2025年8月15日金曜日

戦後80年談話 –現職の総理大臣に代わって–

戦後80年を迎え、ここ日本では戦争経験者が年々減少してゆく危機感、つまり戦争を知らない世代しか居ない時代がやってくる、と云われて久しい。もしや戦後百年の時には、“太平洋戦争”という言葉も通じないかもしれない。その中でいかに戦争の悲惨さを伝えるか、というのは命題に違いないが、何だかそれは事故や事件や災害や災難に巻き込まれなければ自分事として考えられぬ様に、実際に戦争を経験しなければ本当の処は分からないだろうと思う。危機感とか悲惨さは理屈として分かっていても、自分や自分の身の回りがその生き死にに関わらない限りは、というか一々こんな事──戦争をしてはならない──を言わなければいけない時点で、他人事である。これが戦争未経験者の限界である。或いは思想・言語の限界である。厳密には“私の”思想・言語の限界であるが、そして“私という”戦争未経験者の限界であるが、そう表記すると“そりゃそうだろうよ”と異論反論も出ないだろうから、つまり勝手に異論反論してくれたらば、より建設的に、戦争をしてはならない議論、討論、運動、活動などが行われるであろう。

 それを承知の上で、戦争などクソ喰らえである。言い出しっぺの指導者同士のみでやる、とか世界共通の子供でも分かる様なルールを一つ作ること。それを破ったらば、人外魔境の鬼畜を扱う様な世界にすること。まず第一に、それについての議論である。意識改革と云わぬ迄も、意識を少し新たにするだけだ。本当の処、トランプだネタニヤフだプーチンだ金正恩だの家の庭あたりで勝手にやっていてください。The war must be fought only in President Trump's backyard. את המלחמה יש לנהל רק בחצר האחורית של נתניהו. Война должна вестись только на заднем дворе Путина. 전쟁은 김정은의 집 정원에서만 이루어져야 한다. 優雅にお茶とかコーヒーとか飲んでないで、他を巻き込まないで、貴方だけで、貴方だけが、お・や・り(さあ、しっかり、ねらいをさだめて、いつものように)。

 こんな事を書いていると「脳内お花畑の勘違い左翼か」とか、いやむしろ「無知なだけのファッション右翼やろ」とか、よく考えもしないで、というか考えもしない事が最大の攻撃・口撃だと思って、それこそ無知による誤解や勘違いをされるのだが、わたくし左翼だとか右翼だとか気持ち悪うございます。デモ行進かSNS上でそう誰にでも吠えていてくださいまし。誰かと誰かで群れながら。彼ら彼女らと集(つど)いながら。そんなのは手前の趣味ぢゃない。そんな野暮用をやりに産まれて生きてんぢゃない。ただ音楽と文学の邪魔になるから書いただけ。ただ人生と生活の障害となるから言っただけ。だからニーチェ云う処の“畜群”に堕(だ)するな。いや落ちぶれたって良い。ルサンチマンも分かった。みな知っている。皆が皆、身に覚えがある事だ。だから群れるな。粋であらせろ粋であれ。連帯するな連帯しろ。手前(一人称)も手前(二人称)も、そうして手前(三人称)も。


 現職の総理大臣が、“戦後80年談話”を出すだ出さぬだで逡巡(しゅんじゅん)しておられたので、私が代わりに談話を出しました。あなかしこ、あなかしこ。


2025年5月2日金曜日

四回目の蛇の詩(十二支詩・巳)



私が詩を書き始めたのは大学に入ってから、それは19歳の頃だったが、何を隠そう彼(か)のボードレールがその年に詩作を始めたからであった。そして36歳の今、これを書いているのは、ボードレールがその年に一世一代の一大詩集「悪の華」を出版したからだ──直(す)ぐ発禁処分になったらしいが!しかし確実に復讐を果たすよに、数年かけて増補・改訂・再出版したらしいが──そんな彼の事を想うと?

