2023年5月31日水曜日

裏・平成三十階段



「字於世代之問題」
「ジニオケルセダイノモンダイ」
「じにおけるせだいのもんだい」
-谷川俊太郎

 世代論は嫌いだ──いや人に纏(まつ)わるものだけは。文化だとか文字だとかなら寧(むし)ろ好きだ──私の事は一言も話すな。良いか、決して話すな!!


2023年5月18日木曜日

卓上即興(18歳の谷川少年に感化された詩)

エレクトリックギター
己が手により
物の怪の類い呼び寄せる

アンプリファイヤー
彼等の波動を
何倍か増幅して世に放つ

マイクロフォン
手前が声帯を
彼の生態に沿って震わす

マルチトラックレコーダー
幾重もの因果
応報となる様な逢い引き

フェーダー・イコライザー
遥かなる逢瀬
美化されゆく我が想い出

アーユーバーニン?
未だ燃ゆるわ
灰の中に契機が有るぞえ


ドグマッ


2023年5月17日水曜日

「俺が眼ん玉は中也とカズキの両の眼のダブル・アンコールぢゃ」

僕はあなたがたの心も尤(もっと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに


 詩を詠(よ)むのに吟(うた)ふのに、リヅムキープとか千分の一秒とか馬鹿ぢゃねえの?だから中也だカズキだ、クリックやらプロツールスを無下(むげ)にする音楽だ。だって音楽を無下にするのが、クリックしたがるプロの何某(なにがし)だらう?



 かつて俺が眼ん玉は文学的に盲(めし)ひられた──左を谷崎に右をバタイユに。いつか音楽を嫌いにならないで居る為、さうした方が良かった。

 そして俺が眼ん玉はダブル・アンコールぢゃ──片方は中也の、もう片方はカズキの。ずっと音楽が好きだという導線を引く為、文学はいっそ詩となった。


中也自選の、生前唯一の作(右)、と没後唯一の作(左)
※写真はどちらも平成九年刊の文庫版

 文学は物語の為に忘れられないし、音楽は忘れられない様に聴き続ける繰り返し、したらば詩なんてもんはその中間、せやんなあ中也?

 昔読んだのだけれどスッカリ忘れてゐた、在りし日の歌。今回カズキの旋律で歌ってみて二度と忘れ得ぬ、山羊の歌。

 詩とは悉(ことごと)く忘れられるものぞ、繰り返し。詩とは読むより詠まれる為に在るものぞ、繰り返し。これでもうわかったか?遂に心底思い知ったか?


仏文学に造詣のある中也に因み、また画家としての顔も併せ持つカズキに因み、フランス留学していたとある洋画家の、大田区は蒲田にある某アトリエにて撮影

 いつかの今日、泉谷しげるのカバーを演ったんだけど、それと言うのも5月17日がフォークでロックな友達のお誕生日であるが故、であるが故に、今回は今回で友川さんのカバーを演ってやったの。

 彼の名曲“生きてるって言ってみろ”とか“トドを殺すな”とか、俺らが昔やってたMBBMってバンド内でも流行ってね、よく話題にしてゐたから、いつか必ずカズキのカバーをしようと思ってゐたの。己が心より敬愛する世界一の歌姫・ちあきなおみへ提供した“夜へ急ぐ人”なんか情念が怨念(おんねん)と化して最早(もはや)ホラーで最高にトラウマよ……しかし今回“サーカス”を選んだのは、最近また中也を読み返してゐたから。あと前回が“ピエロ”の歌だったからね、今回は“サーカス”の歌って訳。


 それにしても友川さんの四枚目「俺の裡(うち)で鳴り止まない詩(もの)」である。誰かが既成の詩に自らが毅然(きぜん)と曲を付ける、不可逆の成功。則ちカズキの旋律と絶唱を聴く前の世界に我等、もう二度とは帰れない。全くミユヂシヤーン冥利に尽きる。つうか俺も絶対に演るわ、いつか必ず室生犀星の詩に。

 詩集「山羊の歌」の冒頭を飾る“春の日の夕暮”の、カズキによるカバーその絶唱も、俺は頗(すこぶ)る演りたかったけんど。或いは“六月の雨”かな、名盤「俺の裡で~」の中で一番ロック度数が高いんでなあい?いつか人間椅子のワジーがカバーしてくれねえかなと密かに願ってゐるよ、それくらい相応(ふさわ)しいと思うワ。

 然(さ)れどもやっぱり、中也の代表作“サーカス”にしたよ。カズキの弾き語りライヴを参考に、でも楽曲のキーはレコード音源と同一に、ギターソロなぞは手前の勝手にしやがれってね。それから冒頭に“汚れつちまつた悲しみに”も詠んでやったよ。中也といえばこれなんだらう?ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。


