2020年3月29日日曜日

ショートケーキたべたい(外出自粛要請の雪の東京たべたい)

今朝方4時頃、“シャアヽン”と水を切って走る車の音が窓の外から聞こえたので、「今日は雨か……」と呟くと同時に、“雨がぁしとしと日曜日ぃ(ザ・タイガース「モナリザの微笑」)”と口ずさみながら、「しかも今日、日曜日ぢゃん」と一気に目が覚めた男、ノリ・エムビービーエムです。

 日々、急速に拡散する“新型コロナウイルス(COVID-19)”によって、東京都知事から異例の週末(28・29日)外出自粛要請が出されたが、その影響で私も昨日今日の仕事や諸々の予定が無くなった。暇になったのである。そこで軽率ではあるが、誰とも会わない事を前提として近所をぶらついた、当記事はそのドキュメンタリー記録である。


早稲田通りを越えた処の自宅前の通り

 雨がぁしとしと……どころではなく雪まで降っていた、もう降り積もっていた。そういえば、数日前の週間天気予報の東京に“雪だるまマーク”があった事を思い出した。


酒呑みもロッカーも高円寺みな外出自粛中

 今日29日は、前のバンドで一緒だったギターのKaz兄の誕生日である。明後日31日は、父方の祖母の95回目の誕生日である(この令和の時代にすこぶる大正なプレゼントを郵便で贈った)。皆様、心よりおめでとう御座居ます。


イエモンの新曲をやっとダウンロード、その名もズバリ「未来はみないで」

 人は年齢を重ねる毎に、一年の経過を早く感じるらしい。確かに子供の頃の一年と、働き詰めの一年では、味わう様にゆっくり過ぎてゆく前者と、考える間もなく機械的に消費されてゆく後者である。

 しかし、確かに早いのだけれど、自分の課題や、やるべきこと、やりたいことに立ち向かっている人は、その一年や半年を実際の倍位に感じるのである。人生の器の中に経験を積む、詰め込みまくる。そうして何人分もの人生を経験する様な人は、自然と人の一年を、二年や三年にするのだろう。


庚申通りにゃコロナのせいで幻となった「TOKYO2020」オリンピックの垂れ幕が

 日曜日の高円寺だというのに、駅まで続く商店街はシャッターを下ろして閑散としていた。その非日常感は、私をより劇的に刺激した。街中が物語の様に、すべて夢の様に。


今日ばかりは人より雪だるまの方が外出しているらしい(ホント沢山あったんだ)

 夢は自分で考えて見るものでなし、まるで近所をぶらつく様に

 もう夜空の向こうにたくさん用意された、それぞれの舞台があって

 その舞台で、学生時代の知り合いや、憧れの有名人や、知らない人と共演するものだ


先日もらった「星の王子さま」のチョコレート──有難う、頂きます☆

 私はある日、雲の上、天空の国にある墓所へ
 お墓参りする夢を見ました、いえ、出ました

 それ始まった瞬間、丘の上の方から聞き覚えのある女の子二人の声が
 「あの人来たら、どうするの?」
 「あの人ほら、もう来てるよ」
 なんてこそこそ話をするものですから

 やはり夢は見るものでなし
 もう用意された舞台に自ら出演するものなのです

 だから、とってもリアルかつ知らない人が居ても当然なのです
 逢った事も見た事もない、舞台上でしか生きる事のできない役者たち


箱も中身もメルヘンで可愛い──有難う、御馳走様でした★

 嗚呼、甘くて美味しいチョコレート、もっと食べたい

 恐らく今宵に見る夢は
 雪の真っ白と血の真っ赤が鮮やかな
 イチゴのショートケーキを食べる事になるだろう

 ワンホール独り占めしたいくらいの
 外出自粛要請された東京くらいの
 それも夢の舞台で演者の私が

 「早く食べ終わる奴ほど知能指数が低い」と意地悪な顔をした学者風情と
 それを有難がる金魚のフン達が別室から見ているのも知らず

 私や、他の家族や、友達は、嬉しそうに
 イチゴのショートケーキを食べています

 笑顔のキラキラした部屋と
 実験グラフだらけの暗い部屋

 それは扉を隔てた二部屋の断面図、横から同時に眺める舞台
 目覚めた後の私はどいつもこいつも気に食わず、真夜中にこう云うだろう


外出自粛要請の雪の東京たべたい

 ショートケーキたべたい
 ──この世界に真っ赤なジャムを塗って、食べようとする奴がいても?

 きっと残さず食べて、また明日へとつづく
 ──君に逢いたくて、また明日を待ってる?


 月曜日につづく

 永遠に続く


ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。
-ダニエル・デフォー


0 件のコメント:

コメントを投稿