2019年12月31日火曜日

骨まで平成31年、愛して令和元年

じぶんの力で励んで積みあげる善だというのでしたら、念仏をさし向けてじぶんの父母をも助けようとされてもよいでしょう。けれどひたすら自力を捨てて、速やかに浄土のさとりをひらいたのならば、六つの境涯、四種の生まれ方の世界のすべてにわたって、どんな業苦(ごうく)に沈んでいるものにも、神通方便の力によって、なによりもまず縁のあった者から救ってあげるべきです。と云々。
-唯円房

 手前の判断より、何となしに優しくしてしまうこと、親しくしてしまう不思議、それとは逆に、疎遠にしてしまうこと、思議と異なる冷たい仕打ちをしてしまう不思議、多々あり。手前は一体、何がしてえのだ、と情けなくもなるが、他力の理論、で一切の片(かた)が付く。縁のあった者から救ってやれ、過ぎし日に言い聞かす──きみ悟れ。



 出逢いに正否は無いかも知れぬが、良い人だったな、厭な奴だったな、というのは誰にでもある。思う所あるし、想われる処もある。良い人だったか厭な奴だったか、誰かにとって自らもまた。でも厭な奴ってのは、案外良かったのかも知れぬ。どうでもいい、これが一番悲しい事だから。縁のあった者から救ってやれ、過ぎし人に云い聴かす──きみ仏なれ。



 無理です無理です、まだまだです。苛立ちますし、むかつきます──きみ人なれ。



 とりあえず、骨まで愛して。骨まで愛して平成、えゝ愛しますとも令和。



 2019(平成31/令和元)年はオルタナティヴな一年でしたので、歌謡は歌謡でもノイズまみれにしちゃったので歌謡、左様。ノリの演歌はノイズ演歌、あぁジャイアン遠くなりにけり(たてかべ和也、いずこ)。



 “村田英雄”に“三波春夫”、“クールファイブ”や“ぴんからトリオ”、“青江三奈”だ“ちあきなおみ”だ“藤圭子”……その他、B級カルト歌謡、ムード演歌、カバーしたい曲は山あれど、いっぺんには出来ませぬ、故に、コツコツとやってゆくだけよ。



 生きている限りは未だ生きた事なく、平成に居ながら平成が見えず、令和元年が完成しそうで、文脈の中で意味を持ちそうだ。

 だから今ここで、骨まで、骨まで愛してほしいのよ

 さようなら、ありがとう平成31年、永遠の別れ

 令和元年、らしかったよ、この一年


 ではまた、来年!!ドグマッ


2019年12月10日火曜日

おかえりLove Homme♪ ただいまCome Home★

“裸になって猿みたいにやれ
やりたいうちは猿みたいにやれ
猿より前のもっと前になれ”


~THE YELLOW MONKEY「Love Homme」より~


 おかえりLove Homme♪

 久しぶりにグラムロックわ、このオネエマンも久しぶりワ

 はーい、ノリエムビービーエムですわよ、令和元年お元気?


 ミーは“グラム歌謡メタル野郎”を自称しているのに、今年はパンクやオルタナティヴに振った一年だったもんで、グラムも歌謡もメタルもあまりせんで失敬こいたわ。取り急ぎグラムよ☆



 まず、“プラシーボがグラムか?”と訊かれたらば、それは厳密っちゃうと70年代に流行したグラムロックサウンドじゃなくて、明らかにパンクでニューウェーヴでオルタナティヴね(そういう意meanでは今年のミーがカバーするに相応しいと思うワ)。

 偉大なるバンドちゅうのは、過去や歴史をブチ抜いて画期的であるからにして、例えば自身でやっている音楽は全然グラムロックぢゃないのに、T.Rexやニューヨーク・ドールズの熱狂的ファンだった“モリッシー”というガイもゲイなビーマイベイベーdeスミスちゃんね?80年代サウンドに70年代グラムは微塵もなかったろ?

 かくいうミーもグラムロックをラヴだがね、我がバンド・Unfinished Balladesはグラム的要素を幾ばくか含んでいると自覚するもののグラムロックバンドではないし、メンバーの総意ないし相違が反映される事を望むし、グラムロックはソロの私が演りたいだけ演れば良い事なの。


 Coz ミーはスミスもプラシーボも分かるワ、物凄く共感しちゃうワ、以前からカバーしなきゃネ、と思っとった。

 But ミーはプラシーボのファーストアルバム「プラシーボ(1996)」しか持っておらんさかい、そればっか聴きよってからに、プラシーボを語りカバーする資格ないワ、と勝手に思い込みシンドロームのピーターパン♪

 日頃、ツイッターで仲良くさせて頂いているグラムメイト(クラスメイトみたいに云う)のhoneyさんが大好きなプラシーボ、なので尚更そう思っていたのかしら。で今回、セカンドとサードアルバムも中古盤でゲッティンし、目下勉強中のプラシーボを思い切ってカバーしたワケね。こうやってセカンド、サードと聴いていくと、ファーストがナチュラルなバンドサウンドだけで勝負したアルバムだったと分かるわね(セカンド以降はギターやボーカルに沢山エフェクトが掛けられてなあい?)。サードの9曲目「コマーシャル・フォー・リーヴァイ」とか一聴惚れしたから、こちらもいつかカバーしてみたいワ、うーんとアコースティックでメルヘンに☆


 さあさメルヘンにいきますわよ、T.Rexの「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」から始めてグラムロック式の敬礼、件(くだん)のよく聴きまくりまくりすてぃなファーストの一曲目「カム・ホーム」へと雪崩れ込み、なんてアレンジが突如ぽぽぽぽーんとアイデア出づる(他にT.Rex「20センチュリー・ボーイ」からのプラシーボ「ナンシー・ボーイ」というボーイボーイなカバー案もあった、がグラム過ぎぃ!今年のミーには♡)。

 And so 原曲はブライアンのギター変則チューニングでおっぱじめやがるが、ミーはレギュラーチューニングでカバーしたの、これ重大マター。原曲の不協和音感、ダークでゴシックな感じがパー、パーなミーは明るいパンクに寄ったった、これが素のミー、カバーは各々が好きに演れば良い、これで良い、これでいいのだ、天才バガボンド木工用大木凡人。

 At the same time ボーカルにローファイ・エフェクトを掛けてみたの。ミーの声がミーにとって聴くに堪えないというのはロングロングアゴーな訳で、こんなボーカルエフェクトは最早要らんのだが、普段使わないものを使ってみるのが昨今のマイブームわ。


前回のMV撮影中に一弦が切れてしまったがオルタナなので今回もそのまま撮影っしょ

 加えて、服装について述べます(唐突な翻訳マシーン口調)──わたくし得意のナポレオン(今回はライダース型)に女物のロングスカート、そして真っ赤なシルクハット被ってグラムをあからさまに演って、ブライアンの楽曲の根底にあるグラム魂に敬意を表し、ミーの日本語訳詞もブライアンの心情を最大限汲み取って書いたつもりんぐ貞子木村多江幸薄エロス。以下、原詞と己が日本語詞も載せちゃいんティックバーバリアン野蛮な太陽GOLDFINGER '99。


「Come Home」
作詞:ブライアン・モルコ、作曲:Placebo

Stuck between the do or die
I feel emaciated
Hard to breathe I try and try
I'll get asphyxiated
Swinging from the tallest height
With nothing left to hold on to
Every sky is blue
But not for me and you

Come home, come home, come home, come home

Glass and petrol vodka gin
It feels like breathing methane
Throw yourself from skin to skin
And still it doesn't dull the pain
Vanish like a lipstick trace
It always blows me away
Every cloud is gray
With dreams of yesterday

Come home, come home, come home, come home
Come home, come home, come home, come home


Always goes against the grain 
And I can try and deny it
Give a monkey half a brain
And still he's bound to fry it
Now the happening scene is dead 
I used to want to be there too 
Every sky is blue
But not for me and you

Come home, come home, come home, come home
Come home, come home, come home, come home



日本語詞:Nori MBBM

さっきから焦って、明後日まで持たない
吐き気、動悸、呼吸器、訳分からない
“すでに栄枯盛衰、ひと通り味わった”と
空の青はブルー、君と僕で意味は真逆

Come home, come home, come home, come home

いっそ混ぜてウォッカ・ジン
ラリって楽になりたい
酒も好き好き
二日酔って楽になれない
まるで口紅、拭っても唇の、上
空は曇ってグレー、天も拭えずに呟いた

Come home, come home, come home, come home
Come home, come home, come home, come home

ずっと信じたものを“依存”と云う
僕は猿だった、人間に憧れた
やっと分かったよ、居るべき僕の場所と
空の青はブルー、君と僕で意味は真逆

Come home, come home, come home, come home
Come home, come home, come home, come home



 ただいまCome Home★

 ちなみに今回のMV撮影場所は、中野駅南口にある素敵なバーを貸して頂いたのよん。マスターもアダルティックダンディー柔らかい雰囲気を纏った紳士で惚れましたワ、OH、 UPSIDE INSIDE OUT きみを泣かせても A CHI CHI A CHI それは太陽がさせたことだよ 夏の太陽が(Come on!)


