2021年5月17日月曜日

“This is for a Poison Apple.”

早すぎる知的理解は、人間が体験を味わう機会を奪ってしまうのである。さりとて、「知る」ことがなさすぎると、災害をどんどん拡大していって収拾がつかなくなってしまう。実際には、ある程度のことは知っていても、事が起こるとあわてふためき、それでも知っていたことがじわっと役立ってきて収まりがつくという形になることが多い。

 ユング心理学の偉い先生が、そう云っていたので。

 我等に体験が少な過ぎたし、災害が多過ぎた。神童には足りな過ぎたし、逆境には幸せ過ぎた。人生に丁度がなくて、過ぎたは過ぎたでもう去った。神曰く、人間はこん位が丁度ええて!!


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 5月17日、友達の誕生日──とっておきの今日はフォークでロックな貴方に、この曲を贈ります。



 前回に引き続き、5月生まれのお友達へのプレゼントとして、(或いはまた今迄の流れを考慮した上で)34本目のカバーMVに相応しいものとして、今回の楽曲を選びました。

 “17日に演るべきカバーはフォークだな”と思案を巡らせ、ボブ・ディランや高田渡、友部正人に吉田拓郎など聴き漁り、どういうアレンジにしようかと寝床で弾き語っていたんだけど、何気なく以前買った泉谷しげるのベスト盤を聴いていたら、この「白雪姫の毒リンゴ」が頭から離れなくなりまして──まだこの時点では誰の何をどうカバーしようか?という状態──早速インターネッツでコードを調べ、使うのはD、G、A7、D7の4つだけか、さあ歌詞見ながら一丁やりまっかと練習し始めたら、ボロボロ泣けて練習中断。


白雪姫(白目)とリンゴ(毒なし)とNori MBBM(黒目、毒あり)

 「あの映画マヂ泣いた」「今回の新曲ヤバすぎ号泣」とか云う巷の声というものに共感できた試しが無く、感動の落涙(らくるい)なんて三十余年で二回、その内の一回は8歳の時に友達3人と映画館で「帰ってきたドラえもん」を観た時でドラえもんへ全幅の信頼を寄せていた年頃だったから本来はノーカンにしたいけど、今回の泉谷さんのはマヂヤバ号泣すぎた。

 作詞・作曲者を見ると泉谷さん本人でなし“門谷憲二(かどやけんじ)”とあり、どっかで見たよな気がする、とググれば数え切れぬ程の歌謡曲を作詞されていて、己がカラオケの十八番「君は薔薇より美しい」のクレジットで見覚えがあったんだ、と合点でい(それから“高円寺純情商店街”のねじめ正一の中学の同級生だった)。

 そんな作詞家・門谷さんの知られざるナンバー、そのメロディーも然(さ)ることながら、詩の一節一節を歌い進めるごとにしみじみ沁みて、今の自分、令和三年の自身、そこに居て、この曲にて、白雪姫の毒リンゴから、ロックンロールの自殺者まで、つまりボウイもボランもディランに憧れフォークのちグラムとなり、泉谷も拓郎も加藤和彦によってグラムよりフォークとなる、俺の中で、夢の中で、井上陽水奥田民生「ありがとう」。

 以上“マジヤバな件 a.k.a 人生三度目の落涙”により、もうこの曲しかない!!と冒頭の他のカバー候補は全て吹き飛び、「白雪姫の毒リンゴ」な訳で御座候ふ。


紅いリンゴと赤いストラトちゃん
(桜木町のとある宿にて)

 我が演奏に関してですが、前回前々回前々々回より引き続き、潔くギター一本による弾き語り、俺の最近の流行り。ただ今回のエレキ弾き語り、いつもだとクリーントーン歪みMAXで演る処を中途半端に歪ませた音色で弾き語り致した。良く言えば“60年代後半のワイルドでいなたいアメリカンロックなサウンド”、悪く言えば“ギター初心者が買ったばかりのエレキ入門セットに付いてるメーカー不詳の小型アンプで「んゝ、もっと歪ませたいのに……」って弾いてる時のオーバードライヴしたチープな音”。クリーントーンかディストーションか、みたいな完全に振り切れた感じでなし、飾らずラフに演りたかったのだ。

