2023年5月1日月曜日

34歳26歳:笑って申し訳ありません、病気なのです

全く忌(い)まわしい男、桃井銀平と同じ34歳になった。しかし私はトルコ風呂なぞに行かない、一度も娼婦と遊ばない。そればかりかタバコも吸わない、一本たりとて喫(きっ)しない。ギャンブルもした事ない、これは手前の生活が賭け事みてえなもんだから。みんな嗜(たしな)みとして格好のつく時代もあったやもしれぬが、私には全く以て余計なこと。ロッカーなら「ヤレよ」「吸えよ」と何百回言われたか、そんなダセーロッカーなら即死しな。即ち死ぬまで俺と縁がない。別にわたくし酒は呑むが。それから桃井銀平ですらやらなかった酷い事だって沢山してきた。人に言うには憚(はばか)られる。彼と同じ34歳になれそうもない。全く忌まわしい男、26歳になった。



だから道化師も言っている。「人間との交際は性格をそこなう。ことに性格のないやつの性格を」と。

 どうやらこれにて“我がロック四天王”のカバーMV、無事完了す。


 願望が形に成っただけ、心象風景を皆様へ見せられる様に為っただけ。それだけの為に生きてきたの、産まれてきたの。そう、誕生日に思う。確実に老いてゆくのだが、着実に上手くなってゆく。皆様が気付かぬ処で、音楽も文学も意のままに。本人の成長は当人に一つも嬉しくない、その一つの何倍か恥かいて。そう、誕生日を想う。

未来と、最も遠いこととが、君の「今日」の原因であれ。君の友の内部に、君は君の原因としての超人を愛さねばならぬ。

 ここんとこギターばかりだったもんで、しばらくぶりにピアノひっぱりだす、そんなカバーMVす。原曲と一味違う演奏を聴かせてあげよう、だってトイピアノの高級に成れない高尚に為らない音色が好きさ、“Let's Play Music♪”とポップなフォントが踊るオラの御自慢のヤツが火を吹くぜ(ガンバレ中華製)。

 こんなのピエロにしたら朝飯前さ、ピエロといったら“ジョーカー”さ、2019年のホアキン・フェニックス版さ──登場曲は勿論、ゲイリー・グリッターで「ロックンロール」★★★★


Forgive my laughter: I have a condition.

わたしの兄弟たちよ、わたしは君たちに隣人愛を勧めない。わたしは君たちに遠人愛を勧める。
 ツァラトゥストラはこう語った。
-フリードリヒ・ニーチェ


2023年4月30日日曜日

新刊「平成総体(へいせいそうたい)」上梓

間に合った。三十四歳となる前の今日迄に、三十三歳迄の人生に書いてやったのだ。バルザックよりもバルザックらしく、神様よりも神様らしく。

 この破廉恥を如何(いか)に、正直かつ誠実に、制御・統合してゆくのか?生涯かけてやらねばならんのだ、バルザックよ、神よ!

 その真面目を如何に、俗悪かつ猥褻に、波及・伝播させてゆくのか?生涯かけてやらねばならんのか、父母よ兄よ恋人よ、私以外のものどもよ!

 これでようやく平等なのです。


前作「六界記紀」に引き続き自ら装幀をデザインした
※=:イコール、平等、平均、平行、平凡、ないし平成の意


~~~~~~


–序文–
(令和五年二月二十六日)


–本編–
(令和四年十一月三十日)

(令和五年二月二十八日)



–跋文–
「三十代の青春小説」

「ライ麦畑でつかまえて」が十代の青春小説なら、「鏡子の家」は二十代にとってのそれだろう。

 どちらも滅茶苦茶に背伸びをした、つまり十代にはまだ早い十代の行動をする主人公と、二十代にはそぐわない二十代の言動をする主人公達とが繰り広げる、読者の共感以上に作家の虚栄心と保身が感ぜられる物語だろう。だってサリンジャーは32歳で、三島は34歳で、それを書いたのだから。両者を割った平均(=)の処の33歳となった今、私は一体何を書くべきか?

 そこで三十代の青春小説を探している。三十代には似合わぬ老衰しきった、しかし三十代にしては若すぎると云えるよな、そんな本がないものか?と古書店を練り歩く。

 しかし古書店というのは静かで他人に無関心な、本にしか相手にされぬよな人間の巣窟だ。人目も付かぬ独りの家でこんな文章を綴るよな、愛想良いのも悪いのも沢山の意気地無しが、そこには居るんだ。

 一人は四十過ぎの自営業やっておますみてえなヒゲ面メガネが、私の物色する棚にぐいぐいと無言で身体をねじ込ませて来る。こんな意気地無しより意気地が無くたって構わないから、私は無言でそこをどいてやるとほら勝ち誇った様に、仁王立ちして思う存分に大好きな本を漁ってらあ。色んな文学だ哲学だ読み漁っていてもこの様ぢゃ、全くこっちまで哀れな気分になっちまう。

 またある時は、私が背中の向こうの棚に立つ七十位のじじいが“ぶしゅうゝ”なんて排泄音を立てたもんで振り返ったらば、素手で鼻をかんでいた。しかもその手で矢継ぎ早に、陳列された色々な本へ手を掛けて、一冊一冊の状態をまぢまぢ確認し始めちゃうもんだから、私ほとほと嫌気が指して、購買意欲も失せちゃった。じじいが見ていたのは時代小説の棚で、手前が読まぬ類いのものだったからまあ良いが、読書からしか学びが無かったであろう、こんなじじいにはなりたくねえ、としみじみ切なくなっちまう。

 本を大切に思うはずの奴等が、本を蔑(ないがし)ろにするなど。店員も店員だ、ウラ表紙や奧付(おくづけ)にベタッと値札を貼るなど。或いは奧付に直接、鉛筆で何円だ数字が書き込まれていたりする。新刊は新刊で、がさつな奴が立ち読みした後の傷付いた本が置かれていたりする。或いは配送時か陳列時か、表紙が折れて擦(こす)れて破れていたりする。小口(こぐち)と天と地と、不用意にも汚されていたりする。店員も客も配送業者も、みな自分一人で良かったに。店員も客も配送業者も、本を大切に扱ってくれ。ただ読めりゃあ良いんだったら、図書館にでも行ってくれ(しかし図書館においては、さらに暴虐の限りを尽くされた書籍が……そこでは書籍のレイプが!!)。こんなに丁寧に扱えぬものなのか、そんなに大切に扱うものでもないのか。馬鹿らしくなってくる、一人ぎゃあぎゃあ騒いでさ。あゝ家の者や友達に、CDレコードを傷付けられた気分でさ。本など皆、無くなっちまえ……

 そうだ、三十代の青春小説を探していた。三十代には似合わぬ老衰しきった、しかし三十代にしては若すぎると謂われるよな、そんな本がないものかと。お手本も無しにこう、自分で書くしかないものか?

 そもそも小説の書き方なんて、誰も教えてくれなかった。日々の出来事などを綴るうち、日記のつもりが人生めいてきて、こら小説そのものぢゃないか、と書き方を突然に分かる迄。人間、結局、人生な迄。

 そうだ、曲作りもこんなだった。さて、続きをやらないと。イコールの、向こうまで書かないと。



