2025年9月8日月曜日

六界に出逢い続ける男



「六界廻り」
作詞・作曲:Nori MBBM

あゝ/\こゝは地獄界
あゝ/\六界廻り
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
他力本願
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
五劫思惟(ごこうしゆい)の願

あゝ/\こゝは餓鬼界
あゝ/\六界廻り
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
三悪趣(さんまくしゆ)
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
三悪道(さんまくだう)

あゝ/\こゝは畜生界
あゝ/\六界廻り
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
四十八願
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
十八願

あゝ/\こゝは修羅界
あゝ/\六界廻り
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
四十八願
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
十八願

あゝ/\こゝは人間界
あゝ/\六界廻り
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
三善趣(さんぜんしゆ)
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
三善道(さんぜんだう)

あゝ/\こゝは天上界
あゝ/\六界廻り
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
他力本願
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
五劫思惟の願

あゝ/\こゝは地獄界
あゝ/\六界廻り
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
かむ・あず・ゆう・あゝ
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
あい・どん・はぶ・がん




 涅槃(ねはん)よろしく、ニルヴァーナ。それは煩悩の炎が吹き消された状態を云う、平穏なる世界でどうぞみな安らかに。夏、メタルの帝王・オジーが逝った(グラムの神様・ボウイが如く、最高の幕引きで以て)。同じ7月にロッキンの渋谷陽一も逝った。昨年は元メイデンのポール・ディアノが逝った(俺はhideと吉井和哉の教えを守り、メイデンの初期2枚つまりポール・ディアノ期の荒々しいメイデンを愛していた……ま、二人の影響が無くとも、自ずとそうなっていたとは思うが)。

 一昨年は櫻井敦司チバユウスケ、それぞれ四十九日に動画をあげた。毎回毎回追悼の度に演奏していたんぢゃ、俺ら四十九日ミュージシャンになっちまう。一人一人への想いを語るにも、気持ち追っ付かない。だからこうして、いっそ六界ごと弔(とむら)ってやるのだ。オジーの四十九日に、南無。



 白状すると、当初は超絶サバスでドロドロ・ノロノロな激重ドゥームメタル/ストーナーロック的インストを作っていたのだが、そこから幾らリフを展開させていっても、オジー大好きな俺の曲!であって、俺の大好きなオジー!って曲にはならず、うむ、これなら何もやらん方がマシか……と暑すぎる八月の部屋──エアコンなきまま迎える五度目の夏、最高気温やら連続真夏日やら猛暑日やら懲りずに更新するストイックな令和の夏、マトモな人間なら四の五の言ってないで即刻エアコン修理の手配をするか、スカッと爽快、思い切って自死するか、死んだ方が良いに決まってら、火を見るよりも明らかぢゃないか、こんな奈落に沈んでも生きたいと願う奴は、君、愚禿(ぐとく)憲宏ぢゃあるまいに──で汗だくんなって苦慮していた処、いや激重エレキぢゃなくて、このリフをアコギ一本でもうちっとテンポ上げて、いっそ歌まで入れて弾き語ったらどうかしらん、おどろおどろしい地獄的な雰囲気で、ん、地獄?そうか、源信(げんしん)!「往生要集(おうじょうようしゅう)」や、六道輪廻(りくどうりんね)や、“六界”や、こうなりゃ歌詞も曲構成も決まりだ、こりゃ俺が演らなきゃ誰が演るだ、ねえ親鸞?どこを切っても俺の娑婆(しゃば)の血が噴き出すだ、しかも呪術的で“暗黒の貴公子(プリンス・オブ・ダークネス)”オジーの哀悼歌としてもちゃんと成立している……ようし、これや、これしかない、と芋づる式に一気に閃(ひらめ)いた訳で──お盆の只中(思い付いてデモ録ったのが8/13)、浄土の皆様、ヒントありがとう。