 彼(か)の有名なレーシングゲーム「グランツーリスモ」で、とりあえずどの車も“フルチューン”して走り込んだ挙げ句、無改造かつセッティングもいじらないで市販車の“どノーマル”な走りに四苦八苦する楽しさを覚え、「スポーツマフラーに変えてみよ」「少し軽量化するか」「ROMチューンもしちゃお」という“ライトチューン”の範囲で市販車を自分好みに染めて行く喜びに浸っている、今ここに似た状態。

 サラダも肉もスープもデザートもぢゃなし、蕎麦かうどんにゴボウ天だけあれば満足である。いや、紅ショウガ天も最高だ。カツ丼とかもはや天国だから今は遠慮しておくし、「Kiss...いきなり天国」はアップビートのデビュー曲で柴山の菊さんが作詞してるし、豪勢なナポレオンジャケットを着たのはボナパルトだし、俺らNori MBBMで今回はデニムジャケットだし、でもこのジャケットはマヂでイカしてて岡山のTCBジーンズという処がヴィンテージのリーバイス507XX所謂“2nd”を現代にモディファイしたヤツのリニューアル前の旧モデルでシルエットもあゝセカンドと云えばニルヴァーナで好きなアルバムはアングラな1stかハードコアな3rdという事になるが今の時分の自分なら2nd「ネヴァーマインド」の骨太で大らかな演奏と自然体で素直なカートの叫びに全てを委ねたいしあのアルバムに収録されている“ドレイン・ユー”というゴキゲンなナンバーの一節がいま脳内でぐるぐると渦を巻いているのだ──

“You’ve taught me everything without a poison apple
君は毒リンゴ以外の全てを俺に教えてくれた”

~Nirvana「Drain You」より~

 前段の後半から句読点もなく読みづらくなって御免ね、つい毒リンゴ以外の全てを君に教えたくて。


上がこれなら下もこれぢゃあなデニムオンデニム
(宿のご主人に撮って頂いた)

 素直に戸惑い、ありのままが良い。優柔不断で、中途半端を愛している。いつも春になると、適当に業が深くなる。例年より梅雨が早い、珍しく手前の眼からも雨が降る。

5がつにはなをさかす、わたしににあいのなを

 今年の五月もそう、刻まれた。


2021年5月4日火曜日

“This is for All that Glitters.”

たましいの特徴は矛盾に満ちている。人間の心はそのなかに矛盾が存在するのを嫌うので、たましいの方は矛盾を抱えこむのだ。

 ユング心理学の偉い先生が、そう云っていたので。

 手前の心を守ってやれるのは最後、手前の魂だけ(志:こころざし、とも云う)。例えば心が壊れぬ様に最期、魂の壊れる事がある(銷魂:しょうこん、とも云う)。

 そんな魂にも譲れぬ処があって、心の方が誰か招いたとしても、魂は常に誰もお呼びでない。心は最大の私でも、魂は最小の私であって、誰一人入れるスペースが無い(独りとも云うし、宇宙とも云う)。

 生まれてこの方、心でなし、魂の話をしてきた。似ている様で全く、別の話なのである。


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 5月4日、友達の誕生日──とっておきの今日はグラムな貴方に、この曲を贈ります。



 これまで演ってきたミーの音楽と乖離していると思われるやもしれぬが、オリジナル・ラヴ大好きです。ピチカートやフリッパーズはさらりと聴いただけだけど(田島さんが一時期ピチカートに居たり、フリッパーズの二人がオリジナル・ラヴの追っかけだったのは知ってます)。