 Nxt is カバーMVで“グラム歌謡メタル野郎”は歌謡を演るだろう、やはり令和元年なミーがオルタナティヴに演るだろう、ノイズキャンセリングノーキャンセルで演るだろう飲茶楼うまかろうモー娘。CMやってた少年ナイフ歌ってた。


ブライアンちゃん、お誕生日あめでとう!!
by 女装+すね毛=オルタナティヴ with チェリーレッドのマーチン10ホール野郎

 ではまたBoy or a Girl!!ごきげんよう(インペリアル・ドラッグでも聴こう90sグラム)


「あんたたちは美しいけど、ただ咲(さ)いてるだけなんだね。あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。そりゃ、ぼくのバラの花も、なんでもなく、そばを通ってゆく人が見たら、あんたたちとおんなじ花だと思うかもしれない。だけど、あの一輪(いちりん)の花が、ぼくには、あんたたちみんなよりも、たいせつなんだ。だって、ぼくが水をかけた花なんだからね。」


2019年11月30日土曜日

平成の皆様、さようなら –我、令和オルタナティヴ–

半年振りの“Nori MBBMのカバーMVシリーズ”、令和に入ってお初の今回は(やはりニルヴァーナのカートが好きだった)ピクシーズで御座居ます。



 今年頭からの“ヴァセリンズ/ニルヴァーナのカバーMVロッソのカバーMVバンドの初音源「30年 e.p. -XXX years-」発売10月のレコ発ライヴ”、この一連の流れに終止符を打ちます。我、令和オルタナティヴ!!

 俺の場合、ピクシーズはニルヴァーナからでなし、アジカンからのナンバーガール経由で知ったものの、未だにデビュー作のEPとファーストとセカンドアルバムしか持ってなくて、歌と演奏とメンバーのヴィジュアルつまりバンドにまつわる全てがめちゃくちゃツボで好きな要素しかないのだけど(後に詳しく述べます)、全作品買わなければ!という位には至っておらず(しかしナンバーガール経由で知ったのにナンバーガールより好きだ、しかしナンバーガールは全アルバム持っているは何故だ日本人だからだ)

 ピクシーズメイニアではないので分からない事も多く、例えばデビュー作のEP「カモン・ピルグリム(1987)」はスパニッシュの要素が入っている印象なのだが、このラテン風味は何だろ、ギタボのブラック・フランシスの仕業?それともベースのキム・ディールによるもの?ギターのフレーズとか楽曲のタイトルとか詩に、それからアルバムジャケのアートワークにも、そこはかとないラテンを感じるのだけど、ピクシーズに詳しい人おしえてその訳を(♪Na~nanana na na~nanana by アジフー←椎名林檎風)

 で、俺が一番よく聴いたのはやはり、ロック史に何食わぬ顔で飄々として在り続けるド変態なファースト「サーファー・ローザ(1988)」ですが(3曲目「サムシング・アゲインスト・ユー」からの4曲目「ブロークン・フェイス」の間髪入れぬ怒涛の流れとか狂おしいし愛おしい)、セカンドの「ドリトル(1989)」に至ってはもう世間常識そっちのけで突き抜けちゃって音もクリアで普通に聴きやすいし(ド変態も堂々と演っちまえば公然と狂って楽しいし正しい)、謂わば“変態ポップやりたい放題”という感じで30年経った今でもギンギンの現役、てか今のオルタナロックの中にブラック・フランシスの血が流れていないものはないのか、それがこの原液、我平成元年ドリトル同期、ニルヴァーナとかレディオヘッドとかナンバーガールを介した体液、知らぬ間のレイプに辟易(ちなみに「サーファー・ローザ」のプロデューサーは元“レイプマン”のアルビニ、その5年後にニルヴァーナの「イン・ユーテロ」も“レイプ・ミー”なアルビニ、バコンバコンいうドラムのエグい音処理が堪らんでアルビニ)。


 他人事の曲が一つもないのよ、ピクシーズ。ブラック・フランシスって親戚のおぢさんでしたっけ?実は幼少を一緒に過ごした仲でしたっけ?と錯覚する程に。好きというより分かってるよ、分かってるって、だから分かりすぎて、デビューEPとファーストとセカンドだけで満足みたいな?まあ、お金があったら残りのアルバムも全て揃える予定、どうせ俺なんか全部わかりきっちゃうだろうし、きっと親戚のおぢさんに違いない。

 己がグラムセンサーもビンビンに反応しちゃうワ。ピクシーズは絶対に「グラムロックではない」と断言できるけど、この奇妙なコード感とかヘロヘロな演奏&歌唱(男女が両方ボーカルとっているというのも両性具有ってるし)、“マーク・ボランみ”がチラホラと散見される──ファーストの8曲目「カクタス」なんて、ギターリフからボーカルまで“超T.Rex”……と思っていたらデヴィッド・ボウイがアルバム「ヒーザン(2002)」でカバーしていて心底納得。そう、ボウイ様も“ピクシーズ好き”を公言しており(そもそもブラック・フランシスの方がボウイを聴いていたみたいだし)、ピクシーズにグラムを感じた俺のセンサーの正しさは保証された、好きは繋がる、世間は狭い。


MV撮影の為、雨が止むまで池のカモを眺めながら休んでいたら……

ワンちゃんが五匹もいらっしゃった(静かな御利口さん達かわゆい)

 今回はファーストの5曲目「ギガンティック」にした訳だけど(タイトルからしてグラムが過ぎる)、選曲はめちゃ迷った。どれをカバーしても俺ら違和感ねえなって。中には悪戦苦闘するカバーも多いからさ(どうしても俺色に染まらねえ、俺と混ざらんというヤツ)。

 己が演奏のこだわりとしては、グラム+グランジ+ガレージロックのGGGの3Gなアレンジにしようと思って(GGGの3Gなアレンジとは?)、手前の大好き全乗せで(マアホント欲張りネ!)、分厚く歪んだギターに(90年代はパンクとメタルの垣根をディストーションでブチ壊す!)、男のくせしてヘロヘロなファルセットボイスをイントロやサビのコーラスに入れて“マーク・ボランみ”をより強調したり(裏声入れるとグラムのグラム量が増し増し!しかしこれは原曲から既にそう!!)、冒頭の“ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ”っていうクリーントーンのブラッシングはニルヴァーナのアレ、「レイプ・ミー」のイントロのソレ(静かなクリーントーンからのドラムインからのバンドインで爆発しちまえスメルズライクティーンスピリット!しかしそれは原曲からして既にそう!!)、そしてドラムのビートはローファイガレージ魂で轟音ノイズまみれ処理(エクスプロージョン!神楽坂エクスプロージョン!我ジャパメタ万歳!!)

 ……いつもの如く原詩と、俺の日本語詞を載せておきます。


「Gigantic」
作詞・作曲:キム・ディール&ブラック・フランシス


And this I know his teeth as white as snow
What a gas it was to see him
Walk her everyday into a shady place
With her lips she said


She said, "Hey Paul, hey Paul, hey Paul
Let's have a ball
Hey Paul, hey Paul, hey Paul
Let's have a ball
Hey Paul, hey Paul, hey Paul
Let's have a ball"


Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love
Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love


Lovely legs there are
What a big black mass, what a hunk of love
He'll walk her every day into a shady place
Like the dark, but I'd want him


"Hey Paul, hey Paul, hey Paul
Let's have a ball
Hey Paul, hey Paul, hey Paul
Let's have a ball
Hey Paul, hey Paul, hey Paul
Let's have a ball"


Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love
Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love


Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love

Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love

A big, big love…


日本語詞:Nori MBBM

横目で見る彼の顔
女を連れ去るの
人目のない公園の
茂みの中で彼女が

そう、そう、そう、そうそう
ウソ、ウソ、ウソ、ウソウソ?
そう、想像に任せる

Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love
Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love

下に伸びる四本足
二人はゴミの人たらし
覚えた場所は公園の…
君も観に行こうよ

そう、そう、そう、そうそう
ウソ、ウソ、ウソ、ウソウソ?
そう、想像に任せるの

Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love
Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love

Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love
Gigantic, gigantic, gigantic
A big, big love
A big, big love…



 内容はどうしようもない恋の唄(ルースターズ)だが、あわよくば青噛んで熟って頂戴(椎名林檎風Ⅱ)、しかも“青噛ん”を見ている方でネ。

 まあピクシーズの歌詞は暗示的で、ネイティヴの人からすると一見ナンセンスらしい。意味不明だけど実は具体的なイメージが確固として有る、これは日本のバンドだとホルモンみたいな感じ?詳しくないから例えが間違っていたら御免(しかしマキシマムザ亮君とローリーさんの血が繋がっていること、腹ペコ諸君の誰よりも俺がよく知っている、合掌グラム)。……否、やっぱりごちゃ混ぜ全乗せ感のあるホルモンぢゃなくて、ここでもナンバガだな。This is 抽象された歌詞の殺伐さ(“カラッと乾いた狂気”と云えば良いのか)、において相似するので、酷似しているので……ので……ので(←人力ディレイ by 向井秀徳 This is)。


 それから撮影時の服装について、今年の手前のテーマは“オルタナティヴ(及びカート・コバーン)”だったと自覚しているので、飾らずにカジュアルな格好でカバーMVしました。ロックンロールとかバンドを演る時に俺が絶対にしない格好、近所のコンビニへ行く時くらいの適当な格好。緑のGAPのチェックシャツは友達の芸人さんから「俺にはサイズが大きすぎたから」と頂いたもので、下は気儘に黒のパンツとドット柄のコンバース。90年代以降のオルタナロック、大量生産型・近所の兄ちゃんを俺なりにやった次第。当初、「やっぱりグラム野郎だから、己が秘蔵のワードローブから女物を厳選して、ゴツい男が女装して演ろうか」という計画もあったのだが(ドレスコーズ・志磨さん云う処の「女装+すね毛=オルタナティヴ(※ドレスマグ特集 #21 参照のこと)」の公式)、それは次回以降にするとします。


公園でヘンなことしないで、静かに野鳥の会でもしようぜ

 半年振りの“Nori MBBMのカバーMVシリーズ”、また年末に幾つかアップしようと企んでおりますので、楽しみにして居て下さい。

今日は何日ですか──11月30日──えゝ札幌、の11月30日ってこんなに熱いものなんでしょうかねえ?
-向井秀徳

 高円寺も今日は結構冷え込んでいるのだが、俺は何だか身体中が熱くて、どうもオルタナの血が騒いで、居ても立っても居られぬから、次もまたオルタナ、君もティヴるだろ?


