2021年3月31日水曜日

ある令和にいる

象徴的な死と再生の過程の背後には、実際の死が存在しているのである。肉体的死を回避しつつ、象徴的死を成就することが必要で、ただただ「死」を避けていたのでは何事も成らないのである。

 ユング心理学の偉い先生が、そう云っていたので。

 則ち死ぬに二種類あり、本当に死ぬのと死なない死ぬのと(死なない死ぬの背中を押してやる、と本当に死ぬ)──死なない死ぬのが大好きで、本当に死ぬのが大嫌い!!

 昔から、死の匂いのするものに惹かれる。その心は、生死の境界に居るから。その心は、何か知って居そうだから──死なない死ぬのが大好きで、本当に死ぬのが大嫌い!!

 生まれ変わるのに、新しい生活や人生の節目に、色々と沢山の様々な、仮想の死が要るね──卒業おめでとう!!


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 一昨日、吉祥寺まで卒業式に参ったので、どこか清々しい。長きに渡る平成の呪縛が一つ、解かれた様である。そうして、ある令和にいる。



 今日、延期されていた志磨さんのデビュー10周年記念ライヴが、隣町である中野のサンプラザにて開催される。実り多き十年に相応しい、この曲をお祝いの言葉と代えさせて頂きます。

 それから父方の祖母の誕生日なので、大正生まれのばあちゃんにこの収穫を捧げます(ちなみに父方の祖父の誕生日には、毛皮ズのカバーを演りました)。



 ドレスコーズもカバーしたいナンバーが沢山あって、今まで何曲も宅録してきたけど、この曲を選んだ訳はタイトルも然(さ)る事ながら、“そして遅れてきた夜が そっと退屈に火をつけた 火をつけた”という一節が、昨年の春から今日まで延期された今夜のライヴにぴったりだ、と思ったからであります。

 ドレスコーズで一番好きなアルバムは3rd「1」なのですが、この“ハーベスト”が入った2nd「バンドデシネ」は一番聴いたアルバムかもしれません。かつて4人組のロックバンドとして結成されたドレスコーズが最後にロックンロールした作品である、という印象です(トートロジー!!ロジー!!男だろ泣くな)。



 7、8年前、ブルーハーツ大好きな高校の友達とそのまた友達(その日が初対面)と三人で、年越しフェス“カウントダウンジャパン”に行ったんだけど(滅茶苦茶楽しかった)、そこで観たギターのマルさんのオーラないし気迫が凄まじかった。

 日本人離れした俳優みたいな顔で、ロックとは思えない前衛ジャズみたいなフレーズを弾き、というか弾かないで弾く、みたいな無の瞬間も多々あり、表情一つ変えないで客を睨みつけ、一言も発する事無くステージから消えてった。前に居た女の子二人が天を仰ぐよに見惚れていたこと、それも併せて鮮烈な記憶として残っております。

 ライヴ後、会場でアルバム「バンドデシネ」を買うと“サイン付きポスターが貰える”との事で、西くんの居るスターベムズやマンウィズ目当てで来ていた高校の友達の友達がドレスコーズ初見だったけどアルバム買って来て、「ポスターほしいでしょ、あげる。今のライヴ見てアルバム聴きたいだけだから」と云ってわざわざサイン付きポスターをくれたり(自分はもう「バンドデシネ」持っていたから)、本当に嬉しかった。



 「バンドデシネ」を聴けば瞬(またた)く間、自分がバンドを組む直前の、キラキラとした場面が走馬灯みたく、みな青春みたいに蘇る。このアルバムが素晴らしいのは間違いない事実だけど、同時に喚起されるその青春みたいなものが楽曲によるものなのか、つまりドレスコーズにとっての青春によるものだったのか、或いは手前の二十代が過ごした青い春の輝きによるものだったのか、青春は遠くなりにけり、今となっては余計に分からない。



 カバーMVについての前置きが長くなってしまった。白状すれば今回のカバーに実は意図なんて無く、なんとなく なんとなく(←スパイダース)、得意のアコギ弾き語りに大好きなローズピアノを添えて、ぐらいのシンプルなものでしかない。ありのまま素の自分でしかなく、もっともらしく客観的に語る事ができない。撮影時の服装だって、3年前のジーンズにセーター笑っていいぜ(←YOSHII LOVINSON)で特筆すべき事がありません、というのが今回の特筆すべき事でしょうか。