~~~~~~


 月の世界と太陽の世界のどちらも克明に描けたら、午前中午後どちらも書けたら、陰陽どちらに地球が転んだって、東西に分かれたって上下に離れたって、私はその片方で多分、生きてゆけると思うのです。

 これでようやく平等なのです。



「今こそおまえは偉大へと向かうおまえの道を行かねばならぬ。山頂と谷──それらはいま大きい一体のなかに包含されたのだ。
 おまえは偉大へと向かうおまえの道を進んでいる。今まではおまえの最後の危険であったものが、おまえの最後の隠れ家(が)になったのだ。
 おまえは偉大に向かうおまえの道を行かねばならぬ。おまえの背後にもう道がないということが、いまおまえに最善の勇気を与えねばならぬ。
 おまえは偉大へと向かうおまえの道を行かねばならぬ。ここでは何びともおまえのあとに従う者はないだろう。おまえの足が自分で自分の歩いた道を消して進むのだ。そしてその道の上方には、『不可能』という大文字がかかげられている。」
-ツァラトゥストラ


2023年4月20日木曜日

私のレーゾン・デートゥルは

健康の時代が、大っぴらに希望はされなくても、しかも、ひそかに期待されていたという一つの徴(しるし)は、市民たちがもうこのときから、ペストの終息後どんなふうに生活が再編成されるかということについて、無関心めいた口ぶりながらも、進んで話すようになったことである。
 みんな考えるところが一致していたのは、過去の生活の便利さは一挙に回復されはしないであろうし、破壊するのは再建するよりも容易であるということであった。
-ベルナール・リウー

 一体コロナって何だったんだ?と語る時代が来るかしらん。毎日、全都道府県の感染者数が事細かに報道され、一人増えただ一人減っただと一喜一憂した、あの頃、一体何だったのだと。ファイザーだモデルナだ何度も打たれただ、長蛇の列だワクチン接種だ、一体何だったのだと。無観客ライヴだキャパ半分ライヴだ配信だ、一体何だったのだと。

 こんな楽観は気が早いか能天気か不謹慎か、もう二度とコロナ以前の生活には戻れないのだよ!とキツいお叱りを受けるかしらん。またもう一つおまけにお叱りを受けるとしたら、手前はこの自粛生活のお蔭で読書量が以前の倍となり、どこかコロナ禍(か)の世界に感謝している節(ふし)がある。

 これは或いは「戦争と一人の女」、戦時中の哀しみをヤケクソに愉(たの)しむ当事者という事で、後の世のコロナを知らぬ者から何を云われる筋合いも無いし、さあもっと自粛・停滞しちまえ、その間にゆっくり・じっくり今ここに思う存分書き綴ってやるからな、と楽しくて仕様がない側面もある。これもじきに終わりかしらん?──ただこの活字中毒はもう止めらんねえぞ!


 読む前から好みではないと分かっていたが、村上春樹を遂に読んだ。皆読んでいる作家だから今まで避けてきたのだが、やはり好みではなかった。日頃より粋な事しか話したくない書きたくない、と心掛けているから不本意ではあるが、本当に野暮なものは話題にすらしない質(たち)なので、ここは一つご勘弁を頂きたい。

 まず、三島が大宰へ感じたものに対応しそうだが、ひたすらに手前の自慰を見せつけられる様だった──それもかなり勿体ぶった。百歩譲って手前の自慰は許しても、それなら思いっきり果てやがれと思う。同じ村上でも龍の自慰の方がまだ、前代未聞の破天荒で見ていられる(女装させられ、“黄色い人形”と罵られ、黒マラを口に突っ込まれて射精された挙句、バチコン殴打されるのはホント御免だが)。

 そもそも今回、やっとこさ春樹を読もうと思ったのは、駅前の本屋に“御年74歳、6年ぶりの新刊「街とその不確かな壁」発売”と大きなポップが出ていたからだ。但し貧乏な私はハードカバーの新刊など滅多に買わないので(7、8年前に新宿の紀伊国屋で買ったサルトルの「嘔吐」が最後か)、スミスとかストーン・ローゼズのファーストを中古盤で買った様に、彼の処女作「風の歌を聴け」の文庫版を求めて古本屋まで行くことにした。春樹なんて何処(どこ)にでも売っているから、適当な古本屋に入り、適当に安いのを選んで、適当に読めたら良かった。