2019年11月15日金曜日

9人のブコウスキーと死なないだけの理由を探して(5/31の手記より)

5月31日(「30年 e.p. -XXX years-」発売翌日)に残しておいたメモ書きをいま引っ張り出してみる。だって今日は、吐き気がするほどロマンチックだぜ(絶賛水星逆行中)


~~~~~~


 嫌な処は何をしなくても目に付くし、好きな処も少しだけ有るし、そんな状態で「自分が大嫌いだ」と言うのは理想的で、好きな処が誰にも負けない確固たるもの故に安心して宣言できる、というもの。



 本当につらいのは、好きなど全て憎し、生きている価値なく、黒く大きな負債だけの、自分が大嫌いだ。

 I hate myself and want to die (1993, Nirvana)

 「カートは自分を好きになれば良かったのに」「生きていれば良かったに」

 ──これがエゴならば、誰か俺を殺してくれないか?

 大好きだった人や大切な人に全く理解されない世界でも、酷く傷ついた誰かさんには魅力的な人物であれますように。醜く汚れて、それでも生きて、何かの為に、君の為に。



 おい、ロマンチスト
 てめえ、ロマンチスト

 死ねないだけの理由を探して

 全部なかった事になったりして楽しいだろ、その感情も消し去るのさ
 未来永劫、誰にも気付かれる事なく、さり気なく死す

 ロックだとかバンドだとか知ったこっちゃあないね、自分が可愛いだけ
 時間とお金と愛をくれた人も居たので、生きている、生きてみる

 死ねないだけの理由を探して


彼の前に入るとつぎの牛が待っていた。ひとつ担ぐたびに、これが最後だとおもうのだが、口ではこういいつづけていた。

 あと1回
 あと1回だけ
 そしたらおれは
 やめる。
 もう
 ごめんだ。

 やつらが、私が降参するところを見たがっているのは、目つきや笑いかたからよくわかっていた。負けたくないので、私はつぎの牛にむかった。
-チャールズ・ブコウスキー(Ⅰ)

 本心ぢゃあ牛とはもう、これ以上やり合いたくもないが、それ以外の馬鹿に馬鹿に馬鹿に!馬鹿にされちまうから、今年も牛とやり合うのだ!で、気付いたら誰も居なくなっていた!

カーテンを開けて太陽のほうを見た。きびしい世の中ではないか。いいことはなにも起きていなかった。ドヤ街にだけはいきたくなかった。私は小さな部屋が好きだ。やる気が、闘志のようなものが湧いてくる小さな部屋が好きなのだ。
-チャールズ・ブコウスキー(Ⅱ)

 どの位の大きさの家が良い?部屋は何畳?良かったら魂の大きさで決めてみ?或いはそれが何人分の何個あるかで?それ本当にあるか?あるかあるかで我アルカディアにもあり?

 大人数には不向きな!しかし独りには良いであろう!狭き部屋!小さな魂!ちっぽけな心──部屋、狭い程に、精神、密度が濃くなるものだから、六畳一間は最高だ──国家に匹敵してやろうか!こんな逆上(のぼ)せた文章で!

そして床に倒れた彼女に手錠をはめた。カチリという音が聞こえた。連中はいつも、きつく締める。そして一旦はめてしまうと連中は、自分に力強さと威厳がそなわってるような錯覚を起こし、やられたほうはキリストか何かになったようでドラマチックな気分だ。
-チャールズ・ブコウスキー(Ⅲ)

 筋力をつけるみたく、権力をつけろよ。もっとビビってさ、体制ぶってくれよ。そしたら一生、神を虐(いじ)める側に成れるから。キリストみたく、苛(いじ)められる側にも慣れるかな?悲劇は喜劇だ、延(ひ)いては神話だ。常になるだけ、延いて観てみて!

一つ部屋で5分以上いっしょにいて不快にならないやつは、数えるほどしかいない。
-チャールズ・ブコウスキー(Ⅳ)

 友達の有難みを知ったよ。当然の様に一緒に居てくれた人達の有難みを。友達ぢゃないと思っていた人達が友達であったという事実を。本当にどうも有難う。

 それも5分で知ったよ。貴重な人間は貴重な存在であると。同時に貴重な音楽もまた貴重な存在であると。そんな5分で知れるよ。

 君とはずっと5分できるよ!!!!!

たとえ人にたいしてベストを期待しなくても、人々のほうが落第点をつけてくる、ということがある。
-チャールズ・ブコウスキー(Ⅴ)

 こちとら審査する気はないのに、こちとら審査されちゃったから、こちとらテスト浸けになってんだ、社会、分かってんのか?こちとら何回、言ったか?

「詩はごくごく短いあいだに、ものすごく多くのことを語る。散文は大したことはなにもいわず、量ばかりかさむ」
-チャールズ・ブコウスキー(Ⅵ)

 言葉がそうである様に、野郎もどちら様かに分かたれる。寡黙な男と怠惰な男、俺は寡黙でなし。怠惰、ろくでなし!!

 寡黙でなしが詩を書いて、寡黙になろうと努力した。怠惰はきっと誰にでも出来るが、上手い怠惰はお喋り野郎の俺に任せろ。散文、しゃべらせろ!!

ほどほどにできないのは彼の業(ごう)のようなものだった。それでどんどん道を狭くしてしまう。
-チャールズ・ブコウスキー(Ⅶ)

 ハードコアにいこうぜ!ハードなコアへとゆこうぜ!深く深く掘り下げて行こうぜ!誰よりも愛している事を証そうぜ!闇雲に暗闇を明かそうぜ明かそうぜ!業が狭く深く突き刺そうぜ!おまんこしようぜ

「30になってからはな。毎度のことだよ。40を過ぎてからは、もっと気楽にやれる。でも20代の頃はそうはいかなかった。おれは気が狂った。最初のやけどが一番こたえるもんなんだ」
-チャールズ・ブコウスキー(Ⅷ)

 少年「火傷(やけど)なにそれ美味しいの?」
 青年「火傷なにそれ御免だね!」
 壮年「いいや火傷病み付きだね!」
 中年「火傷は酒のアテに丁度良いよな?」
 老年「熱々でしっかり味が付いててな!え、火傷?(手前で気付いていない)」

 みな忘れるし、みな亡くなる。だのに、今日も今日とて!(やるぞい)

部屋にひとりでいるほうがマシなのはたしかだ。といって、あんまりそこに1人でいると、とんでもないことになる。4枚の壁にヤラれる。
-チャールズ・ブコウスキー(Ⅸ)

 寂しいが放って置いて呉れ。百年したら旅に出よう。ガルシア・マルケスかよ。大丈夫、大丈夫。孤独と団欒の狭間をゆけば良い。4枚の壁にはポスターとレコードを飾った。大丈夫、大丈夫。


 死なないだけの理由を探して


~~~~~~


 ミチロウさん、69歳のお誕生日おめでとうございます!!


 いやだと言っても 愛してやるさ (絶賛水星逆行中)


2019年11月11日月曜日

グリコ・極細ポツキヰ概論(併説やをきん・うまゐ棒)

本日、令和になって初めての「ポッキーの日」ですので、ここいらで一度ポッキーの話をしなければなりません。


 私は“極細”のポッキーを一掴みで5、6本まとめて食べるのが好きです。


 これ“ガトリン食い”と云います(いま名付けました)。ほら、ポッキーの先端から煙出てません?ガトリング砲だからかな。まあ厳密に言えば、最低3本~最高6本の極細ポッキーを一掴みにして、それを無心でバリボリ食べるのが良いんだよね。慣れるまではポッキーの本数を意識してしまいますが、この食べ方のポイントはその本数を意識しないで、好き放題に、我が儘な子供の様に、赴(おもむ)くままに食べる事であります。また、極細ではない通常のポッキーでは大味になるので(プレッツェルの比率が大きい為)、“極細をまとめてバリボリ食べる”のがとても美味、そして快感、俺とX・T・C(←「仮面舞踏会」幼稚園で踊らされたな)という事です。



 この際、うまい棒についても言及させて頂きますが、基本的には1本を3口で食べて、より愛しているなら4口で、苦手なフレーバーに当たったら2口でさっさと食べるのが良いですよね。


 わたくし魚介類は一切ダメですが、うまい棒“めんたい味”は開封前からもう旨いと思います。可愛いですね、3人とも笑ってますよ。こうして並べると、博士もわざわざ3回ビックリします。あの博士を3回ビックリさせられる位のやおきんマスターならせめて、固くて甘い“たこ焼味”を途中で挟んだりして、締めに再び“紫色の憎いヤツ -めんたいagain-”なあんて最高の思い出を作りませんか夢の中へ行ってみたいと思いませんか?(♪うふっふ~、さあ←ガサ入れされても素面なYAOKIN)


 11月11日は「うまい棒の日」


 うまい棒30本は3日分


 うまい棒の穴を覗くと見える人には見える(わたくしの顔が)


 ドグマッ


2019年11月7日木曜日

令和元年十月“THE27倶楽部”

更新が遅くなりましたが、先月27日の下北沢でのライヴを観に来てくださった皆様、ありがとうございました。ライヴハウスのDVD録画ですが、当日演った数曲をアップしたので御覧ください。


Unfinished Ballades、9回目のライヴも始まりはこの曲


何時でも何処でも誰でも開ける“あの夏の扉”


