おはよう。先日、岩波や新潮のツイートで、谷川俊太郎の訃報(ふほう)を知った。次いで、紀伊國屋や丸善の“追悼フェアやります”というツイートが流れてきた。今はもう地上波を一切観ていないので、テレビでもこの逝去(せいきょ)が散々報じられたのかどうか、恐らく散々報じられたのだろうと思う──それだけの人だ。
私は特段、谷川俊太郎に影響を受けているものではない。謂(い)わば影響を受けていないという、それだけの影響を受けているものである。それは例えばミスチルとかB'zとか、この時代・この国に生を享(う)けたものの宿命である。踏み絵を踏むか踏まぬか、それだけの運命である。谷川俊太郎の詩は私の趣味ではないが、否応(いやおう)無しに知っている。前述の通り時代か国か、義務教育のせいで思い知らされている。だから私の趣味ではないが、ここにその思いの丈を述べたいと思う──
良くも悪くも私は影響されやすい質(たち)で、この前書きからして既に谷川俊太郎っぽい、ならば冒頭の“影響を受けていない”という主張は嘘になる。それでも“影響を受けていない”と言い張る、やはりそれだけの影響というのが実(じつ)の処である、何故なら頽廃(たいはい)・耽美(たんび)は彼を拒む──しかし全く無関係では居られないのが実情だ。
「深緑」
by Nori MBBM
第一部・確定日記(確と定むる詩編)
令和6年4月11日(木)、上巳の節供
深緑
淡い深緑
新しい深い緑
繰り返す事の深緑
言の葉の入り組む深緑
令和6年4月16日(火)、春土用入
意味があって
言葉があって
その先に詩があって
何て今は吹聴されている
みな逆だった
その逆だった
まず先に詩があって
耳から頭吹聴されている
言葉があって
意味があって
詩は必要なくなって
いつしか立場は逆転した
役に立たねえ
飯も喰えねえ
詩人風情が偉そうに
詩とか云って気取ってら
みな逆だった
その逆だった
覚えた順に思い出せ
君だって元は詩人だった
役に立たねえ
飯も喰えねえ
赤ん坊の頃忘れたぜ
社会人だって気取ってら
令和6年5月1日(水)、八十八夜
身体が万全だった時など
数える程しかなかった
精神が万全だった時は?
それより多かったかも
これが逆の人も大勢居る
むしろその方が多数派
彼の方が少数派だったに
昔は谷川俊太郎の方が
見事に入れ替わりました
日本一有名な詩人から
現代は現代詩その一手に
掌返しをされちゃった
夏も近付く八十八回の夜
そして八十九回目から
精神は身体的その一手に
掌返しを決めちゃった
令和6年6月10日(月)、入梅
物理的には唯一無二なんです
その時点で希望ですし
その時点で絶望ですし
過去・現在・未来は無いです
その時点は唯一ですし
その時点も無二ですし
人類は黴胞子か黴の奉仕です
その時点で希望ですし
その時点で絶望ですし
空間も肉体も只一つなんです
その時点は想像ですし
その時点も創造ですし
谷川さんも私も一人なんです
その時点で希望ですし
その時点で絶望ですし
令和6年6月10日(月)、端午の節供
生活が地球の歴史を遮断する
遮蔽物となり見えなくする
遅刻するな、駅まで走れ、と
鍵閉めたか、引き返せ、と
人生が宇宙の歴史を遮断する
遮蔽物となり見えなくする
あの先公と水泳、跳び箱、と
月一の全体会議、面談、と
生活と人生と歴史を確認する
地球と宇宙と見え易くする
日本史も世界史も自分で学ぶ
契約も条約も独りでに結ぶ
人生と宇宙と生活と地球とを
見ざる人間を見え易くする
言わざる大人の恋して鯉昇る
聞かざる子供の兜で着飾る
令和6年7月1日(月)、半夏生
生活は間断なく
人生は間断なく
私をかろうじて繋げる
どんな身勝手にだって
今に記憶喪失したって
だから他の奴にだって
繋がなくって良いって
お構いなしだな君って
僕出て行ってやるって
地球と宇宙を聢と見て
それでも死ぬ迄はって
人をかろうじて繋げる
人生に間断なく
生活に間断なく
令和6年7月19日(金)、夏土用入
詩集の為に詩を書いてみましょう
さあ詩人を名乗ってみましょう
ちょっと何言ってるか分からない
それってあなたの感想ですよね
