2024年11月27日水曜日

鋼鉄綺譚(序)

人には言えぬ趣味があって、それは“天国の階段”を上(のぼ)る事であった。お茶の水駅前の二階へと続く、あれだよ。細長い、薄暗い、今は亡き、あれだ。

 Xの“アイル・キル・ユー”の歌メロフル無視絶叫カバーが素晴らし過ぎる──“過ぎる”という何にでも濫用(らんよう)されるこの形容はエクストリームメタルにこそ相応(ふさわ)しい──フランスの“アノレクシア・ネルヴォサ”、女児をハンマーで殴り付けてブタ箱に入れられた精神分裂症のボーカルがコウメ太夫より先にコウメ太夫の様に絶叫するスウェーデンの“サイレンサー”、速すぎて遅く・重すぎて軽く・正確無比すぎて滅茶苦茶に聴こえる手数(てかず)/音数(おとかず)が千手観音(せんじゅかんのん)なカナダの“クリプトプシー”、数十秒ないし十数秒のナンバーも繰り出しながらローファイな轟音の嵐を矢継ぎ早に容赦無く叩き付けてくるアメリカの“ブルータル・トゥルース”、我が十代の重大アンセムである名盤1st「エクリプティカ(1999)」収録の5曲目“キングダム・フォー・ア・ハート”を残してくれただけでも有り難うなフィンランドの“ソナタ・アークティカ”……いま思い浮かんだ5か国・5バンドだけでも“シンフォニック・ブラックメタル”、“デプレッシブ・ブラックメタル”、“テクニカル・デスメタル”、“グラインドコア”、“メロディック・スピードメタル”とそのジャンルは多岐に渡り、私はその一つ一つ、一段一段の天国を、無我夢中で駆け昇って行った訳である。

 登っている最中は気付かなかったが、心にブッ刺さったバンドをふと思い返してみれば、“モータヘッド”よりも“ヴェノム”、“メタリカ”より“メガデス”より“アンスラックス”よりも“スレイヤー”、“スコーピオンズ”より“アクセプト”より“ハロウィン”より“クリエイター”より“デストラクション”よりも“ソドム”──ジャーマンパワーのやりすぎで俺のケツから火が出たぜ!!ジャーマンパワーのやりすぎは体に悪いぜHeavy Metal!!──とメタル野郎は至極スラッシュメタル野郎であった。こと日本のバンドにおいても“カスバ”、“ドゥーム”、“フラットバッカー”、“アウトレイジ”と超絶スラッシュメタルが好きなのだ。本当、いま気付いた──何の因果で?



 スラッシュメタルとの出会い、マシンガンズとの出会い。私には二人兄が居て、とある晩飯時に三人でケンタッキーフライドチキンを食べていたら、長兄が何食わぬ顔で居間にあったCDラジカセに一枚のCDレコードを入れてね、直後とんでもねえ爆音リフの構築美が、「いらっしゃいませえ」と甲高いしゃがれ声が、リビングの平穏を引き裂いたのだ(手前まだ十歳かそこらの話)。

 「何これえ?」って笑いながら長兄に訊いたらば、ケタケタ嬉しそうに笑ってて、それが彼(か)の名曲“ファミレス・ボンバー”だった。これがスラッシュメタルとの出会い、マシンガンズとの出会い……いや、ヘヴィメタルとの出逢いか。

 それ以前にも“聖飢魔II”や“筋肉少女帯”など、イロモノ扱いされたHR/HMバンドは幾つもいたが──そしてそのどれもが本格的な、本物のHR/HMバンドだったが──“セックス・マシンガンズ”こそは平成ド真ん中を生きた我々の為の、最強のヘヴィメタルバンドであった。



 日テレ「電波少年」のエンディングかフジ「ボキャブラ天国」のエンディングで出会った人も居るだろう、TBS「うたばん」のスタジオトークかNHK「ポップジャム」のカラオケ演奏で出逢った人も居るだろう(「ポップジャム」の“セクシー・ヒーロー・レヴォリューション”観るとあの頃の色々を思い出すぜ)。