気が遠くなってきた
眠たいよ、寝たいよ
うつらうつらうつら
気持ち良くなってね
不謹慎で不吉なこと
ここで眠るのは危険
蛇がやって来るから

蛇を始めるのも、これで四回目。
一回目は、親蛇に始めて貰ったんだ。
二回目は蛇の友に、三回目は蛇の女に。
四回目は、自分で初めて始めるのだ。
こりゃあ大層な事だよ、次元が違うもの。
つまりその永久機関、円環の循環だ。

蛇がやって来るから
気が遠くなってきた
眠たいよ、寝たいよ
うつらうつらうつら
気持ち良くなってね
不謹慎で不吉なこと
ここで眠るのは危険

噛まれた!
ボードレールに咬(か)まれた!
惡の華の毒が回った!
譫言(うわごと)みたく口走ってしまった!
不謹慎なこと!不吉なこと!
キミノコトモカンデヤル……

ここで眠るのは危険
蛇がやって来るから
気が遠くなってきた
眠たいよ、寝たいよ
うつらうつらうつら
気持ち良くなってね
不謹慎で不吉なこと

人を始めるのも、これで四回目。
一回目は、親に始めて貰った平成元年。
二回目は友と平成十三年、三回目は女と平成二十五年。
四回目は、自ら始める令和七年。
そりゃあ大層な事だよ、次元が異なるもの。
つまりその十二支と十干(じっかん)、六界の二階建てだ。

不謹慎で不吉なこと
ここで眠るのは危険
蛇がやって来るから
気が遠くなってきた
眠たいよ、寝たいよ
うつらうつらうつら
気持ち良くなってね

つまりその還暦が永劫回帰、六十歳まで二回だけだ──四回目の蛇の詩!

気持ち良くなってね
不謹慎で不吉なこと
ここで眠るのは危険
蛇がやって来るから
気が遠くなってきた
眠たいよ、寝たいよ
うつらうつらうつら

六回目の蛇の夢魔(むま)、ウロボロす?


うつらうつらうつら

気持ち良くなってね

不謹慎で不吉なこと

ここで眠るのは危険

蛇がやって来るから

気が遠くなってきた

眠たいよ、寝たいよ




2025年5月1日木曜日

36歳24歳:シユトルム・ウント・ドラング


18世紀後半のドイツにて、理性的かつ抑制的な啓蒙主義に対するカウンターとして、情動ないし衝動の解放その奔放を描いたゲーテ、シラーなどが現れた。「若きウェルテルの悩み(1774)」はその筆頭であるが、ゲーテは同時期に大作“ファウスト”の原型となる「初稿(ウル)ファウスト(1775頃)」をも書き上げており、まさに“疾風怒濤”の創作期に入っていた。

 20世紀初頭の日本では、これまた論理的かつ客観的に真実を描こうとする自然主義文学が猛威を振るい、その無味乾燥な野暮を退けるかの様に永井荷風、谷崎潤一郎らが──甘美で粋な、豊饒極まる歪な世界で以て──ぬるりと現れた(「異端者の悲しみ(1917)」の最後の一節にその自負が表れている、だから俺は谷崎が大好きだ)。俗に“耽美・頽廃主義”と云われるものであるが、その影響は文学のみならず、後(のち)の音楽において“グラムロック”や“ヴィジュアル系”として華開く事となった。

 オスカー・ワイルドはボウイ&ボランだけでなし、というかそれよりも先に三島&谷崎に愛されていたし、“ベルリン三部作”時代のボウイは自ら描いた三島の肖像画を部屋に飾っていたし(レプリカのポスターとかで良いからアレ欲しいねん)、さらにボウイ&三島(&吉井父)が吉井さんに「ジャガー・ハード・ペイン(1994)」を作らせたのだし、であるからして俺はこのアルバムが一番好きなんだ、一番って世界中いや全宇宙の中の一番だから、死ぬ迄いいや死んでからもそういう事にしておくから、いいか、今日からだ、分かったか、と十代の終わりに自らを脅迫し、ここにグラム歌謡メタル野郎と相成りまして御座候ふ……いつの間にやら手前の話へと脱線しちゃったが誕生日だから許せ!