 田島さんの捻り出す詩曲やグルーヴは、日本の伝統文化に見られない日本語の音楽で、どうしても真似できないと痛感させられる反面、どうしても真似したいと思わせてくれる処が魅力的です。ブラックミュージックに憧れたビートルズやストーンズのメンバーらが、未だ聴いた事のない画期的なロック音楽を作り出したが如く。田島さんの描くメロディーや詩の中に、或いはインタビューやブログから垣間見える生い立ちに、“分かる”ところが沢山あるのだけど、それはソウルだのR&Bだのジャズだの民族音楽だのではなく、実はグラム好きなところが前述した魅力と一番関係しているのかもしれません。少なくとも私にとっては。


光る月を手に、とある宇宙空間にてドグマッ

 本題から逸れますが、かつてイエモンの吉井さんがバンドのデビューシングル“ロマンティスト・テイスト”を振り返る中で、「渋谷系が出てきたとき、俺こういうのなのになぁって思ってたの」とインタビュー(ブリッジ・97年4月号)で話されていた事がありました。

 つまり、70年代のグラムロックや昭和歌謡を愛好するが故、70年代から影響を受けた派手なファッションと音楽性でデビューしたものの、一方では90年代の渋谷系やブリットポップの台頭を目の当たりにして、そのカジュアルさやポップさこそが90年代の今の俺にはリアルであった、という事です(イエモンの4枚目のアルバム「スマイル」からは意図的にそうした、と仰っております)。吉井さんも好きだった“スウェード”とか“パルプ”って、普段着でカジュアルかつ力まずポップに90年代版グラムを演っていたものね(筆者はイエモンのケバケバしくドロドロしたグラムロックこそ至高だと思うけど)。

 ※“スウェードという退廃的でお耽美なバンドが、カジュアルかつ洒落たポップとは何事か?”とお思いの方、デビュー時のバーナードが在籍した僅かな(しかし最高の)数年でなし、彼が抜けてから現在まで長きに渡って活動している3rdアルバム「カミング・アップ」以降のスウェードを観てみてください(それでも充分に美しすぎてウッフンか)


ただ何気なく撮って、CGみたいな写真ドグマッ

 話を戻しますが、オリジナル・ラヴから滲(にじ)み出るグラム感って90年代版グラムのそれで、だから吉井さんはその“ネオグラムロック”とも云えるものに嫉妬したのだと思います。吉井さんも充分ミクスチャーで90年代のネオグラムなんだけど、渋谷系やブリットポップみたく冷め醒めしたものではなく、そこには70年代の熱血が流れていたという訳です(勿論オアシスにも熱血は流れているし、吉井さんにも冷め醒めしたものはありますが、それはここで主張したい事ではないので割愛)。

 更に事(こと)をややこしくしているのが、オリジナル・ラヴは90年代が終わってから、ドロドロした濃厚な70年代的グラムロックを演っているのです。代表曲“接吻”を聴いてハマった人からすれば、戸惑うこと必至な11枚目のアルバム「踊る太陽」は、間違いなく日本のグラムロック名盤の一つであります(大学時代に椿屋四重奏の中田さんのブログで「踊る太陽」の存在を知り、そのブログ記事のタイトルは確か“グラムロックに恋した”だったか、俺はそれで中田さんに恋した)。

 ここまで来ると前述した吉井さんと対照的に歩(ほ)を進める田島さんという感じで、二人の音楽的な根っこは逆さまにして一緒なのかもしれません。吉井さんはイエモンが解散してからジャズやオルタナ音楽の要素を多分に含んだ脱ロック的なナンバーをYOSHII LOVINSON名義で徐々にっでえ♪と展開して行きますし、田島さんも吉井さんも昭和41年生まれで同学年だし、都内の南は大田区と北は北区でそれぞれ育ち、それぞれ小学校時代に地方へ引っ越したところまで一緒だし、吉井さんのお母さんは一時期プラターズのメンバーと恋仲であったと言うし(←それは関係ねえ)。だから今度はオリジナル・ラヴの「踊る太陽」の方が渋谷系皆無にして、70年代グラムロックや昭和歌謡をガッツリぶちかましてくれる因果となる訳です。T.レックス好きな人は絶対に好きなアルバムよ☆