 高校で出逢ったブルーハーツ大好きな友達はマシンガンズの2ndシングル“BURN~愛の炎を燃やせ~(1998)”が好きで(カップリングの方の“golden hammer BLACK”は俺っちの一番お気にのナンバー)、学校の教室でよく一緒に歌ったもんだ。大学の友達とは1stアルバム収録の“High Speed SAMURAI”を学校近くのボロいカラオケ屋(マイク入らず壁ボコボコの廃屋みたいな部屋)で「ミサイルよりもぉ(ミサイルよりもぉ)」ってコール&レスポンス熱唱し、その時まさに“北朝鮮がミサイルを発射した”とニュース速報が飛んできて不謹慎ながら笑った事もあった。

 働き始めたら働き始めたで、しんさんと“布袋&マシンガンズ談義”で盛り上がり、すぐさま一緒にバンドを組んだ。しんさんの思い出の一枚は6thアルバム「MADE IN USA(2006)」らしく(兄が持っていたので私も実家でよく聴いていた)、“ZERO”って曲の歌詞が秀逸だとその素晴らしさを改めて教えてくれた。手前は“JUNK FOOD”というナンバーが好きでね、これキッカケでANTHEMの“BOUND TO BREAK”を知ったのだよ(燃えろ!!ジャパメタ)。しんさんは高校の時に組んでいたバンドで“みかんのうた”とかカバーしていたらしく、Unfinished Balladesのリハでスタジオに入った際なども“TEKKEN II”とかピッキングハーモニクスをキュオィイヽンさせて弾いていた記憶があるぜ。



 “マキシマムザホルモン”でも“打首獄門同好会”でもねえ、“SEX MACHINEGUNS”だ。そう、マシンガンズこそが常識だった。ファミレスボンバー?みかんのうた?ギャグバンド?ふざけんぢゃねえ!!あんちゃんは大マヂだ。

 もう捨てちゃったか捨てられちゃったか、その著書名も失念してしまったが、たしか黒バックに赤の題字(だいじ)であんちゃんがメロイックサインをキメている表紙の、音楽誌の連載か何かをまとめたANCHANG'sエッセイ集があって(あったんだよ!)、それを大森のブックオフで100円で何の気無しに買ったらメチャクチャ面白くて、ありゃ我が青春のバイブルだった(ぢゃ何でいま手元に無えんだ!)。

 「“スラッシュメタル四天王(BIG4)”の中ぢゃアンスラックスが一番情けない歌詞だが奴らマヂで演っているので一番好きだ」、「ロブ・ハルフォードがジューダス・プリーストのライヴでハーレーにまたがって登場するのはスゲェダサいが最高だ」、「ディープ・パープルは“バーン”より“スモーク・オン・ザ・ウォーター”よりド直球でおバカな“ファイアーボール”が一番好きだ」的な事が書いてあったはずだが(読んだのが十代の頃、もう15年以上前の事なので、多少の記憶違いはご容赦ください)、この著書名すら忘れた名著のお陰で、私はメタルの何たるかを学んだ、あんちゃんから学んだのだ(あんちゃんの愛車のC3かC4のコルベットも載っていたはずだ!俺らマッスルカーならダッジ・チャージャーの方が好きだがな!がはははは)……いざ買い直そうと思って古本屋やレコード屋の書籍コーナーを見て回ってもこれが無いんだよね、もしかして実家の押し入れの段ボールとかにまだ眠っているかしらん?