 かむ・あず・ゆう・あゝ:Come as you are、ニルヴァーナ。不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)、つまり煩悩を抱えながら煩悩に甘んじず生(い)くるべし。煩悩を避けようと避けられぬ煩悩、煩悩で煩悩を洗う様に生きてゆけ(煩悩を断ち切ってやるという、それもまた煩悩ゆえ)。矛盾したままで地獄・餓鬼・畜生が三悪道を超えてゆけ、矛盾しなかったまで修羅・人間・天上が三善道を越えてゆけ。六界廻りて救われたか?あゝ救われたが救いぢゃない!救われて終わりぢゃない?おゝ悟っては始まるぢゃない!“信心の人は既に浄土に居す(by 親鸞)”、だから死後世界を待たずしてもう今から悟り給(たま)え。今また涅槃を獲得し給え、また再びやるべき事──煩悩──がどっと増えるだけ。親鸞は死ぬまで「教行信証」を寝床に置いて加筆・修正し、ゲーテは死ぬまで「ファウスト」を座右(ざゆう)に置いて改訂・校閲(こうえつ)した。煩悩を抱えながら煩悩に甘んじず生くるべし、不断煩悩得涅槃。あい・どん・はぶ・がん:I don't have a gun、ニルヴァーナ……この“がん”はカート・コバーンには確かに“gun(銃)”だったやもしれぬが、凡夫(ぼんぷ)の私にゃ四十八、十八の“願(がん)”でありましょう……彼岸にて悲願でも達成したいのでしょう……。



 小さき頃より訳も分からぬまま、恐(おそ)るべき鬼達から責め苦を受け続けた。小さき頃より訳も分からぬまま、怖(おそ)ろしい仏法を破り続けたが故に。これ地獄界。やがて友達や好きな子ができると、自分の倍は身長がある異形(いぎょう)のもの達から目を付けられる様になった。“欲深く・嫉妬深く・我が儘(まま)”に育った肥満の少年は、“貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)”の三毒に冒(おか)された異形のきゃつ等(ら)と同じ“ガキ”に違いなかったからである。これ餓鬼界。ちなみに源信の「往生要集(985)」の記述によれば、地獄界と餓鬼界の責任者は彼(か)の閻魔(えんま)大王だそうで、日夜ご多忙の様である。更に付け加えると餓鬼界の一部のものは、人間界と天上界にも住んでいるそうで、これは私も実際、確認済みである。そうだ、人間界と天上界に悪い者達が紛れ込んでいた様に、餓鬼界には良い人達だって居た。素直で、穏やかな、心優しい人達が。しかしそれも今にしてみれば分かる事で、ガキは“餓鬼”らしく彼等の親切にお返しをしなかった(それどころか仇で返した!)。その報いに互いが傷付け、殺し合う世界へと放り込まれたのであった。畜生からも人間からも日々命を狙われ、無惨にも喰い殺された連中を何人か見てきた。これ畜生界。畜生界の一部もまた、人間界・天上界に住んでいるらしい(上記「往生要集」より)。やっとの思いで命からがら三悪道を抜け出し、しかしまたまた迷い込んだは迷いの三善道へと。見渡せば怒っているものや驕(おご)っているものばかり、些細な事でも喧嘩や争いが絶えぬから即刻逃げ出した(それでも一年以上は滞在していたと思うが)。実は畜生の後の記憶があまりなくて、というのも次にはもう人間達に囲まれて居たから。これ修羅界。ここから後の事は皆にも馴染み深いだろうから簡潔に述べるが、何にせよ人の世ってのは“不浄・無情・無常”に尽きる。汚(けが)れ、朽(く)ちて、死にゆく身体で──不浄。不平、不満、不安の心で──無情。神や仏の云う永遠(とわ)、永久(とこしえ)らしきものが一つもない、唯(ただ)の一つも──無常。唯一、これまでの世界と違う処は、六界から逃(のが)れるだけの出口があるらしいということ。ただ神や仏の救いが欲しいからって、くれぐれもカルト教団の世話にはなるなよ。これ人間界。最後の最期にもう一つ、やはり六界から脱出するだけの扉がある場所。しかしまだまだ永遠には程遠く、神のほとんどにも寿命がある場所。その開けるべき扉を間違えれば、また地獄の振り出しへと引き戻される場所。これ天上界。



 オジーの四十九日に、暗黒世界だ六界廻り。回り巡って六界だなんて、地獄・煉獄・天国の倍だなんて、ダンテもびっくり、シッダールタ!!神曲……いや、次の新曲はきっと“平成”で逢おうぞ!!今度は真白(ましろ)な、澄みきった優しいだけの曲を贈ろう!!


 令和が始まったその日は、2019年の5月1日だった。私はその日に30歳となった、己が二十代は終わったのだ。青春は終わった、平成は終わったのだ。一人でに独りが始まった、ツァラトゥストラかく語りき前の神秘なる山ごもり哉(かな)……次回予告としては、そんな感じ。早く聴かせてやりたいよ、この言葉なき歌を──