目一杯生きるというのは、まず年を重ねるという事だが、これは幾ら生き急いだ処で、人は一年で一歳しか老いる事が出来ないのであるから、おいおい老いてゆく時の流れに身を任すとして、もう一つ目一杯生きるのに、誰しも死のうとするのであるが、これは生きる究極の死、死ぬの対極の生、そうだ生きる究極の死──ゆらゆらタイトロープふらふら──綱渡りの快楽で、決して死んではならぬと云いつつ、自ら死ぬ死ぬ死んではならぬと、そうだ決して死んではならぬぞと、加齢の縦軸と並行して進捗(しんちょく)する、華麗なる横軸の並行作業、ないし平行とは結局これとそれとが延々交わらぬ為に、どんどん独りになるであろうが、この線において、その面において、目一杯生きたという事になるだろう。
孤独や絶望の実(じつ)は、人類や歴史の常(つね)にちやほやされ、何にも寂しくない様に、何なら賑やか過ぎる位に、嘘っぱちの本当で、孤独かい絶望かい死にたくなんのかい?そんなら良かったぢゃない!こうして、どう転んだって生きてゆけるのだから、そう環境/状況を設定したのであるから、甘く切ないだけの物語ぢゃないか、誰よりも甘ったれて、彼よりも切なる願いをぶち撒けるだけの話ぢゃないか。
ほらもっと、ちゃんと死にそうになる、来年!!みなさま良いお年を。
今年も益々有難う、令和六年“榑木之地”完了。

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