 前置きが大変長くなったが、しんさんからのお誘いで“SM Show”に参加してきた。これぞ“SM奇譚(きたん)”?まさに“濹東綺譚(唐突に荷風)”──いや“鋼鉄綺譚”!!“パーセキューション・マニアT(ソドム)”を着てね、何故って俺、ジャーマンパワーですから、俺ら、ヘヴィメタルコマンダーですから(今回のツアータイトルよ)。そのツアー初日、かつて外道がポリスに見張られながら狂熱のライヴ繰り広げた町田にて、速弾きブリッジミュートをザクザクと刻まれ、ピロピロとライトハンドかまされ、ドコドコとツーバス踏まれてきたってんだ。キャパ200人の地下の密室の至近距離で、重金属の爆音・轟音を三時間弱も、久しぶりにこんな耳鳴りが止まねえぜ、これ書いている今も耳が遠いんだぜ、絶対明日起きてからもキーーーーーー(経験者は語る)……それにしてもヘドバンの意味が分かったぜ、メロイックサインの意味が判った、ヘヴィメタルの全てが解ったんだ。これで明日から恐いもん無しだ、怖いもん無しにする為に、頭を振れ!拳を掲(かか)げろ!ヘヴィメタルと叫べ!これは画期的ですよ、依存性の高い薬物ですよ、黒魔術の儀式ですよ、メタルが他の音楽と同じ一ジャンルとして扱われているのが納得いかないんですよ、だって宗教より宗教ですよ、しかも皆が皆勝手に救われる。本当、聴けば聴く程に、歳を重ねれば重ねる位に、あんちゃんがマヂだって分かんだぜ。世間、これでもイロモノか?ヘヴィメタルが、分からんか!!

 人生で五本の指に入る最高のライヴだったぜ、町田。何の曲を演ったのかは、年末のツアーファイナルまで口外すべきでないと思うが、聴きたい曲を幾つも幾つも演ってくれた。それもBPMの狂った容赦無いゴリゴリの演奏と、喉ちぎれんばかりに天まで引き裂いてしまうよなANCHANGの絶叫で……しんさんとまたメタルのライヴに参戦する事を約束した。



 ちなみに己がマシンガンズベストを一枚選ぶなら、2ndアルバムの「MADE IN JAPAN(1999)」であります。V系の嵐が吹き荒れていた当時の空気もそこはかとなく感ぜられ、あの世紀末の不穏な狂騒、特に“illusion city”の刹那・疾走、“Iron Cross”の重厚・悲愴に是非、嬲(なぶ)り嫐られセックス、マシンガンと殺されてみてください。“TEKKEN II”、“MAGNUM fire”、“American Z”、“Operation TIGER”、“ONIGUNSOW”、“Yellow Card”……一曲たりとも攻撃の手を緩めない、重金属による執拗な蹂躙(じゅうりん)で、“にっぽん製(唐突に三島)”を冠するこの名盤に君は、果たして生きて還れるか?



 この非売品・プロモ用「MADE IN JAPAN」を見ろい(販売・譲渡禁止なのに数百円で販売・譲渡されていたんだぜ)!!古着、古本、楽器、CD、レコード、裏ビデオ等々、何でも手に入る“月光堂”という怪しいリサイクルショップが高校の帰り道にあってな、下校時に友達と学ラン着たままよく通ったもんだが、18歳の時にそこで手に入れたものだ……17年前から何一つ成長していない、何も変わっちゃいねえだ、それくらい変な話だ、変わらねえとは変な話だってんだ、そしてそれはこれからもだ──


 全き鋼鉄だからだ。


2024年11月13日水曜日

そのグラムなるもの –人間椅子小論–


池袋のジュンク堂はたまに行く、とても好きな処。ジュンク堂って何か、通路とか本棚とか書架サインのデザインとか、店の全体の作りがどこか図書館っぽくて(公式ホームページによると池袋本店をして“図書館よりも図書館らしい”店づくりを標榜している様だ……確かに此処には“立ち読み”ならぬ“座り読み”コーナーだってある!)、丸善や紀伊國屋やブックファーストほど人混みでごちゃごちゃ・せかせかしてなくて、店内の有線では静かにクラシックが流れていて、すげえ落ち着くんだよね。俺は立川店が一番好きなんだけど、新宿とか吉祥寺よりか少し距離があるのでね、数ヶ月にいっぺんの楽しみとしております(立川に行ったら、ブックオフ→オリオン書房→ジュンク堂のルートが我が定番……これだけで5、6時間は楽しく過ごせる)。