 その他、あからさまにグラムではないもののシングル「スターズ」とかディスコ調の「ディア・ベイビー」、デビュー前から演っていた「オレンジ・メカニック・スーサイド」なんて曲名からしてもうグラムの匂いがプンプン漂ってるんだ(←3104丁目のDANCE HALLに足を向けろ)。全身全霊を懸けて静かに熱くなるよな超絶名バラード「プライマル」など、最高にドラマティックかつロマンティックでお耽美この上ない(同名異曲だがイエモンのも民生さんのも“プライマル”と名の付くものは良い曲ばかり)。

 今回の「月の裏で会いましょう」も、クールでアーバンでソウルで……とか評されるナンバーなんだろうけど、はじめて聴いたその日からグラム野郎のハートを鷲掴み、歌詞に引っ張られている部分もあるけど、このメロディーを耳にしたら“月世界の白昼夢”まで宇宙旅行ブッ飛んぢゃう!!


黒のタートルネック a.k.a. とっくりセーターを着用
(一年半前のボウイ様のカバーと同様)

 ギター一本でシンプルに潔くカバーしよう、というのは前々回のカバーから引き続き、俺の最近の流行り。原曲はサックスとかキーボードも入った大所帯の演奏だし、ネット上の他の方々によるカバーはアコギ弾き語りが多かったので、それらとの差別化を図る為にもクリーントーンのエレキ一本のみでいざ勝負。

 また、原曲のリズムの跳ねを意識して、16ビートのコードストロークで弾き語りしたのを一旦は録ったのですが、原曲や他の方々のカバーの真似事の域から出られずに俺らしさが感じられなかったので、原曲の事は忘れて馴染みの8ビートストロークで弾き語るか、と開き直って再度レコーディングいたしました。俺が演ったら唯一無二のグラムナンバーになるだろう、くらいの自分勝手な演奏と歌でありますが、元の曲が大変良いので何をやってもキマるのです。それでは最後に、一年半越しの伏線回収を。



分子の大きなものから人間の脳に至る進化の鎖のどこかで、自意識がこっそりと入りこんできたのだ。脳がある種の非常に高い錯綜した回路を得たとき、常にそれは自動的に起こるのだと心理学者は断言する。その回路とやらが蛋白質(たんぱくしつ)であろうと白金であろうと知ったことか。
-マヌエル・ガルシア・オケリー・デイビス

 僕ら所詮は分子の延長、拡大した蛋白質か白金か何か。遣る瀬無い・事もない・様な気がしない・でもない、と単純が迷い続けて複雑化。右往左往するうち21世紀、SFの未来に追いついた。だのに未だ心は原始、野生的で未発達。脳との距離は開く開く、ノートが郷里を拓く拓く。もうそろそろまた、再び自意識が脳の回路を得ます様に。


2021年5月2日日曜日

自粛生活よろこびの詩(十二支詩・丑)