 こと現在はどうだろうか?21世紀初頭のこの国は?音楽なんざはいざ知らず、こともあろうに文学が、芥川の名を冠する賞を受けた作品の数々が、その稚拙な精神性や文体の無さが、作品を最後まで読ませてくれない。何なら奇を衒った作品タイトルやエモい装丁だけで、一頁も読ませてくれない。本屋に行って新刊発売を喜ぶにしても、夢野久作だ澁澤龍彦だ存命ぢゃない、町田康だ中原昌也だ若手ぢゃない。シティーポップだエモいだチルだもう終わりだとしても、文学の方のこの文体の喪失、思想の貧困はいつ終わるのか──まさかこれから更に隆盛を極めるというのか?山頭火みたく世捨て人になりたくもなるが、そうはさせない……清廉潔白とか、馬鹿の一つ覚えに何でもかでも漂白させない。

 ショーペンハウアーの“ミットライト・ペシミズム(共苦・厭世主義)”よりも、ニーチェによる“ディオニージッシュ(ディオニュソス的なもの)”が生ぜしめる、この男の性の肯定!ドグラティック・ドグマ。

 釈尊の“一切皆苦(いっさいかいく)”よりも、親鸞による“悪人正機(あくにんしょうき)”が生ぜしめる、その女の性の肯定!マグラティック・ドグマ。

 シュトゥルムとドラングその二つの勢力による、ドグラとマグラこの二つの精力的なる、二つの性による生のドラマ、たかが一つの思想たる、されど一つの強靭たる、単なるドグマ!ドグマティック・ドグマ。

