2026年4月28日火曜日

祖母を恋ふる記

今に至りて、たれか百年の形体(ぎやうたい)を保つべきや。
-蓮如上人

 即ち、一生過ぎ易し。しかし、幻の如くなる一期(いちご)を実に、人生百年・夢のまた夢を現(げん/うつつ)に、そう実現した/現実にしたは、ばあちゃん!とは四十九日法要のご住職さんの言葉を受けて、この胸を/脳裏を駆け巡ったこと也(なり)。人生は儚きものだろう、が永遠でもあるだろう。ニーチェの永劫回帰──過去と未来とは物理的に存在しない人間の創造した想像(イメージ)の世界、モノとしての地球や宇宙は科学的に常に唯(ただ)一つでだから別の時空間へ行こうとするタイムマシーンとかタイムテレポートなど有り得ない、(原罪というよりも)現在に永遠に閉じ込められたニヒリスティックで絶望的な人間生涯、しかし今に永劫に帰ってくるだけの虚無とはまた同時に希望の世界だ手前(てめえ)次第、だって“Gott ist tot(神は死んだ)!”……キリスト教的世界観である処の過去/現在/未来という一方向の一直線上の物語など無い──を持ち出す迄もなく、ばあちゃんが身を以(もっ)て教えてくれた。つまり一生は儚き一瞬にして、一瞬とは果てなき一生でもあると──アンフィニッシュド・バラッズ!──それは例えば、僕のばあちゃんへの愛の詩(うた)。これは一瞬の内の一生の、一生の内の一瞬の歌。



悼辞「ばあちゃん、ありがとう」

2026/4/28(Tue) Nori MBBM

実家から、ばあちゃん危篤の報を受けた
夜勤の休憩中にそれに気付いた
平静を装って、簡潔に返事をした

夜勤が終わり携帯を見ると
状態が良くない旨の連絡が来ており
またそれに返事をした
何かみな上の空だ

2時間半ほど眠ったようだった
ライヴハウスのバーカンで働いている夢だった
ドリンクが何故か百倍位の値段で、一杯5万もした
“高過ぎるな”と思いつつ来る客に酒を作る
客も不服そうな顔で一杯に見合わぬ大金を出す
お釣りを数えていると客が睨んでくる
お札と小銭を数えて客に渡すと
めちゃくちゃ不満そうな顔でそれを受け取り
開演前の客入れBGMが流れる暗いフロアに消えてった
(あっぶねえ、何とか会計乗り切った)と思う俺の前に
また別の客がドリンクを注文しにやって来る
こちらを不審がる、怪訝な顔をしている

目が覚めて情けなくなる
それはすぐに夢と分かったし
これがすぐに現実と分かって携帯を見れば
また新たに連絡が来ていて
“ばあちゃんの意識が下がっていて、いつまでもつか”と
こんなばあちゃんと何の関係もない
お金のやり取りをする夢を見た自分が情けなくて

考えたくないが、ばあちゃんがもしもの時の
今後のことを少し確認して、また寝ちまった

薄暗い森の中に少し開けた処があって
何か汚れた塔の様なものがあって
見上げるとそれは朽ちた天秤だった
秤は一方に傾いてきていて
軋むような鈍い音を立てている
手当たり次第、石ころだ木の実だ枝だ葉っぱだ
かき集めては秤に投げ入れる
傾きは一向に直らない
手は爪は土で汚れて真っ黒けに
秤が少し、均衡に向け、動いた様に見え
(よっしゃ、いけるかも)と思った処で
また目が覚めた

3時間は眠れたんではないか
携帯を見ると、ばあちゃんが息を引き取る前に
急遽、逢いに来た親族のことが書いてあった
激務の合間を縫って向かったようだった

フロイトなら、どう夢判断してくれる?
制御不能な死を夢の中で操作可能な生に変形したとか?
いわゆる“願望充足”とか?
祖母の危篤が“ライヴハウスの酒のインフレ”で
(あっぶねえ、何とか会計乗り切った)という手前は
社会的役割を何とか全うしたと?
罪悪の感を回避したってこと?
破局の恐怖を免れたと?

ラカンなら、どう精神分析する?
アンバランスに秩序を失くした巨大な
年季の入ったボロボロの旧い天秤の
不穏な音を立てて傾いたことを知らせてくれるは
象徴界に留まる手前の軽さに対する
現実界の生/死の重たさとか?
そびえ立つ、天を司る両の秤そのものが
生/死のバランスそのものであるとか?
「君なりに生/死を受け止めようとしているのだ」とか?
カウンセリングして、慰めてくれるかな?