ちょっと何言ってるか分からせる
それってあなたの妄想ですから
詩集の一言一句に云われましょう
さあ詩人が全てに答えましょう
それぢゃあ木々って何で生えたの
あの枝葉の形状って何が何なの
それぢゃあMBBM結成しましょう
あの結成の日付って何が何なの
詩集の一語一語の形を見ましょう
さあ詩人は何故愛でたでしょう
令和6年8月10日(土)、七夕の節供
人間の三大欲求に疲れたら
自然の無用無欲に浸かれよう
優しいのね、あなた、優しいの
手前を最低な人間と思う時がある
彦星が織姫を犯す穢らわしいものと
明日まで生き延ばすに必要なもの
険しいのね、あなた、険しいの
自然の無用無欲に憑かれたら
人間の三大欲求に就かれよ
令和6年8月31日(土)、二百十日
知っている
覚えている
名前もその形も
山道
知っている
覚えていない
名前もその形も
谷川
知覚は当てになりません
知覚は当てになりません
知らない
覚えている
名前もその形も
歴史
知らない
覚えていない
名前もその形も
明日
近くは果てになりません
近くは果てになりません
令和6年9月10日(火)、二百二十日
着物の糸
ギターの弦
君だけの怒り
恋人との繋がり
こんなものが人を
きゃあきゃあと
ぎゃあぎゃあと
うぇんうぇんと
云わせるのかよ
着物の糸
ギターの弦
君だけの怒り
恋人との繋がり
そのまま見せても
きゃあきゃあと
ぎゃあぎゃあと
うぇんうぇんと
言わぬであろう
着物の糸
ギターの弦
君だけの怒り
恋人との繋がり
切れただけなのに
きゃあきゃあと
ぎゃあぎゃあと
うぇんうぇんと
泣いてくれるな
令和6年9月17日(火)、中秋
ジミヘンに弾かれて切れた弦
燃やされて灰になった弦
バーナード・バトラーの弦
妖しく喘いで鳴いた弦
張られたばかり未使用弦
まだ歌う事知らぬ弦
変な押さえ方された弦
和音も知らぬ六弦
ドロップDで張る弦
ゆるり駄弁る弦
何をか云わんや弦
己がギター弦
中秋の名月の弦
月の半分こ弦
月の上弦
下弦
令和6年9月19日(木)、彼岸入
だからこの声帯で
君を笑わせたんですね
しかしこの声帯は
何も特別ぢゃないです
通り道なんです、ただの
ただ感情や言葉はいつも
愉快だと褒めてくれます
この声帯その声帯
見分けが付きますかね
あの声帯その声帯
赤いスジ肉の二本の柱
一本道にて佇む、ただの
ただいつか解剖医にこう
平凡だと切り裂かれます
令和6年9月21日(土)、社日
私の想像に立ち入ってくる
彼の詩が頭を過る
邪魔しないで欲しいと思う程に
私は五月に生まれたのに
季節外れて
真冬の風景を懐かしむ
言葉も知らない物語
どうやって語ろう
彼に頼りなよ
彼の創造に立ち入ってゆく
私の事を思い出す
邪魔しないで欲しいと想う位に
彼は十二月に生まれたに
季節外れで
春の光景を偲んでいる
物語も知らない言葉
どうやって言おう
私に頼りなよ
令和6年9月22日(日)、秋の彼岸
生きている間は
この心身が抵抗
亡くなった後は
この詩編が抵抗
定義付けされて
無抵抗にされて
無問題にされて
承知致しました
生きている間は
この詩編が抵抗
亡くなった後も
この心身の抵抗
定義付けされて
愚者達によって
賢者達によって
承知致せぬまま
令和6年9月25日(水)、彼岸の果て
二つの話に尾鰭が付いて
気付きが問題提起する
より考える人となる
闊達な議論をする
より良い答えを
異論反論する
何が哲学だ
何が詩だ
文字数
不足
だ
気付きは何も提起しない
問題も答えも知らない
考えない方が良いと
討論など以ての外
愚者がやる事よ
賢者がやる事
比べる事よ
哲学者は
詩人は
野蛮
だ
令和6年10月11日(金)、重陽の節供
地球は人の物ではないのだよ
ぢゃあ自然の物なのかえ
自然も自然で不自然みたいに
他の自然に追いやられる
人間と人間も自然と不自然な
特別などと思い上がるな
お前はちっぽけな大海原だよ
俺はちっぽけな大樹だよ
明日消えるやもしれぬ運命だ
隕石で宇宙で皆で自然だ
誰の物なのさ教えておくれよ
そう思うのが自然の証だ
令和6年10月20日(日)、秋土用入