 本棚の夥(おびただ)しい春樹作品の中にそれは三冊あって、価格はどれも半額程の250円であった。一応綺麗なやつをと思ったが、三者三様に表紙の角が削れて白く毛羽立(けばだ)っていた。中に書き込みとか傍線が引かれたのを読むのは死ぬほど厭(いや)なので、一応パラパラと頁(ページ)をめくって確認してみたが、どれも書き込みは無さそうであった。ただ三冊のうち二冊には、前の持ち主が気になったであろう頁に折り目が付けられていたので、それが無い一冊を買って帰った。

 さらさらと読める。なるほど風の歌だ。エッセイとか詩に近い。こういうのは経験上、印象に残らない。さっと読めるは即ち、さっと忘れる。作者の思惑通りだよ、とハルキストが得意気に云うやもしれぬ。構わない。

 一番目に寝た女の子?二番目に寝た女の子?三番目に寝た女の子?寝た自慢も大概にしろ、ぢゃなくて──いや春樹の取り澄ました顔が脳裏に浮かんできてイライラすんのは確かだが──、そのものの名前はよ?何だそれ、お前の世界、番号ばっか、つまんねえ歌。んなこと番号馬鹿の俺に言わせんな、俺は数字に抗う為にものを数えても、数字に逃げる為にものを数えぬ、ものや、ことや、ひとを。再生数とかいいねの数とか、それが良し悪しの判断基準かよ、風の歌!そんな小説ではなかろう、いやそんな発行部数だけの小説だ、を聴け!劇中に出てくるロックもポップスもクラシックも、映画も車も本も、イヤーだイヤーだイヤーだよー!はっ、生ぬるい。ポストモダーンファック。風の歌を聴く前に、お前はお前の歌を聴け、そしてそれに名付けろ。友達の“鼠”って……それが許されるはおい、鬼太郎!のねずみ男だけよ。

 しかし手前のペニスを「レーゾン・デートゥル」と述べられた件(くだり)には、思わず声が出た。これがマヂなら飛んだ風の歌だ。ここに思いっきり傍線を引いてやろうか。そしたらやっと私の本になる気がする……いや、私のレーゾン・デートゥルに。

 それから無性に腹が立ったのは、中盤まで読み進めていたら結局、頁にうっすらと折り目の跡が付いていたのだ。店員か前の持ち主に直された後だろうか、ちっとも共感できない頁に折り目の跡が付いていて、何だ古本屋にあった「風の歌を聴け」の三冊全てに折り目は付けられていたのだ。ハルキストの生態を垣間見る様で、ニヤけ面を見せつけられる様で、無性に腹が立つ。谷崎やバタイユなら全頁に折り目が付くから、折り目なんて要らんのだ。いや、そんなに厭なら新品を買えよ、それはごもっとも。だから春樹はこれから新刊のみ買う。買わない。


 さっきから気になり出してはいたが、春樹を読んだ後にこれを認(したた)めたので、この手前の文体も気取って仕方がない。こんなのは葬り去ってやった方がマシなのだが、敢えて恥を曝(さら)してやろうと思う。たまには手前の恥部を……いや、私のレーゾン・デートゥルを。


2023年4月1日土曜日

洋琴のこごと

作話・画、Nori MBBM



 むかしむかしあったんやといや。ある男の家に、しばし弾かれぬ洋琴が。

 この男、兄が二人おる三男坊主で、これまた絵に描いた三日坊主で、「どうしてかうしてギタアが欲しいわ」「ギタアならわしゃ、きっと世界一や」と方々に出鱈目宣(のたま)って居(お)った。

 あるとき男の昔なじみが、「こりゃ先輩から譲り受けたんやけど、自分は自分で矢っ張しお気にの持っとるさかい、弾かんけん君にあげるわ」とそれはそれはハヰカラな洋琴を男に呉(く)れたんや。

 男は嬉しゅうて嬉しゅうて、そりゃ嫁さん貰ったとばかりに、「わしゃお前を一生大切にするさかい、これからほんまごつ宜(よろ)しゅう」と真っ紅で美しい洋琴を抱き抱え、来る日も来る日もぽろり弾いたそうな。

 しかして男の腕はあるとこ一定(いってい)頭打ち、やがて洋琴を抱き抱える日も少のうなって、音楽から文学、三文(さんもん)小説に浮気するようなったんや──長兄(ちょうけい)「あゝ情けなし情けなし」。

 「はあこりゃまた面白か、昼抜いた甲斐があったわい」「ほうこりゃまた哲学や、三食抜いた甲斐があったわい」と飯代で飯も食はずに何の虫喰はせ、寝食わすれて顔まで青くおぞましき本の虫喰はせ──次兄(じけい)「あゝ情けなし情けなし」。

 寝不足やったある朝のこと、積む読(つんどく)山に囲まれた寝床で寝まっとると何処(どこ)からともなし、“さみしわさみしわ、愛想尽かしや”“みんな嘘やったん、ほんま信じられへん”としくしく泣く声が聞こえたんやと。男はばちっと叩(はた)かれたよに頭冴え、「はて今のすすり泣きは何ぢゃ?誰か居るんかァ?」「をかしな、甚(はなは)だをかしな、独りごちや、こんな男独りの家でな」と手前に問うた──三男坊主の三日坊主「あゝ情けなし情けなし」。

 “さみしわさみしわ、愛想尽かしや”──

 薄暗し家の狭さ見渡せど人影あるはずなし、だが男なるほど膝(ひざ)打った。「何やさうかいな、さうやんな、矢っ張りお前や」と壁の隅に洋琴がつんと。たいそう青ざめて、ハヰカラな紅も褪(あ)せてどんよりと。「ごめんなごめんな、ほんま許してくれ、申し訳ない」「わしゃお前を大切にする云ふてこの様、これから人間入れかえて死ぬ気でやるさかい、今度こそ宜しゅう」と洋琴を涙ながらさすりさすりて。

 経(へ)てから真っ紅な洋琴から言葉発せられること二度となく、ただ男が上手くやれば上手くやり、下手に焦れば下手に焦った。

 「ほんまお前はかてこ(=賢い子)や、あん時ちゃんと鳴いて呉れて、ほんまごつ有難う」「ずっとずっとやさしくするさかい、今度はわしが何事も我慢する番や、お前は世界一の別嬪(べっぴん)さんや」