 現代に奪還してやる、いま五十一の自由律短歌で──


「シユトルム・ウント・ドラング」
by Nori MBBM

天界が別世界この新世界たる下界に男ありけり

女呼ばふ夜這ひの天上が月と太陽も無かりけり

天界が俗世界この下界に男いと暗きに来けり

女夜這ふ天上が月も鬼はや一口に食ひてけり

獨隅羅と言ひけれど疾風の騒ぎにえ聞かざりけり

曼隅羅と足摺りをして怒濤に啼けども甲斐無し

疾風怒濤か何ぞと人の問ひしとき獨隅曼と答へて消えなましものを

──シユトルム・ウント・ドラング


馬鹿寒いと憤死しそうなつた三十五の冬いちばん老けてた

死んだヱアコン死んだテレビ死んだ洗濯機と俺ら皆死んだ振り

今度この酷寒に狼狽へるは七十の冬きつと死に際

その寿命の根拠はダンテが云つてたんだつて去り際

栄華を極めた肉塊の老いと若きが交ざり合ふ処いま

手前のいちばん美味しい時に喰はれたかつた恋人よ

恋人達でなし恋人その一人/\の情交ホルマリン漬け

挿れながら御々足を頬に当て踏まれたい谷崎みたいな心持ち正常位

二人夢見た仏教伝来ヰンド料理中華料理食べよ砕けよ

十一時開店の中華料理屋目掛け目醒す目覚まし体内時計

十二支の一周以上も高円寺に居りや物価だつて一点五倍

食べ放題の中華焼き蕎麦辛うなつたは御代はりさせぬ為

二度も逢はぬ奴と交わす無意の杯ラヰブハウス三文芝居

ラヰブも宅録もせんでギタア弦張り替へ年に一回な倍音

ベヱスなぞ中古で買つた十年前の弦そのまゝ化石な低音

買ひたい買へない立ち読み立ち寄る古本屋にてこれ作歌す

壱萬円数枚で足許見るなよ春日井建の未青年

三島の自裁が緑素粒の大空の斬首にまた別のヰメヱヂを齎す

これはマルドロヲルの自由律短歌なんだヰジドヲルヂユカス

断頭台の上での俺と三島の必然の出逢ひを立ち読みの無料で済ます

三島の自裁が憂国のクラヰマツクスにまた別のヰメヱヂを齎す

カアトの自殺が各楽曲のgunの一語に特別なヰメヱヂ齎した様に

好きなレコヲドが一枚も載らぬヂスクユニオンの壁見上げ

死んだり捕まつたりすつと高騰する中古レコヲド皆御手上げ

であるから二進も三進もゆかぬニツチなレコヲドが手土産

好きなレコヲドが一枚も載らぬヂスクユニオンの壁また見上げ

ゴヲルデン街の方へ向かふまで俺が安レコヲド割るなよ君たち

芸道の神お出掛けしてゐて逢へなかつたわ花園神社

それでもぢつと佇む狛犬狛犬狛犬さんに挨拶と言伝る

信仰と不信感と我が親鸞とニヰチヱ鬩ぎ合ふ

山頭火と放哉と我がギヨエテとシルレル競り合ふ

五七五七七から噴き出すは型破りなシユトルムウントドラング

己がリヅムは御頭の意のまゝ波長の合ふた破調のスラング

句跨りや女跨りやで散文詩と見分けの付かぬシユトルムウントドラング

シヤルロツテやグレヱトへンや二条の后を横抱きに奪ひ去るシユトルムウントドラング

せめて死後の世界で詩世界で奪ひ返すがシユトルムウントドラング

──シユトルム・ウント・ドラング


浚ひながら渫へ晒し曝け出せ真白き疾風怒濤

海行かば攫へ吉日旭日とかつて己が墜としたもの

腹の血潮の黒し赤しの悟り無きが全き真白に塗り潰せ

山行かば拾へ卯月皐月を跨いだ夜に落としたもの

簒ひ去つて遺して行け心の至る処に有り余る白だけ

たゞ真心の縁に白き図柄の憶えがある人さうするだけ

忠誠やヱロスに見紛ふぢやなしヱロスや忠誠が見紛ふぢやない

己が一代は似るぢやなし己が一代にぞ似たりける


~~~~~~


「なんじら神のごとくなりて善悪を知るに至らん」
(「旧約聖書」“創世記”第三章・五節より)



 獨隅曼(ドグマ)も知らぬ獨隅羅(ドグラ)は、曼隅羅(マグラ)に捧げし青春の為に死んだ。



 獨隅曼を閲(けみ)した獨隅羅は、曼隅羅と林檎を食べた為に死んだ。



 獨隅曼のその実(じつ)はエデンの園の、禁断の実(み)と蛇は知らなんだ。



 獨隅曼の園の町の蛇は、その蛇を見たのが四回目だと云った──


 “エリチス・シイクト・デウス・スチエンテス・ボヌム・エット・マルム”ドグマッ


2025年4月9日水曜日

愚か者、調べ物(読みまくり、書きまくる)

