2021年2月26日金曜日

冬眠あけて(8:04-30:00)

8:04

 ゆさゆさと起こされる。また女と音楽の類いが、眼暗(めくら)に光を与えようとする魂胆(こんたん)か。いつも俺を放って置いて、冴え渡って行く空の蒼さ、それもまた女と音楽の類い、の癖に。窓から見えた747の影、この部屋まで轟々とジェットの残響が届いた。あれは羽田空港に行くのだろう。

8:31

 また女と牡牛の類いが、もう少し寝かせて、お茶をいれたワ、テレビや新聞、うるさい、歯磨き、うるさくない、陽(ひ)の光が白くて強い、あゝ重い、反対に寝返りを打つ。布団にて冴え渡らないでこれ認める

 髪、きっと変な形で、ただシャツのボタンを上から留めて、日射しの中を泳いでる糸くず、適当に些細(ささい)に順番に、靴、がつがつやるから折り目ついてる。がつがつ乱暴にやらないで

 俺は君を忘れない。急(せ)かしたって忙(せわ)しくならない。心なくさない、言い聞かす。

9:19

 世界──歩道を区切る白──線を辿りながら、電柱とブロック塀の狭い方を潜(くぐ)り抜け、俺は頬と耳たぶの治外法権、体温に対する天の邪鬼を行使し、誰も居ない神社の誰も踏まぬ蒼き砂利が敷き詰められた境内(けいだい)にて、陽の光が白くて強い、ああ軽い、やっと朝にご機嫌よう。

 俺は二月に馬鹿だよ。だって不思議の国のアリス。惹きつけて儚く、潔(いさぎよ)くナンセンス。

10:04

 レストランでは浮き足立つ、どうしよっか、水の入った冷たいグラス、ナプキンにナイフとフォーク、注意された幼少の癖がカチカチ音を立て、再び心と身体の違和を露(あら)わに、どちらかが大きくなり過ぎた。成長する身体、心がそれ以上になった。

 勉強もスポーツもてんで苦手だ。数値に表されるのが退屈だ。嘘偽(うそいつわ)りなく、誤魔化しの利(き)かない数値として表す──それこそ嘘偽りの、誤魔化しにしか見えない。たくさん集めて抱えた秘密が、そんな分別(ふんべつ)ある訳ない。野暮ぢゃない、俺は彼女との約束を思い出す。

Sint vera vel ficta, taceantur sub rosa dicta.

 風とか影とか、形のないものに形を与える方が良い。然(さ)れど風も影も、勉強とスポーツと仲が良い。残された方の俺は飛行場まで車を飛ばし、空へ直談判しに機上(きじょう)の人となる──勉強もスポーツも苦手なのだから勿論(もちろん)パイロットとしてではなく──或いは翼を焼かれたイカルス。

11:40

 正確には旅客機(りょかっき)と云って、空でそわそわする方の客人(きゃくじん)として、そわそわさせる方から聴き慣れない英語のアナウンス、ポンと云う警告灯、触り慣れない布地(ぬのじ)の、座り慣れない狭い席で、嗅ぎ慣れない印刷インクの、見慣れない表紙の月刊誌ないし機関誌を、不慣れな文字列の多さに漂う。従って、聞き慣れたものも特別な響き、意味深長に持たざるを得ず、ここで聴く音楽は何時(いつ)も、特別な想い出となる──百合、薔薇、さくら、フリヰヂヤ、枝切られる、枝切られる──と書いては両手を伸ばせない、都会では両手を伸ばせない。恐いものだらけ、怖いものなし、今から15歳、いま直結してやる。

12:15

 空に想いを馳せるのは好き──でも、地に足が着いて居るのが良いみたい。

14:06

 君に想いを馳せるのは好き──でも、家で横になって居るのが良いみたい。

15:48

 旅はきっと一番好き──でも、春迄はこの調子みたい。

17:30

 もっと素直であれ、と昔から叱られる。それは素直でなし、ただの我が儘(まま)という事である。心底回り諄(くど)くて、不慣れな文字列の多さにただ酔う。そうして頭が痛むのと同時に、ずんずん眠くなる。未だ特別な想い出が沢山あるけれど、今宵どうでもよい、今から幼少、いま溶解(ようかい)してやる。