一)
なんでこんなにたのしいの
人の自由を奪われるコトが
よろこんではいけませんよ
私の自由も今に奪われるワ
どうもそれはうたがわしい
自粛生活よろこびのワケは

二)
時代が思考を停止させれば
裏の裏まで考え考え抜くぞ
時代が自粛を強制するなら
一人独りでに歩み行けるぞ
時代はつまり私以外の奴等
運命宿命十把一絡げの奴等

三)
自由自在を吹聴していた輩
自縄自縛と侮辱してきた輩
堂々一緒くたに成り下がり
公然と運命宿命ぶら下がり
こちとら今迄通りの見世物
のはずが今から急に見物客

四)
皆が自粛して内省するとき
私は誰にも邪魔されず遊ぶ
皆が考えなしに遊んだとき
私は遊ばず考えていたから
目立ちたがりの天の邪鬼か
天下分け目の手前の定めだ

五)
なんでこんなにたのしいの
本来放蕩息子に自粛はない
よろこんではいけませんよ
元来自粛人間に自粛もない
どうもそれはうたがわしい
あゝ自粛生活よろこびの詩

六)
ラ、ララララ、ラ、ラララ
ラ、ララララ、ラ、ラララ
ラララ、ラララ、ララララ
ラララ、ラララ、ララララ
ラララ、ラララ、ララララ
おゝ自粛生活よろこびの詩




2021年5月1日土曜日

32歳28歳:HAPPY T.REXTASY BIRTHDAY

閻魔さんの前に持っていって、これが私のたましいですと示せるもの。そのようなたましいを生きている間にいかにしてつくるか、これがソウル・メーキングである。

 ユング心理学の偉い先生が、そう云っていたので。

 自分、何の為に生きてんの?一つ言えるんは、死後の為に生きている、は間違いないな。え、死後まで生きるつもりなん?めっちゃがっつくやん自分。そうや。

 従って自分、人よりか長い長い旅となるやろ?怠けてやろ、下らん事しよ、死後を見据えて生活せな。え、本末転倒やん?今ちゃんとやらなあかんで。そうや。

 酸いも甘いもな、苦も楽もな、ぎょうさんや。閻魔さんにお土産や、ほれ、ゴロン(魂)。


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 どうも32歳です。カバーMVもこれで32本目です。ただ2020年より“ドントトラストオーバーサーティー”を適用して60歳で0歳となる予定ですので、実は28歳です。この前28歳やった気がするので、二回目の28歳です。



 ストーンズはドントトラストオーバーサーティーを二周以上しているのに、まだまだ元気いっぱいですね。マーク・ボランは29歳で黒い星となってしまいましたが、実は今も秋間さんと一緒に生きて居りますね。そんなこんなで今回のカバーMVを演った次第、またぞろ28歳になったのもボランちゃんの仕業です。

 黙っていても伝わる人には伝わると思いますが、念の為に書いておきます──昨年の誕生日はドールズの「ロンリー・プラネット・ボーイ」に「ルッキング・フォー・ア・キス」と「トラッシュ」をくっ付けてカバーMV致し、今回は「ベイビー・ゴナ・ビー・マイ・ドッグ」に「テレグラム・サム」と「ジープスター」をくっ付けてカバーMV致し候。こんな些細な事で誰か喜んでくれたら嬉しい哉。ライヴコンサートでボウイ様が「オーバー・ザ・レインボー」から「スターマン」を演ったり、ミッシェルが「アウト・ブルーズ」で“ブレイクオンスルーットゥジアザーサイ!!”とか「リボルバー・ジャンキーズ」で“ヘイ!ホー!レッツゴー!!”と叫んだり、俺はそういうサンプリングオマージュリスペクト大好きだから。



 19歳の時だったね、マルコシの大名曲「バラが好き」とすかんちの大名曲「恋のT.K.O.」を同じ日にYouTubeで目撃してハートに直撃、ロマンティック大爆発!!我に帰って破片を集めて日常に戻ったんだが、時既に遅し、明けても暮れても胸の爆発が繰り返し、毎日グラムに恋狂い、今の今迄それが続いて、これからもずっとそうなのだ。

 19歳の爆発事件後、今は無きレコファン大森店でマルコシのアルバム「ダイナミック・ワズ・ルビー(1991)」に「ミラバル(92)」、「リバンプド(93)」、「ルネッサンス(93)」等を次々と中古で購入していった(と同時にハマったすかんちの話はまた別の機会に)。その他、レコファン渋谷店で「乙姫鏡(90)」に「イン・カズミディティ(90)」、ディスクユニオンやアマゾンでベスト盤も含めた残りの音源を買って行った訳だけど、インディーズ時代の1st「プレジャー・センセーションズ(87)」だけがどうしても手に入らない。都内は勿論、神奈川、千葉、埼玉のレコ屋もくまなく回ったし、ユニオンの在庫検索サイトを毎日ポチポチとチェックしたけども、「プレジャ~」だけが一向に見つからない。

