2023年4月20日木曜日

私のレーゾン・デートゥルは

健康の時代が、大っぴらに希望はされなくても、しかも、ひそかに期待されていたという一つの徴(しるし)は、市民たちがもうこのときから、ペストの終息後どんなふうに生活が再編成されるかということについて、無関心めいた口ぶりながらも、進んで話すようになったことである。
 みんな考えるところが一致していたのは、過去の生活の便利さは一挙に回復されはしないであろうし、破壊するのは再建するよりも容易であるということであった。
-ベルナール・リウー

 一体コロナって何だったんだ?と語る時代が来るかしらん。毎日、全都道府県の感染者数が事細かに報道され、一人増えただ一人減っただと一喜一憂した、あの頃、一体何だったのだと。ファイザーだモデルナだ何度も打たれただ、長蛇の列だワクチン接種だ、一体何だったのだと。無観客ライヴだキャパ半分ライヴだ配信だ、一体何だったのだと。

 こんな楽観は気が早いか能天気か不謹慎か、もう二度とコロナ以前の生活には戻れないのだよ!とキツいお叱りを受けるかしらん。またもう一つおまけにお叱りを受けるとしたら、手前はこの自粛生活のお蔭で読書量が以前の倍となり、どこかコロナ禍(か)の世界に感謝している節(ふし)がある。

 これは或いは「戦争と一人の女」、戦時中の哀しみをヤケクソに愉(たの)しむ当事者という事で、後の世のコロナを知らぬ者から何を云われる筋合いも無いし、さあもっと自粛・停滞しちまえ、その間にゆっくり・じっくり今ここに思う存分書き綴ってやるからな、と楽しくて仕様がない側面もある。これもじきに終わりかしらん?──ただこの活字中毒はもう止めらんねえぞ!


 読む前から好みではないと分かっていたが、村上春樹を遂に読んだ。皆読んでいる作家だから今まで避けてきたのだが、やはり好みではなかった。日頃より粋な事しか話したくない書きたくない、と心掛けているから不本意ではあるが、本当に野暮なものは話題にすらしない質(たち)なので、ここは一つご勘弁を頂きたい。

 まず、三島が大宰へ感じたものに対応しそうだが、ひたすらに手前の自慰を見せつけられる様だった──それもかなり勿体ぶった。百歩譲って手前の自慰は許しても、それなら思いっきり果てやがれと思う。同じ村上でも龍の自慰の方がまだ、前代未聞の破天荒で見ていられる(女装させられ、“黄色い人形”と罵られ、黒マラを口に突っ込まれて射精された挙句、バチコン殴打されるのはホント御免だが)。

 そもそも今回、やっとこさ春樹を読もうと思ったのは、駅前の本屋に“御年74歳、6年ぶりの新刊「街とその不確かな壁」発売”と大きなポップが出ていたからだ。但し貧乏な私はハードカバーの新刊など滅多に買わないので(7、8年前に新宿の紀伊国屋で買ったサルトルの「嘔吐」が最後か)、スミスとかストーン・ローゼズのファーストを中古盤で買った様に、彼の処女作「風の歌を聴け」の文庫版を求めて古本屋まで行くことにした。春樹なんて何処(どこ)にでも売っているから、適当な古本屋に入り、適当に安いのを選んで、適当に読めたら良かった。

 本棚の夥(おびただ)しい春樹作品の中にそれは三冊あって、価格はどれも半額程の250円であった。一応綺麗なやつをと思ったが、三者三様に表紙の角が削れて白く毛羽立(けばだ)っていた。中に書き込みとか傍線が引かれたのを読むのは死ぬほど厭(いや)なので、一応パラパラと頁(ページ)をめくって確認してみたが、どれも書き込みは無さそうであった。ただ三冊のうち二冊には、前の持ち主が気になったであろう頁に折り目が付けられていたので、それが無い一冊を買って帰った。

 さらさらと読める。なるほど風の歌だ。エッセイとか詩に近い。こういうのは経験上、印象に残らない。さっと読めるは即ち、さっと忘れる。作者の思惑通りだよ、とハルキストが得意気に云うやもしれぬ。構わない。

 しかし手前のペニスを「レーゾン・デートゥル」と述べられた件(くだり)には、思わず声が出た。これがマヂなら飛んだ風の歌だ。ここに思いっきり傍線を引いてやろうか。そしたらやっと私の本になる気がする……いや、私のレーゾン・デートゥルに。

 それから無性に腹が立ったのは、中盤まで読み進めていたら結局、頁にうっすらと折り目の跡が付いていたのだ。店員か前の持ち主に直された後だろうか、ちっとも共感できない頁に折り目の跡が付いていて、何だ古本屋にあった「風の歌を聴け」の三冊全てに折り目は付けられていたのだ。ハルキストの生態を垣間見る様で、ニヤけ面を見せつけられる様で、無性に腹が立つ。谷崎やバタイユなら全頁に折り目が付くから、折り目なんて要らんのだ。いや、そんなに厭なら新品を買えよ、それはごもっとも。だから春樹はこれから新刊のみ買う。買わない。


 さっきから気になり出してはいたが、春樹を読んだ後にこれを認(したた)めたので、この手前の文体も気取って仕方がない。こんなのは葬り去ってやった方がマシなのだが、敢えて恥を曝(さら)してやろうと思う。たまには手前の恥部を……いや、私のレーゾン・デートゥルを。


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