 最期云ふまでなし男の家からは亡くなるその日まで、赤い洋琴がぽろりぽろりつま弾かれる、いと美しき声が聞こえたさうな。


 そうろうべったり、がんのます。




2023年3月30日木曜日

ジャパニヰズ・スティヰル(とマッシュの鉄板)

グラムにしろ歌謡曲にしろメタルにしろ、好きな音楽のジャンルというより既に人格の一部であった──音楽以前の話、前世辺りが起源の話──この愛着と諧謔(かいぎゃく)がグラムを、懐古と郷愁が歌謡曲を、仁義と父性がメタルを、それぞれ引き合わせた、互いに惹き付けた、やたら聴かせた、口を利かせた、幅を効かせた……“グラム歌謡メタル野郎”まで行き着かせた。

 短い青春が強靭な音楽と出逢うのに長い成長と友達と恋人を省略し、最高のリフと出逢うのに最速のリズムを刻まれたかった。少年が恋い焦がれた強靭な音楽、そのヘヴィメタルとは何ぞや?英国はバーミンガムが生んだ偉大なるバンドを二つばかし聴けば解るさ──ヘヴィを知るにはブラック・サバスを、メタルを知るにはジューダス・プリーストを。



 したがってジューダスである(今年中にサバスも必ず演る)。一般的に云われる処では、伝統のブリティッシュハードロックから出発し、6枚目のアルバム「ブリティッシュ・スティール(1980)」でヘヴィメタル宣言をし、12枚目の「ペインキラー(90)」でブチギレモードへと突入、まさにこれからという時にフロントマンのロブ・ハルフォードが脱退……という流れで間違っていないと思うが、ファーストはまあ確かに哀愁のツインギターによるブリティッシュハードロックだとして、しかしセカンドからもう非常に(非情な)メタルである。それは哀愁の泣きでなし、狂気に鳴き叫ぶよなイカれたイントロからの、ザクザクとブリッジミュートで刻むギターの冷徹さ──“切り裂きジャック”、最高にメタルぢゃありませんか?


十年前に買った革ジャン一張羅、ショットのヴィンテージ“Perfecto”
(生地は傷だらけファスナー閉まらずポッケにゃ穴開きボタン錆び錆び)

 俺はベスト盤から入った口だけど、ジューダスというのはストイックなメタルバンドであるにも関わらず、急な路線変更を繰り返すバンドでもあるから、アルバムを一枚一枚ちゃんと追っていくと戸惑うんだよね(10枚目の「ターボ(86)」とかテクノ入ってるし)。上述した6枚目や12枚目もそうだけど、長いキャリアの中で何回も再デビューしている様な感じ?キャリアを通じて全作品好き、というジューダスマニアにはお目に掛かれた事が無い。個人的には、80年代初頭のゴリゴリにパワーメタルしちゃってる屈強なジューダスが最高に胸アツであります(8枚目の「復讐の叫び(82)」なんて、我らが日本のラウドネスの3rd「魔界典章(83)」を聴いている時みたく、このジャパメタ狂いの拳を我武者羅に振り上げさせてくれるよね)。

 前段でうっかり“ベスト盤から入った口だ”と言ったけど、ジューダスとの出逢いをよくよく思い返してみたら、2001年の年末にやっていたタモリ倶楽部の「空耳アワー傑作選」って特番だったわ!!まだ洋楽はおろかロックすらも聴いていない、J-POPしか知らん12歳の頃の話。空耳の傑作選に取り上げられていたのは初期の代表曲“シナー(罪業人)”で、♪母さんが言う こういうパーマは変だと 死のぉおうってソラミミ界隈で伝説となったヤツ、あの再現ドラマみたいなチープな映像と相まって大爆笑した記憶があるけど、それがジューダスとのファーストコンタクト(今は空耳なしで素直に聴けるよ、ここまで来るのに十数年かかったけども)。メタルって様式美だから、キメの一番盛り上がる処が空耳フレーズだったりすると他の音楽ジャンルより破壊力が凄いんよな……メタリカとか異常に空耳の傑作が多いし。


己がジャパニヰズ・スティヰルは“サンダー・イン・ジ・イースT(ラウドネス)”と迷ったが、今回は“戦術T(アイアンメイデン)”で許してやろう

 という訳で(どういう訳で)、俺の初めての洋楽体験は15歳で買ったピストルズかT.RexのCDレコードだと思っていたけど、12歳でこういうパーマは変だと死のうのジューダスでしたのメタル野郎!!これが俺らのジャパニヰズ・スティヰル!!


「Breaking the Law」
作詞・作曲:グレン・ティプトン&ロブ・ハルフォード&K・K・ダウニング

There I was completely wasting, out of work and down
All inside it's so frustrating as I drift from town to town

Feel as though nobody cares if I live or die
So I might as well begin to put some action in my life

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

So much for the golden future, I can't even start
I've had every promise broken, there's anger in my heart

You don't know what it's like, you don't have a clue
If you did you'd find yourselves doing the same thing too

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

You don't know what it's like

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law


日本語詞:Nori MBBM

全き無駄遣い、一世一代
苛立ち止め処無き市井無頼

伸しても伸びても構われない
構って欲しけりゃやるしかない

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

沢山だ黄金時代、俺は降りた
大体が気分次第、俺は滾った

貴様にゃ分からねえ、分かる筈が無え
分かるとしたらばこれをやれ

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

貴様にゃ分からねえ

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law



 手前のカバーMV史上、最も上手く訳せたのではないかと自負しております。詩の伝えようとする意味だけでなし、韻や語感も含めて全て。トラックに関しては、ブリッジで勝手にブレイクポイントを作るなど独自のアレンジを施しましたが、その他は原曲に忠実に、いつも通りシンプルなエイトビートとヘビィメタルなディストーションギターで、そう、こういうのでいいんだよ、こういうので。