 いや、本屋談義したいんぢゃなくて、池袋のジュンク堂でワジーの選書フェア(人間椅子のワジー自選詩集の発売を記念したイベント)がやっていたので、行ってきたんですよ。平日の陽(ひ)が傾きかけた微妙な時間に行ってきたので、客が俺しか居(お)らんくてね、数時間ゆっくりのんびりと見させてもらいました。おかげさまで、またワジーのルーツを知る事が出来たし(以前、ワジーの自伝本についてもちょこっと書いたっけ)、今や日本より海外の方から注目されている人間椅子という業の深いバンドについて、(その楽曲だとか成り立ちだとか)彼等を見る時の解像度がまたグンと上がりましたワ。



 人間椅子はやはりHR/HM、つまりハードロックかつヘヴィメタルのバンドに違いないが、その随所に東北へと伝わる土着の民謡、太宰を産んだ青森のあの冷たくも熱い残酷な歌謡の血が流れており、或いは以前よりずっと個人的に引っ掛かっていたのが、彼らの耽美的趣味、そのグラムの匂いであった。ん?外道の“香り”であった(♪ゲェ、ゲッゲゲゲ、ゲゲゲゲゲゲゲ、ゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲッ、外道ゥ)。



 人間椅子はグラムバンドでない、そんなん誰よりも俺が分かっとる、が時おり顔出すあの耽美・頽廃主義は何ぞ、と思っていたらば江戸川乱歩だった……そうだ、人間椅子なんだから。何を今さら、それきしのこと、灯台下暗し、無知蒙昧、勉強せい、と云うなかれ。




 さらに混乱さす事を言うが、まあ俺の話を聞いてくれ──BUCK-TICKもちょっと乱歩というか、ゴシックホラーでちょいとグラムなんやね(逆説的に、乱歩にはどこかBUCK-TICK的な世界観があるだろう、“悪の華”的な、ボードレール的な、てか江戸川乱歩はエドガー・アラン・ポーか、“黒猫”か、人間椅子にもそんな曲があったな、と今書きながら気付いた)。だからバンドの方の人間椅子の世界観にも通ずる、という話。初期の“神経症 I LOVE YOU”とかめちゃ好きなナンバーなんだが、というのもハードロック系のグラムロックバンドが演っていても、全然違和感ないやんアレ。結局、グラム歌謡メタル野郎なんよ、俺も乱歩も、ポーもボードレールも、BUCK-TICKも人間椅子も(あと筋肉少女帯も……高円寺心中!!)。




 嗚呼、アリス・クーパーもKISSも聖飢魔IIもX JAPANもマリリン・マンソンも、全部繋がってきた──それ即ちグラム歌謡メタル野郎です。江戸川乱歩が小説「黒蜥蜴」を書き、三島由紀夫が舞台の為にそれ戯曲化し、美輪明宏と一緒に演者として映画に出た──これ則ちグラム歌謡メタル野郎です。



 サイン入り詩集を一冊、買いましたよ(これから読むべや)。あたくし気になる人の選書フェアがあるたび、そのリーフレットを沢山持ち帰ってくるので、もし欲しいワジーフアンが居たら、あげます……命売ります(♪バラババンバ、バラババンバ、バラババンバ)




2024年5月2日木曜日

堕落・続堕落の詩(十二支詩・辰)