19:24

 枕を新しくした、今度は優しく包んで逃がさない奴だ──独りで寝るには丁度良かった。仰向(あおむ)けに寝ながら本を読んでいると、頭が埋まって熱っぽい。前の枕は固くて突き放す奴だった──二人で寝るには丁度良かった。

 春の来る迄に、この枕と仲睦まじく馴(な)れて居るだろうか。冬眠から覚めると、深く寝入(ねい)る事はもう暫(しば)しない。四六時中耳鳴(みみなり)。彼女とはそれきりで、二月も終わる。

19:51

 女と音楽の類い、冴え渡って行く空の蒼さ、夜になって流れて消えて、横になって聞こえた歌が

彼女のドレスは青いヴェルヴェット
それより青い夜のしじま
サテンよりなめらかな
──星の光

彼女のドレスは青いヴェルヴェット
それより青い彼女の瞳
5月より温かい彼女の吐息

愛は僕らのものだった

(中略)

深い深いブルー
青い星のように

独りぼっち

20:21

 終始、抽象的な物言いで御免、やっと醒めてきた。

 俺の正義は、君の正義を疑うこと。俺の正義は、人の正義を疑うこと。俺の正義は、俺の正義を疑うこと。都度、話の腰を折って来る奴は論外であるが、これから誠実に身を捧げるが良い。

 「こうして“冬眠あけて”って御題目(おだいもく)で書いて、何か結論とか目的はあるの?」
 「どうしてまたそんな事を?」
 「質問返しか……結論とか目的とか無いにしろ、とても無様(ぶざま)で不恰好(ぶかっこう)に見えるよ」
 「それが貴方の結論ですか?それを伝えるのが目的ですか?」
 「うん、歪(いびつ)な形で今にも崩れ落ちそうだよ、この話」
 「この様な作中作の劇中劇の談笑で章段を整えようとしているのです、貴方こそ」
 「ああ冷メタ、お前がうらやましいよ」
 「ええ読メタ、貴方がうらめしいです」

 うらやましい、うらめしいを以(もっ)てして、これだけの言葉を垂れるまで──気儘に生きてやって来た。うらやましい、うらめしいなど思ってもみないこと、と抽象的な寝起きの風景──冬眠あけて。うらやましい、うらめしいを眺めていたら、否が応でも心象風景──存在証明。

21:52

 それは握れなかった旅客機の操縦桿(そうじゅうかん)の、不可侵(ふかしん)に輝く仏壇の、鋭さ隠す日本刀の、分厚く重たい金庫の、火薬を抱えたマッチの、甘さ匂わすウイスキーの、狙いを澄(す)ますライフルの、気になって仕様(しよう)がなかった女の、延長線上で肌身離さず弾き語る、もの乞(ご)いの恋だ。

22:07

 寝起きの風景、子どもの頃は不安が過(よぎ)って、外気(がいき)に自ら突っ込んで、身震いし、何度も繰り返しながら忘れて仕舞(しま)えば、心は馴れ馴れしい重たさを含み、一口手掴(ひとくちてづか)み、身軽に、君へと渡そう。

23:20

 運命とは取り引き、対極する生い立ち、磁場(じば)の満ち引き、逆境の形が恋愛の手応え、持てる持たざる組み合わせ、好きになりそう、実(じつ)を言うと先に惚れていたのは相手の方、その先手で掘られた穴、惚れた、落ちた、よくやった、やらかした。

24:31

 あれは大変良いものだと思うが、綺麗なだけだから大した事はなくて、外界からの隕石(いんせき)、重たければ重たいほど、大きければ大きいほど、退(ど)かしたら生ぬるい湿り気、その跡のその後、手え子(てえこ)さ入れて縁(えん)を組み関係する。