※「孤独のグルメ」12巻より

 あゝ高円寺マッシュなぜに閉店したのだ。死ぬほど頼んだ俺のお気にの“C(630円)”、オレンジ色の甘辛ソースのスパイシーな香りが食欲をそそるダブルメキシカンハンバーグ、その場で殻を割られてジュージュー焼かれた目玉焼きに平皿のライス、業務用を解凍したチープな感じがまた良いミックスベジタブルに鉄板の上で炒められて少しカリッとなったソース無しパスタ、そして何故か洋食の付け合わせに卵とワカメの入った熱々のお味噌汁、世界一美味しかったなあ“C(630円)”……店内に流れるラジオのMCの吉田照美のしょうもない下ネタ(←マヂでおもんない)が妙にツボったらしく、突然後ろ向いて肩を震わせていたマスターにつられて俺もよく吹いたなあ……いや、高円寺にはまだ、姉妹店のニューバーグがあるぢゃないか!!


行こう、MBBM、行こう
※現在“C”は780円らしい

 そして件(くだん)のタモリ倶楽部も今月いっぱいで、その40年の歴史にとうとう幕を下ろすらしい……ソラミミストの安斎さんは今や、空耳でメタルを聴き過ぎたせいか、スレイヤーのトム・アラヤと見紛(みまが)う程である。


 ドグマッ


2023年2月28日火曜日

平成総体(下)



四日目の午後

 よう寝たな、もうすぐ12時か。朝昼夕兼用の、でっかい一食の時間だ。夜は、あんぱん一つで良いだろ。

 新高の家から徒歩8分の処に、“成都(せいと)”という彼の行きつけの中華料理屋がある。その名が示す通り、四川料理である。定食メニューで一番安い、一番先頭に乗っている(看板メニューの)麻婆豆腐がごつ旨い。壺の様な黒いお椀に入って、真白なレンゲが刺さった状態で出てくる。この見た目が何とも良い。愛嬌があって、且(か)つ挑戦的で、食欲だとかその他諸々の欲までそそる。嗚呼、思い出しただけで腹が鳴る。何かしらの香辛料の数々、山椒の爽やかな辛さ、涼(すず)やかな熱さ。

 厨房には平日は一人、週末は二人くらい、日本語を殆(ほとん)ど話せない現地の人が、中華鍋をせかせかと振るう。ホールには平日は二人、週末は三・四人の、日本語を片言で話す現地の人が、いずれも早口でオーダーを取りに来る。オーダーを受けたら最後には必ず「ライスハ、セルフサービス」、「サラダ・ヤキソバ・トンソク・ザーサイ・スープ・アンニンドーフ、オカワリジユウ」と説明がある。みな明るい性格と見えて、その愉(たの)しげな雰囲気が、一人暮らしの何の刺激も無い新高をここに連れて来る。事実、開店直後の成都へ行ってみれば、そんな様な陰気な一人男を幾人か見つけられる(20歳そこそこの女の子も案外来る)。

 「ライスハ、セルフサービス」、「サラダ・ヤキソバ・トンソク・ザーサイ・スープ・アンニンドーフ、オカワリジユウ」。全ての定食にバイキングの食べ放題が付いているので、11時の開店から十数分で席の半分以上が埋まってしまう。700円前後で定食のおかず、それに付随して冷奴サラダ(千切りキャベツに薄切りの豆腐を乗せて胡麻ドレッシングを掛けたもの)、中華焼きそば(人参、キャベツ、ニラ、もやし、きくらげと麺を紅油:ホンユーで炒めたもの)、豚足(最近は圧力鍋に入ったままで提供)、ザーサイ(たまに市販の細切れザーサイの日がある)、白米(最近はもっちりめで炊かれている)、かきたま汁(さっぱりと淡白な味)、杏仁豆腐(原材料高騰と経費削減の為か最近はフルーツが入らなくなった──それを新高は“ストイック杏仁”と呼ぶ)が食べ放題である。新高は何時もこれらを丼六杯、腹十二分目、はち切れんばかりに喰らう。周りの客は大抵、小皿に色んな種類のものを少しずつ装(よそ)うから、新高の丼六杯は少しやり過ぎだ。しかも彼は別に大食いを自覚していないので、周りの目を大して気にしない(“力士にでもなるの?”、“私まで力士にさせたいの?”と先日、小食の篠歩に云われて初めて気が付いた)。というか別に今だって、そない食べる事を変だとは思っていない。

 会計、それから帰り道では何時も、汗だくで鼻水まで垂れそうになる。きっと麻婆豆腐の辛さと食べ過ぎによるものであると思われるが、まるで鼻炎アレルギーとか誤嚥(ごえん)でもしたかの様である。家に着く迄の外の空気が気持ち良い。漠然と不安定な幸せを感じている。不穏と幸福が綯(な)い交ぜのあれ。満開の幸せよりもずっと身の丈に合っていると思われて、一筋縄ではゆかないこの感情──ハッピーサッド──こそが、新高には何よりの幸せなのであった。

 帰りにスーパーへ寄り道して78円のあんぱんを買い、冷蔵庫にそれを放り投げた。隣のマンションに日を遮(さえぎ)られ、13時前というのに部屋は以前にも増して暗かった。ツァリンツァリン

五日目の午前

 「昂君って普通よね」
 「え?まあ普通だよ」
 「何で?」
 「何でって……変な事しようとしたり、変な物が好きっていうのが、本当に凡人なんだと思うよ」
 「ふうん」

 篠歩は不服そうな顔をしていた。品定めされていたのだろう、試されていたのだろう、男として、人として。今にして思えば冷静にそう考えられるし、こう答えておけば良かったとも思う──

 「普通、どうでも良い事、そんなのばっか特別な気がして、人が見過ごす物に執着したくなる、すると自分はどんどん他人と違う事に熱中しているのだと興奮して来る、それが余計、皆からして普通だし、退屈だし、平凡に見えるのかもしれないね」
 「うん、もっと素直に表現したら?」