 原曲が完璧で理想的なバンド演奏──だから好きなんだけど、いざ手前はどういうアレンジでカバーするのか──となれば自ずとこう演るしか術がない。しばらくは気負う事なく、ギターと歌だけでシンプルにカバーしてこっ、というのが今の気分でもある。平成の呪縛から解かれて、清々しいや。



 中野に用事があったので、サンプラザへ寄り道
──ライヴ参戦しないけど、みな愛に気をつけてね


 日差しも風もそこそこに、花吹雪がはらはらと
──とある令和の四季はじめ、この春もまた儚く短し


 きっと全てハーベスト
──いつの間にやら葉桜に


 花相似たり、人同じからず
(劉希夷「代悲白頭翁」より)
──ある令和にいる
(「粋な男のバーニン日記」三月三十一日号)


2021年3月29日月曜日

ない世界にいる

物心つくか、つかないかの時分に入学。四半世紀を費やし、遂に卒業式である。3列目センターのC11、とっておきの席を目指す。



 ここでネタバレしないが、真っ新(まっさら)な心持ちで観たい方はこれを閉じてくだされ。



 以下、映画の外の話:四半世紀のこと、平成と令和のこと


ない世界にいる
ない世界に着いた

ひとりでに思い出す

色んな話をした
色んな声を思い出す

色んなバスに乗って
色んな授業を受けた
色んな電車に乗って
色んなお店へ行った
色んなモノを買って
色んな帰り道を歩いた
色んな夜遅くに眠って
色んな覚えのない夢を観た
色んな取り留めない忘れて

色んな人に出逢った
色んなはもう居ない
色んなは二度と無い

ひとりでにない

ない世界にいる
ない世界はあった世界で
ない世界はない世界とも違う

後悔はしない方が良い
と後悔をする
それは良い
前よりか絶対良い

おめでとう
あんたバカァ

ひとりでにある

ない世界に着いた
ない世界にいる

過去と未来の
アニメとリアルの
目視と想像の
それらすべてあって
なんら区別の


ない世界にいる




 二年程前、猫も杓子も大絶賛した映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観賞した際は、多分に順序立てて己れ自らを納得させたけれども、今回の「シン・エヴァンゲリオン」は手放しで、皆と同じく大絶賛であります。私は良い客です(と良い客は自ら名乗らないが)。


 実は人類補完計画の為、実はゲンドウの為、実は手前ら客の為、いやいや庵野秀明の為、というメタメタにメタな構造で貫かれているのは以前より周知の事実でありますが、やるせない気持ちって、こうして俯瞰してやっと捉えられた気がするものです。失敗した友情やら愛情やら、忘れ得ぬ人たち全てに蹴りをつけるべく人類補完、いやゲンドウ、いやいや庵野、手前ら客だろ、とまたメタる野郎、グラム歌謡メタル野郎!!



“Are you burning?”セントラルドグマッ



ない世界にいる


2021年3月13日土曜日

2+0+2+1=5cow-五鈷

昨年を振り返り、2020という数字の並びについて考える──AKIRAのネオ東京よりか平穏無事に過ごして居られるが──オリンピック2020は、やはり幻となった。



 夕べ消灯する時には無かったと思うが、ふと横になって天井を見上げれば、蜘蛛の糸が垂れている──近頃の私は芥川が過ぎる──その糸を掴んでこの地獄から這い上がろうぞ、と決意するには普通過ぎて変哲の無い糸、有り触れて小指で千切れてしまうくらい。



 ぷかぷか揺れる糸に蜘蛛の姿すら無く、人間の相手は人間ばかり、有り難く小指で契りを交わすくらい──そう、救いを約束する糸ではない──蜘蛛が遊びに来る程ここは極楽、と言う方が適切である。



 人間の私は未だ気付かないで、それは心臓が絶え間無く拍動している事を今更に考えないくらい──気付く野暮は二十代で懲りて、極楽か地獄かはもう問題にならない──偸吉、邪太郎、妄介、殺雄、飲五郎、みなと過ごした日々はもう戻らない、五つの戒めも、卵と呑み込んだ!!