 で、俺といえばこれなんだやう……アヱユウブアニン?ドグマッ


「カズキさんの眼は中也の眼のアンコールぢゃ」by 中原フク


と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!
-中原中也




2023年5月3日水曜日

子供ぢみた汚い詩

その子供の父と母は、我が両親は、谷川くんと同じ十二月生まれであります。

仕方なく僕はひとり神話を空想する
〈一杯のクリイム・ソオダをストロウでかき廻して国が出来た 全く新しい 全くすき透った国が出来た〉

 白と黄と緑と青の鮮明な季節は、谷川くんに不快で、ぐちゃぐちゃに掻(か)き混ぜられ、濁(にご)った処の五月病──この病名を考案した者のセンス・オブ・ワンダー──が、この子供ぢみた汚い詩が、僕を不快にさせる事で初めて証明される春爛漫、あゝ五月かな、五月かな。

天上からの街頭録音のために僕はたくさんの質問を用意している
しかし地獄からの脅迫のために僕は武器をもたぬ

 今日は憲法記念日であります。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重をするであります。神様など居ません──私が私の生活を守る為に生きるのです。輪廻も転生も有りません──冷静に平静に人生を考えるのです。天上の街頭録音も、地獄の脅迫も、平成の、あ、いや、令和の時の世の、貴方たった一人の行いです。

やがて忘れられた戦禍のイメエジが雲をよび
五月の無智な街路に僕はバック・ギアをいれる

 左様、さようなら。退(ひ)きなさい、君の居る場所ではない。

 俺は無智だから五月、トップ・ギアに入れる。


 谷川くんの居る十二月まで駆け抜ける!!


2023年5月2日火曜日

男女と水と油の詩(十二支詩・卯)



男の私が油なら
女の方は水なのか
であるから馬鹿には出来ぬと
水無しで生きてはゆけぬと
油なんて無くてもね
有った処で有り余ってね

私は全く持て余し
身体に悪いとぶく/\肥(こ)える
彼は全く健康的
彼と彼の姉を見て思ふ
彼の情念は流るるやうに
私の不健康を嘲笑(あざわら)ふ

いゝだらう、いゝだらう
私の不健康はいゝだらう
声高らかに笑ひ飛ばし
実は隠れて飲んで升(ます)、水
彼の姉だってみる/\内に
どろ/\するは弟より、油

君と私で交(まじ)はらぬ
はっきり水と油なら
これが不思議とセックス・ファック
どんより水と油から
ばち/\跳ねるを見た事あるか?
飛び込む水と油やら

あんた油気取りで
良い気なもんさね、と女
水に油が浮いてるね
私も油を売ってやる、と男
誰があんたのものなんか
水が飲みたいのよ、み・ず・が


男の私が油なら

女の方は水なのか

であるから馬鹿には出来ぬと

水無しで生きてはゆけぬと

油なんて無くてもね

有った処で有り余ってね




2023年5月1日月曜日

34歳26歳:笑って申し訳ありません、病気なのです

全く忌(い)まわしい男、桃井銀平と同じ34歳になった。しかし私はトルコ風呂なぞに行かない、一度も娼婦と遊ばない。そればかりかタバコも吸わない、一本たりとて喫(きっ)しない。ギャンブルもした事ない、これは手前の生活が賭け事みてえなもんだから。みんな嗜(たしな)みとして格好のつく時代もあったやもしれぬが、私には全く以て余計なこと。ロッカーなら「ヤレよ」「吸えよ」と何百回言われたか、そんなダセーロッカーなら即死しな。即ち死ぬまで俺と縁がない。別にわたくし酒は呑むが。それから桃井銀平ですらやらなかった酷い事だって沢山してきた。人に言うには憚(はばか)られる。彼と同じ34歳になれそうもない。全く忌まわしい男、26歳になった。



だから道化師も言っている。「人間との交際は性格をそこなう。ことに性格のないやつの性格を」と。

 どうやらこれにて“我がロック四天王”のカバーMV、無事完了す。


 願望が形に成っただけ、心象風景を皆様へ見せられる様に為っただけ。それだけの為に生きてきたの、産まれてきたの。そう、誕生日に思う。確実に老いてゆくのだが、着実に上手くなってゆく。皆様が気付かぬ処で、音楽も文学も意のままに。本人の成長は当人に一つも嬉しくない、その一つの何倍か恥かいて。そう、誕生日を想う。

未来と、最も遠いこととが、君の「今日」の原因であれ。君の友の内部に、君は君の原因としての超人を愛さねばならぬ。

 ここんとこギターばかりだったもんで、しばらくぶりにピアノひっぱりだす、そんなカバーMVす。原曲と一味違う演奏を聴かせてあげよう、だってトイピアノの高級に成れない高尚に為らない音色が好きさ、“Let's Play Music♪”とポップなフォントが踊るオラの御自慢のヤツが火を吹くぜ(ガンバレ中華製)。

 こんなのピエロにしたら朝飯前さ、ピエロといったら“ジョーカー”さ、2019年のホアキン・フェニックス版さ──登場曲は勿論、ゲイリー・グリッターで「ロックンロール」★★★★


Forgive my laughter: I have a condition.

わたしの兄弟たちよ、わたしは君たちに隣人愛を勧めない。わたしは君たちに遠人愛を勧める。
 ツァラトゥストラはこう語った。
-フリードリヒ・ニーチェ