消えて行った、というような報道が二、三あった──

 歴史は繰り返す、何時の世も変わらないのだね、学びが無いよ、うむ、学(がく)の無さは時を超え、国境も越えてゆくのだね、人間というのは強いね、逞(たくま)しいね、だから大丈夫だよ、コロナなど忘れて、今に無かった事にされるから、何をそんなに皆して騒いで居たのよと……


 追い付く追い着く自ら偶像に、満たし溢れ返る己が表象に。身体をイメージが侵して、凌駕(りょうが)して行くのが分かる。しかし、身体という奴は何十世紀もそのままではないか?

 時代もあるのだよ、つまり技術もイメージの後押しをして呉(く)れる。ちょうど今、こう書いて居るみたいにさ。



 今年も益々有難う、令和三年“気韻生動”完了。


2021年12月12日日曜日

俺のストラトだけギブソンの味がする

先ほど終電で帰宅。緊急事態宣言も解除され、久しぶりのライヴ観戦でありました。自らをギブソンだと思い込んでいるフェンダー野郎、とは当ブログの己がプロフィールに記載した通りですが、今回はその生来(せいらい)のフェンダー気質を自覚されたい日記であります。


しんさんのお誘いで武道館までチャーのライヴを観に(with カズ兄)

 天秤や山羊や魚に影響された牡牛座、長子や一人っ子に感化された末っ子、AB型やO型に作用されたA型、インプレッサに意識が過剰なランサーのエボリューション、欧米列強に劣等意識なぞ皆無な雷電の潜水航法1万メートル、エアロだモトリーだガンズだナンボのもんぢゃいジギーの「クールキッズ」でこちとら“トゥーレイジートゥビーグッド・トゥーシリアストゥビーワイルド”等、まあ何とでも言えるがグラム歌謡メタル野郎、その実はフェンダー野郎であります(御免ねレスポール)。

 ギターに憧れを抱いていた頃は“太くてコシのあるサスティーンなティーンの粘り気湿り気ギブソン野郎に決まってらあ”と自ら決め付けて居たのですが──初めての恋人は横浜で出逢った黒いレスポールのコピーモデル──憧れだったギターを抱く程に“カラっと乾いた殺生な匕首(あいくち)マックのミスターバーニングビッグマックNori MBBMはフェンダー野郎に違えねえ”と相成りましたでござんす。


布袋さんのMCとギターで武道館に火がつきましたばーにん

 高校生の頃に布袋さんとのコラボで彼のストラトの洗礼を受けたのが私にとっての初チャーでありましたが、その後もYouTube等でキヨシローとか民生とかとゴキゲンにギター談義しながらセッションする動画等を漁りつつ、いいとものテレフォンショッキングに出演した際の動画では何故か人間椅子のメジャーファーストをタモさんにプレゼントするなど、彼の正史を知らぬまま野史(やし)ないし外伝ばかりに触れてきたので、この云わずもがな日本を代表するギターヒーローと対峙する事は一度も無かったのでした……今回は貴重な体験を文字通り有難う御座居ます、しんさん(も私のギターヒーロー)。


ファンクなリズムで刻まれ続けた三時間いま無性にストラト弾き倒したい

 民生との“ドシテラベナ(ヒゲかまやつ)”なアコギ弾き語りもその選曲から興奮しましたが、チャーによる生粋(きっすい)のフェンダーサウンドをお腹いっぱい耳一杯に喰らってしまったので、自らをギブソンだと思い込んでいるフェンダー野郎、フェンダーらしからぬがフェンダーにしか出せぬ音で、グラム歌謡メタルして演ろう、という想いをより強(つよ)うしました。

 「ストラトを弾く、徹底的にな……」
 ──何で急にカイシデンかってそりゃさっきの雷電からの観念連合からの紫電改からだろうよ

 「嘘みたいだろ、フェンダーなんだぜ、それで……」
 ──何で急にタッチの名場面かってそりゃ前々回のブログのあしたのジョーで味を占めたからだろうよ上杉達也かってそりゃチャーと誕生日が一緒の6/16であるからだろうよ