伏線を張ったり回収したり
文字数や段落を調整したり
几帳面ねえ神経質ねえ貴方
嫌味みたいだけれど凄いわ
何故凄いと思うのだろうか
これは生理反応と条件反射
地球が回るのと海、雨、川
その循環進行と輪廻の信仰
伏線を張ったり回収したり
文字数や段落を調整したり
几帳面ねえ神経質ねえ宇宙
地球みたいだけれど凄いわ
第二部・予定日記(予め定めし詩編)
令和7年1月17日(金)、冬土用入
お気に入りの着物や洋服を
座右の書や積ん読の書物を
ふと手にすればカビていて
何だ君もかとガッカリする
気になっていた女や恋人に
しょうもないバンドマンに
唾付けられてはポイされて
あの頃の僕とガッカリする
カビは知らず知らずの内に
健気に今日もどこかを這う
その醜態が誰かさんに似て
人類は人間にガッカリする
令和7年1月29日(水)、旧正月
用意、ドン、始め
かけっこみたいな
それは引き千切る
ゴールテープの様
あの仕切り千切る
未来の約束と契る
綺麗な始まりなど
建前だけで本音は
過去は綺麗に切る
変わらぬ年の始め
変わらぬ年の諦め
いつかバンドをば
いつかMBBMをば
終わらせた日には
終わらぬ詩を始め
大切な想いもキル
超オーヴァーキル
強制終了昨年師走
走れ一位あるのみ
一日だけが大切だ
用意、ドン、始め
令和7年2月2日(日)、節分
何も取り柄が無いとして
そいつは死んでいるはず
生きてそれは出来ぬはず
鬼は外、福は内、鬼は外
何も悩みが無いとしてだ
そいつは死んでいるはず
生きてそれは出来ぬはず
福は内、鬼は外、福は内
どう足掻いて抵抗しても
何かしらの才能があると
生きてそれが出来ぬなら
死んでしまって思い知れ
思い知れない死後なんて
反論するだけ元気な才能
異論を唱える野暮なオニ
生きている内に思い知れ
息している内に思い知れ
粋は野暮でなし想い知れ
イキってみろよ思い知れ
逝き過ぎるなよ想い知れ
令和7年2月4日(火)、人日の節供
夢や幽霊は悪戯に
人や品性を惑わす
もう邪魔しないでよ
そういう人間は何に
何に喜びを見出すか
何故涙を流したいか
取り返しの付かぬ事
結婚、出産、大成功
離婚、死別、大失態
そんな単純なもんか
取り返し付けてやる
もう邪魔しないでよ
人の品性を惑わす
夢の幽霊は悪戯に
令和7年3月17日(月)、彼岸入
地獄は温まるねえ
仕合わせな時代に
不仕合わせを知る
衣食住の心配なし
人新世の懸念あり
地球温暖化でなし
環境問題やむなし
肥満児の退屈だし
人質解放の訳アリ
煉獄は丁度良いね
地球温暖化でなし
環境問題やむなし
栄養失調気味だし
囚人生活の訳アリ
不仕合わせな時に
仕合わせ思い知る
衣食住の懸念あり
人新世の心配なし
天国は冷え込むね
令和7年3月20日(木)、社日
プラモデルを手に取り
誤って壊してしまった
それ制作した長兄から
物を作るのは大変だが
物を壊すのは容易いと
そう叱られた事がある
これは結構真理であり
末弟の心理に巣食った
善悪の理非すら救った
だから僕は殺人しない
恋愛する事はするけど
何か作るのはするけど
何か壊すのは御免だと
人生生活、地球宇宙と
プラモデルを手に取り
令和7年3月20日(木)、彼岸
今は住む人の居ない母の実家の二階に
兄の作ったプラモデル達が展示されている
そこには母が少女だった時の部屋とか
母の父である祖父の蔵書が沢山眠っている
窓のサッシのレールの溝には蜂が一匹
何に蝕まれるでもなく疾うに亡骸も乾いて
きっとこの蜂が蜂と飛び回っていた頃
祖母が洗濯物を上げに来たり取りに来たり
一式陸攻、B29、F4、A10手に取ったり
眺めたりする人達が何をか語った事だろう
久し振りに上がった二階は不思議にも
母の部屋も祖父の本も兄達のプラモも何も
変わらぬままそこにあって当時のまま
僕の作ったプラモデルも一緒に置いてある
動かぬそれを見ていたら声が聞こえた
プラモの、プラモを囲む人達の語らう声が
令和7年3月23日(日)、彼岸の果て
テレビを観なくなった
ネットでも散見されるフレーズ
ネットも見なくなった
己が周りでも聞かれるフレーズ
ぢゃ何を見聞きして?