“Nature is a whore”の一節のみ賛同しかねて、そこだけ唄わぬカバー


最後、アンプのJCを倒してしまった俺のハードコアナンバー


 今回のセトリは、今年5月に発売したUnfinished Balladesの初音源「30年 e.p. -XXX years-」のレコ発ライヴということで、EPに収録した全4曲と、カバーしなければならなかった1曲(Nirvanaのカバー)、それに当初8月下旬にライヴする予定で演ろうと思っていた1曲(「あの夏の扉を」)、の全6曲で臨みました。

 俺達のライヴを観て貰いたかった方々もお客さんでそれぞれ来てくださり、直接ありがたい御感想も頂けて、本当に嬉しかったです。一言一句、胸に刻み込みました。赤いストラトをくれた高校の親友の「よかったよ」、ホント嬉しかったぜ。マヂLOVE。


当日はボウイ様のロックTとショットの革ジャンでキメたぜ、デイジー

 下北沢でのライヴはお初だったんだけど、何年も使っていた大切な財布を失くしまして。リハーサル時に数分だけ、演奏中は財布が邪魔になるからジーンズのポッケから出してギターケースに入れておいたんだけど、ライヴハウス内で盗られたっぽい。

 まあ三万四万はした金、何処ぞの貧乏人に呉れてやろう。先祖代々続けて来られた親譲りの由緒ある貧乏に、カネ呉れてやればまた末代まで貧乏で居て暮れる。悪人正機、君は往生に近いぞさあ喜べ。後生ずっと、貧乏でいたまえ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。マヂ殺生。


~~~~~~


 二年前の2017年1月29日より、バンドのTwitterで毎日呟いている日めくりカレンダー、今日はこのブログでもめくって詠んじゃいます。


【MBBMの日めくりバーニン外伝】このギターの職人、PAの親、ライヴハウス設計士、カバーされたカート、皆27日に呼んだ(THE27倶楽部)。自分の知らない自身も誰かの身体を借りて、どっかでライヴ。昭和階段、平成元年階、三十年階、いま令和の一階を登り切るまで一緒にリヴ(・オア・ダイ)。ドグマッ


 Twitterで鍛えたジャスト140字、それではまた。


2019年10月16日水曜日

それは一日の正体

二年前に云っていたビューレイ兄弟ってなぁに?って結局なぁに?先日、母と逢った際に話をして、二年越しのQがやっとAしたので、説明ポエムする。


「What's the bewlay brothers? (Today's real name.)」
by Nori MBBM

朝に生まれ、昼に生まれ、夜に生まれ、三番目の牛の僕が語り尽くせない夜を渡り、朝を迎え、一番目の貴方に優しさを届け、天秤の君はそれを怒りにも似た陽晃(ようこう)に変えて真っ昼間、二番目の貴方が真っ正面から世界にぶつける剛健(ごうけん)、朝と昼は君の天秤、喜楽の他に悲哀も載せた両方の受け皿を夕方の橙、夜が複数の胃で反芻して夢、消化しては必ずやってくる朝。



夜明け、朝焼け、僕らビューレイの三位一体──I wanna be


ビューレイ・ブラザーズ!!或いは、朝焼けの仮面ライダー──Bowie or Bolan


それは一日の正体 ──Today's real name






お誕生日おめでとう!!


2019年10月7日月曜日

わたし令和のオルタナティヴ(10月のライヴ告知)

今月の10月27日(日)、下北沢デイジーバーにてUnfinished Balladesのライヴをやります。


お店は17時30分オープン、我々はトップの18時からライヴ予定

 平成の30年間が終わりまして、我が30歳の誕生日と共に元号“令和”が始まり、新時代誕生を迎えられた身として、いよいよ時代と対峙しながら、かつての様に呑まれることなく、対等なる“オルタナティヴ”としてライヴします、つまり、そう、生きてゆきます

 ──わたし令和のオルタナティヴ


駅からデイジーバーへの地図も貼っとくね♪

 今年5月30日に発売したUnfinished Balladesの初音源「30年 e.p. -XXX years-」のCD販売も行うので、宜しくお願い致します。プリプロから発売まで一年もかかった自信作で御座います!!!


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自分の番が来るまで読むつもりが二人のインタビュー面白すぎて何しに来たのか忘れた

 そして、近所にあるパンクス御用達の床屋さんで、お姉さんに軽くツーブロをお願いして、ライヴ前に散髪してきました。高円寺では有名な北口にある1,000円カットのお店で、店内のBGMは常にゴリゴリのパンクロック。準備万端シルヴィバルタン✂チョキチョキ


 それじゃあ、27日(日)にお逢いしましょう。

 Are you burning?


2019年9月6日金曜日

花壇の前で、空を見上げています

しばしばかぎりなき懈怠(けたい)に浸りながら、自分の魂が肉体の軛(くびき)を脱して、この地上から空高く舞いあがるのを感じると、私はこうした肉の快楽(けらく)も、物質の存在を消滅させて、精神にその崇高な飛翔をとりもどさせてくれる、一つのてだてだと考えたのです。
-フェリックス・ド・ヴァンドネス



 善の中にも悪が、悪の中にも善が、そう考える事で、欲望は正当化され、正統的な欲望は堂々、白昼堂々、罪を犯す事が出来る。悪にまた一歩、もう一歩、じりじりと破滅へ、ゆっくりじっくり殺される。その最中です!善に生きねば!

 いま、利き手である右手を負傷して、紙に手を置き、ペンを握って字を書くことが出来ない。つまり、手紙を書くことが出来ない。文通仲間に返事を書けない。少しつらい。



 醜い傷口、血、膿、人に見せられない。身体の割合からすれば、手なんてちっぽけなもんなのに、見せられない。

 また、ギターを弾くことも出来ない。つまり、曲作りと宅録に、リハーサルやライヴも出来ない。結構つらい。



 不幸中の幸いは、こうやってパソコンやスマホで文字をパチパチ、ポチポチと打つこと。これなら作詞も大丈夫、反対の手で。手の代わりに、テクノロジー。心で“イテテ”と叫びつつ、仕事は強引にやる。相変わらず、手は嫌だ。



 やるべきことが山積しているのに、仕事以外では小説と映画に一日を費やす。30年、それなりの容量ではあるが、まだまだ全然、たくさん置けそう。すべてはロックンロールの為、怠惰に見えても許してほしい。



 そして花咲くのなら、この散文こそ、今日時分に蒔いた種です。



 ケータイを5年ぶりに新しくした(兄がくれた)。その前のケータイも4、5年くらい使っていた(それも兄から貰ったやつ)。写真の画質と私の腕、上がったのはどちらかしらん(ROLLYさん、お誕生日おめでとうございます)。


2019年8月1日木曜日

9,710km、19g・110円

フランスの友に手紙を書いて
近所の郵便局へ出しに行く

東京からパリへ
9,710km
たった110円で飛んでゆく

日本の夏を伝える便箋が2枚と
お手製のポストカード
いわゆる“暑中お見舞い”
茶封筒に俺の真心が19g

インターネット社会で驚くことではないけれども
国際電話もタダの時代に

しかしラヴレターが
9,710km
ジュース一本で飛んでゆく

だから何だか嬉しくて
フランスが近所みたいで
バスに乗るより
パリに手紙を出す


ラヴレター・フロム・ジャポン

「あちらへは7日後に届く予定です」

9,710km、19g・110円




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 追伸、、ツイッターでは呟きましたが、7月13日(土)と30日(火)に我がバンド・Unfinished Balladesのスタジオリハーサルをやりました。夏の終わりにライヴを演りたいと思います。その時は改めて告知いたしますので、どうかお楽しみに。

まことの恋は永遠でかぎりなく、つねにかわらぬものと胸におきざみになってくださいませ。それはおもてに激しくあらわれることもなく、つねに一定したこのうえなく清らかなものでございます。
-アンリエット・ド・ルノンクール

 不変は不偏と似た処もあるが、少し違う。不偏は不浄と話もするが、不変は不浄と口も利(き)かない。濁流が石にするみたく、不浄が不変を呑み込もうとする。お前も我等に流されてしまえ、不変は不動に無視を決め込む。君への恋は、今日も無事だった。


2019年7月26日金曜日

ラヴレター・フロム・フランス(←カナダではない畑中葉子)

今月上旬にフランスへ帰った知人(以前、hideさんのお墓参りへ一緒に行った御方)から、自宅のポストにお便りが届いた。



 “日本のニュースではパリの猛暑(40℃超え)が伝えられていたから、出国前に色々と心配されたけど、例年通りで全然過ごしやすいよ、何ならTシャツ一枚だと寒いくらいだし、夜はお布団かけて寝ています”とのこと。俺はやっぱり日本が好きだけど、フランスも行ってみたいなあ。バルザックにボードレールにバタイユがBBBの3B(なにそれエンピツみたい)を生んだ国だぜ!?手紙にはその他、パリ郊外へ路面電車とバスを使って友人と晩御飯を食べに行ったこと、また日本の労働環境に関する話や、私の身体の心配もしてくださって、有り難い限り。お返事を書かねば。

愛する人の手紙を読むのに、私にはほかの方法など思いもよりません。しかし世の中には、こうした手紙を読むのを、毎日の仕事の合間にやってのけ、おぞましきばかりの平静さで、途中でやめたり、また読みはじめたりする、愛される資格さえない男もいるのです。
