令和三年度、入学式辞
2021/4/8(Thu) Nori MBBM
──誰(たれ)よりも十戒を守った君は
誰よりも十戒を破った君だ。
誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を軽蔑(けいべつ)した君だ。
誰よりも理想に燃え上った君は
誰よりも現実を知っていた君だ。
君は僕等の東洋が生んだ
草花の匂のする電気機関車だ。──
神は困っていらっしゃる。土壁や石板に彫られた時から、聖書に記され、印刷を経て皆の手に渡る迄、何とか心を込めて来た。極東の島国の陰惨な六畳一間へ散らかる原稿用紙にだって、ふむふむ目を通すのにいらっしゃった事がある。ちゃんと存じ上げて居る。さて己がブログ随筆において、この通信回路に貴方は御出(おいで)なすったか、入力しては手応えを感じてみよう。
ここは再び海である──
先日観た映画について友人と批評を交わし、蕎麦屋でざる蕎麦の大盛りを頼み、帰りしな本屋で三文小説を勘定し、携帯に記した予定項目を一つ削除、世界中の今日中にあらゆる言語処理を済ませたら、眠れぬ夜に読み書き出来ぬもの、悩みに似た秘密裏のもの、意識にすら上昇(のぼ)らぬもの、謂わば“プレ・エログロ・ナンセンス”、文よりも字よりも前に探すもの、捜そう。
海を割る杖、掲げる手──
川端康成という人はあの大きな眼で以てして、初対面であろうと女子供であろうと野郎であろうと、じっとその舐めてしゃぶるが如く凝視したそうな。見詰める沈黙の間の、彼の願いは何でありましたかね?畢竟(ひっきょう)在処(ありか)を探していたのか、と思うのですが──そこで割られたのは海、はうみでも水のうみ、あの彼のみずうみ。
右の羊に歌ってあげよう──
例えば私が裸で闊歩し、この通信回路に行き交う人々と挨拶を交わし、「そこの裸の君、ボール取って呉れ給え」と言われてからに投げ返すと明後日の方へ飛んで行き、“投げ方ヘタすぎwww”と嘲笑されようがそれはhyper-text transfer protocolなworld wide webの事だから気にしないで、帰宅してから矢張り大切な処ぐらい隠すべきだった、何か良い腰巻きはないものか、と寝床の誰か眠る予定の枕にイエス──彼はみずうみの上を歩いて渡ったり、皆の代わり磔になって命を落としたり、今から四日前の四月四日には「復活した」などと宣(のたま)うし、今度五月辺り一緒に登山をすると約束した神の子である──キリストのカナ文字の入った手拭いが丁寧に畳まれていたのだけれど、これはよその人のだから勝手に着けるのよそうよそう、なんてまた御洒落な服より駄洒落た裸を装って、仏教いやいや無宗教、ゲッセマネで置いてけ堀は止(よ)して、縛られて何をされるか分かり切って、その通り神話にしないで、在処を探しにぶらんぶらん、何処かお股にぶらんぶらん……さ迷えるhttpにsを、私にパンツを、新型のコロナにマスクを、シッダールタにガウタマを、ストレイ・シープに詩を。
歌ってくれたは左の山羊──
幸い西は極東でもあると見え、出(い)づれというのは即ち超越る。狭義に捕まりそうな足取り、捉えて呉れ賜(たま)ふと邂逅(かいこう)す。原罪の認否にかかわらず、広義の責任を負うて居るのだ。罪はみなで分かち合おう、罰は世界と宇宙に委ねよう。何と無しの気配において、感動も無くまた確認す。退屈している慣習に、心を解いて安住す。中也の生活繰り返す、昼夜の生活ひっくり返る。
羊も山羊も何も可愛いや──
影の様で陰ならず、裏表の理解に苦しむばかし。露(あら)わになる光り、突き動かす力は過ち。襖(ふすま)の陰にやおら立ち上がり、障子の影に佇んで居る。興奮の在所、幸福の所在。毒されて健やかに、憑かれて康(やす)らかに。照らしつける天道様の頃、後は任せて眼を閉づるばかし。
右も左も何も仏だ──
これを読んでいる君、と文字の向こう側で目が合う。世界中の画面で反射の振りして、今日中に目と目で見つめ合っている。概念の匂い・温もり・色合い、通信回路に気配を感ずる。身体を亡くして想い出となり、語り継がれて身体を見つける。魂、概念の虫、嘗(かつ)て遺しし平成挽歌。こうして遂に、神の実態がぼんやり浮かぶ。
水は彼等の右左に墻となれり──
時代にのめり込むのは良いが、めり込むのは真っ平御免だ。あれこれ迷わなくとも、時代の方から注文を付けて呉れるよな。そうだ、あれこれ迷うな。働くな。学ぶな。通うな。触れるな。離れろ。消毒しろ。静かにしろ。笑うな。払うよ、税金は払うよ。何だ、戦争ぢゃないのか。いま昭和九十六年、ないし平成三十三年、そんな郷愁捨てちまえ、令和三年。流行りの何事無きを誇る事もせず、その事勿(ことなか)れ顔で格好を付ける代わり、傷を付けられて堪え難くなるほど面倒を抱え込み、どさくさ紛れに体制やAIから買わされたものをさも自ら嗜好(しこう)したと思い込む手前、そんな所有やめちまえ、令和三年。私が論理的に破綻しているとすれば、将来などという軽薄な経済社会を約束しない為に、神の姿がありありと浮かぶ。
水は我等の右左に墻となれり──
神は宗教の東西でなし、通信の回路にて往来す。私は未来の過去でなし、令和の三年より物申す。君に何も求めたりはしない、この祝辞を贈る。
「見よ、これらの善い者、正しい者を。かれらが最も憎むのはだれか。かれらの価値の表(ひょう)の板を砕く者である──破壊者、犯罪者である。──だが、それこそが創造する者なのだ。」
-ツァラトゥストラ
モーセ以来、海が二つに分かれる事は無かった
海の幾らか、とある一つは別れるであろう
たとえば、この海から──
「秘密がないのは天国か地獄かの話で、人間の世界のことじゃないよ。」
──この式辞に秘密は無いので、さぞ貴方様も居心地が悪い事だろう、筆者自身の様にね、もっと遠くへ行こう、さあ一緒に逝こう
「秘密はまもられていると、あまくたのしいものだが、いったんもれると、おそろしい復讐の鬼になって荒れるよ。」
──筆者と読者以外に味方は居ないの、式辞と聴衆の間に望むのもそういう関係さ、契約は要らぬでオノロケよ、神に誓うって猥褻だ
「僕はもう有田老人の演舌の下書きはしてないんだよ。今日の祝辞なんか、前と調子がちがってたでしょう。」
──"Are you burning?"ドグマッ
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