 新高が、篠歩の表現を不快に思ったのは、つまり表現という行為は篠歩が羨(うらや)むものを変換したものでもあるから、何だそんな詰まらぬものを羨んでいたのか、と萎(な)えてしまう為であった(ここで上記“羨むもの”という箇所が誤りで“決してそんなものではない”と彼女に訂正でもされたら、新高は更に萎えるに違いない)。

 そうして我等、分かり合えぬが良い。それだけを強制する。そこの処、同調圧力かける。無意識に重力も掛かる。何時もの自由だ、粋だねえ、持って行けよ。

 蒲団(ふとん)の上で新高は無性に苛立ち、次第に悶々と鬱屈した気持ちは下半身へと集中し、ふと朝勃(あさだ)ち、一昨日の篠歩の身体を思い出しながら、滅茶苦茶に手淫(しゅいん)した。気持ち良かった。その後、体感では3時間くらい、実際は40分ほど気を失った。腑抜(ふぬ)けに成った。意識と無意識が混濁とし、実際、考えながら夢を見た様だった……

 「おやすみなさい、昂君」

 「篠歩……いや」

 -平成明朝体-

 「俺はふぉんとに欲情したんだあゝ」

五日目の午後

 人の話が入って来ない。誰とも噛み合わない。何時からか?

 中学からぢゃないか、それより前にも親戚や友達に対しても、その片鱗はあったやもしれぬが。あれだよ、最低の中学で英語を教えていた浅黒い肥満体の眼鏡、先公の河山。

 あいつは気付くと脈絡のない板書(ばんしょ)をし始める。こっちはノートに書き留めながら、あれ?何時こんな話になったんだっけ?さっきまでSVOCがどうの言うてたのに、この唐突な設問は何だ?でも皆は平然として受講し続けているから、付いて行けてないのは私だけなのだろう。大事な何か、きっと聞きそびれたのだろう。世界は平然と進み続けるから、戸惑っているのは私一人だけなんだろう。他の奴に一々確認した事は無いけど、そんな確認をするのも面倒なこった。

 それが私の過ちだった。そしてまた、それが世界の過ちでもあった。そんなとき先公の河山は必ず、腑に落ちない私の顔を見て嬉そうに「新高!」と指差し当ててくる。私は何も答えられず、他の誰かが何か答えない限り、教室の沈黙は延々と続いた。今でも煮え切らぬ事がある度、それを思い出す。

 とある日の英語の授業では、こんな事もあった──「新高の父さんはM銀行だったな」「M銀行のCMのキャッチコピー、文法的におかしいと思うんだよね」「どうもあそこはおかしい所だよ」「今日帰ったら父さんに言ってみたら、はははは」。河山の饒舌(じょうぜつ)に、何も言い返せなかった。大切な何か、言いそびれたのだ……

 「おやすみなさい、新高君」

 「篠歩……いや」

 -ツァリンツァリン-

 「いや?」
 「以前、神田辺りで勝手に……」
 「レンタカーに同乗した神のツァリンです」
 「だから銀行も信仰も貯金の類いは全て使い果たしたの!コミュニケーションはもっと尊いの!金ぢゃないの!神ぢゃないの!ツァリンぢゃないの!」
 「何の用かね?と云いたいのですね?」
 「てか神って?自ら神を名乗るものなのかね?」
 「もう神ではないのですツァリンです」
 「人か?」
 「人でもありませぬ」
 「ヒト科?」
 「そう、文字だけ換えても……文章でしか伝わりませんよ新高さん」
 「これは文章だから良いの!」
 「そうですか……わたくし何を隠そう、阿弥陀様、それからお釈迦様より、“平成時代は御前に任せたぞ”と三十数年前に云われましてね」
 「何て?今とんでもなく大切なこと言ったな?」
 「えゝ、前に言いそびれたのです、あのレンタカーの時に、貴方が“コミュニケーション云々(うんぬん)”、“畜生云々”、“云々/\”と取り乱したものですから」
 「失礼致しました」
 「はゝ、こちらこそ……それでわたくし平成の三十年間を任された訳なのですが、全ては虚無だったのです」
 「今さら“失われた三十年”とか誰でも思い付く戯言(たわごと)を云う事も無いでしょう?可燃ゴミクズ箱に入れますよ?会社も社会も全部いらねんだ」
 「全く違います……会社も社会も、平成も六界も、私も貴方も、全ては虚無だったのです」
 「それが言いたかったこと、言いそびれたこと」
 「はい、すっきり致しました……虚無(こむ)はすなはちこれ解脱(げだち)、解脱はすなはちこれ如来(によらい)なり、如来はすなはちこれ虚無なり」
 「あゝ、虚無は乃(すなわ)ち解脱であり、解脱は即ち如来であり、如来は則ち虚無である、と……ばあちゃんも毎日称(とな)えていた」
 「親鸞上人(しょうにん)の」
 「『正信偈(しょうしんげ)』の」
 「『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の第五巻“真仏土文類(しんぶつどもんるい)”、その『涅槃経(ねはんぎょう)』について書かれている処です……つまりこれが真理なのです」
 「虚無ってこと?信じた全ては、捧げた全ては、生きて居た世界も死んだ後の世界も、虚無だってこと?」
 「その通りで御座居ます」
 「ニーチェと変わんねえぢゃん!神は死んだ!って云われたって頑張ってよ!みんな救ってやってよ!大丈夫大丈夫って、大乗仏教ってよ!」
 「ニーチェさんもこちらに居ますよ、ほら」
 「本当だ!どうも」