-フェリックス・ド・ヴァンドネス

 大切なものをぞんざいに扱う事が、世間とか人間を知った風で、馴れた風で、そう一人前の立派な大人に成れた風で、馬鹿に流行る。実際は、世間とか人間に塗(まみ)れ、埋もれ、毒された哀れ、もう半人前の未熟な餓鬼に成り下がったのだ(それも格好良いぢゃないか、と開き直る畜生が常に一定数)。私は今日も、餓鬼や畜生の奴等の俗気に同調せず、誠実に愛する術を確かめるのみ。




2019年6月19日水曜日

時代わたくし辯論

修羅篇より


いや実に人間の心は広い、あまり広過ぎるくらいだ。俺は出来る事なら少し縮めてみたいよ。ええ畜生、何が何だか分りゃしない、本当に!理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体悪行(ソドム)の中に美があるのかしらん?……
 ……しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ。
-ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」より

 一世紀と十年、萎え切った芲(はな)を、絶え絶えた息を、貧しく飢えた人を、津軽のマロサマを、決して哀れむな。平成と30年、ここに其(そ)の具体例が有るのに、在るのにもかかわらず、君は憐れむのか──囲桃園跨線橋(かこいもゝぞのこせんきやう)、シヨツトの革ヂヤン、懐に白きフリヰヂヤ。私達は小説的か、戯曲的か?君は台詞から読み取るか、一挙手一投足より汲み取るか?今からパリのサロンで、此(こ)のアゴラで、時代わたくし辯論(べんろん)するとしませう。“いざ、思想衝突!!”

 わたくし「君との相性が良くないと、一緒に居てはいけない気がする(花瓣を一片おとす)。」

 時代「こうして繋がってさえいれば、私達は恋人で居られます(一片の花瓣をさらう)。」

 わたくし「保護、愛護、宣言、法律、そこまで考えが及ばぬ。勝手に散歩し、一生を終えて、君など知らぬ、存ぜぬ。中野区役所まで年金や住民税の相談には参るが、幕府の犬にはなれぬ、君を愛せぬ。」

 時代「暇、暇、暇!!勉強と研究と生類の憐れみに暇、暇、暇!!罰当たりな暇を隠し持ち、忙しい振りをして、誰よりも手前らしい、暇、暇、暇!!」

 わたくし「ヱゴ、ヱゴ、ヱゴ!!自我が腫れ上がり、君の入れぬヱゴ、ヱゴ、ヱゴ!!訪ねて来ても、話し掛けても、受け付けぬ。夢に敗れて余裕なし、夢が叶うも余裕なし、そうだ夢こそ腫れ上がる、ヱゴ、ヱゴ、ヱゴ!!」

 時代「芥川、芥川、芥川!!川端さん、佐藤さん、芥川賞を私に!!芥川、芥川、芥川!!(歿後、發見せられしノヲトより)」

 わたくし「死人に口なし!こんな赤裸々あんまりぢゃないか!!これもパフヲマンスだ、ポヲズだ、と云ってのけて、君は何でもするんだな!!!」

 時代「君の為なら何でもする、なんて脅しは要らないのです。君の為に何時(いつ)か、壊したくはないのです。中途半端に何時も、御飯の種を食べて暮らして居ります。君と一緒に居られるだけ、それだけで良いのです。」

 わたくし「手前の飯が欲しけりゃコンヴィニの廃棄弁当でも喰らえ、畜生、経済は共食いの味を知れ、畜生、時代の方こそ恥を知れ、畜生、社会システムの挫折と戦後レヂヰムの失敗の盛り合わせ、畜生、容器の隅に手前の無駄まで添えて、畜生、全て手前の驕りで、畜生」

 時代「畜生と六回も仰(おっしゃ)って、六界はここの他にもあるのですよ?連れ出してあげましょうか?突き落として差し上げましょうか?それに手前の無駄ですって?無駄のない夢には小さな成功しか有り得ませんから、これからも夢は大きく、人生の全てを懸けてやるべきです。」

 わたくし「たった一つの人生を奪われてはならぬ!殉ずれば良し、とせぬ!!痛くて情けない話をする!!!骨折りて読み書きをする……間違いて正し続ける文字となる。乾ききった時代の お前の眼前にブチ込む……殺生ワード頭蓋骨。」

 時代「失敗と未練が眠る墓標には戒名、その手口は巧妙。悪夢を正確かつ克明に記し、黙々と芸術に仕立て上げる儀式。」

 わたくし「時代の断片的犠牲者──卒業、失恋、転職、死別!わたくし縁を切りとうて、わたくし楽になりませう!!本を開けば歴史と繋がる──時代の断片的犠牲者!!!」

 時代「一生を懸けて作られた城、主も死して素通りに。城を過ぎ去る我々に、“やはり城は良い”と立ち止まるは僅か。君は死する迄、城の整備に明け暮れるのですね。」

 わたくし「後の祭りの片付けを、湿っぽい気持ちになって、やったんだよ。無軌道に当たり散らし、角の取れた山車(だし)、三島的集団的肉体的同一化、酒臭え息で転がる鬼ころしだよ。無計画に酔って増えすぎて、戒めに点数を減らされる場面、公然と演ずる事になったんだよ。別に恨んぢゃいないし、綺麗にするつもりだし、このケがれた場を使おうと思うんです。ハレて用済みとなった誰も居ない所で、悠々自適と革命を起こす、罰当たりな程に。」

 時代「革命も祭りも、容赦のない死を忘れる為です。独り立ちをした気になっても、同じ穴の貉(むじな)です。1920年代パリのカフヱーです、1950年代銀座の銀巴里です、貉は集まるものなのです。見栄っ張りの宵っ張りの出ずっぱり、パ・リ。」

 わたくし「パ・リ?私の写真や日記を恥じて、時代の名画や名著を可愛く思う。私は貴様か人類か?どうしたら形容できて?どうしようもない感情だ。やっパリ一生懸命っつうのは、どうにも笑えるワ。苦笑や微笑、隙あらば笑ってラ。ワ・ラ。」

 時代「ワ・ラ。せめてアニメや漫画の様に、心象描写の一コマを連続の中に、予(あらかじ)めセリフのあるキャラクターに、目線や冷や汗を鑑賞され得る作品に、陰惨で残酷な悲しい世界に、“これも仕組んだ事なのだ”という意志を捻じ込み、一コマ一コマは唐突だが、連続すれば情緒的に、ワ・ラ。」

 わたくし「ワ・ザ。時代が提示する生き方、時代の提唱する言動、皆目、故意、わざと、あざとい。ワ・ザ。」

 時代「ピ・シッ。人間の生きて行く資格を云った迄、君の禍いを一つ位は背負ってあげようと思った迄、だって。君一人で禍いを十も持って、其の内の一足らずで誰かが死んでしまう、そんな様な光景を幾度となく目にしたもので、だから。腹の虻(あぶ)を打ち殺すみたく、のんびりおっとり、多分、其の三倍速で以(もっ)て、牛の尻尾が、ピ・シッ。」

 わたくし「イ・タッ。過去のデブゐ私が、肥満児がそこに、居た。友達の家の居間(リヴィング)で、友達と友達のお母さんを笑わす為、痛っ。全力の腹踊り、アウチッ、波打つ脂肪。志望した覚えの無い、ピヱロ。死亡した憶えもない、道化。手前が提示する生き方、手前の提唱する言動、皆目……イ・タッ。」

 時代「チ・ッ。気付いちまったか、知。恥じらっちまったか、血。目立つよナ、落ちないんだよナ。拭いても拭いても、しつこくてマア大変。まるで殺人事件、ホント特殊清掃。辺り一面、真ッ赤ッ赤……チ・ッ。」

 わたくし「赤のアント(=アントニム:対義語の略)は、黒。けれども、黒のアントは、白。ですので、白のアントは、赤。」

 時代「如来(によらい)はすなはちこれ虚無(こむ)、虚無はすなはちこれ解脱(げだち)、解脱はすなはちこれ如来なり……HUMAN LOST.」

 わたくし「如来は乃(すなわ)ち虚無であり、虚無は即ち解脱であり、解脱は則ち如来である、と……人間、失格。」

 時代・わたくし「“グッド・バイ(未完)”」

 私、平成元年五月一日(月)生まれ、体格変動著しく、顔色わるし、好きなもの和菓子──辯論における駄洒落の類いは、気の強い恋人に注意されて止めた模様。時に令和元年六月十九日(水)、バンド活動を続けながら突如、消息不明となる──新たな元号に呑まれた?と見る向きもある──。

 “アンフヰニツシユド・バラツヅとは音程を伴った文学なり”──其の声は時代に向けられた。今日の110年前にも丁度、津島修治という男が呱々(ここ)の声をあげたそうだ──或いはまた、仏として迎えられたのも何時か同じ日であった──。


餓鬼篇に続く


2019年5月31日金曜日

平成三十階段

彼は半ばベッドの上に起きあがったような姿勢で、巨大な肩と堂々たる頭を客の方へ向け、片腕を掛布団の上に伸ばし、雀斑(そばかす)のある船長のような手を肌着のシャツの袖口のところからまっすぐに立て、親指と人差し指とで例の円い輪を作り、その横に三本指を槍のように立て並べていた。
-トーマス・マン

 僕のよく行くスーパーにこんな案内が出ていた──「大型書籍コーナーできました」──食料品と簡素な日用雑貨の他、週刊誌と少年誌くらいしか売っていなかったけどな。僕はその新しく貼られた案内の導くままに、普段足もとめない店の奥の方へ、片隅に見覚えのない小さな戸口(とぐち)が一つ、通り抜けるとプラモデル売り場だった。

 ここはプラモデルも売っていたのか、一応散策してみると、まあ目星(めぼし)いものそのつまりレア物は無かったのだが、二次大戦中の軍用機、戦車、戦艦だ、自動車だ、ロボットだ、果ては美少女フィギュアだ、しかし辺りには僕の他に誰一人として居ない。いかんいかん、僕の見たいのは大型書籍コーナー、文庫本の小説が欲しいのだ。他に使うお金は、持ち合わせていない。

 売り場の端まで行くと、また別フロアへの通路があり、入ればそこは恋人売り場とな。男性はこちら、女性はこちら、と棲(す)み分けがされていて、僕は一応、女性を好(す)いているものだから、女性が売られている方の巨大な陳列棚へ向かうと、色白、色黒、低身長、高身長、姉、妹、おばさん、おばあちゃんと、くる。これはアンドロイドか、はたまた精巧なダッチワイフか、と瞬(またた)く間に思われたが、訳ありの、監禁された生身の女性達らしい。僕は並ぶ女体の壮観の、とりわけ妙に惹かれる顔つきの、奧二重(おくふたえ)の福耳の、両の頬の赤っぽい、初恋の人に似た一人の前に、成る程それは初恋の人その人に違いなかった。