 粋な、活き活きとした、生きもの──ここに降り立つ蜘蛛が如く──どこまでも愉快に。


2+0+2+1=5cow-五鈷


2021年3月3日水曜日

「Nori MBBMのカバーMVシリーズ」まとめ3

皆様おはようございます、ノリ・エムビービーエムです。

 平成28(2016)年12月末からゆるりと始めたこの活動も、お陰様で30作目を数える迄になりました。MVを観て頂いた方、撮影に携わってくれた友達、そしてこれを読んで下さっている貴方に、心より感謝を申し上げます。ありがとうございます。

 当記事では「Nori MBBMのカバーMVシリーズ」まとめ3と題しまして、MVの21~30作目をご紹介いたします。




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「Nori MBBMのカバーMVシリーズ」まとめ3


21.「恋のハイパーメタモルフォーゼ」(2018, ザ・クロマニヨンズ cover)

 ザ・クロマニヨンズ、2018年の作品(作詞・作曲:甲本ヒロト)。カバーMVは2020年3月にアップ


22.「Lonely Planet Boy」(1973, New York Dolls cover)

 ニューヨーク・ドールズ、1973年の作品(作詞・作曲:デヴィッド・ヨハンセン、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2020年5月にアップ


23.「ハリキリ坊やのブリティッシュ・ジョーク」(2007, 髭 cover)

 髭、2007年の作品(作詞・作曲:須藤寿)。カバーMVは2020年8月にアップ


24.「What Do I Get?」(1978, Buzzcocks cover)

 バズコックス、1978年の作品(作詞・作曲:ピート・シェリー、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2020年9月にアップ


25.「I'm swayin' in the air」(1983, THE ROOSTERS cover)

 ザ・ルースターズ、1983年の作品(作詞・作曲:大江慎也)。カバーMVは2020年10月にアップ


26.「Nori MBBMの夢は夜ひらく」(1970, 藤圭子 cover)

 藤圭子、1970年の作品。三上寛が1971年にカバー(作詞:Nori MBBM、作曲:曽根幸明)。カバーMVは2020年11月にアップ


27.「追憶」(1974, 沢田研二 cover)

 沢田研二、1974年の作品(作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦)。カバーMVは2020年12月にアップ


28.「Steppin' Stone」(1966, The Monkees cover)

 ザ・モンキーズ、1966年の作品(作詞・作曲:トミー・ボイス&ボビー・ハート、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2020年12月にアップ


29.「Walking the Cow」(1983, Daniel Johnston cover)

 ダニエル・ジョンストン、1983年の作品(作詞・作曲:ダニエル・ジョンストン、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2021年1月にアップ


30.「LEMONed I Scream」(1996, hide cover)

 ヒデ、1996年の作品(作詞・作曲:hide、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2021年3月にアップ


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 ちなみに、撮影用カメラにはソニー・サイバーショットの型落ちモデルを何年も何年も使っているので、「今時スマホのカメラの方が画質良い」とか「撮影のプロにちゃんとした機材で撮って貰うべき」など、ご指摘を頂く事があります。お気持ちは嬉しく、鮮明で高画質なMV、というのは何にも勝る気がします。

 ただ私の心は、彼の谷崎が認(したた)めた“陰翳礼讃(いんえいらいさん)”という思想によって貫かれて居るのです。我がカバーMVに関して言えば、2000年代初頭迄のブラウン管テレビが点描する不明瞭な神秘であり、VHSやベータによる記録が記憶の曖昧な模糊であり、LDの半透明インナースリーブが鼻を抜けて薫(かお)る恍惚であり、ATGやニューシネマの不条理が落とす陰りであり、1976~99年まで西新宿に構えたロフトのステージと客席に閉ざされた翳(かげ)りであり、T.レックスで歌われる処の“20世紀少年”の礼讃そのものなのであります。

 このまま年を取って老害と云われる未来もあるやもしれぬが、これは信念であるから押し付けるつもりもなく、ただ良いものであると疑わずに生きて居るのです。西洋方便 科学陰惨、文明御免 陰翳礼讃。


「MBBM killed the YouTuber.」
by Nori MBBM

Video killed the Radio Star.の内の誰ももう居ない。そもそもレディオだって活字のアイドル達を本当の意味で人間失格させた。文豪という生き物は二次元に消え失せた──それは元々か。SNSで私はビデオやラジオや活字のサイボーグとなるが、SNS自体どうなるかしらん?

