2023年5月17日水曜日

「俺が眼ん玉は中也とカズキの両の眼のダブル・アンコールぢゃ」

僕はあなたがたの心も尤(もっと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに


 詩を詠むのに吟ふのに、リヅムキープとか千分の一秒とか馬鹿ぢゃねえの?だから中也だカズキだ、クリックやらプロツールスを無下にする音楽だ。だって音楽を無下にするのが、クリックしたがるプロの何某だらう?



 かつて俺が眼ん玉は文学的に盲いられた──左を谷崎に右をバタイユに。いつか音楽を嫌いにならないで居る為、さうした方が良かった。

 そして俺が眼ん玉はダブル・アンコールぢゃ──片方は中也の、もう片方はカズキの。ずっと音楽が好きだという導線を引く為、文学はいっそ詩となった。


中也自選の、生前唯一の作(右)、と没後唯一の作(左)
※写真はどちらも平成九年刊の文庫版

 文学は物語の為に忘れられないし、音楽は忘れられない様に聴き続ける繰り返し、したらば詩なんてもんはその中間、せやんなあ中也?

 昔読んだのだけれどスッカリ忘れてゐた、在りし日の歌。今回カズキの旋律で歌ってみて二度と忘れ得ぬ、山羊の歌。

 詩とは悉(ことごと)く忘れられるものぞ、繰り返し。詩とは読むより詠まれる為に在るものぞ、繰り返し。これでもうわかったか?遂に心底思い知ったか?


仏文学に造詣のある中也に因み、また画家としての顔も併せ持つカズキに因み、フランス留学していたとある洋画家の、大田区は蒲田にある某アトリエにて撮影

 いつかの今日、泉谷しげるのカバーを演ったんだけど、それと言うのも5月17日がフォークでロックな友達のお誕生日であるが故、であるが故に、今回は今回で友川さんのカバーを演ってやったの。

 彼の名曲“生きてるって言ってみろ”とか“トドを殺すな”とか、俺らが昔やってたMBBMってバンド内でも流行ってね、よく話題にしてゐたから、いつか必ずカズキのカバーをしようと思ってゐたの。己が心より敬愛する世界一の歌姫・ちあきなおみへ提供した“夜へ急ぐ人”なんか情念が怨念と化して最早ホラーで最高にトラウマよ……しかし今回“サーカス”を選んだのは、最近また中也を読み返してゐたから。あと前回が“ピエロ”の歌だったからね、今回は“サーカス”の歌って訳。


 それにしても友川さんの四枚目「俺の裡(うち)で鳴り止まない詩(もの)」である。誰かが既成の詩に自らが毅然と曲を付ける、不可逆の成功。則ちカズキの旋律と絶唱を聴く前の世界に我等、もう二度とは帰れない。全くミユヂシヤーン冥利に尽きる。つうか俺も絶対に演るわ、いつか必ず室生犀星の詩に。

 詩集「山羊の歌」の冒頭を飾る“春の日の夕暮”の、カズキによるカバーその絶唱も、俺は頗(すこぶ)る演りたかったけんど。或いは“六月の雨”かな、名盤「俺の裡で~」の中で一番ロック度数が高いんでなあい?いつか人間椅子のワジーがカバーしてくれねえかなと密かに願ってゐるよ、それくらい相応しいと思うワ。

 されどもやっぱり、中也の代表作“サーカス”にしたよ。カズキの弾き語りライヴを参考に、でも楽曲のキーはレコード音源と同一に、ギターソロなぞは手前の勝手にしやがれってね。それから冒頭に“汚れつちまつた悲しみに”も詠んでやったよ。中也といえばこれなんだらう?ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん


 で、俺といえばこれなんだやう……アヱユウブアニン?ドグマッ


「カズキさんの眼は中也の眼のアンコールぢゃ」by 中原フク


と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!
-中原中也




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