 「なんでここにいるの」──こちらが訊きたい位だったが、彼女に先にそう云われて──「いや、いつも来るスーパーなんだけど、こんな売り場があるなんて知らなくて、初めてなんだ、けど、誰かに閉じ込められているの?」──と陳列された彼女の値札を見ると千九百八十九万円、税抜き。「連れて行って、早く万引きして」と彼女に手を握られると、まったく全ての頭という頭に血がのぼり、「うん」と訳も分からず返答し、正直勃起していた。「高価な品物なのでお手は触れないでください」とどこからか店員がやって来ると、彼女はそっと僕から手を離し、また一切しゃべらなくなり、勃起は勃起でおさまってしまい、黙ってこのフロアを離れる事とした。危うく売春しかけるところだった。人の意志など脆弱だ。いや、売春の万引き、無賃売春か。しかし売春はしない主義だ、売春するならいっそ死んだ方がましだ。産業構造的に、自分の手だけは汚さねえ、そんな誰よりも汚ねえ奴等の懐に、金、金、金の入るのが、何より気に喰わねえ。いかんいかん、僕の見たいのは大型書籍コーナー、文庫本の小説が欲しいのだ。他に使うお金は、持ち合わせていない。

 更に奥の階段を降りると、薄暗い地下へと通じており、そこは死人売り場とな。何だここは人身売買ばかり、スーパーはスーパーでも、とんでもなくスーパーだ、今度は一体誰が居るのだ?ざっと、エドガー・アラン・ポー、シャルル・ボードレール、三島由紀夫、カート・コバーン、アベフトシ、遠藤ミチロウ。凄えな、サイン欲しいな、ライヴ観てえな、しかしホルマリン漬けだな、ぷかぷか浮いて、微動だにしねえな。百八十四万九千百七円、百八十六万七千八百三十一円、千九百七十万千百二十五円、十九万九千四百四十五円、二百万九千七百二十二円、二百一万九千四百二十五円、税抜き。誰が値段つけてやがんだ、こんなの言い値(ね)だろう、価値など知らねえ癖に──「お客様なにかお求めでしょうか」──さっきの店員が近付いて来ると、その無頓着や無理解に腹立たしくなり、早足で巨大な商品棚をくるくると巡り廻(めぐ)って、意味もなく迂回を繰り返して、店員が見えなくなった処で、ふと天井に続く鉄の梯子を見つけた──「30階:大型書籍コーナー」。30階とな。そんな高層階が隠されていたとはな。

 冷たい鉄の梯子に手を掛け、足を掛け、昇りゆくと案の定──「お客様そちらに何のご用ですか」、「書籍が見たいのです」、「お客様の見たい書籍は何ですか」、「何だって良いぢゃないか」、「そうは云っても私が案内いたしますよ」──店員が私の足に手を掛けてきた──「やめてください離してください触らないでください」、「お客様の探しているものは何ですかと訊いているのです」、「ダンテの“神曲”とその解説本でもあれば、とは思うが、何だって良い、出逢いたいんだよ、手に取ったら欲しくなるから」、「ダンテですか、ありますよ、解説本も、上下巻の詳しいヤツが、だから私が案内しますよ」、「えい、しつこい、足を掴むなって」、「お客様お客様」──店員はバランスを崩し、遥か地上のプラモデル売り場、恋人売り場へ真っ逆さま、巨大なコンテナが落下した様なドンと云う轟音と共に叩きつけられ、そのまま床まで突き破り、地下の死人売り場にて、多分絶命してしまった様だ。白眼をむいたまま、口からは赤いものが垂れているのが見えた。

 僕はそれ見下ろしながら、こんな高い処まで来ていたのかと、一方で解放感もう一方では焦燥感に駆られてしまい、再び上を目指し、あともう少し、もう少しで、大型書籍コーナーのフロアに到達す、前人未到の30階へ、すると、ふわり、力なく、鉄の梯子が風に揺れるよに、吹かれるよに壁から剥離(はくり)し、ボルトがひょん、ひょんと抜け落ち、梯子めりめり剥がれ落ち、僕は鉄の棒を掴んだまま重い頭を急転直下、天地無用、逆・店内案内図、29階:黄泉(よみ)売り場、28階:孫(まご)売り場、27階:出産売り場、26階:結婚売り場、25階:出世売り場、24階:内定売り場、くだらん階数ばかり走馬灯なり、10階:ドリームキャスト売り場、6階:セガサターン売り場、行きたかったなり逝きたかったなり、梯子はU字に曲がり、突き破られた床下の、死人売り場へ一直線、既に息絶えた店員に梯子の先端が突き刺さり、ぶしょおゝん、ぐしゃあゝ、べちゃらゝあん、胃、腸、内臓、臓物(ぞうもつ)祭り、血液の海にダイヴ、ダイヴ、大分、ダイヴ・イン・ミー、Incesticide、疼痛(とうつう)、激痛、我、多分絶命、否、否、三たび、否……絶対絶命。


 いかんいかん、僕の見たいのは、大型書籍コーナー、文庫本の、小説が欲しいのだ……他に使うお金は、持ち合わせて、いない……。




2019年5月30日木曜日

1st EP「30年 e.p. –XXX years–」発売

言葉に音楽がつくと詩であり、音楽のない言葉は散文にすぎない
-エドガー・アラン・ポー

 小説と詩に縺(もつ)れる無名の葉(よう)の一枚に、己が緑(みどり)を何と呼ぼう?ただ君が心、魂を癒やすであろう事だけ願って。人が言の葉、本当に微妙な色調のそれ、如来、虚無、そして解脱に代えて。赤、黒、いつか白に変えて。

 我がバンド、Unfinished Balladesの初音源・1st EPが本日発売されました。


その名も「30年 e.p. XXX years

(ジャケット裏)
人格形成に多大なる影響を及ぼしたものたち……俺は断然“セガ派”だった



 デジタル配信で“Amazon Music、Google Play Music、mora、music.jp、Spotify、YouTube Music、レコチョク”等の大手配信ストアにて、1曲・200円よりダウンロード購入できます。フィジカルなモノとしては、今後ライヴ会場でプレスしたCDを販売いたします。


CDは税込1,000円で販売(初回は100枚プレス)


 以下、当記事に一曲一曲のエピソードも書いておきます。


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全曲試聴トレーラーも作ったので観てくれい!!


1.「殺生ワード頭蓋骨」(作詞:Nori MBBM、作曲:Kaz)

 2015年9月22日(火)、Unfinished Balladesの前身バンド“MBBM”のスタジオセッションで、初めてバンドメンバーと一緒に作ったオリジナル楽曲。作曲はMBBMのリズムギター・Kaz兄でクレジットしていますが、メンバー4人“せーの!”の即興で作詞作曲をしました(曲の核を成すコード進行はKaz兄考案)。この一曲で「俺達のオリジナルをガンガンやっていこう」と自信が付いた“バンド人生の出発点”とも言えるナンバー。ライヴでは大抵、一曲目に演奏します。

 “Unfinished Ballades”になってからはボーカルの私がリズムギターも担当しているので、MBBM時代とアレンジがやや異なりますが、最新で最強のヤツをレコーディングしました。Shinさんのリードギターも“布袋イズム”を感じさせるアグレッシヴな攻めのリフで(もともとShinさんと俺は“布袋寅泰とセックス・マシンガンズが好き”同士で仲良くなったのだ)、一聴して頭蓋骨に大きめなヒビが入ったよね。

 詩に関しては、スターリンのミチロウさんやミッシェルのチバさんが持ちうるような“鋭利な言葉”、“エッヂのある語感”を意識して書きました(というのは後付けで、前述した4年前のセッションで叫び散らしながらのフリースタイル即興作詞、が実の処です)。

 “アイ・キル・ユー”なエッヂのある言葉を貴様の脳天にぶち込むぜ──


2.「Kiss and Death」(作詞・作曲:Nori MBBM)

 2017年2月20日(月)、大切な恋人も友達もなくして独り、高円寺の自宅にて怒りに震えながら数分で完成させたナンバー。2017年1月29日(日)のライヴを最後に“MBBM”が解散、新バンド“Unfinished Ballades”結成に際して書いた楽曲群の中の一曲であります(他にUnfinished Balladesを立ち上げる際に書いた曲で、「彼女の心は桜色」というアジカンとイエモンを足して二で割ったようなポップなナンバーもありました)。

 これはもう手癖というか俺のお得意というか、何も考えずに直感だけで作詞作曲をしました(結果として“チバさんリスペクト”な曲になっていると思う)。バンドをやっていく中で経験した、もしくはこれから来るべき苛立ちを詩に認(したた)めた攻撃的なナンバー。この曲に関しては、間奏のギターソロも俺が担当。

 すべての音楽家気取りのクソッタレに、俺の口づけと死を──


3.「横浜ブレードランナー」(作詞:Nori MBBM、作曲:Shin)

 2017年4月16日(日)、Unfinished Balladesの初ライヴを終えてから数日後のこと、ギターのShinさんからPCメールで送られてきたデモ音源、仮タイトルは「笑い」(Shinさん、なぜ?)。これがまさか我ながら「横浜ブレードランナー」という詩になるとは。聴かせてもらった時の第一印象は俺の中だと“まだギターロックをやっていた頃の、2ndアルバム辺りの初期レディオヘッド”のイメージだったんですが、いつもライヴを観てくれている方々にはどう聞こえているのだろう?そういえば、「この曲をどういうイメージで作ったのか」というのも、Shinさんに訊いたことないな。