回答①今世紀の始まり方は肌身を持って知っている。一つ前の20世紀は映像で、それより前は本で知っている。さらに、各世紀に時代を語る者が居る。しかし、悪い事ばかし語る者ばかり、良い事は見当たらぬと言わんばかり。

かつて、お金の無い娯楽は紙面いっぱいの活字だらけ。いまや、時間も無い娯楽は倍速ぜったいの映像だらけ。そして、お金と時間の無い娯楽は一杯も絶対も呑み込んだ私だらけ。私だけ?

回答②もし私が先に亡くなったら愛しものよ、誰の云う事も聞かないで呉れ給え。君を大切にしようとするものが現れても何も見失うことなく、ひどく傷ついてしまわぬ様に。


愛しものよ、我がカバーMVよ、永遠に




2021年3月1日月曜日

レモネードアイスクリーッマ

令和三年三月、“Nori MBBMのカバーMVシリーズ”は、遂に30本目と相成りました。



 記念すべき今回は、“我がロック四天王”の一人であるhideさんの名曲「レモネードアイスクリーッマ」で御座居ます。黄色っぽいし春っぽい、黄泉っぽいし春に会いましょうっぽいでしょ。

 “我がロック四天王”はみな“グラム歌謡メタル野郎”と言い換えられるんだけど、hideさんも云わずもがな、グラムロック、昭和歌謡、ヘビィメタルへの愛を数々の音楽誌やラジオで語っておられました(ミーは十代の頃にインタビューもラジオの文字起こしも貪り喰らっていたので、肝に銘じているhideさんの言葉が幾つもあるワ)。


檸檬、それは梶井云う処の爆弾
(高円寺民お馴染みの高野青果で8個入り198円也)

 hideさんのギター論(練習における挫折やリズムの話)、パンク論に歌詞論(クラッシュとかブルーハーツの話)など、どの話もマヂ面白えので誰かと語り明かしたいが、当記事でそれをやると話が四分五裂(しぶんごれつ)して収拾がつかなくなるから一旦置いといて、今回の「レモネードアイスクリーッマ」の話をしましょう。

 15、6歳で初めて聴いたそのナンバーは、ミーと同じ“グラム歌謡”の匂いがしたのである。初めてなのに、前にもあった気がしたのである。hideさんは当初「1996年のヴェルヴェット・アンダーグラウンドの新曲」ないし「昭和歌謡のデュエットソング」をテーマに作曲したと仰られていたので、なるほど合点です。ライヴだと女装したチロリンさんとデュエットで演っておられましたね(いとグラム歌謡で候)。


 そんな完璧なグラム歌謡ナンバーへ真心込めて、原曲の魂を受け継ぎながら天上天下唯我独尊、私なりに演らせて頂きました。

 まずオープニングのメルヘンなオーケストラですが、私の手弾きシンセ、シンセ、シンセを重ね重ねに重ねまくって、結構忠実にカバーできたと自負しております。キラキラした遊園地のメリーゴーランドや、コーヒーカップがくるくると回る光景、そんな様なものが貴方にも見えたならば幸いで御座居ます。

 次に打ち込みのドラムはhideさんとか布袋さんをイメージして、モジュレーションかけまくりの“ポヨンポヨン”な音にしました。超具体的に言えば、Xの「セレブレーション」とかBOOWYの「ワーキングマン」のイントロのバスドラのあの感じ。

 そしてギターに関しては、私が歌いながら弾いているイントロとアウトロのフレーズにはフランジャーやコーラス等の空間系エフェクトを強烈に掛けて、それ以外のリズムギターはほぼクリーントーンのままチャカチャカとファンキーに演奏いたしました。跳ねるリズムで歯切れ良くカバーしたかった為、原曲の様にワウを使う事はしませんでした。

 最後にボーカルですが、こちらは原曲よりエフェクト弱めで、はっきりと言葉が聴こえる様にレコーディング・ミックスいたしました。恒例、ルースターズの大江方式で、前半は原詞、後半は日本語訳詞となっております。