短刀の言葉、さくっと一刺し次々にひれ伏(ふ)す、矢継ぎ早、そそくさと現場から現場へ消え失(う)す、左様なら、言葉に規定された個々人を見知らぬ土地の何処(どこ)か、強引に引っ張って行って連れ回す文章が、なかなか句点(くてん)を打とうとせず、斯様(かよう)に読点(とうてん)ばかり引き継ぎ、引き続き、引っ掻き回し、匕首(あいくち)を急所に突き刺したまま捻(ひね)って痛み自覚さす、作用なら、馬鹿たれ、愚か者、調べ物より捻り出したる寸鉄(すんてつ)の言葉、読みまくり書きまくる言葉、世が世なら、寸言(すんげん)たる、寸言たれ、寸言たりし言葉、言葉、言葉集(つど)いし究極の文章、何故なら、お前の一生を一変さす文言ばかり集めた文章、文章、文章に一生を棒に振る、畜生……死ぬまで延々と良い子、悪い子になりてえのだ!

 絶版・廃刊になっている本や、おいそれと気軽に買って読めない分厚い全集(に所収されている解説や、誰かに宛てた推薦文や、雑誌に掲載された書評やエッセイなど)を読む為に、たびたび図書館を利用している。或いは、調べ物をしに。国会図書館にしかないものもあるから、そういう時はわざわざ永田町まで出向いたりするが、大体は近所(高円寺・野方)か隣町(中野)の図書館で事足りる、というか居心地が良いので、街の図書館の方をよく利用している。国会図書館の広大で殺伐とした無機的な感じは、よう好かん(手荷物ロッカーの処に居た警備員のおじいさんは良い人だったけど)。


閉架(へいか)にあった貸出禁止本なので、館内の閲覧席でじっくりと読ませて頂きました(快適な、中野図書館にて)

 三島が好きだった作家ないし著作に当たったり、個人的に目を付けた作家や著作に三島が既に目を付けていたり、そうこうする内、そういえば三島が所蔵していた書物とか一部・断片的には知っているけども、その全体像というか目録ってないのかしらんと思って調べたら、ちゃんとあった(さすが三島)。


自決からちょうど一年後に書かれた序文に、此の夫にして此の妻あり(ないし此の妻にして、か)としみじみ思う

 三島の奥さんが編集に携(たずさ)わった「定本 三島由紀夫書誌」なるものがそれで、冒頭から演劇や映画に出ている三島やら美輪明宏やらのお耽美な写真が満載で、その第五部にお目当ての“蔵書目録”があった。

 (こんなの朝飯前と)気軽にリストアップしようと思ったのが間違いで、延々続く転記作業にたまの休みの日中を全部使っちまった──三島の書斎・書庫にある約一万五千点の蔵書の中から、あくまで一部となる目録らしいのだが、気になる著作を百点ほどピックアップするのに、四時間半も掛かってしまった。世間からすりゃ誰とも会わず、一言も発せずただ一頁一頁ぱらぱら繰(く)ってはメモメモだなんて、作業が終わって外へと出たら夕方・日没だなんて、しかも朝から何も飲まず食わずだなんて、哀しくも淋しい休日やもしれぬが、己が生き甲斐はこういう処にこそある──

・土屋道雄 「人間 東条英機」 育誠社 S42.12.8

・東郷青児 「カルバドスの唇」 昭森社 S11.10.20

・トービス星図 「星占い入門」 隆文社 S37.5.15

・富田英三 「ゲイ」 東京書房 S33.6.10

 例えば、目録の“と”の箇所から自分がピックアップした著作のごく一部を挙げれば、どれも読んだ事ねえし、内容めちゃ気になるし……帰宅して早速、富田英三の「ゲイ」をググってみたらば、昭和のゲイボーイの白黒スナップ写真が出てきて、ますます読みたくなったワ(昭和のアングラ風俗史とかヤンキー大好きなので)。逆に、これ持っていたはずなのに目録に載っとらんぞってのもあって(手塚富雄訳の中央公論版「ツァラトゥストラ(ニーチェ)」とか、春日井建の処女歌集「未青年」とか)、まあそれは一部抜粋だから仕方ないかとも思ったが、これでまた手前の読みまくり書きまくるネタが充分過ぎる程に増えたぞってんで。


数年前に店仕舞いしてしまったが、高円寺民にはお馴染みの、都丸書店が献本していた

 そもそも読みまくり書きまくるとは何か?何をお前そんな躍起になっているのか?それは私個人が言葉・文章というものを規定する行為であるのだが、同時にまた言葉・文章より私個人が規定される変態の(変容の!変質者の!)この上ない快楽なのであった。メタモルフォセス──ぢゃなきゃ読みまくらないし書きまくらない。死んで生まれ変われるなら話は早いが、早い話が言葉・文章によって生まれ変わりたいのだ。死ぬまで延々と悪い子、良い子になりてえのだ!

