象徴的な死と再生の過程の背後には、実際の死が存在しているのである。肉体的死を回避しつつ、象徴的死を成就することが必要で、ただただ「死」を避けていたのでは何事も成らないのである。
ユング心理学の偉い先生が、そう云っていたので。
則ち死ぬに二種類あり、本当に死ぬのと死なない死ぬのと(死なない死ぬの背中を押してやる、と本当に死ぬ)──死なない死ぬのが大好きで、本当に死ぬのが大嫌い!!
昔から、死の匂いのするものに惹かれる。その心は、生死の境界に居るから。その心は、何か知って居そうだから──死なない死ぬのが大好きで、本当に死ぬのが大嫌い!!
生まれ変わるのに、新しい生活や人生の節目に、色々と沢山の様々な、仮想の死が要るね──卒業おめでとう!!
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一昨日、吉祥寺まで卒業式に参ったので、どこか清々しい。長きに渡る平成の呪縛が一つ、解かれた様である。そうして、ある令和にいる。
今日、延期されていた志磨さんのデビュー10周年記念ライヴが、隣町である中野のサンプラザにて開催される。実り多き十年に相応しい、この曲をお祝いの言葉と代えさせて頂きます。
それから父方の祖母の誕生日なので、大正生まれのばあちゃんにこの収穫を捧げます(ちなみに父方の祖父の誕生日には、毛皮ズのカバーを演りました)。
ドレスコーズもカバーしたいナンバーが沢山あって、今まで何曲も宅録してきたけど、この曲を選んだ訳はタイトルも然(さ)る事ながら、“そして遅れてきた夜が そっと退屈に火をつけた 火をつけた”という一節が、昨年の春から今日まで延期された今夜のライヴにぴったりだ、と思ったからであります。
ドレスコーズで一番好きなアルバムは3rd「1」なのですが、この“ハーベスト”が入った2nd「バンドデシネ」は一番聴いたアルバムかもしれません。かつて4人組のロックバンドとして結成されたドレスコーズが最後にロックンロールした作品である、という印象です(トートロジー!!ロジー!!男だろ泣くな)。
7、8年前、ブルーハーツ大好きな高校の友達とそのまた友達(その日が初対面)と三人で、年越しフェス“カウントダウンジャパン”に行ったんだけど(滅茶苦茶楽しかった)、そこで観たギターのマルさんのオーラないし気迫が凄まじかった。
日本人離れした俳優みたいな顔で、ロックとは思えない前衛ジャズみたいなフレーズを弾き、というか弾かないで弾く、みたいな無の瞬間も多々あり、表情一つ変えないで客を睨みつけ、一言も発する事無くステージから消えてった。前に居た女の子二人が天を仰ぐよに見惚れていたこと、それも併せて鮮烈な記憶として残っております。
ライヴ後、会場でアルバム「バンドデシネ」を買うと“サイン付きポスターが貰える”との事で、西くんの居るスターベムズやマンウィズ目当てで来ていた高校の友達の友達がドレスコーズ初見だったけどアルバム買って来て、「ポスターほしいでしょ、あげる。今のライヴ見てアルバム聴きたいだけだから」と云ってわざわざサイン付きポスターをくれたり(自分はもう「バンドデシネ」持っていたから)、本当に嬉しかった。
「バンドデシネ」を聴けば瞬(またた)く間、自分がバンドを組む直前の、キラキラとした場面が走馬灯みたく、みな青春みたいに蘇る。このアルバムが素晴らしいのは間違いない事実だけど、同時に喚起されるその青春みたいなものが楽曲によるものなのか、つまりドレスコーズにとっての青春によるものだったのか、或いは手前の二十代が過ごした青い春の輝きによるものだったのか、青春は遠くなりにけり、今となっては余計に分からない。
カバーMVについての前置きが長くなってしまった。白状すれば今回のカバーに実は意図なんて無く、なんとなく なんとなく(←スパイダース)、得意のアコギ弾き語りに大好きなローズピアノを添えて、ぐらいのシンプルなものでしかない。ありのまま素の自分でしかなく、もっともらしく客観的に語る事ができない。撮影時の服装だって、3年前のジーンズにセーター笑っていいぜ(←YOSHII LOVINSON)で特筆すべき事がありません、というのが今回の特筆すべき事でしょうか。
原曲が完璧で理想的なバンド演奏──だから好きなんだけど、いざ手前はどういうアレンジでカバーするのか──となれば自ずとこう演るしか術がない。しばらくは気負う事なく、ギターと歌だけでシンプルにカバーしてこっ、というのが今の気分でもある。平成の呪縛から解かれて、清々しいや。
中野に用事があったので、サンプラザへ寄り道
──ライヴ参戦しないけど、みな愛に気をつけてね
日差しも風もそこそこに、花吹雪がはらはらと
──とある令和の四季はじめ、この春もまた儚く短し
きっと全てハーベスト
──いつの間にやら葉桜に
花相似たり、人同じからず
(劉希夷「代悲白頭翁」より)
──ある令和にいる
(「粋な男のバーニン日記」三月三十一日号)
