2016年8月18日木曜日

山堕ちては谷間擁く

真実は、あべこべである。文学は体験であり、音楽は記憶である。前者は二度と起こり得ず、後者は断片を繰り返す──。

 そして文学は、同じ本を再び読む事なく、棚に並ぶ者達を風化させまいと手を伸ばす事もなく、ただ追憶する。そして音楽は、追憶よりも直接的な記憶を、悪夢を、不思議な夢を観るのに、曲を用(もち)いる。瞬間で、風化の心配がなく、だが同時に残る事もなく、だから何度も再生する羽目となる。全てに触れる事など、総じて有り得ない。

 全てとは何だ、追憶による生涯だ。平たく言って、体験であり記憶である。平たく云わないで、山に対照したその分だけの谷であり、健全の境界を描く為の背徳であり、法律を重んずるが故に憲法の位置より縁のない罪と罰とで結ばれる願いである。

 バンドなんか況(ま)してや文学なんて、手前と何も関係がなかった。だのにこの有り様、お分かり頂けたか。幽霊の正体見たり枯れ尾花(おばな)、一番遠いって事は一番近いからだ。身体のない幽霊に怯える身体、因果な心魂(しんこん)の魂胆(こんたん)だ、呪われた部分だ己がバタイユだ。いや呪われた子だオノレ・ド・バルザックだ。

「おお、われらとともに岩多き谷間に来れ、
荒々しけれども清らかなる風ぞ吹く──」
「世界は広く──心悩ます憂いなし、
君が祖国に境なし、
ただ君の意(こころ)のみ最高の力、
されば進め、至福なる歓喜、
自由は微笑み、自由は笑う!」

 空が口を動かした、昼と夜の能天気をやめて何か話そうとする時、私はうっとりと聴き入る様にする。あの橙と紫に桃や白が入り混じる曼陀羅(まんだら)をとっくりと眺める。或いはこの口を開いた、谷間の百合(ゆり)の白さだけが真実だとして、君へ山の様に話し掛けたい事がある。

官能の入りこむ余地のない領域で示された愛、卑下することにこそ偉大さのうかがわれるこうした行為、そこにこめられたあふれるばかりの愛の告白、天上界での出来事のような、こうしたもろもろの事情が、嵐となって激しく私の心におそいかかり、私はさながら身もうちひしがれんばかりの思いでした。私はおのが卑小さをひしひしと感じ、彼女の足もとで、このまま息絶えてしまいたいとさえ願いました。
-フェリックス・ド・ヴァンドネス

 また生熟(なまな)れな、青くさい事を語ろうぞ。そう二人が独りを占めるだけの秘密を持ち合わせて居るか、否か。汚れた恋ほど誰彼と構わずに触れ回りたくなり、そうでないものは面白味もなく誰彼と節操なしに話したくない。その何方(どちら)も白地(あからさま)に、全て知り尽くそうぞ。後になって半人前扱いされる事も知っている人間だ、今は確かに人間なのだ。それもこんな神様の視点だ、自伝的で何様なんだ。そうだ地獄を目に見るのも予定に入れてある、というより予(あらかじ)め地獄は見て来たし、定められし地獄へと馳(は)せ参ずる覚悟は決めたし、だから私を侮辱しても良いし、見くびられても構わないのである。

 だって確実に成し遂げる──スタートがゴールである。聞いているか空、身も心も投げ売った海、己が錬金術をした山。“七”は罪深き重要な数だが“六”は無口で無思慮な無味乾燥の数々と嘆く西洋世界へ、再び改めて輪(まわ)り廻(めぐ)る六道(りくどう)また六界(ろっかい)。再会した最初と最後は一緒で、再開したそれが二番目でも三番目でも良い、それが良い、何故なら──

 文学は体験であり、音楽は記憶である。前者は二度と起こり得ず、後者は断片を繰り返す──。両者が為に私は悶絶し、これを認める。天国はあるさ、思ったよりも窮屈で苦しい。地獄はあるさ、貴方の其処(そこ)や手前の此処(ここ)に。後は順番さ、後払いか先払い。両者が為に私は悶絶し、これを認める。

いちじくの実が木から落ちる。それはふくよかな、甘い果実だ。落ちながら、その赤い皮は裂ける。わたしは熟したいちじくの実を落とす北の風だ。
-ツァラトゥストラ

 そう悶(もだ)えながら胸一杯に吸い込み、何時か詰め込まれた砂塵(さじん)。微(かす)かに煌(きら)めくは気のせいか、いざ振るいに掛けて残る砂金(さきん)。大した価値の無い、一撃も与えられない、茫洋(ぼうよう)たる砂漠の蠍(さそり)の針の先。掻集(かきあつ)め煮詰め毒されて、己が錬金術をした魔の山、息詰まる夕焼と海、いちじくの木から見上げた星の空を再現す。聞こえるか認められるか、六界の天道(てんどう)よ、私を黄金にしてしまえ──。

