2021年3月29日月曜日

ない世界にいる

物心付くか、付かないかの時分に入学。四半世紀を費やし、遂に卒業式である。3列目センターのC11、とっておきの席を目指す。



 今回ネタバレあり、まっさらな心持ちで観たい方はこれを閉じてくだされ。



 映画の外の話:
四半世紀のこと、平成と令和のこと

ない世界にいる
ない世界に着いた

ひとりでに思い出す

色んな話をした
色んな声を思い出す

色んなバスに乗って
色んな授業を受けた
色んな電車に乗って
色んなお店へ行った
色んなモノを買って
色んな帰り道を歩いた
色んな夜遅くに眠って
色んな覚えのない夢を観た
色んな取り留めない忘れて

色んな人に出逢った
色んなはもう居ない
色んなは二度と無い

ひとりでにない

ない世界にいる
ない世界はあった世界で
ない世界はない世界とも違う

後悔はしない方が良い
と後悔をする
それは良い
前よりか絶対良い

おめでとう
あんたバカァ

ひとりでにある

ない世界に着いた
ない世界にいる

過去と未来の
アニメとリアルの
目視と想像の
それらすべてあって
なんら区別の


ない世界にいる


~~~~~~


 エヴァの衒学(げんがく)的な設定や雑多な伏線は、作品に多層的な深みや様々な解釈(ないし誤読)をもたらす為のものだと思っていたが、それだけでなし平成日本の混迷そのものだったのであり、善悪二元論的に華々しく駆け抜けた昭和のその後で、善悪も神も大人も不在の解決困難な物語なき物語であった処の平成に、今回ちゃんと決着をつけたのであった。つまり、エヴァもとい平成日本をちゃんと終わらせたのである……だって、もう令和だもんね。

 逆に、エヴァの始まった1995年というのは、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件という(当時5、6歳だった幼き自分にとっても)大変ショッキングな出来事があった年であり、それは1980年代までの昭和日本の死であり、即ち平成は1989年に始まったがまだまだ昭和の続きだったのであり、真に平成が平成として始まったのは1995年に違いなかった。そんな平成日本の四半世紀に、いやエヴァの四半世紀に、いわばハッピーエンドを与えたのだ(アスカフアンの俺としては全然ハッピーぢゃなかったが)。時代精神の鏡としてのエヴァは終わった。フィクションは死んだ。或いは、本当にフィクションとしての、伝説のアニメとなったのだ。フィクションに死んだ。さらば、全てのエヴァンゲリオン。



 二年程前、猫も杓子も大絶賛した映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観賞した際は、多分に順序立てて己れ自らを納得させたけれども、今回の「シン・エヴァンゲリオン」は手放しで、皆と同じく大絶賛であります。私は良い客です(と良い客は自ら名乗らないが)。


 実は人類補完計画の為、実はゲンドウの為、実は手前ら客の為、いやいや庵野秀明の為、というメタメタにメタな構造で貫かれているのは以前より周知の事実でありますが、やるせない気持ちって、こうして俯瞰してやっと捉えられた気がするものです。失敗した友情やら愛情やら、忘れ得ぬ人たち全てに蹴りをつけるべく人類補完、いやゲンドウ、いやいや庵野、手前ら客だろ、とまたメタる野郎、グラム歌謡メタル野郎!!



“Are you burning?”セントラルドグマッ



ない世界にいる


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