25:25

 ギターは男にとって女の身(み)であり、女にとっては男の体であり、それぞれ鳴らされるキーが異なり、詩の詠(うた)われる領域から乖離し、同性間で異端視されれば異性に近付き、高過ぎるものほど、低過ぎるものほど、ラインを越えてやって来る。

26:09

 その声は何かの凝固(ぎょうこ)であり、出産であり、成人式であり、俺は出産も成人式も経験した事ないが故、ゆっくりと引き延ばし、力を込めて力を逃がしながら扉をそっと開けてやり、閉めてやる何時の間にか、音も立てないで大人になって、終(しま)う。

28:44

 中途半端を愛しながら、中音域(ちゅうおんいき)の増幅をしながら、高音と低音とを補い、運命の人は必ず歴史的な争いを齎(もたら)し、不穏な予兆の味わい深さに唸り、邪道から車道へ大通り、王道の真ん中で横たわり、自然的完全体つまり究極的受動態として、何回も轢(ひ)かれる、肌身離さず弾かれる、命運の両極に惹かれる、岩石ですら退(ひ)かれる、斜に構えた新しい線を引かれる、終焉。

29:55




 冬眠あけて。
 蒼消えた。

 次の日。
 また。

 朝。

30:00


2021年1月22日金曜日

それはもう牛の歩みで

偉大なるロックスターのデヴィッド・ボウイ曰く、「溢れんばかりのポップセンスを素晴らしく悲しみの感情と結び付ける、彼はアメリカの宝だ」と。ギターロックの歴史を今の今まで塗り替えてしまったカート・コバーン曰く、「地球上で最高のソングライターだ」と。



 そのカートが1992年のMTVアワードで“ハイ、ハウ・アー・ユー”Tシャツを着ていた事により、名前すら知らなかった若者の間でも一躍有名となった天才宅録シンガー、ダニエル・ジョンストン。私自身、初めて聴いたその日からもう、一足飛びに好きなど超えて「これは俺だ!!」となり、以前にはサウンドクラウドの方でも、今回とは別曲の日本語カバーをアップした事があります(良かったら聴いてみて)。
 
 ダニエルのアルバムを聴いた後は必ず、何でロック演ってんだっけ?何でバンド組んでんだっけ?何でギター弾いてんだっけ?何で歌ってんだっけ?何で音楽やってんだっけ?と根本的な諸々の問い質しが始まるのですが、それは彼が私よりかそういった疑問を持たないで、直向(ひたむ)きに音楽を演り続けていた為である、と思われます(良し悪しの話でなし、音楽への向き合い方の違い)。
 

 そんなダニエルの真骨頂と言えば、“ローファイの極致”とも云うべき不明瞭な音質のカセット形態で発売された80年代の作品群になるんだろうけど、それより少し垢抜けた90年発売の11作目「1990」が個人的に一番好きなアルバムであります(当時、ダニエルの精神状態は最悪だったみたいだけど)。これもローファイなデモ音源並みの音質と言えばそうなのですが、スタジオレコーディングやライヴレコーディングの寄せ集めであるが故、今までの不明瞭な宅録よりかは聴き馴染みの良いサウンドで、一番心地好いのです。

 それより後に出た94年のメジャー盤「ファン」まで行くとやり過ぎで、ダニエルの脳内にある雑然とした夢の箱庭を明らかに区画整理してしまった感があって、ダニエルの曲を聴いているというより、あるインディーバンドの曲をダニエルがゲストでボーカルだけ演っているみたいな寂しさがあるのです。普通に良いアルバムなのですが、ここがダニエルの桃源郷か!とはならぬ。
 
 従って今回の我がテーマは、90年のスタジオレコーディング作品「1990」の一番心地好いアレンジで、83年の宅録カセット作品「ハイ、ハウ・アー・ユー」収録の“ウォーキング・ザ・カウ”を演るという事です。



