2016年8月14日日曜日

続・贈り物──でも、デモ、DEMO

今回のブログタイトルは“じゃがたら”より拝借。この記事と関係ない?いや、ダンボール・バットは「タンゴ」をカバーしていたので、関係なくもないからこの題とした。


 ライブハウスからのカラオケ勤務が終わり、朝方、意識が飛びかけた状態で家に帰ると郵便受けにポツンとお届け物があった──。



 数日前、高円寺在住のとあるロックスター──そう二人のブライアンないしフェリーやイーノも、ジュリーや近田春夫だって、あの“時代を踏み外した幸福”っつうのか、彼の“未来に生きるノスタルヂア”に連れて行かれ、その儘おのが曲中に住まわせてしまう、その才能──の口座へ私の貴重な1,000円を振り込んだので、この素晴らしき郵便物が我が家へやって来た、という次第である。

 アートとは?芸術家とは?如何あるべきなのか──それは“得も言われぬ感動”というものを周囲と共有し得る様な、特定の形に後生(ごしょう)残すことが出来る人物である、と私は考えている。


 雨上がりの濡れたアスファルトと、それをキラキラと輝かせる白い太陽と、何処までも広がってゆく遥かな青空の、その間に立つ瞬間──。

 十数年ぶりにかつての通学路を歩いていたら、あの民家やそこに停まっている自家用車や通りの外れのパン屋さんや、変わり果てた街並みに変わらず残っていたものを見つけた瞬間──。

 2月の終わりから3月にかけて、街へ出てみると昨日まではなかった生暖かい空気があって、それが鼻を抜ける冬の終わり、春が其処まで来ていたのを知る瞬間──。
 
 行ったことのない1969年の新宿の街と若者を、ATGの映画がスクリーン上に晒したその瞬間──(映画“新宿泥棒日記”や“薔薇の葬列”を目の当たりにした瞬間──、と言い換えても良い)。


 いま思い浮かんだこれら個人的な得も言われぬ強烈な感動の瞬間の類いを、詩曲に、時に絵画に、或いは映像にするなどして、半ば永続的に周囲と共有できる様にする人物こそ、紛うことなき芸術家である。

 前置きが長くなったが、その才能の塊が30年続く無国籍ニューウェーヴ・バンド“ダンボール・バット”のAMIさん、則ち今回のお届け物の依頼主である(届け先はミー)。まあAMIさんは、私が上に列挙したような“晴天”や“春”というものを好まない人であろうが……。



 封筒小包の中からイカしたデモテープと嬉しいことに特典盤まで(以前ライヴへ行った際に同じ特典盤を貰っていたが、そのお気持ちが嬉しい)。このデモテープ「モンドセレクション」の“1”は以前に、今回の様に頼んで、(擦り切れないはずのCDを)擦り切れるくらい聴いて、とても良かったのだ。ダンボール・バットに駄作なし──それで確実に俺は殺される。“2”もきっとドキドキ/ワクワク──そして俺は2度殺される。さながら007の様に──二度死ぬ……

 飛びかけた意識もブログの記事と共に冴えてきた為、ここら辺でお開きにして(でないとこのオツム同様、体もおかしくなるので)、これを聴いて横になろう。


 夕方からまた、ライヴハウスとカラオケ勤務だが──お盆まで繁忙期で寝る間はなく、あの世の皆様へ挨拶に行けそうだけど、天国はおろか地獄からも門前払いのアタクシメ──野暮なこたぁ寝不足のまま惰性で、一気に駆け抜けてやろう。

 昨夜、「スマップが解散を発表」というニュースがトップに出ていた。ふうん、イエモンも再結成したし、ボウイ様もきっと黒い星になってミック・ロンソンと火星の蜘蛛達と“ジギろう”としているのだろうし、プリンスは紫の雨を世界中のスピーカーから降らせようとしているし、何処か時代の節目なのかね今年は──他人事の様だけどお前もだ!!

 
 チェ、チェ、チェ、チェ…チェンジス!!奇妙なものに目を向けろ by David Bowie "Changes"より

 
 俺は変わらなければ、いけないんだ──でも、デモ、DEMO。


0 件のコメント:

コメントを投稿