人によるだろうが己がフレーズ
己がフレーズは同時代
同時代性を避ける己がフレーズ
今の流行りよりこっち
だなんて格好つけないフレーズ
無闇に群れたくはない
ニュース見出し撲滅のフレーズ
報道の何が腹立つって
皆こじつけようとするフレーズ
無関係で居られるか?
現にそうして居るのだフレーズ
これが見聞したかった
みな関係しようとするフレーズ
朗報悲報速報やるよ?
そのくせ情報だけ空のフレーズ
街から目を離すと太陽
月ゆったり何時だって触れ得ず
触れ回るのは止めなよ
言葉だって本来は常に触れ得ず
五七五だ五七五七七だ
ソネットだ14行詩だ
そういうものを避けて我が形式は生まれた
しかし俺は俺の形式すら拒む
もう文字だ段落だ揃えようなんてうんざりだ
好きにやらせろ、そうだ
律儀に生え揃った草花など
自然が不自然の悲しさ、可笑しさ、憤ろしさ
人工美の限界なんだ
グラムロックは限界か?
自然回帰LOVE&PEACE戦争反対ヒッピーのカウンターぢゃなかったか?
フリーセックスしか出来なかった無脳なヒッピーの?
嗚呼、グラムロックは人工美だ!
だからよ、人工美が人工美にやられるな
俺は俺の形式すら拒む、そう云った
好きにやらせろ、そうだ
とびきりの頽廃芸術
我が極彩色を誇りに思う
幾ら誇りに思った処で
それは無色や潔白を恐れる
強がりは臆病の証左
或いは、悪戯に色々を塗りたくる
幼児の幼稚な混沌、混乱
未分化の知性
未分化の人性
そのぐちゃぐちゃな色
色々を混ぜた汚いカラー
汚らわしいから
穢らわしいから黒
識別できない黒
この極彩色が黒?
まあそれもよかろう
私から言わせれば
白々しい君の意見だ
そこに誇りを持っているんだろ
愛と平和で戦争をなくせ
この黒が塗り潰す前に
闇夜と呑まれる前に
悟りの境地の謎解きより
一休さんの謎々より
そんな白けた答えより
白々しい真理より
真っ黒で訳分かんねえ方が
世界だ宇宙だ
もっと白けてみろ
愛
白けさせてみろ
平和
その何倍もめちゃくちゃに
フリーセックス
塗りたくる色
ヒッピー
お前も黒だ
お前が黒だ
人間だ人類だ
詩は詩の無意味性のみに属す
気負いなく力なく然り気なく云ってみろ
嗚呼、詩は詩の無意味性のみに属す
気負いまくって力みまくって下心ありありで言ってやる
徹底的にやってやる
君は別に特別ぢゃないから
(と云う訳で特別を頂きます)
お前だけが特別な訳ぢゃないから
(と言う訳で特別を奪い返します)
徹底的に戦ってやる
白々しい
愛と平和
戦争反対
という戦
自作自演
白々しく
白けた髪
白けた神
白けた紙
自作自演
君、幼稚な純粋性を謳うよに
成熟の不粋をぶちまける
粋で居られぬ不本意を
不粋が自爆の願望で
夜勤明けで読んだ谷川俊太郎の詩が全然良くない。偽善と耳に響く。彼からしたら余計なお世話だ、関わってくれるなって。
先日、寝る前に読んだ谷川俊太郎の詩は、良いな、と思いかけていた処だったに。彼からしたら余計なお世話だ、関わってくれるなって。
谷川俊太郎に原因があったとして、仮にその詩をまるまる剽窃し、手前の名義で発表したって、やはり純粋に詩の一編のみが悪い、とは断言できぬほど、詩集の詩の一つ一つから彼が、彼の態度がそのまま言葉の態度となって、そこに文体として居座っている、無理な話なんだ。彼からしたら余計なお世話だ、関わってくれるなって。