あゝ僕、どん/\悪くなってゆく。着るものは段々と色褪(あ)せて擦り切れ、食べるものはどん/\お粗末にその量も減らし、住む処だってボロ家みたく軋(きし)んで傾いてきた。あの人みたいに毎日、衣食住も新たに、立派な生活など出来なかった。堕(お)ちぶれた日常において、この心身もちゃんと落ちぶれた。夜は一時(いっとき)も眠られず、肌は荒れ、心も穢(あ)れ、誰にも相手されなくなった。こんな日々、いつまで続くのかな。ずっと死ぬまで陽の目を見ないで、一人ひっそり消えてゆくのかな。じり/\、じり/\、その時が刻一刻と、今やって来ている最中なのかな。全て知らなんだ!楽しかった頃に戻りたいが、既に色んな縁が切れちゃって、もう二度と無理なの!どうしようもない、どうしてこうなったんだ!僕はいつまでこれ繰り返すんだろう、全くあきれるね。あゝ成りあがれ、為(な)りあがれ──


嗚呼私、どん/\深くなってゆく。着るものは段々と相応(ふさわ)しく洗練され、食べるものはどん/\見極められその度に美味(うま)し、棲(す)む処だって隠れ家みたく妖(あや)しく輝(て)ってきた。あの人みたいに毎日、人間味も消して、不穏な生活など出来なかった。見つけられた日常において、この心身もちゃんと観(み)つけられた。昼に一瞬でも眠られて、肌は慣れ、心も馴れ、誰も相手にならなくなった。こんな日々、いつまで続けられるかな。ずっと死ぬまで奇異の目に曝(さら)されないで、一人じっくり考えていられるかな。じり/\、じり/\、その時が刻一刻と、今やって来ている最中なのかな。全て分かった!知らなかった頃に戻りたいが、既に色んな事が知れちゃって、もう二度と無理なの!どうしようもない、どうしてこうなったんだ!人間はいつまでこれ繰り返すんだろう、全くあきないね。嗚呼堕ちぶれろ、落ちぶれろ──




2024年5月1日水曜日

35歳25歳:Beyond the Burning



「Beyond the Burning」
作詞・作曲:Nori MBBM

Are you burning?
We are burning
Shout the four letters
M.B.B.M

You need cooling
I'm not fooling
Back to schooling
Beyond the burning

Are you burning?
We are burning
Shout the three words
Dogra-Magra-Dogma

Are you burning?
We are burning
Shout the two facts
HR/HM

Are you burning?
We are burning
Shout the one fuck
Beyond the burning

The sky is black
I wanna understand
Past daylight
M.B.B.M

The sky is red
I don't understand
Past midnight
Beyond the burning



 35歳となりました。その年の頃、己が心の師・親鸞上人(しんらんしょうにん)は“如何(どう)であったか”と云うと──

一二〇七(承元元)年(三十五歳)
二月、専修念仏停止により法然らとともに処罰され、越後国府に流罪(るざい)となる(承元の法難)。

 拙宅(せったく)所蔵の資料によると、この通りである。39歳に流罪赦免(しゃめん)となった様だが、その一年一年さぞ長かったろうに。毎日毎日大変だったろう……毎秒毎秒無念だったろう。それを想えば、俺なんて俺なんて──やっと25歳だ!!この半世紀馬鹿野郎が!!





 即(すなわ)ち、いま人生の一大事業に取り掛かっている訳で。これがまた命取りとなる位、もう全てを諦めてしまいたい程、毎日じわじわと、心底しんどいのだが、そこは巳年の牡牛座、人生がその気なら、こっちだってば、毎秒じわじわと、やってやろうぢゃん。だってグラム歌謡ぢゃんメタル野郎ぢゃん?──早ければ来年の今頃に発表できたら良い、と考えている。一大事業、それ迄は頑張って生きようぞ。

三十五歳の彼は春の日の当った松林の中を歩いていた。二三年前に彼自身の書いた「神々は不幸にも我々のように自殺できない」と云う言葉を思い出しながら。……

 みんな大変だったぢゃん──あゝ自殺できぬ自殺できぬと──無様(ぶざま)でも生きようぢゃん。

 神様なぞ存在する訳ねえと云われても──ほら何か思い付いて想像して──創造すればこその神ぢゃん。

 アイム・ア・セクシー・マザー・ファッカー。



 だから無様でも一向(いっこう)死ねないという、そういう道理なので御座居ます。今日は無性に、カツ丼でも喰らいてえな?