「神(かみ)よ、われらが主、國王を助け給(たま)え」

 白痴の花は無垢に咲き誇り、浅薄(せんぱく)の草と透き通る。谷間の百合よ、谷間の百合よ、私にこそ汚されて仕舞(しま)え、私にだけ摘まれて終(しま)え。

 自:あゝ、予め百合の枯れる事を知って居れば、この手で摘み取って人知れずその花葉(かよう)だけを何時迄(いつまで)も愛し抜いたのに

 己:何を仰(おっしゃ)るかと思えば愛し損なった言い訳か、「百合の枯れる事を知って居れば」とは“百合が花だという事を知らなかった”とでも言うのかね

 さあ鈍く愚かな人生よ、山を登るに必要なのは、強(したた)かな力、この持て余す鈍重(どんじゅう)──

「視(み)よ、されど觸(ふ)るるなかれ」

 谷間の百合よ、谷間の百合よ、私に抱かれて仕舞え、私を抱いて終え。

 自:えゝ、知識としては持ち合わせておりましたが、実際にこう体験した事が無かったものですから、畢竟(ひっきょう)記憶も何も無かったものですから、遂に再び結ばれる事も無く、現世ないし天上の世界では永遠に生き別れたという事です

 己:それで百合とは似ても似つかない花を摘み取って、薔薇でもない、さくらでもない、そしてフリヰヂヤでもなかった、だなんて花を愛する資格が皆目(かいもく)無いのではないかね

 さあ鋭く賢(さか)しい神聖よ、谷を下(くだ)るに必要なのは、速(すみ)やかな力、その持て囃(はや)す軽薄──

「己れを売らず」

 ただ言葉だけが、言葉だけで打ち明けられる。記すか印して標されて、書くか欠かれて描かれる。言葉を除いた告白ばかりは、ただ本音ばかりを漏らすばかし。撮るか録って採ればこそ、写すか映して移される。傷つけたものを呪い、傷つけられたものを弔(とむら)う。君より、貴様より、貴方より、誰よりも広く深く、喜怒哀楽の回数で、心も頭も彫刻(ちょうこく)する。相克(そうこく)する、其処に流れる感情の色彩が、精密にこう描かれる一つ一つの筆致(ひっち)が、誰あろう己れである。さあ自らに己を与えよ……

 文学は体験であり、音楽は記憶である。前者は二度と起こり得ず、後者は断片を繰り返す──。音楽に文学の堅実重層(けんじつじゅうそう)を与えよ、文学へ音楽の流麗軽妙(りゅうれいけいみょう)を与えよ──

「あのとき君は君の灰を山上に運んだ。きょうは君は君の火を谷々へ運ぼうとするのか。君は放火者の受ける罰を恐れないのか。」

 超俗(ちょうぞく)の人はそう助言したが、ツァラトゥストラは聞かなかった。私はまだ神を信じているから、超俗の人の助言に従うべきだった。そうだ、個人主義を気取っているから。だのに、ツァラトゥストラと同じ道を辿った。神は死んだ、と下界へ降(くだ)った。

 私はこうして文学までも繰り返し衒(ひけ)らかす、不眠の夜に愛した文学の数々を……音楽如きが軽薄に──

 もっと人間にならないか?これ人間の特権なんだぜ?人間の特権を行使したいと思わないか?だって人間の特権なんだぜ?文学と音楽は──。絵を描く像とかチンパンジーが居たって、動物に芸術の萌芽(ほうが)が見られても、文学と音楽は──。自殺する蜂(はち)とか蟻(あり)が居たって、昆虫に胸中の葛藤が見られても、文学と音楽は──。人間の特権なんだから。まだ神様だ天上だに憧れるのは構わないが、まだ人類には人間世界でやる事がゴマンとある。せいぜい人間をやりなよ。人間がオススメ。ただ人間界の苦労は程々に、ただ人間の苦悩を一人やりなよ。そう独りで、こうひとりでに。文学と音楽は──、文学と音楽は──

 人間を好かぬ人間を一定好きにならせる位──山堕(お)ちて、また人間を好くという人間を一定好かぬとならせる程──谷間擁(だ)く。余す事無く洗いざらい、人間やりなよ。打ってつけだよ、文学と音楽は──。


伯爵さま、あなたはシャンディ夫人のようなお方と結婚なさるべきです。
-ナタリー・ド・マネルヴィル


人間篇に続く


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