平成日本を生きた身にゃ、無理な話なんだ。ちなみに、朕、という作品が気に食わなかった。あれは谷川俊太郎でなし、作品中の皇帝が書いた、いや実は無名の詩人が書いた、そういう体のものだろう、そのまま谷川俊太郎と取るのはどうか、と知人の詩人(無名)、まさにそこなんだよ、気に食わない処は。無名の詩人からしたら余計なお世話だ、関わってくれるなって。
グラムロックが冗長なアート気取りの音楽を断罪した様に、彼の詩から感ぜられるプログレの様な、飄々とした白々しい態度に、その生温いスノッブに苛立ちを抑えられない、と宣うと知人の詩人(無名)が、そんなに苛付く事か?僕はそもそも興味も湧かないからな、他人いうものに、まさにそこなんだよ、気に食わない処は。気付け、君も彼に違えねえと。無名の詩人からしたら余計なお世話だ、関わってくれるなって。
令和日本を生きる身にゃ、無理な話なんだ
グラムロックがパンクロックとなった様にさ
ダダイズムがシュールレアリズムとなった様に
みな変わり果てちまうんだ
だがしかし俺だけは!!
手前の詩を誰にも
何にも捧げない
それがあらゆるものに捧げる詩と
その前に一人ずつ
一つずつに捧げたい
これはあらゆるものに捧げぬ詩
あらゆるものに捧げぬ詩を
あらゆるものへと捧げる
あらゆるものに捧げる詩について
それしか方法を知らない
それしか方法を知りたくない
裏技は要らない
逆説も仮説も必要ない
突飛な理論に指摘されても
至極正論を云われても
そんな奴に捧げない
便利な奴に便利な詩など捧げない
不便な詩人が不便な詩のみを捧げ続ける
僕が子供の頃
ラジオ体操へと毎日通ったのは
独り善がりだったのか
言葉に欺かれただけだったか
だってあれは8月の
真夏の朝の下り坂
家の前の下り坂を駆け抜けて行ったから
嘘
そう
嘘かよ
そう、嘘
うそ、そう
何だ、そうか
何だ、うそかよ
そう、だったのか
自然回帰というのは
自然に還るというのは
空の青に雲散霧消するは
名も無き葉になるのは
生死も分からぬのは
言葉に紛れるのは
真に生きるのは
死ぬという事
死後の準備
死の準備
讃美歌
美化
か
令和7年3月31日(月)、上巳の節供
言の葉の入り組む深緑
繰り返す事の深緑
新しい深い緑
淡い深緑
深緑
~~~~~~
昨年はたまたま谷川俊太郎の処女詩集「二十億光年の孤独」を古本屋で何となし買って読んで、すぐに手前で詩作してここに掲載する(
2023/5/3、
5/18)という軽薄な事をしたが、その時は勿論今年逝ってしまうなんて知る由も無かった。谷川俊太郎を今まで自発的に読もうと思った事など一度も無かったのに、何てタイミングだ、こんな事をわざわざ書かせるなんて、タイミングが悪かったんだ。しかし谷川老人はそれを、タイミングが良かったんだ、と云う気がしてならない。また同様に彼が、何てタイミングだ、と嘆く時は、良いタイミングに違いない。
そういう関係に陥(おちい)っている。私らしくもないのが、全く私らしいが、それをいつも彼は知らせてくれる──それだけの人だ。
【MBBMの日めくりバーニン八重】自信を持ってグラムロックが、頽廃(たいはい)芸術が好きだと言える。グラムと頽廃が何の疑いも無しに、ロックと芸術をしないからである。その思想・命題が既に、矛盾と破綻をしている。何食わぬ顔で成立・存続し、堂々と笑っている。堂々と笑える、が故に。ドグマッ
今日の140字はこう詠(よ)んだ。谷川俊太郎も堂々と笑える、笑われる用意がある、という点で尊敬している。
彼が生きていれば、今日で93歳だったらしい。今日(こんにち)在るはずの人に、勝手にスピって感化されただけの朝──これを悼辞(とうじ)に代えさせて頂きます。合掌。