 但し、この私が演ったものですから一筋縄では行かず、イメージとしてはヴェルヴェッツのモーリン・タッカーのリズムで、クイーンのフレディーによるオペラが上演されて、主演のボウイとボランがオクターブ歌唱を披露するという、どうやったってどうしようもなくグラム歌謡メタル野郎です。

 演奏は基本的にシンセ、トイピアノの弾き語り。冒頭の牛の鳴き声の後の情けないフレーズは、トランペットの音色でシンセ手弾き。原曲だとダニエルのコードオルガンが全編にわたって使われているらしいので、私は異なる音色の異なるアプローチでトライいたしました(ただ原曲とかけ離れ過ぎるとそれはそれで白けてしまうので、トリビュートアルバムの中のスベッている曲みたいにならぬよう、最終的にはオルガンの音も全編に渡って重ねました)。

 それとトイピアノだけだと寂しかったので、件(くだん)のモーリン・タッカー的なリズム、パーカッションとして、己が人生初バンド・MBBMの解散ライヴで使った黒いタンバリン(ミッシェル風に言えば“ブラック・タンバリン”)をチャカチャカチャカチャカ振りました。我がトラックについては以上で、原詩と日本語訳詞もいつも通り此処に置いておきます。


「Walking the Cow」
作詞・作曲:ダニエル・ジョンストン

Try to remember
But my feelings can't know for sure
Tried to reach out
But it's gone

Lucky stars in your eyes
I am walking the cow

I really don't know how I came here
I really don't know why I'm staying here
Oh, oh, oh-oh-oh
I am walking the cow

Tried to point my finger
But the wind was blowing me around
In circles
Circles

Lucky stars in your eyes
I am walking the cow

I really don't know what I have to fear
I really don't know what I have to care
Oh, oh, oh-oh-oh
I am walking the cow


日本語詞:Nori MBBM

思い出してみても
気持ちの形わからない
手掛かりは
消えた

Lucky stars in your eyes
I am walking the cow

何でここに来たのかな
何でここに居るのかな
オーオーオオオー
I am walking the cow

指差してみても
風の在り処わからない
サークル
さあ来る

Lucky stars in your eyes
I am walking the cow

何で怖いのか分からないし
何で気にするか分からないし
オーオーオオオー
I am walking the cow

Lucky stars in your eyes
Lucky stars in your eyes

Lucky stars in your eyes


 
 最後に、ダニエルのドキュメンタリー映画「悪魔とダニエル・ジョンストン」を観た事はありますか?貴方の人生にも何らかの作用をもたらす様な(きっと毒か薬となる)最高の映画なので、良かったら観てみてください。最高の音楽ドキュメンタリー映画で他に思い出すのは、ミチロウさんの「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」ですが、あれはダニエルと正反対の方へ突き抜けた人間の衝撃があって、実家の玄関で“お母さあん、お母さあん”と連呼して、ミチロウ母が出て来てから親子で語り合う流れはめちゃくちゃ脳裏に焼き付いており、ずっと忘れる事が出来ません。

 話をダニエルの方に戻すと、彼はどんどん童心の方へと突き進んで行ってしまい、アメリカのご長寿アニメ「ザ・シンプソンズ」の作者マット・グレイニングと楽屋で話した後に“やったー!!”と子供さながらに全力で喜ぶ姿は、愛くるしい以外の何者でもなく、自身からポーズとか染み付いた癖や余計なものを取っ払ったら俺もダニエルになるんだろうな、と反省してしまいました(これから生きて行く上で不便が多くなるので、そんな事はやっぱりしないんだけども)。而(しこう)してミチロウさんもダニエルも生涯、心の友であり続ける事でしょう。いつも心の両端にぽつねん、と棲(す)まわせておきます。迷ったら話しかけに行く関係、詩集やCDレコードによってね。
 


 改めまして、お誕生日おめでとう、ダニエル・ジョンストン!!
 
 あなたの誕生日が大好きな“マウンテンデュー”で溢れ返ります様に。
 
 May your birthday be filled with “Mountain Dew”.
 
