2023年4月1日土曜日

洋琴のこごと

作話・画、Nori MBBM



 むかしむかしあったんやといや。ある男の家に、しばし弾かれぬ洋琴が。

 この男、兄が二人おる三男坊主で、これまた絵に描いた三日坊主で、「どうしてかうしてギタアが欲しいわ」「ギタアならわしゃ、きっと世界一や」と方々に出鱈目宣(のたま)って居(お)った。

 あるとき男の昔なじみが、「こりゃ先輩から譲り受けたんやけど、自分は自分で矢っ張しお気にの持っとるさかい、弾かんけん君にあげるわ」とそれはそれはハヰカラな洋琴を男に呉(く)れたんや。

 男は嬉しゅうて嬉しゅうて、そりゃ嫁さん貰ったとばかりに、「わしゃお前を一生大切にするさかい、これからほんまごつ宜(よろ)しゅう」と真っ紅で美しい洋琴を抱き抱え、来る日も来る日もぽろり弾いたそうな。

 しかして男の腕はあるとこ一定(いってい)頭打ち、やがて洋琴を抱き抱える日も少のうなって、音楽から文学、三文(さんもん)小説に浮気するようなったんや──長兄(ちょうけい)「あゝ情けなし情けなし」。

 「はあこりゃまた面白か、昼抜いた甲斐があったわい」「ほうこりゃまた哲学や、三食抜いた甲斐があったわい」と飯代で飯も食はずに何の虫喰はせ、寝食わすれて顔まで青くおぞましき本の虫喰はせ──次兄(じけい)「あゝ情けなし情けなし」。

 寝不足やったある朝のこと、積む読(つんどく)山に囲まれた寝床で寝まっとると何処(どこ)からともなし、“さみしわさみしわ、愛想尽かしや”“みんな嘘やったん、ほんま信じられへん”としくしく泣く声が聞こえたんやと。男はばちっと叩(はた)かれたよに頭冴え、「はて今のすすり泣きは何ぢゃ?誰か居るんかァ?」「をかしな、甚(はなは)だをかしな、独りごちや、こんな男独りの家でな」と手前に問うた──三男坊主の三日坊主「あゝ情けなし情けなし」。

 “さみしわさみしわ、愛想尽かしや”──

 薄暗し家の狭さ見渡せど人影あるはずなし、だが男なるほど膝(ひざ)打った。「何やさうかいな、さうやんな、矢っ張りお前や」と壁の隅に洋琴がつんと。たいそう青ざめて、ハヰカラな紅も褪(あ)せてどんよりと。「ごめんなごめんな、ほんま許してくれ、申し訳ない」「わしゃお前を大切にする云ふてこの様、これから人間入れかえて死ぬ気でやるさかい、今度こそ宜しゅう」と洋琴を涙ながらさすりさすりて。

 経(へ)てから真っ紅な洋琴から言葉発せられること二度となく、ただ男が上手くやれば上手くやり、下手に焦れば下手に焦った。

 「ほんまお前はかてこ(=賢い子)や、あん時ちゃんと鳴いて呉れて、ほんまごつ有難う」「ずっとずっとやさしくするさかい、今度はわしが何事も我慢する番や、お前は世界一の別嬪(べっぴん)さんや」

 最期云ふまでなし男の家からは亡くなるその日まで、赤い洋琴がぽろりぽろりつま弾かれる、いと美しき声が聞こえたさうな。


 そうろうべったり、がんのます。




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