2024年4月27日土曜日

復活の日 –跋文–

もうこの本の読者ではないのかもな、と思い始めたのが十年前。もうこの本の読者ではないのだな、と想い至ったのが数年前。だからもう買っていないロキノン、そのJAPAN。先月出た五月号にイエモンの最新インタビューが載っている、という訳で近所の図書館に行った。ライヴ前に。



 2016年の再集結は、再結成というより新しいバンドをまた一つ組んだ感じ、という話の中でアニーさんの云われた「だから『9999』もちょっと、インディーズ的な──すごいでっかいインディーズなんですけど(笑)、そういう感覚はありましたね」という言葉が、成る程そういう事か!!と今のイエモンを理解した想いで、膝(ひざ)を打った。とすると次の10枚目が(二度目の)メジャーデビュー作か、了解した。図書館の破れた椅子で。



 それから喉頭癌(こうとうがん)の放射線治療により、半年声が出せぬ状況下での楽曲制作、「シンプルにならざるをえなかったっていう。ほとんど口笛で作ってたので(笑)」という吉井さんの告白は、今のイエモンの楽曲を“円熟した洗練の極み”とか短絡的に判断してしまいがちな、手前の考えを改めさせた。「今までは客観的な死を歌ってたけど、今は主観的な死を歌うように聞こえてるんですよね、僕はね。」とはアニーさん。東京ドームへ向かった。




 SUPER指定席で観てきたぞ(何とお土産付きだ)。今回の東京ドームは“(バンド史上)過去最多動員らしい”と吉井さんがMCで仰(おっしゃ)っていたが、そんなライヴをスタンド席でなしアリーナの良い席で観られたのだから、それだけで望外(ぼうがい)の喜びと言うべきである。が、(二度目の)復活ライヴという事で、コアなアルバム曲はほぼ演らず、シングル曲やアルバムリード曲のオンパレードであった。いや、演って欲しかった曲は数あれど、超充実した楽しいライヴだった。遂に生で聴けた“人生の終わり”……それも吉井さんの命を削る様な今の声で。



 演奏は勿論(もちろん)だけど──ヒーセおやびん興奮しすぎて一睡もせずに今日の本番を迎えたそう──吉井さんの歌、凄まじかった。数曲歌ってやはり声が掠(かす)れてしまい、時折裏返る処もあったけど、終盤ではまた何処迄(どこまで)も伸びる様な声、裏声、叫び、がなり、圧巻だった。喉頭癌の治療の為に何度も手術を重ね、誰もやった事のない様な歌のリハビリをして、東京ドームで3時間近いライヴを演る……いやはやまったくとんでもない。



 それとこれは縁起でもないが、吉井さんの声がこれからどんな状態になろうと、“Welcome to my Doghouse”だけは格好良く歌ってくれるんだろうな、という事は分かった。あれは、そういう歌だ。良い時も悪い時も、たといガラガラに声が掠れても。






 生演奏ではなかったけれども、VTRで流れた新曲“復活の日”、これは俺達の為の、日本語による、令和における“すべての若き野郎ども”だね。ちゃんと大事な処はグラムロックしてくれるから、つくづくこのバンドを好きで居て良かったと思う。信じていて良かったと。



 暁に果てるまで、で、パーン!!東京ドームに紙吹雪がキラキラと、金銀テープがひらひらと、身長を活(い)かして空中キャッチしましたわよ……Asian boy、Asian boy、もしかして君も、Asian boy?


 ィエッッサー!!