 Shinさんがリードギター&リズムギター、ベース、ドラムのフレーズ、ボーカルのメロディーや曲構成など、完璧に仕上げたデモ音源を作ってきてくれたので、自分は本当に詩を書いただけです(作詞は作曲より大好きなので御褒美です、美味しいところだけ御馳走様です)。

 詩のイメージは、幼少時に父と兄によく連れられて行った新宿の高層ビル群の街並みを思い浮かべながら、且つ作曲者のShinさんが横浜生まれの“浜っ子”なので、その風景も綯(な)い交ぜにして、架空の未来都市における独白調の物語として書きました(加えて、俺の人生初のギターも横浜の楽器屋で買ったんだが、あの情景、夕暮れの帰り道も、ずっと忘れられずにいる)。それから、説明不要なSF映画の傑作「ブレードランナー(1982)」の世界観も頭に過(よ)ぎったので、以上を全てミックスして“都会に生きる孤独”について歌いました。

 間奏部分が16小節あるんだけど、その内の前半8小節がベースソロのパートになっていて、ベースをやってくれていたAyaさんが新曲初合わせのスタジオリハでソロを弾いてくれた時はマヂでカッコ良くて、演奏しながらゾクゾクと身震いしたし、“Shinさんも曲中にベースの見せ場を入れちゃうなんてイカすな”と改めてバンドメンバーの才能にホレボレした記憶あり。今回の音源では、これまた凄腕ベーシストで機材マニアのSyuさんが、クールなベースソロを弾いてくれていますので、ご堪能あれ。

 ライヴで演ると「あの中盤でやっていたディレイかけてた曲が良かったです」と必ず評判が良くて、とても嬉しいのだけれど少し悔しいのである(俺の作曲したナンバーも褒めてくれい)。という訳で、この曲はこれからもずっと大切に演ってゆくと思う。

 愛している、今でも
 覚えている、あなたの声──



4.「Anti-aging Music Rising」(作詞・作曲:Nori MBBM)

 2017年11月8日(水)に書いた“俺のハードコア全開”なナンバー。バンドで云うと“ミッシェル”に“ATDI”、“9ミリ”あたりの影響を感じさせる楽曲。過去のブログにも書いたけど、一時期、立川にある“コズミックホール”というライヴハウスによく出演していて、そこで10代の高校生や大学生の人達と一緒にライヴをする中で、「俺の作る曲は70~90年代の血が流れているからテンポが遅いな」と思い知らされ、「BPMの速い曲を書かねば」と思い立ち、割とアタマで意識的・意図的に作った曲なのです。

 前述したように、今回のEPの2曲目「Kiss and Death」とかは何も考えずに作っている一方で、この曲は俺の中の“ハードコア魂”をフル回転させて必死に作りました。Shinさんの「横浜ブレードランナー」に影響されたのか、わざわざベースのソロセクションも設けたし(怪獣映画観た後はすぐ怪獣になるよな子供でした、えゝ)。それと間奏では、オアシスのデビュー曲「スーパーソニック」よろしくスローなピックスクラッチも“キリキリキリキリ……”と鳴らしております。あの不気味でスローなピックスクラッチを自分も自身の曲のどこかで、バンド人生のどこかで絶対にやりたかったの、という小さなこだわり、小さなロックの夢、また1つクリアです。

 ライヴで披露する際はギターを故意にハウリングさせまくって、お客さんへ不協和音の嫌がらせをして参りましたが、これからもそう致しますので、是非ともライヴ版の方も生で聴きに来てください(アンタの脳髄グチャグチャにしてやる)

 音楽の、ロックンロールの魔法で、歳を取るほどに若返ってしまおうぜ──


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アマゾンで自ら配信中の音源も購入、愛用のウォークマンにも入れたった

 音源のミックスに関しては、エンジニアのたかしさんに「“ニルヴァーナ”とか“ミッシェル”みたいなエグい音にしてください」と伝えて、見事、ニルヴァーナの2nd「ネヴァーマインド」や3rd「イン・ユーテロ」、ミッシェルの5th「カサノバ・スネイク」に6th「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」あたりのバキバキな骨太サウンドになって返ってきたので、本当に感動いたしました。

 ちなみに全曲、右(→)チャンネルのギターがShinさんの“ワッシュバーン・N4”で、左(←)チャンネルのギターが俺の“フェンジャパ・ストラト”です。アンプはShinさんが“マーシャル”、俺が“JC(ジャズコーラス)”という定番のチョイス。

 それからCDのマスター音量について、昨今の流行りよりも若干小さめの音量でマスタリングして頂きました。ここでもニルヴァーナの「ネヴァーマインド」を意識しており、初版91年盤と同じ位の音量となっております。イエモンで云えば、ファンハウス移籍前の90年代コロンビア時代、「フォー・シーズンズ(1995)」迄のアルバム作品の音量に合わせております。

 2000年代以降のCD音源、特に邦楽を聴いていて、闇雲に音量を上げすぎだろう、という違和感が10代の頃からあって、みんな馬鹿みたいだな、と思ったのが事の発端です。ロックは馬鹿でナンボぢゃい、という思考停止は黙れ。話は逸れるが、最近のロックやポップスのMVとかライヴ映像の高画質化にも、ずっと違和感があります。前髪で目元隠したポコ珍野郎が、手前が業が浅はかで白けるんだワ。無知だ無欲だ曝(さら)してんぢゃないよ、マスター音量ばっか上げちゃってサ。

 従って当作品のマスター音量は大きく作られていないので、爆音で聴きたい方はご自身の再生機器の音量を上げてください。ヨロシク!!


「私の少年時代は永い病気のようなものでした」
-フェリックス・ド・ヴァンドネス

 そういえば、イエモンのメジャーデビュー作「夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー(1992)」のレコーディング時のエピソードで、音源のミックス作業日に発売したばかりのニルヴァーナ「ネヴァーマインド」をエンジニアの方が買ってきて、すぐにラジカセで聴いて、その音圧に皆で衝撃を受けて、エンジニアが同じ様なエグいミックスをしてくれたそうなのですが、対する吉井さんは“ピンクレディー”や“フィンガー5”など70年代の歌謡曲をエンジニアに聞かせて「こういうポテポテしたスネアの音にしてください」と喧嘩になり、「俺はカッコ良い音楽をやりたいんじゃないんだよ」と自伝本に書かれていた事を思い出しました。

 自分は今回、その吉井さんの意志を受け継ぎながら、「俺はカッコ良い音楽をやるしかないんだよ」と憧れにも謀反、俺の存在理由──世界のどこにも負けない日本のロックンロールを演ること──その攻撃的なサウンドの真を突き詰めただけの話。死ぬ時は結局一人だから、独りで演るしかないんだから。


令和元年にレッツ“両性具有ポーズ(命名:Nori MBBM)” !!
※イエモンのインディーズ盤「バンチド・バース」のジャケ参照のこと

 この作品を平成の30年間と、スターリンの遠藤ミチロウ、ニルヴァーナのカート、ミッシェルのアベフトシに捧げます。あとは俺の今迄の人生、愛憎の30年間に。


歌詞カード、盤面、帯、CDトレイ内外、寸法合わせながら全部1人でデザインしたぞ

 令和元年5月30日(木)、Unfinished Ballades 1st EP 「30年 e.p. -XXX years-」発売。平成元年5月1日に生まれた30歳の男の叫びを、平成が三十年間の鎮魂歌として、此処に。十兵衛が打ち建てた感応寺の“五重塔”さながら、憲宏が造立した平成の“30年”を、ここに。


ⅩⅩⅩ
DE PROFUNDIS CLAMAVI
(深き淵よりわれ叫びぬ)

憐(あわ)れみを乞(こ)いたてまつる、おん身、わが愛する唯一の者よ、
この暗い深淵の底に私の心は落ちこんでしまった。
ここは地平線が鉛の色に閉ざされた陰気な世界、
夜の中にうごめくのは恐怖と冒瀆(ぼうとく)ばかり。

熱のない太陽が半年のあいだ空にかかり、
あとの半年は夜が地上を覆う。
ここは極地よりももっと荒涼とむき出しの国。
──獣もいない、川もない、草もない、森もない!

さて この世にもこれにまさる恐怖があろうか
この氷の太陽の冷たい残忍さと
太古の「混沌(こんとん)」に似たこの途方もない夜とにまさる恐怖が。

どんな下等な動物のさだめだろうと私はうらやむ
愚かしい眠りの中に沈むことができるものなら、
それほどに時間の糸巻の 何とのろのろほどけること!

-シャルル・ボードレール


 それでは、次はライヴだぜ!!!よろしくお願い致します。


2019年5月1日水曜日

30歳:令和元年、五月一日

ツァラトゥストラは、三十歳になったとき、自分の故郷と故郷の湖を捨てて、山にはいった。そこでかれはおのが精神の世界に遊び、孤独をたのしんで、十年間倦(う)むことがなかった。
-フリードリヒ・ニーチェ

 三十年間倦怠感。無知をも知らぬ馬鹿。精神欠乏。

 登るのに、籠(こも)るのに、帰るのに、山が必要、魔の。降りるのに、下(くだ)るのに、還(かえ)るのに、谷が必要、百合の。

 ここから十年、独りの旅が始まるだろう、いや、始めなければならぬ。

 おうし座──持ち越してきた言葉と音を、新しいだけの世界に馴染ませてゆく。誰かの文学と音楽に影響された我が世界、我が文学と音楽の伝播・波及した誰かの世界。新しいだけの時代はそうやって、我々が確かに一つずつ形作ってゆく。

 独りの旅を始める前に、我々で、バンドで、最後にやらねばならぬことがある。