「LEMONed I Scream」
作詞・作曲:hide
日本語詞:Nori MBBM

One day, I was walkin' down the streets
Looking for anything, Any surprise
Feel like a treasure game on a rainy day

Then it happened suddenly, I saw, I saw
And there it was fallin' down under my feet

Then, You know, It had something spiney head,
And I was gonna touch it
Then I got a pain,
My fingers painted in blood,
but I feel so fine

Nobody could find out, but I knew, I saw
I don'care if nobody can love it, oh yeah
Because ah hahahaha

ah… I've got a feelin' in my hand
It's a lemon lemon lemoned - I scream!

とある日、散歩をしてたの
イカしたミュージック聴きながら

そしたら突然、アヒャ、アヒャヒャ
と聴こえてきて
ええねん、ええねん
いこうぜ、ああん

ああ、ご馳走だ
スウィート・ポイズン・ケーキ
喰うて即ハイ的な
早よ早よ

嗚呼、性別年齢不詳ソング
It's a lemon, lemon, lemon & I scream

ああ、心から壊れたマシーン
でも大好き、大好き

嗚呼、なんて不適合者
It's a lemon, lemon, lemoned I scream! yeah

It's a lemon, lemon, lemoned I scream! yeah

It's a lemon, lemon, lemoned I scream! yeah


※Lemon:ミカン科の常緑低木、その果実のこと。
(俗語で)欠陥品、不快なもの。



メリケンのサブカルを敷き詰めた様な部屋にてMV撮影す

 今回はストリートファッションを気取って、罵詈雑言が列挙された黒のトレーナーにスキニーパンツ、昨年のドールズのカバーの時も履いた厚底のラバーソールを(このラバーソールのブランド名に“レモン”という単語が入っていたので)。後はオーテクのレモンイエローなヘッドホンを首にぶらん、と。


15年以上前に通った塾も今は誰かの一軒家
(高円寺から1時間半かけて一目見に)

 レモンが私に連れて来てくれるのは──レモンの飴を舐めながら勉強していた学習塾の小さな教室の湿った匂い、参考書の焼けた余白と目に痛い文字列の黒、履き古されて色褪せてほつれたスリッパ、立ち上がる度にミシッと軋む床、部屋の隅で必死に唸る暖房ヒーターに、尊敬する石川先生の低い声と咳払い──十代の断片達。

 二十代であれば、カクテル用レモンを仕込むライヴハウスの薄暗いキッチンの中、或いは付き添いで通った病院近くの喫茶店の低いテーブルとレモンティーのグラスの汗。

 同じ柑橘類でもミカンの匂いならまた別に、実家やら友達の家やら給食やら職場での記憶を引き連れて来る──そういえば芥川の短編「蜜柑」の冒頭は、hideさんの生まれ育った横須賀から始まるね──匂いとノスタルジーの話。

 貴方だって石鹸が香れば、学校の蛇口にぶら下がるネットがそれに食い込む様や、校庭にサッカーボールが擦れる音、野球部とかバスケ部の奴等の下卑た笑い声を思い出したりするであろう。

 私の場合なら実家の洗面所で、手を洗う直前まで作っていたプラモデルのディテールや、組み立て途中のパーツの形状、掛けられた手拭きタオルの柄や大きさを思い出したりするのである。

 外へ出れば近所から煮物の匂いがして、狭い裏路地に続く生け垣の高さや、夕暮れの太陽と雲の分布の仕方に、夜に成りかけた橙と紫のマーブル模様の空を思い出したりもする。

 嗅覚とノスタルジーにはキリがない。切りがなくて、意識は全て繋がっていて、結局、三つ子の魂百までと為る。


如何なる時もグラム期のボウイ様がミーの背後に

 勿論、目にだって耳にだって口にだって、手足にも沢山あるけれど、私は鼻──またぞろ芥川──が人よりデカいからか、そこが一番の記憶装置となっている様である。

 このデカい鼻……まあ目も耳も口も手足もデカいんだが、それらを生かして、千差万別の記憶を次々と手繰り寄せ、これからも芸術して行く所存で御座居ます。


 とりあえず30本できました、どうぞ宜しく!!!