日々、急速に拡散する“新型コロナウイルス(COVID-19)”によって、東京都知事から異例の週末(28・29日)外出自粛要請が出されたが、その影響で私も昨日今日の仕事や諸々の予定が無くなった。暇になったのである。そこで軽率ではあるが、誰とも会わない事を前提として近所をぶらついた、当記事はそのドキュメンタリー記録である。
早稲田通りを越えた処の自宅前の通り
雨がぁしとしと……どころではなく雪まで降っていた、もう降り積もっていた。そういえば、数日前の週間天気予報の東京に“雪だるまマーク”があった事を思い出した。
酒呑みもロッカーも高円寺みな外出自粛中
今日29日は、前のバンドで一緒だったギターのKaz兄の誕生日である。明後日31日は、父方の祖母の95回目の誕生日である(この令和の時代にすこぶる大正なプレゼントを郵便で贈った)。皆様、心よりおめでとう御座居ます。
イエモンの新曲をやっとダウンロード、その名もズバリ「未来はみないで」
人は年齢を重ねる毎に、一年の経過を早く感じるらしい。確かに子供の頃の一年と、働き詰めの一年では、味わう様にゆっくり過ぎてゆく前者と、考える間もなく機械的に消費されてゆく後者である。
しかし、確かに早いのだけれど、自分の課題や、やるべきこと、やりたいことに立ち向かっている人は、その一年や半年を実際の倍位に感じるのである。人生の器の中に経験を積む、詰め込みまくる。そうして何人分もの人生を経験する様な人は、自然と人の一年を、二年や三年にするのだろう。
庚申通りにゃコロナのせいで幻となった「TOKYO2020」オリンピックの垂れ幕が
日曜日の高円寺だというのに、駅まで続く商店街はシャッターを下ろして閑散としていた。その非日常感は、私をより劇的に刺激した。街中が物語の様に、すべて夢の様に。
今日ばかりは人より雪だるまの方が外出しているらしい(ホント沢山あったんだ)
夢は自分で考えて見るものでなし、まるで近所をぶらつく様に
もう夜空の向こうにたくさん用意された、それぞれの舞台があって
その舞台で、学生時代の知り合いや、憧れの有名人や、知らない人と共演するものだ
先日もらった「星の王子さま」のチョコレート──有難う、頂きます☆
私はある日、雲の上、天空の国にある墓所へ
お墓参りする夢を見ました、いえ、出ました
それ始まった瞬間、丘の上の方から聞き覚えのある女の子二人の声が
「あの人来たら、どうするの?」
「あの人ほら、もう来てるよ」
なんてこそこそ話をするものですから
やはり夢は見るものでなし
もう用意された舞台に自ら出演するものなのです
だから、とってもリアルかつ知らない人が居ても当然なのです
逢った事も見た事もない、舞台上でしか生きる事のできない役者たち
箱も中身もメルヘンで可愛い──有難う、御馳走様でした★
嗚呼、甘くて美味しいチョコレート、もっと食べたい
恐らく今宵に見る夢は
雪の真っ白と血の真っ赤が鮮やかな
イチゴのショートケーキを食べる事になるだろう
ワンホール独り占めしたいくらいの
外出自粛要請された東京くらいの
それも夢の舞台で演者の私が
「早く食べ終わる奴ほど知能指数が低い」と意地悪な顔をした学者風情と
それを有難がる金魚のフン達が別室から見ているのも知らず
私や、他の家族や、友達は、嬉しそうに
イチゴのショートケーキを食べています
笑顔のキラキラした部屋と
実験グラフだらけの暗い部屋
それは扉を隔てた二部屋の断面図、横から同時に眺める舞台
目覚めた後の私はどいつもこいつも気に食わず、真夜中にこう云うだろう
外出自粛要請の雪の東京たべたい
ショートケーキたべたい
──この世界に真っ赤なジャムを塗って、食べようとする奴がいても?
きっと残さず食べて、また明日へとつづく
──君に逢いたくて、また明日を待ってる?
月曜日につづく
永遠に続く
ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。
-ダニエル・デフォー
0 件のコメント:
コメントを投稿