 Your friend,
 2021.1.22(Fri) Nori MBBM

 
 
 そういえば、幽霊を見た事は人生で一度も無かったが、金縛りには数回遭った事がある。端(はた)からはどちらも自業自得であろうが、この私以外にも歴(れっき)とした中国の古典、或いはそれを翻案した中島敦の短編に、同様の怪奇現象を見つける事が出来る。
 
 中島敦の「牛人」と云う昭和17年(1942年)の作品を御存知であろうか(「山月記」は学校で読まれた人も多いと思うが、こちらは“虎”でなし“牛”)。部屋の天井と人間の表情に寄り添う黒い牛に似た者、その優しさと残酷さの比例関係、因果関係を読んで見てほしい。そして改めて、私は私の金縛りを思い出す。
 
 幽霊を疑う事は一度も無かったが、奇怪を嘲笑う夜には必ず動けなくなったのである。今となれば、私こそが黒い牛なのです。目の周りが凹んで、獣の様に口を尖らせた、せむし男なのです。形態を変えないで、中身は掏(す)り替える、黒い牛なのです。令和三年の丑年に、それはもう牛の歩みで……

 
 それでは次回のカバーMVで、いずれまた!!(もう1か月ほど金縛りにかかろうぞ……zzz)
 
 

2021年1月1日金曜日

令和三年“気韻生動”

明けましておめでとうございます、丑年



 気韻生動
 ──being animated with grace

 生きる作品、歩く絵画、食べる散文、眠る物語、起きるポエム

 令和三年のテクスト、我こそは


 本年も宜しくお願いいたします


 2021、Are you burning?


2020年12月31日木曜日

令和二年“逍遥自在”完了

みずからの現在に焦燥し、過去に恨みをいだき、しかも未来を奪い去られた、そういうわれわれの姿は、人類の正義あるいは憎しみによって鉄格子(てつごうし)のなかに暮させられている人々によく似ていた。結局のところ、この堪えがたい休暇から免れる唯一の方法は、想像によって再び汽車を走らせ、実は頑強に鳴りをひそめている呼鈴の繰り返し鳴る響きで、刻々の時間を満たすことであった。
 しかし、流刑といっても、大多数の場合、それは自宅への流刑であった。
-ベルナール・リウー

 皆様、本年も一年有難う御座居ました。今年の年賀状で元旦に掲げた我がスローガン、何だったっけ?



 個人も国家も数多の場面で思い通りに行かない一年であったが、良くも悪くも世界中の足並みが揃い、初めて白紙状態から時代に取り組んで行ける、というこの稀有(けう)な感覚は、生きている甲斐があったというものです。皆様、もう浮世離れはOKね。


 “逍遥自在”、完了。


2020年12月30日水曜日

あんたの踏み石にはなんねえぞ!!

ところが、同時にまたペストは、彼らを閑散な身の上にし、陰鬱(いんうつ)な市内を堂々めぐりするより仕方がなくさせ、そして来る日も来る日も空(むな)しい追憶の遊戯にふけらせたのである。なぜなら、当てもない散歩のおり、彼らは結局いつも同じ道を通ることになり、しかも、たいていの場合、こんな小さな町では、その道がちょうど、別の時代に、いまいないその人と一緒に歩きまわった道だという結果になるのであった。
 そういうわけで、ペストがわが市民にもたらした最初のものは、つまり追放の状態であった。
-ベルナール・リウー

 どうも、“グラム歌謡メタル野郎”ことノリ・エムビービーエムで御座居ます。前回はジュリーでグラム歌謡、今回は令和二年の集大成にメタル演ろう、だ。



 彼(か)の猿こと“ザ・モンキーズ”のカバーである(ポール・リヴィア&ザ・レイダースが半年先に演っているが、最も有名なのはモンキーズ盤なのでね)。もともと彼の猿達は、英国の甲虫こと“ザ・ビートルズ”に対抗して、米国にて組織されたロックンロールバンド集団で御座居ます。