 それ以来、レコ屋に入ると必ず“マ行”を確認しなければ店から出られない体になってしまい、大抵は店に数枚あるマルコシのCDレコードをドキドキしながら一枚ずつ手に取って確認し、今日も無かった……という不遇の日々を送り続けていたのである。頭の中では「プレジャ~」のジャケ写──事前にインターネッツで確認済み──がぐるぐると渦を巻き、未だ聴いた事ない全8曲のギターリフと秋間さんの妖しいヴィブラートボイスに佐藤さんのピンクのギブソンEBベースが白い手袋でぐわんぐわんのぐにゃぐにゃにべしんべしんされて気が触れそうだった。



 幻のアルバム「プレジャ~」を探し続け、およそ三年が過ぎた頃。何かの用事で吉祥寺に来ていたので、どうせ今日も無いだろうが恒例のマ行でも見るか、とユニオンに何気なく寄り道、マ行はここだな、マルコシ何枚かある、うんうん……ん?プレ、プレ……プレジャー・センセーションズ!!嘘だろ──即、手に取る──在庫検索に無かったよな──裏ジャケや帯の文章まで舐める様に見る──何であるんだよ──何故かキレる──いくらだ──1,800円──レジは、レジはどこだ──CDレコードを両手でがっちり掴んで誰にも取られない様に左右を警戒しながらレジまで進む──生涯忘れられない一日となりました。人生で一番重みのある1,800円の買い物でした。今でもその「プレジャー・センセーションズ」、この高円寺の男の家にあって、手に取るたびニヤニヤしちまう。何千回、何万回と聴いたか、いつ聴いても最高だぜ!!

 マルコシで一番好きなアルバムは、一番最初に買って聴き込んだメジャー2nd「ダイナミック・ワズ・ルビー」なのですが──「プレジャ~」ぢゃないんかい!──思い入れがあるのはやはり「プレジャー・センセーションズ」です。何せ三年間、頭を離れる事が無かったですから、冗談抜きで。大学で経済学とか英文学とか商法やら刑法やら違憲判決の講義を受けながら、頭の片隅では妄想上の「プレジャ~」が鳴っておりました……いや、勉強も死ぬほど頑張りましたので、友達など居ませんでした。



 ところで令和三年の今、YouTubeで普通に「プレジャ~」が聴けるではありませんか(涙)。ファンの人か誰かが無断で全曲アップロードしておる(涙々)。しかしあの苦悶とも云える三年間を誰かに過ごして欲しくないから、無料で聴けるのはきっと良い事なのだ(涙腺崩壊)。平成は終わった(急に真顔)……廃盤になっているすかんちのアルバム達も、かつてプレミア価格つけられてドヤ顔でレコ屋に鎮座していたスライダーズの初期のアルバム達も、ウォッカ・コリンズも近田春夫もジョブライアスもクラウスノミもGGアリンも、みんなアマゾンミュージックでサクッと聴けるんだ(PC画面を両手で鷲掴み)、現代のサブスクの前で俺の存在意義とかプライドなんてレアレコード分だけの微々たるもんなんだ(口角泡飛ばし自棄のやん八)!!

 まるでワガママな子供のザレゴトみてえな文章になってしまったが、年に一度の誕生日に大好きなバンドの話題となれば致し方ねえ。次回からまた身を引き締めて、しっかりと理性を持って、粋な生き様を書き綴って参りたいと思います。

葦(あし)と藺(い)のなかに殺され横たわる、
騎士はうつくし。……
-オスカー・ワイルド

 お誕生日おめでとう俺──“HAPPY T.REXTASY BIRTHDAY 2021.5.1”。


 それではまた次回、月の裏で会いましょう。