 ──ニーチェ氏、軽く会釈す、机上(きじょう)に『歎異抄(たんにしょう)』を広げながら、“~はこう語った。”と原稿へ書き付けている様子──

 「で、真理なのですが、新高君、お見せしても宜しいですか?」
 「良いですよ、見せてください、ツァリンさん」
 「わっかりました……平・成・総・体!!」
 「わあ!!目の前に見えるは平成三十年四月一日(日)の大和町中央通り、スナック葵(あおい)!こっから数年で拡張工事されて令和の今は随分と道幅が広くなったんだよなあ、役所は余計な事にしか金使わねえなあ、やっぱ隣のマンション邪魔だよな、この懐かしいアパート群の景観から浮いてんだよな……って東京都中野区大和町一丁目の我が家の窓から眺める馴染みの風景やないすか、どこが真理すか、何時もと何も変わらんすよ!」
 「新高君、これが真理で御座居ます」
 「いや私はまだ良いけども、ニーチェさんや読者の皆からしたら訳分からんですよ、大和町一丁目が真理です!って、えゝ?」
 「別の言葉が良かったですね、虚無でなし、そう……自然なのです」
 「真理は、自然」
 「そうです、ただありのまま……ただ自然の事につきましては、あれこれと詮索しないで頂きたい……それはいずれいづれも不自然となり、必ずや計らいや思議(しぎ)となり、貴方は私と共に平成から往生できなくなりますから」
 「……わっかりました、往生際が悪いって事ですね」
 「そういうこと……言いそびれた事は云えました、新高君、隣の高層マンションが君の自然を遮ったとて、令和の世界で強く生きてゆかなければなりませぬぞ、平成の事は私と共に忘れるのですよ、絶対に!!」
 「……はい、ツァリンさん」
 「ぢゃ、わたくし何時とは言わん迄も、何時も君が両手を合わせるその、向かう側に居る、仏壇へと還りますね……平・成・総・体!!」

六日目の午前

 私の怖(おそ)れる一番厭(いや)な奴は、水と油、対極に居る決して混ざり合わない人間だ、と思わされる私なのだ。最も離れた場所に居る、宿命的な繋がりを持った生き別れの、見た目だって似ても似つかない私なのだ。街中で出会(でくわ)す気違い、思わず眉をひそめてしまう下等(かとう)な生き物、何を隠そう何より君なのだ。おぞましい言動で、救いようが無いから、いたたまれない気持ちになるけれど、それはそれが君だからだ、つまりは私だからだ。汚い声で名を叫ばれて、汚れた手を振りながら追い掛けられて、狭い路地の行き止まりに身を潜めていたら同じルートでそいつがまさかやって来る、何でだよ、何て憎たらしい奴なんだ、私の心の内が読まれているんぢゃない、思考回路を一緒にしている君なれば、不思議な事ぢゃない。ただ身体は別だから死ぬ時だけは別々だ。お前が死ぬと自らの死を予見させられている様で、この上なく不吉な想いをさせられるけど、私ぢゃないから構わない。ここで同情したり運命を感じたら、漫画だ映画だ小説だ、命拾いする処で拾える命も拾えなくなる。話は面白くなるだろうが、面白いと思う私が君もろとも息絶える。面白いのは外野の客だけ、私は作品になんて成りたくない。私は作品を作る側なんだ、あくまでミイラ取りなのだ、追い掛けてきたミイラの仲間入りを恐れる、君の偉大さを理解しているからこそ畏(おそ)れる、他の誰よりも私だ。鉢合わせたら、迷わず殺(あや)める。もう一度言う、迷わず・殺める。己に言い聞かせ、迷わず殺める。二度と来るな、迷わず・殺める。四回言った、不吉は知らない。業は要らない、業が私を要るってだけの話──LIKE A RPG

 もっと自分で考えたくない。よりいっそ他人が考えてくれ。「お前馬鹿ぢゃん」「あんた怠惰だ」って軽蔑してくれ。世界中みんなそうしておくれ。そして我が読者だけは見抜いて居てくれ。自分で考えない事の自虐的、他人で考えられる事の越権的、行い。世界の少数位が丁度良い。本の類い好きな輩は少ない数の方が良い。スノッブ、ジャブ、一発、二発、世間知らず、セコい生き方、世界、破滅しちゃうから。みな本など読まないでおくれ。文学だけは嗜(たしな)まないでおくれ。自分でモノ考えられなくなるぞ!他人の受け売り人間になっちまうぞ!心にも身体にも悪いんだぞ!だから決して読書などしない様に!自虐も越権も本来生き物がやる事ぢゃあないんだ!本の虫など馬鹿にして人は生殖を中心とした出来事だけ重要視しなさい!びっくりマーク六つも使いました──BUT NOT RPG

 誰かが如何(どう)にかしてくれるだろうという甘えがある内は、安心して人を傷付ける事が出来た。顔に一生の傷を付ける位の兄弟喧嘩、心に一生の傷を負う程の友達との争い諍(いさか)い。縁など切れる訳ないだろうと思う存分に暴れ回り、実際に幾つかの縁が切れてしまった。或いはまた、縁など簡単に切れると知ってからは慎重になった。親友や親戚や恋人や両親に、無口になったと思われた。若(わか)すぎる青春を経た後の、苦(にが)すぎる青年の時に思われた。恐る怖る人と付き合う様になり、いま殆ど一人となった。要するに如何やっても縁など切れてしまい、結局は独りとなった。時が平等に全てを引き裂いてしまった、慎重で繊細な努力も愛情も尊敬も皆全て。二回も四回も六回も、六界も九界も知ってしまった──LIKE A RPG, BUT NOT RPG

六日目の午後

 私は私の性器とか臓器とか脂肪をこんなにも別のものとして感じて居るのに、人は当然そりゃあ君のもんだと認識して私に触れたり触れなかったりする。このどちらが本当に正しく、人を理解して居るのだ?分別して考える方なのか、一体として考える方なのか?