 ロック音楽史において、ビートルズより文化・芸術的な功績を称えられるものは中々お目に掛かれませんが、モンキーズもまた“大人達に作られたモンキービジネスなアイドルバンド(お猿に掛けたっ座布団一枚!)”として、こと芸術的な側面は見過ごされがちであります……しかし、♪ずっとゆめぇをみて~のキヨシローをはじめ、様々なロケンローラー達から未だにカバーされ続け、リスペクトというより愛されまくっているバンドで御座居ます。


題:ソーシャルディスタンスないしステイホームよりメタル野郎 by Nori MBBM

 今回取り上げた楽曲「ステッピン・ストーン」のカバー例だけでも、セックス・ピストルズやミッシェル・ガン・エレファント、そして“グラム歌謡メタル野郎”なローリーさんら錚々たる顔ぶれで、私は大好きなそれら全てをミックスし、いつも通り自ら和訳した詩を付けて演りました。具体的には、ピストルズのジョニー・ロットンのライヴでの即興歌唱、ミッシェルのアベさんのギターリフにチバさんのシャウト、ローリーさんのゴシックでメタルなリードギターとシンセのフレーズ等々……全てを継いで接いで最早「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」であります。恒例、原詩と我が日本語訳詞も載せて置きます。


「(I'm not your) Steppin' Stone」
作詞・作曲:トミー・ボイス&ボビー・ハート

I, I, I, I, I'm not your steppin' stone
I, I, I, I, I'm not your steppin' stone

You're tryin' to make your mark in society
You're usin' all the tricks that you used on me
You're readin' all them high-fashion magazines
The clothes you're wearin', girl, are causin' public scenes

I said I, I, I, I, I'm not your steppin' stone
I, I, I, I, I'm not your steppin' stone

Not your steppin' stone
Not your steppin' stone

I, I, I, I, I'm not your steppin' stone

When I first met you girl you didn't have no shoes
But now you're walkin' 'round like you're front page news
You've been awful careful 'bout the friends you choose
But you won't find my name in your book of Who's Who

I said I, I, I, I, I'm not your steppin' stone (no girl, not me)
I, I, I, I, I'm not your steppin' stone

Not your steppin' stone
I'm not your steppin' stone

Not your steppin' stone
Not your steppin' stone
Not your steppin' stone
Not your steppin' stone…


日本語詞:Nori MBBM

I, I, I, I, I'm not your steppin' stone
I, I, I, I, I'm not your steppin' stone

世の中に認められたいね
汚れた手でも構わないね
余は満足じゃ、なんてね
みんな欲しがる服と言動で

I, I, I, I, I'm not your steppin' stone
I, I, I, I, I'm not your steppin' stone

Not your steppin' stone
Not your steppin' stone

Not your steppin'

Not your steppin' stone
Not your steppin' stone
Not your steppin' stone
Not your steppin' stone

Not your steppin' stone
Not your steppin' stone
Not your steppin' stone

Steppin' stone

I, I, I, I, I'm not your steppin' stone
I, I, I, I, I'm not your steppin' stone

俺と会ったら普通なのに
馬鹿と何か競い合ってる
世の中のお気にの友達
馬鹿な俺の名はそこにない

I, I, I, I, I'm not your steppin' stone
I, I, I, I, I'm not your steppin' stone

Not your steppin' stone
Not your steppin' stone

Not your steppin' stone
Not your rollin' stone

Not your steppin' stone
Not your fxxkin' stone

Not your steppin'



 俺を踏み台にしたあ(今回の俺らの服、色合いが“黒い三連星”)?いや、この歌で言いたい事は唯一つ、あんたの踏み石にはなんねえぞ!!ってね(三連星に掛けたっ座布団三枚!!!)。


