2023年12月31日日曜日

令和五年“松柏後凋”完了

ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。
-ベルナール・リウー

 感染症法におけるコロナの扱いは令和5年5月8日(月)以降、それ迄の“2類相当”から“5類感染症”へと分類される様になり、もう特別な措置──コロナウイルスを他の感染症と区別して取り扱う事──は必要無いのだと、専門機関での受診も隔離も不要なのだと。

 この丸三年、コロナと生の賭けにおいて(というより私と生の賭けにおいても)、知識と記憶、収穫はただのそれだけであった……ただのそれだけ?十分、充分。生きている間に我々が得られるもので、これ以外にこれ以上の何があるというのか!!

 私はただ一頭の牡牛であるのに、闘牛場に連れて行かれ、闘牛士が連れて来られ、明けても暮れてもそれ、繰り返し群衆は叫び猛(たけ)り怒り狂い、遂に腹を突き、破ってやった時に眼玉をも突き抉(えぐ)ってやった

 倒れ込んだ闘牛士の、ざまあみやがれ……待てよ、血で染まる前から真紅(しんく)に違いなかったナポレオンジャケット、私を散々煽(あお)り立てたマントと同じ色の、それを着た屍(しかばね)がまた、何時(いつ)の日かの手前、戦いを挑んだのも挑まれたのも仕組んだのも俺だ。その心は今日の日めくりバーニンで呟(つぶや)く呟きツイートツイッターした。

【MBBMの日めくりバーニン七条】肉体に賭けた強靭な精神力を、精神にまた還元させて、精神にだけ還流される肉体は形を崩し、あはれ!滑稽と結婚するのだ!戦争した事もないのが軍服に身を包むのだ!不用な装備がその気にさせるのだ!生きて死ぬ緊迫や壮絶を再現するのだ!死なねえからだ!ドグマッ

 そもそも闘牛場へと自ら出向いたのでした。だって楽しそうぢゃありませんか?昔からユーモアが尽きなくて、それ所か止め処(ど)無く溢れ返り、溺れ、死にそうにならんと生きられなくて困って升(ます)。

また認識の聖者になることはできないにしても、せめて君たちは認識の戦士であれ。戦士はそういう聖者たちの伴侶(はんりょ)であり、先触れである。
 兵卒は多い。だがわたしの見たいのは戦士たちだ。かれらが着ているものは、制服、すなわち「単一型」と呼ばれている。その単一型の制服につつまれている者が、単一型でなければいいが。
 君たちの目は、つねに敵を──君たちの敵を、さがし求めていなければならぬ。君たちのうちの何人かは、ひと目見ての憎しみということを経験したことがあるだろう。
-ツァラトゥストラ

 一目惚れ以上に経験あるね、馬鹿が、最悪の一目惚れは──こいつ、相容れぬ、という一目見ての憎しみは。

 なあんだ、この世の敵は全て我が願望なんだ。今年もまた一つ己が叶えてやった、用済みの四字熟語がまた一つ増えた──“Song Bo Hou Diao”。これぞ殺生ワード頭蓋骨、そのアイ・キル・ユー!!



 今年も益々有難う、令和五年“松柏後凋”完了。


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