 しかし将来何がしたいのだ、結局君どうなりたいんだ、愚か者、本や言葉に応える事はあっても、神や人間に答える訳がない。あなた方はただ、規定された私個人を見ていてくれ……金をくれ、休みをくれ、いや休みはいつでも休めんだ、休むに金が、要するに金が要るのだ──タイム・イズ・マネー──何だ結局お金か、厭な言葉だ、いや単なる言葉だ、金金金、世界を変えるプロセスは言葉だ、言葉言葉言葉、ほら言葉言葉言葉、言葉言葉言葉。


 重い、重過ぎるよ、切り離してくれよ、ねえ、もう良いから、剥がしてくれよ、言葉、また言葉、もう言葉でも良いからさ、短刀の様な、言葉!


2025年3月31日月曜日

“短歌”と書きて“ドグマ”と読む哉

いざや、短歌(ドグマ)百連発!!



 子供時分、正月に実家へと帰り、「ゲームしたぁい」と駄々こねっと、大正生まれの父方の祖母が「百人一首すっか?」と尋ねたもんだ。「そんなんゲームぢゃない」と厭(いと)ふと祖母は微笑(ゑま)ふたが、今ぢゃTVやPCゲームの方が退屈極まりなく、あのとき百人一首を祖母と皆でやっておれば、なあ誰か無性にやりたいだ、とさうかうするうち気持ち昂ぶってまひ、祖母の百歳の御祝ひに百首、自ら作ってしまったといふ訳で。


屹立す 俺とお前が 鰯雲 突き抜ける赫し 凱風快晴

 祖母は半世紀以上、毎日日記を付けてゐる。今日だって、今だって。その日毎(ひごと)に、その日毎の反省を綴ってゐる。しかしこれは私にとって、過去であり未来であった。つまり、少なくとも現在ではなかった。古代や後代(こうだい)であって、限りなく近代ではなかった。

 現在や近代の反省とやらは、全く取り留めない。限りなく背負ひ込み、大いなる何ものと接触しやうと失敗す。祖母は別に大いなる何ものと取り合ふ事もせず、一つ/\を淡々とこなすばかし。そして一世紀を活き/\と生きるのであって、決して一世紀を生きてやらうと意気込みはしない。今日だって、今だって。

 現在や近代に大いなる何ものと弄(もてあそ)ばれ、私は祖母ほどに生きられぬであらう。あゝ祖母の日記の潔(いさぎよ)さ、おゝ五七五七七の心地好(よ)さ。今日お前が背負ふのは、今日のお前だけで良いに。どうしてまた百も背負ふて、これがどうして私の役目だから。私は百年も生きられぬであらう、たゞ百年を詠ふ事しかできぬであらう──


「ドグマ百人一首」
by Nori MBBM

【大正・二十五首】

一、自然主義 シチヰポツプの 息の根を 止めて遣りたし 荷風が世直し

二、男子の 自づと涜す手 速やけく 千夜一夜に 女子ら微笑ふ

三、彼の暮らし 大正近く なりにけり 風の時代ぢや えデモクラシヰ

四、訛りゐる 絶対矛盾的 自己同一 其方いかんでも 此方やつとるわ

五、褻に着給ふ 御衣を脱げや 穢れもの 尚更褻闕れ ヱロすなアガペヱ

六、生きながら 生きるを止む 粋な矛盾 生の不純ば 死の清純

七、タナトスす ヱロすら拝めん ハレヱシヲン 見詰める程に 盲ひる夫神

八、生きてゐりや 昔の男は 皆僧侶 髪無くせども 神失くすなま

九、親鸞の 三十年目が 出発点 復習す知恵 何処迄も比叡

十、連綿と 背徳の歴史 免罪符 着物脱がしも 御安心あれ

十一、一九八九の 四年四二年 四二六圓 数値吸ふ血の 隠れ身の蓑

十二、田面もゝう 見るもん居らんと 打つ遣れば 萬葉の子ら 記憶ば喪失

十三、隠れ身の 舞台袖より 舞台上 隠す気の無い 直隠しの身

十四、童達 大人の胸を 借りたいか ならば代はりに 真心寄越せ

十五、人生が 四半世紀で 始発点 予習す血縁 何時迄も遅延

十六、聴きゐりし 初恋の声は あえかなり 効率的野暮 科学的不粋

十七、女方 仏壇へ上ぐる 正信偈 始まりは何時か 終はりは今か

十八、声知らぬ 曾祖父母等の 血は流る ならば吾が声 彼等のものぞ

十九、聞こし召せ 見ゆ見ぬを見む 同列に この哥が現に 夢のやうなら

二十、一番に 大いなる数 九と憶ゆ 森林限界 曾祖父が頂き

二十一、モボモガよ (※1)かゝり云ふさけ どんならん 放任主義の もうナヲミズム