黒のサバスTでキメてトニー・アイオミ咳込みパラノイド気分

 服装に関しては、まず古着で手に入れた色んな意味でグレーなナポレオンジャケットね。これは“ドイツ民主共和国国境警備隊”の制服で、かつてドイツやベルリンの西側へ亡命する人達を監視していた東側の警備隊のジャケットその実物になります。しかも前に着ていた人物がハードコアだったのか、随所に角鋲や“G.B.H.”のペイントなどが施されております(やはり古着は歴代の持ち主の情念を感じるね着ちゃうよね来ちゃうよね)。

 前々回のカバーMV「夢は夜ひらく」で、俺の生まれた年にベルリンの壁が崩壊したこと、それが何を象徴して現代へ至っているのかについて歌ったんだけど、最近はまた世界中が各人各様に壁を作り始めて、令和二年の年末の高円寺の奴と、東ドイツで国境警備をしていたベルリンの壁の奴と、俺の中でいま二人が一人になってこれを着た訳。断じて社会主義者ではないが、形骸化した我が国の資本主義を今年で終わらせる為(これも「夢は夜ひらく」で表明済み)。好きな音楽も車も映画も服も文学もサブスク・データ化、何も持たずに分かち合おうってか(イヤン)!!

 マルクスの続きに取り掛からないといけない──いけないと言っている時点で、面倒くさくて骨が折れると思っている。経済の成長なんて止(や)めないといけない──成長は止まっているけど、欲望は今も大きくなるばかり。国家は幻想──個人と一緒、僕の後遺症。

 俺は俺のブランドを止めろ、と俺に言わなければならない。俺は俺に無駄遣いを止めろ、と言わざるを得ない。俺は俺のMBBMのミスターバーニングビッグマックのパティのビーフの多頭飼育の畜産業を脱しなければならない、という自己紹介の矛盾に来年は丑年。矛と盾を抱えたまま地球とか人や牛に優しさを示さなければならない、という矛盾も矛盾で来年は丑の年。

 このブログは何を壊し、誰の首を絞めているのか、改めて考えて居る。そこから少しずつ変わって行ける、と本気で思っている。私は必要不可欠であるべき、ならば私の不必要を減らせ、と息苦しくなってきました、グレーな領域が許されなくて。

 グレーなナポレオンジャケットを着る事だけは許して!!人民服を着るかどうかは国でなしに俺が決めるから!!

 後はメタル野郎な黒のサバスT、数年前に高円寺の友達がくれたブラックスキニーカーゴパンツ、日本ではドクターマーチンほどの知名度は無いがロッカー御用達の“ゲッタグリップ”のエンジニアブーツ等を着用(俺のはサブスクでシェアできないね)。これで完成、俺・メタル・2020冬(夏のはコチラを参照ね)。



 それでは令和二年よ、有り難う!!世界的な疫病よ、新型コロナよ資本主義よ、左様なら!!

 来年もグラム歌謡メタル野郎、演ろう。


 ドグマッイヤァオ


2020年12月17日木曜日

“This is real, not nostalgic.”

おまえ、葡萄(ぶどう)の木よ。なぜおまえはわたしを讃(たた)えるのか。わたしはおまえを切ったのに。わたしは残酷だ、おまえは血を噴(ふ)いている──。おまえがわたしの酔いしれた残酷さを褒(ほ)めるのは、どういうつもりだ。
 「完全になったもの、熟したものは、みな──死ぬことをねがう」そうおまえは語る。だから葡萄を摘む鋏(はさみ)はしあわせだ。それに反して、成熟に達しないものはみな、生きようとする。いたましいことだ。
 苦痛は語る、「過ぎ行け、去れ、おまえ、苦痛よ」と。しかし、苦悩するいっさいのものは、生きようとする。成熟して、悦楽を知り、あこがれるために。
 ──すなわち、より遠いもの、より高いもの、より明るいものをあこがれるために。
-ツァラトゥストラ

 ここ数日で急に肌を刺すくらい冷え込んでまいりましたね、師走だろうとマイペースなノリ・エムビービーエムです。我がカバーMVも27本目となりまして、27本ですからね、27、にじゅうなな、にーなな……ニーナ、オーニーナ!!