~~~~~~


 手前味噌になるが、Shinさん作曲のナンバーに私が詩をつけた一節を。

この街の寂しさって
僕の心、君の心で
作られてるんだって
君は信じられるかい?


未来都市、摩天楼
知らない人たちの群れ
大通りで立ち尽くして
僕は我に帰ったんだ


~Unfinished Ballades「横浜ブレードランナー」より~



 高円寺駅前の花屋で花を買った──白いフリージアの花言葉は“あどけなさ”──29歳までの私へ贈る。もう堂々として良い。


 暗黒の十代、狂乱の二十代、黄金の三十代へ。

 ミチロウさん、あなたから独りで生きる強さを教えて貰いました。涙も出ないくらい辛くて心から消えたい時、真夜中に独りで外へ飛び出して、早朝、誰も居ない京浜東北線のホームであなたの弾き語りを聴いて、少し生き延びました。だって、遠藤道郎は独りで生き抜いた人だったから。ヒロトの言っていた“パンクロックが好きだ、優しいから好きなんだ”って、これか。ミチロウさん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました。そして、あなたは偉かった。


 義理人情より優先しなければならぬものがある。自己中心に思われる、他者からは勿論、当人でさえそう判断しかねない。誰に頼まれた訳でもない誰の仕業、鬼畜も眼を丸くするよな鬼畜の所業、単なる宿命。

 多分、大切な人をまた失うだろう。せっかく出逢えた世にも稀な理解者を、世にも奇妙な宿命によって理解できず仕舞いで亡くすだろう。痛み伴う前にこう簡単に失言し、後から何年も何年も苦しむのだろう。止めたら良いのに止められない、辞めたら良いのに辞められない。ポーかな、ゴッホかな、宮沢賢治かな……みな御忠告どうも有り難う、でもやるね、やらねばならぬからね、皆がそうした様に。

 生きている内は上手くやらねば、再生数稼がねば、“いいね”貰わねば。承認欲求満たさねば、色恋でもせねば、ねばねばねばねば。馬鹿野郎うるせえ、俺が閻魔なら貴様ファイヤーだ、いやバーニンだ、それよかやらねばならぬことがあるだろう、大事なものがあるだろう──のつそり、のつそり、五重塔。

左様ならと清吉は自己(おの)が仕事におもむきける、後はひとりで物思ひ、戸外(おもて)では無心の児童(こども)たちが独楽戦(こまあて)の遊びに声々喧(かしま)しく、一人殺(ごろ)しぢや二人殺しぢや、醜態(ざま)を見よ讐(かたき)をとつたぞと号(わめ)きちらす。おもへばこれも順々競争(じゅんじゅんがたき)の世の状(さま)なり。
-蝸牛露伴

 子供らしい無邪気で残酷な遊び、いずれ大人が無邪気に残酷をする、その先払いが戯れ、早いほど利子も付けられるかな。

 だからおらぁいちぬけた!くだらんくだらん!子供の全部が全部大人に憧れると思うなよ!くだらんくだらん!ばーか!


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 追伸、、


整理番号“99”だぜ……イエモンの「9999」といい、ひいじいちゃんが見ているに違えねえ(あゝ九右ェ門様、私です、憲宏です)

 今日は近所の野方にロックスター降臨。短編映画の演技も生トークショーも、あの“付録ラジオ”の志磨さんの話し方のまんまで(当然か)、ニヤリとしてしまった。

 何が大型10連休だ、何が30歳の誕生日だ、何がゴールデンなウィークだ、って感じの連勤地獄で寝る間も無いグチャグチャの労働生活の真っ只中、“こんなもん軽く捻り潰してやるわ”と仕事の合間にダイブして、やりたいこと、やるべきことをやっている。露伴の書いた「五重塔」の十兵衛が如く、拙者は待ちに待った“30年”の塔の完成に悶えて居る。

 今日は良い日だ、いや力尽くで良い日にした、これから仕事だバカヤロ行ってきます!!

 平成よ付き合って呉れて、どうも有難う!!!


 よっしゃ令和元年、どうぞ宜しくお願いします。


2019年4月25日木曜日

「平成の人殺し」

「──その女というのが、耳のうしろに花を挿した野性的な、宿命的な女で、青年の魂をすっかりとりこにしてしまいます。そのために青年は完全に道を踏みはずしてしまって、女のために何もかも犠牲にして、脱営し、女といっしょに密輸入者の群れに入り、すっかり堕落してしまうのです。さてそうなると、女は彼に飽きてしまって、闘牛士とくっついてしまうのですが、それがまたすばらしいバリトンの持ち主で、女が絶対にいやとはいえないような男なのですね。そうしてこの気の毒な兵隊が、顔を真っ青にして、シャツの胸をはだけてでてきて、闘牛場の前で女を短刀で刺し殺しておしまいになるのですが、女はまさか男がそんなことまでするとは思わなかったので男を挑発したというわけです。」
-ハンス・カストルプ

 そもそも恋人の二人の出逢った事が間違いだった十年、間違いが本当に間違いか確かめてみたかった二十年、これほど悩ましく恨めしい事もない三十年──「平成の人殺し」 by Nori MBBM

 Unfinished Balladesのライヴでミッシェルの「ゲット・アップ・ルーシー」に「ダニー・ゴー」、またソロの弾き語りで「キラー・ビーチ」も演ったし、ニルヴァーナの方も弾き語りで「About a Girl」を以前カバーしたけど、この“カバーMVシリーズ”でもカートとチバユウスケの曲は絶対に演っておきたかったので、前回のカバー、そして今回の「人殺し」と一通りレコーディング・撮影する事ができて良かった。



 今回、このカバーMVシリーズでは初めて打ち込みドラムやシンセベース等のリズムトラックを録らなかったんだけど(原曲もギターとボーカルのみだし)、己がカバーとロッソの原曲で最も異なる点を挙げるとするならば、それは“湿っぽい”ってとこかな。

 チバさんって生まれながらにして、また自覚的にも“カラッ”と乾いた人でしょ。ミッシェルやバースデイのフアンの方も、そういうサバサバしたのが好きな人多いと思うし。バースデイのファーストに「うんざりするぜ、お前のしめった感じ、メキシコ行け」って歌う曲もあったよな──しかし如何して俺は湿っぽい(メキシコへ行く予定はないが)

 故に今回のカバーと原曲で一番異なる点は“湿っぽい”ってとこ、チバさんの曲を吉井さん(それも「39108」を出した辺りの)がカバーしてる感じ?これは意識的にアレンジしたというより、吉井さんとチバさんのロックンロールを10代の青春の終わりに毎日聴いていた手前のサガが出ただけのこと。


~~~~~~


 まあカラッと乾いただのサバサバしているだの言いましたが、チバさんが実に面白い人だなと思うのは、時折メルヘンで至極ロマンチストな詩世界を描くところだ。この人の詩集にはボールペンやマジックで描かれた幾つかのラフ画(書き殴られたイメージの断片)が載っていて、其処にも無邪気な夢想家としての一面を垣間見る事が出来る。

 子供が頭の中の箱庭で遊び回る奔放な感じ、そういう一面を“男の顔は履歴書(安藤昇)”みたいな世界観に紛れ込ますのがホント上手いし、絶妙でズルいし、それがチバさんの言語化しづらい潜在意識的な魅力だと思う(言語化できたらブコウスキー、ブコウスキーは「魔の山」を退屈と見なす、それを有難がって読む俺はチバユウスケから“メキシコ行き”を告げられる、そこでまたブコウスキーと再会す、俺はきっと人殺す、チバの詩をこうして論評する様に、憧れを喪くす、いま此処で文章を書く様に、平静に人を殺す)。

 ミッシェルのライヴの入場SEが「ゴッドファーザー・愛のテーマ」だった時期(チバさんがオールバック・リーゼントだった数年間)があったけど、あのマフィア的な世界観なんかまさにそうだ──“冷淡かつ残酷で容赦のない大人の男”と“友情や絆とか家族愛を重んじる純なままの幼い男”の同居。



 MVの撮影は、高円寺から中野へ行く途中にある公園にて決行(友人が以前、この公園で雷に打たれて入院した⚡KAMINARI TODAY)。



 また何でスーツ着てブランコに乗って弾き語りしたかって、別にうらぶれたサラリーマンを演りたかった訳じゃなく、この「人殺し」って曲がキーを変えたバンドアレンジで「ブランコ」という別名で演奏されているからです(「ブランコ」の方は公式にMVも作られている)。スーツの方はと云えばバンド・TMGEからの観念連合、或いは前述した“大人と子供が同居した様な男”のイメージから着用。



 バンドで初音源を出したら、久し振りにライヴがしたいし、ニルヴァーナやミッシェルのカバーもまた演りたい。バンドのメンバーにもそう話しておこう。


 ではまた、令和あたりで!!