ふと、枕元を見やれば
ここ数日読んでいた河合隼雄の本が
もうすぐで読み終わるんだが
ばあちゃんがこんな状態で
内容が全然頭に入ってこなくて
1、2ページ読んでそのまま放ってしまっていたのだった

ユング派の河合隼雄なら
どんな夢分析をばしてくれる
“ライヴハウス”、“酒”、“インフレ”
これらリビドーの極端な増幅と
フロイトの云う性的なものでなし
より生的、心的なエネルギーの象徴と
そんな心理的不均衡の再統合と
一杯に不釣り合いな高額会計を乗り切って?
森の中の巨大な天秤の均衡の為に
(よっしゃ、いけるかも)と石ころかき集めて?
河合隼雄なら“魂の物語の再編成”と
あの優しい、懐の深い、どっちつかずの文体で
少し安堵させてくれるかもしれない


訃報が届いたのは3月の早朝だった
1月にばあちゃんが倒れ
2月に主治医の方から
“遠方に居るご家族は、今の内に会いに来て下さい”と云われ
その3日後に逢ったのが自分との最期だった

声を掛けるとこちらを見つめて居たがすぐに目を閉じ
「ご飯をちゃんと食べて、いっぱい寝てね」と言うと
また目を開けてこちらを見つめ
そしてすぐにまた眠ってしまった
言葉はなかったが声は聞こえていた

“五感の内で聴覚は最後まで残るので、声掛けは続けて下さい”
“できれば手を握ってあげて”
“患者さんも安心して、不思議と脈拍や呼吸も安定します”と
どの本にも同じ様な事が

看取り・終末期に関する本を
ちょっと泣いては読んでをして
“終末期のせん妄は、9割近くの方が経験する”とも
そう書いてある本もあった

とすると最後に話し掛けたとき
自分が誰か分からなかったかもしれない
何を話しているのか分からなかったかもしれない
ここが何処かというのも分からなかったかもしれない
それが夢か現実かはっきりしなかったかもしれない

少しでもはっきりしていたら
嬉しい事は嬉しいけど
そうぢゃなかったとしたって別に良い
みな分からなくなるという事だから
この世界から居なくなるのかもしれないとか
体がなくなってしまうかもしれないとか
それも分からなくなるという事だから

“終末期せん妄がやって来る前に”
“意識がちゃんとしている間に”
“大切な事は話し合っておいて下さい”とも書いてあったが
自分だって、ばあちゃんだって
終わりは認めないって
認めた上で話などしないって
だから言葉は交わせなかったけど
どちらにせよ、思い残す事が無い様にするなど
有り得ない事だった
だから目を見てくれたらばそれで良かった
言葉はなかったが声は聞こえていた
自分だって、ばあちゃんだって

父方と母方の二人のじいちゃん
母の弟だったおっちゃん
それぞれ全くてんでばらばらの生き方
その三者三様の生き様を見ては
どう生きていったら良いかを学んだ
或いは学んだり真似したりする以前に
それらはそれぞれ少しずつ確実に
手前の中に既に息づいていた

適当な感覚でいなしたり
情より理性で見極めたり
妙なセンスで笑わせたり

余韻を残す様に吐露したり
余計な事は言わなかったり
余裕振りつつ全力だったり

そんな事する度しそうなる度
血の中の誰かと逢う旅のよう
俺生きてりゃ生きているよう

何かしぶとく続けたりする
投げ出さないでやり切る力があったなら
それは、ばあちゃん!
半世紀以上毎日欠かさず日記をつけていた
大正・昭和・平成・令和と百の年を重ねた
ばあちゃん!
その血の己が流れているを知っている
豪快に強引にでも生きてやるから

「さようなら」などよう言わん
大切なものなら皆そう
ばあちゃんでも、友達でも、彼女でも
「またね」くらいしか言わん
また逢うつもりなんだから

死後の世界も幽霊も見たことはない
だからそれを信ずることができない
オカルトやスピリチュアルではない
有るもの・在るものしか有り得ない
ただ死んで全く無になると思えない
物理・科学も同じ様に信じたくない
妄信的/狂信的、虚無、無、それこそ
オカルト・スピリチュアルぢゃない
僕が死んだら何か誰かに作用したい
ばあちゃんの四十九日にこんな詩を
こんな詩をただ書いてしまうみたく
これを聴いているあなたにとっては
僕が生きてようが死んでようが同じ

自らがこの己として生まれてきたこと
そしてその自己があの父と母と
この祖父と祖父と祖母と祖母と
そう、ばあちゃんと
ばあちゃんの孫として産まれてくること
ほとんど0に近い天文学的確率
少しも可能性がない
また出来そうな気がしない
全く同じように

ばあちゃんとまた会えるとか
この世ではないあの世があるとか
にわかに信じがたい
自分が自身として産まれて生きていることと同じ位に
ほとんど0に近い天文学的確率
少しは可能性がある
また出来そうな気がする
全く同じように

だからさ、また逢えると思っているの!
いつか別れた誰かと
その人とあの人とこの人と
ばあちゃんと


東京の家に戻る日はいつも
“また来いや、待っとるぞ”と見送ってくれた
じいちゃんと二人並んで
じいちゃんが逝ってしまった後は
いつも頑張って立ち上がって
玄関まで出て来てくれて

その声をまた聞きたいから
じいちゃんとの馴れ初めもまた聞きたいから
必ずそちらにいきます
また逢う日まで、待っていてね


ばあちゃん、ありがとう


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