二十二、日本語よ 日本の訓へ 日本を學び 外語教員 蚊帳の外行き

二十三、供にせむ 仲好小好 伴にせん 喜怒哀楽が 怒哀は片方が

二十四、大正の 大を詰めたる 乙丑 三島と祖母が 喪ひし浪漫

二十五、鈴蘭に 毒され過ぎては 徒なりと 心置き給へ 月見草こそ


【昭和・二十五首】

二十六、カツ丼を 吐きて斃れし 荷風哉 真つ当に耽美 頽廃全うす

二十七、十二月 彼等見てゐる 譲り葉の 千代に八千代に 父母生まる

二十八、米利堅の 傷なき若さ 父母の春 祖父母の子らが 更に産む吾

二十九、(※2)おとろつしや 余情妖艶 (※3)むせこつちや 耽美頽廃 閾跨ぐな

三十、表彰状 母が少女の 時を知り 引き出し閉づる 不出来な息子

三十一、未だ存る 醜やかなる 童心を 逆に纒ひし レヱズンチヨコ

三十二、衆怨や 灰皿に燻る 紫烟也 両祖父が喫し 父喫しなかつた

三十三、地図が無い 迷ふた道の 路が無い 頼り無いなり お便り出す也

三十四、架空間 軽んず勿れ 史実体 貴様も孰れ メタフアの奴隷

三十五、プラトヲン 希臘の訓へ 希臘を學び 内省郷里 納屋の内向き

三十六、鳴り響く ルシフアの美名 響き合ふ 洞窟の陰 唯一人の翳

三十七、生涯の 友なぞ居らぬ 生涯の 藝それすらも 出来ぬといふに

三十八、取らんとす 寫眞フヰルム 砕け散る 酸化した日々 押し入れの隅

三十九、古里に 友一人無い 訳ぢやなし 故郷自体 無いやも知れぬ

四十、是が非でも 政治信条 顕にせ それ拒む也 向かうに汽車来る

四十一、父母の 丹精籠めた 創りごと 壊すのはまた 作りごと哉

四十二、鎌と鍬 スキゾとパラノ 鋤とビル 稀有にして婁ぐ 私人で以て

四十三、息通ふ 親と兄等と あの空気 家父長の椅子 家具調の瑕

四十四、雑沓に 斃れし草花 無名命 誰も気にせん 誰が誕生花

四十五、安宅町 園町寺町 三谷町 架空友人 想像人夫

四十六、即興詩 生き血巡らす 相関図 親兄弟縦 恋人横に

四十七、三和音 奇天烈宇宙 性倒錯 耽美頽廃 夜露死苦世界

四十八、何番線 一句拈れば 忘らりよか 分岐器がちやこん 然らば君よ

四十九、丑羊 丑射手胎児 大蛇山羊 申山羊対峙 魔女退治巳牛

五十、御祝ひぢや 賀留多遊びや おまへんぞ 昭和百年 祖母が百年


【平成・二十五首】

五十一、幼き日 寝付けぬ夜に 首觸る ギロチン落ちて 頭飛ぶ夢

五十二、坂の下 通つた床屋の 小父さんが 君は眼が良い 役者目千両と

五十三、初恋の 誹り謗り遣る 色事の 一触が女 即発が男

五十四、目潰しの 契り交はして 琴は啼く 師弟の番ひ 一線を越えて

五十五、姫横に 五人囃子と 一枚絵 主演の癖に 台詞憶えぬ

五十六、眼球を 愛でたるアンチ ヲヰヂプス 親兄弟 刺しも潰しもせず

五十七、戯れ合ひに 不良少年の 尻觸る 激怒が前触れ 戸惑ひ微笑み

五十八、僕には無い 丸太のやうな 太い首 叫べばロツク 僕には無い

五十九、首吊の 照々坊主を 首斬の 刑に処す也 野暮用に雨

六十、シヨツトガン 吹き飛ばされし 頭蓋骨 子宮の中へ 涅槃飛散す

六十一、女装子たる 世界を売つて 美男なり 穢されぬやう 火星に棲まふ

六十二、他所の街 こんもり膨らむ 路の上 他人の小母さん 余所の碧天

六十三、死ねシネマ 寝まつとれま 火星のキネマ 金星の吾が 琴線は触れ

六十四、魔の山や 谷間の百合に 嬰れられず 今度摘む薔薇 さくらフリヰヂヤ

六十五、罪業人 罰の代はりに 生享けて 破滅に向かふ 性請けども

六十六、神様は 恋ふる位で 丁度良し 死だけ捧げぬ 詩のみ捧げん

六十七、予想だに 出来ぬ手前が 性欲望 かういふ無学 さういふ無邪気

六十八、睡りやる 太陽目掛け 男根を 突き刺した時 夜は白んだ

六十九、寝バツクと 俯せる君に 逝つてまふ 流るゝ山なり 背なの谷にて

七十、父上よ 放蕩息子が 還ります きつと笑ふでせう 許す赦すまじと

七十一、親孝行 予定調和す 自己犠牲 打破す良い子の 親不孝也

七十二、人でなし ぢつとしとれま 藝術論 人を棄つれば 人より永く

七十三、実存よ 剥いて剥いでも 萵苣の球 信仰憧れ 恋ひ焦がるゝ