2024年4月11日木曜日

詩集を買いに

都内の桜は先週がピークだった。ここ数日の強い雨風で花弁(はなびら)を落とされ、いま枝に残っているのは丁度半分くらい。



 (イエモンを始めとした)連日のリリース情報も相まって高揚していた心持ち、こちらの方も丁度落ち着いてきたので、ようやっと吉井さんの二冊目となる詩集を買いに、その“詩と言葉展”なるものを観に、渋谷のパルコの地下一階に、踏みしだかれた春の桜の絨毯(じゅうたん)を行った。



 「l LOVE YOU」が灰になる──トーキョーのアスファルトで桜色が灰色に死んでいる、それ見やりつつ、高円寺から渋谷へ着く迄の間、過(よぎ)った言葉たち。吉井さんを初めて意識したのは、その声・言葉・顔を認識したのは、4枚目のシングル“CALL ME”だったから、平成17(2005)年か。とても暗い中学生だった(その後の高校時代ほど、楽しいものを未だ知らない)。


枝切られる 枝切られる
都会では両手を伸ばせない
だから何を抱いていいのか
わからなくなることあるんだ

“人間的”とは何かな?
答えの数が世の中の形


 初めて聴いた時、今日の事を一生覚えているんだろうな、と思った。19年経ってやはり、何もかも憶えているんだな、と知った。きっと最期の最後には、一生忘れなかったな、と思い知る事だろう。

 本当に忘れていたのは平成17年より前、YOSHI LOVINSONを聴いた後に急いでTHE YELLOW MONKEYの音源まで掻(か)き集め、初めて聴いたはずが“LOVE COMMUNICATION”は知っているわ“SPARK”は知っているわ、“楽園”も“BURN”も“SHOCK HEARTS”も“プライマル。”も既に!!何故(なにゆえ)?と思ったら実家のCDレコード棚から学校の帰りに買ったのと同じイエモンのベスト盤が、あゝおかんかおやじかどっちやろ、どっちかやろ?無意識裡(むいしきり)に聴かされていたんだワ、この、グラム・歌謡・メタル・野郎!!



 渋谷のハチ公前では外国人が列をなし、記念撮影に興じていたが、一瞬の隙をついてハチ公の顔を撮ってやったぜ。スクランブル交差点にも、スマホや自撮り棒を持った外国人がわんさか居た。ROSSOの“シャロン”の一節を口の中で歌いながら──あの娘はきっとパルコにでも行って 今頃は茶髪と眠ってるだろう──宇田川町(うだがわちょう)の公園通りを歩いた。



 さっき迄の渋谷の喧騒(けんそう)と真っ昼間の陽(ひ)の光が嘘みたいな、パルコの地下一階の隅に会場はあった。入り口でチケットを買う際、昨日オールでもして一睡もしていないのかという位やる気のないお姉さんから料金と会場内の説明を棒読みで受け、何だか逆に“詩と言葉展”を全力で楽しむ気力が湧いてくるのだった。



 花柄の作詞ノート──吉井さん曰く“お徳用牛肉”──のみ撮影OKだったけど、会場内は基本的に撮影禁止なので、今回の展覧会の内容をあまりここに書けない。書けないけど、そうか、グラム気分の時はそういうワードチョイスなのね、吉井さんも「デッドマン(by ジム・ジャームッシュ)」好きだったのね、それであの曲が出来たのね、道理であの曲好きになっちまった訳だ、と腑に落ちる事しきりであった。



 “愛”とか“星”とか、自分もバンドの曲で使った事があるけど、なるほど吉井さんはそういう心構えで使っていたのね、と言葉の扱い方、詩との距離感も大変参考になった。グッズコーナーのアクスタと展覧会限定T(TALIシャツ)も欲しかったが、少し迷って、お目当てだった詩集だけにした。その“TALI”の相手は元々、エリコだったのか(これから歌う時はこれだな)。で、公式の詩の方は従姉妹の名でもあったのか(俺と同じぢゃん)。



 帰りに再びハチ公前を通ってみたらば、やはりまだ外国人が列をなしていた。私はまた踏みしだかれた春の桜の絨毯を行き、高円寺の家に着くが早いか、買ったばかりの詩集を開き、これを書き始めた。




 今月末、イエモンの復活ライヴが東京ドームで行われる予定だが、チケットはもう取っておいてある。それも良い席のを。