 という訳で「追憶」です、ジュリーです。私にとって、あらゆるものの理想形は“王道を行く全能感”であり、これ即ちジュリーです。サブカルチャーでもカウンターカルチャーでもなく、堂々たるメインカルチャーです。

 吉井さんが2007年の別冊カドカワのインタビューで、自身の8枚目のシングル「シュレッダー」が持つ楽曲的要素について、“ミッシェル・ポルナレフみたいな感じ”、“フレンチっぽくて、歌謡曲っぽくて”、“沢田研二さんな感じも”と云っておられましたが、ジュリー自体がまさにそう言えるし、歌謡曲でシャンソンで(言語は違えど意味は同じだ)、時にハードロック、ハードにポップでもあり、過剰で偏執的かつ光輝くグラムな存在なのであります(吉井さんのザ・イエローモンキーもそう)。

 つまり、グラム歌謡メタル野郎にとってジュリーやロビンは超自然的な存在でありますが、さらに、世間一般にとっても“王道を行くロックスター”であり、そこが尚更尊敬の念を禁じ得ない処なのであります。滅茶苦茶にマニアックで特級呪物のフェティッシュなのに、何時も大衆の眼前に君臨して居る、その佇まいが堪らんのです。恐らく、陰と陽のどちらも併せ持った状態であり、その器の大きさや懐の深さ、真面目に不真面目で健康不健康な処が、大好きなのです。


歌詞に“白いバラ”とあるので白薔薇を──花言葉は“純潔”、“相思相愛”

 そんな王道を行くロックスター・ジュリーの歌う曲はどれも、煌(きら)びやかに麗(うるわ)しく、雅(みやび)やかに芳(かんば)しく、妖艶で豊潤な、重層的構造を成しておりますが、「追憶」はその最たるものではないでしょうか。ロックともバラードとも歌謡曲ともシャンソンとも言い切れず、まったくその全てである。全てを股に掛けて居る楽曲である。

 ジュリーにしてもイエモンにしても、原曲が理想的で好き過ぎるが故、カバーのアレンジや意義を見出だすのに苦労するのですが、今回は思い切って弾き語りアレンジでやってみました。作曲の加瀬さん(ワイルドワンズ)もアコギ一本の弾き語りでこの曲を作ったのかなと思うし、絢爛に着飾った原曲を本来の肉体美に戻して、生々しく曝(さら)してやる、という算段で御座居ます……まあアコギ一本と言っておきながら、アナログな手弾きシンセを多重録音で入れまくりましたがね(個人的にストリングスとか頑張ったから聴いてみて)。


100年以上前の壁掛け時計も……んゝ追憶(MV冒頭で唸っております)

 今回の撮影場所は、西荻のとあるカフヱーで御座居ます。壁にはびっしりアンティークなハードカバーやカップ&ソーサー、コーヒーミルに一世紀以上前の壁掛け時計、世界に二脚しかないヴィンテージな椅子等々、とても素敵な雰囲気のカフヱーで御座居ました……あ、“カフヱー”というのは大正浪漫気分になってしまったので、小さなカタカナの“ェ”が読めなくなってしまい、つい(ボディーを“ボデー”と言う爺さんが如く)。


筆者による三島由紀夫“薔薇刑”ごっこ

 カバーMVするに当たり、「追憶」が発売されてから四ヶ月後の昭和49(1974)年11月に放送されたジュリーのラジオ番組なんかをYouTubeで聞いたりもしていたんだけど、作詞をされた安井かずみさん(ZUZUさん)のとびきりチャーミングなこと。学生時代にZUZUさんのアルバムを買って聴いたり、お写真を見たりして、もっとクールビューティーで退廃的な御方だと思っていたら、ユーモラスでお茶目で可愛らしく、ますます好きになってしまいました。


 ちょうど旦那さんである加藤和彦さんの傑作“ヨーロッパ三部作”を聴きながら、好い気分のまま筆を置きたいと思います。それではご機嫌よう♪