七十四、如何心地 時代と同級 世と長ず 三島と唱和 平静と吾

七十五、若かりし 視力を得れば 又候に 星の点描 認める心


【令和・二十五首】

七十六、殺生な 詞が吾の 頭蓋骨 ヲルタナチブたる 共振現象

七十七、両輪に 愛し憎しは 比例して 回り廻るな もう憎しだけ

七十八、他愛無い 身体の一部位 仕草等 僕狂つちまつた 愛撫さすから

七十九、精神や 身体見やうぞ 昇る陽の 若き惨さに 眼を灼かれやう

八十、解けるなら お好きになさつて 頑張つて 敗けてしまへば 私は去ぬ

八十一、この胸を 毒か薬か 揺す振られ 搖れぬより増しと 揺れる五七々

八十二、脚弱り 君の手を引く 事もあり しかして拒み 独り行かばと

八十三、無能故 せぬより出来ぬ 落涙は 啼きし誰が為 嗤ひ除いて

八十四、雪の日に 往かれる人は 多かれど 来る人なく 皆々何処

八十五、可か不可か 廻り遭ふにも この生命 棄つれば容易 今すぐ君と

八十六、好きだつた 浅き夢見し 腕枕 浅き夢見じ 今度は起きぬ

八十七、完璧に 永劫回帰を 果たすなら 地蔵さんたるもの 同衾しよか

八十八、地獄でも 自國でもない 異國にて 過ごした日々の やけに美し

八十九、アフロヂテ 貴女の産んだ 子が堕つる 忘るゝ愛と美 然らばビヰナス

九十、この國を 出た事も無い 現実を 二人の嘘は とびきり麗し

九十一、因縁よ 睨め付けられど 怨念よ 断ち切つたといふ よか倦んざりで

九十二、(※4)いぢくらし 不仕合はせなど 仕合はせて 次ぎ行け次ぎに 祖母は行くだらう

九十三、逆縁よ 思へば往生 近し哉 貴女泣き面 想つては哭きて

九十四、忘れ得ぬ 守り抜くぞと 愛し遣る 少なくとも瞳 か黒し間は

九十五、母上よ 祖先の神話の 母達よ 貴女の云ひ付け 忘れませぬぞ

九十六、純愛の 何割何分 何厘か 秤傾く 傾くな性

九十七、哀楽を 吸ひ取つた哥の 銘々よ 永遠に咲きゆけ 永久に枯れゆけ

九十八、風前に 燈した火こそ 熱く燃ゆ 圧縮されし五 七五七七

九十九、赤らかな コヲド進行 燦らかな 指定も無からう 暗黙知の血に

百、誕生日 命日の者 物同然 生まるゝ森羅 万象へ御還り


(※1)かゝり云ふさけ:余計な事を言うから、ちょっかいを出すから
どんならん:どうにもならない、手に負えない
(※2)おとろつしや:驚いた、びっくりした
(※3)むせこつちや:大変だ、心配だ
(※4)いぢくらし:鬱陶しい、煩わしい


曾祖父“九右ェ門”様に因み今回の百首とは別に祖母へ“九”首の詠を贈った


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己が股ぐら真っ赤な富士山短歌百連大噴火

 言ふべきか、言ひたい事は、云はれるな──言ひ惜しむなや、言へ/云ひ尽くせ。

 宵越しの、銭(ぜに)と詞(ことば)を、持たぬとは──経済原理、使ひ切り/回せ。

 安心せい、使ひ切れぬぞ、より増して──新たな次元、新たし地平。

 解明せい、先生方よ、この短歌(ドグマ)──現に地上で、使ひ得(う)る知で。


中島鉄蔵いや三浦屋八右衛門いゝや葛飾北斎いや/\画狂老人卍が赤富士大噴火


 ドグマッ


2025年1月1日水曜日

令和七年“還来穢国”

明けましておめでとうございます
──a state of the dead to return to this defiled world



 還来穢国



 久し振りに、俺は俺の年を取る。12年振りに、また12年分の歳を取る。頭を伸ばす宛(さなが)ら、ろくろ首並み。



 あと12年と12年で、己が尾っぽまで追い付けそう吸い付けそう。その時は「届いた、届いた、口が、言葉が、口に言葉にした願いが、届いた、届いた」と、その円環構造を祝ってやるのだ。だからそれ──永劫回帰/ウロボロす──迄は、にょろり・にょろにょろ・にょろりんと。還る暦(こよみ)の60年、あと12年と12年で。



 ほらもっと、ちゃんと活(い)きてくる、旧年!!みなさま旧年中は大変お世話になりました。本年も宜しくお願いいたします。



 2025、Are you burning?