 嫌いだ厭だと決め付けたら最後、好きだ同じだはもう見えぬ、吐き気が一切を見せぬ。理解したくて奴を、君を、言葉でバラバラにしてやるぞ、と本気で真面目にそう思っている。難しい事なのは分かっている。

 真面目は理性と思われがちだが、あれ本能だ。若しくは理性が考えるより理性は、より本能だ。こんな思考の跡を見られて恥ずかしい、新高、冷や汗が出ちまう。お腹が痛い、新高、眠れない。肌も荒れる、貴様、戯(ざ)れる──

 何だお腹が弱いの?お前アトピーなの?本当に物は言い様だ。貴様よりも感じる。何でも腹や肌が感じ取る。感受性豊かに。本当に良い様に云ったな?それだけの事。だから黙れや、鈍感君。

 (新高はいつも──スマートフォンのアプリの──Twitterを起動してキーボードのフリック入力で得意気に140字ちょうど呟いてハートいわゆる“いいね”を幾つか貰っていた)

【MBBMの日めくりバーニン外伝】終わり、終わらすのだ、消すに似て、でも消さないで消せないで消えないで、だから終わるのだ。始まり、終わりと似ていない方の消すに似て、何も無くて消せなくて、書きたくて描きたくて得たくて、だから始まるのだ。ここに登場してはならぬ円環、循環、鈍感ドグマッ

 (新高はいつか──いやもうすぐか──スマートフォンもTwitterもキーボードもフリック入力も140字も通じなくなる時代がやって来るだろうと幾らか思っていた)

 鈍感さえも渡すかよ、お前なぞに。良いから、退屈だけをやりなよ。似合いの、退屈だけをやりなよ。暇潰しに、人と会うなよ。人でなしに会いなよ、ろくでなしが良いんだろ?

 出来る事なら、“無題”と題する事すら厭なんだ。無を与えたくもないし、論外と扱いたくもない。生殺し、飼い殺し。そりゃあ、形容し難い毎日になっちまいますわな。形容詞が無い、毎日に。お願いだから関わらないでくれよ、いま形容しているんだから。

  ばぁあんっびぃっしゃあゝ!!新高は破裂した。彼は辺り一面に飛び散った:冷奴サラダ(千切りキャベツ、薄切りの豆腐、胡麻ドレッシング)、中華焼きそば(人参、キャベツ、ニラ、もやし、きくらげ、麺、紅油:ホンユー)、豚足、ザーサイ、白米、かきたま汁、ストイック杏仁、これら丼六杯に、ハッピーサッド……

 否──私は、この人を知らないが、愛していた気がする

 早稲田通り沿いで、ニコニコ笑いながら買い物袋を下げた小肥(こぶと)りのインド男二人、とすれ違う。すかさず篠歩が云った──
 「あ、クシーの人だ」
 「そんなどこぞのアイドルみたいに」
 「芸能人の誰々だ!みたいな」
 「そうそう、ただ仲良く買い物しているインドのおぢさん二人だから」
 「世間からしたら、誰?っていう」
 二人は笑い合いながら世界一幸せだった、と同時にそれが終わるという事も感じていたから、超ハッピーサッド……

 ※クシー:KHUSHI(東京都中野区大和町一丁目にあったインド・ネパール料理屋)

 否──いや、そうぢゃなくて、確かに愛していた

 ばぁあんっびぃっしゃあゝ!!新高は破裂した。彼は辺り一面に飛び散った:冷奴サラダ、中華焼きそば、豚足、ザーサイ、白米、かきたま汁、ストイック杏仁、これら丼六杯に加えて、こちらもまた何度も篠歩と一緒に食べたアボカドサラダ、カチュンバルサラダ、オニオンパコダ、ナスパコダ、マライティッカ(4P)、マトンビリヤニ、チーズナン、ハニーナン、チョコレートナン(メニューには“チョコレートーナン”と表記)、ダルカレー、サグパニールカレー、マトンカレー、バターチキンカレー、ビンディマサラ、ラッシー、マンゴーラッシー、ホットチャイ(無料サービス)、そしてハッピーサッド……それからスーパーへ寄り道して買った78円のあんぱん。

 三たび、否──貴方の云う事は分からないが、貴方は、私が貴方を愛しているという事を知っている

 今日(こんにち)の日本、一昨日(おととい)の中国、遠い昔のインドの想い出たち……世自在王仏(せじざいおうぶつ)、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)ないし阿弥陀仏、お釈迦様、阿難(あなん)、ナーガールジュナないし龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)、ヴァスバンドゥないし世親菩薩(せしんぼさつ)もとい天親菩薩(てんじんぼさつ)、曇鸞大師(どんらんだいし)、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)、光明寺和尚(こうみょうじかしょう)ないし善導大師(ぜんどうだいし)、恵心僧都(えしんそうず)ないし源信僧都(げんしんそうず)、法然上人(ほうねんしょうにん)ないし源空上人(げんくうしょうにん)……そして親鸞上人。

 全部私だったのかもしれないなんて、一番信じられない事が起きて、それをだから、いま形容しているんだから!!

 コケコッコォヲヽ!!

 黙ってろよ、黙っていれば平和なんだよ、幸せなんだよ。そう言って、周りが黙って聞いてくれたとして、そう訊いてくれたとて、手前からまた、話し出すのが人間だ。幸せとは、平和であるとは、黙るとは──語り出したくなる独りでに、独り占めの快楽に、独りぼっちの特権に、平静に。それは、昭和の後の、平成に似ている。喧々諤々(けんけんがくがく)の時代の、余韻が残る、その後に起こる、あれに似ている……

七日目の午前

彼はそのようにして、神であることから休息したのだ……神はすべてをあまりに美しくつくってしまったのだ……悪魔とは七日目ごとの神の息抜きにすぎない……
-フリードリヒ・ニーチェ

 新高は見た、突然道が拓(ひら)かれるのを、張り裂けた心身に蒙(もう)が啓(ひら)かれるのを。

 “そもそも小説にして、物語にしてはいけないものなど無いだろう、君の生活や、私の人生に傷が付いてしまうから悪業(あくごう)に成るのだろう”

 先公の河山徹二(かわやま てつじ)に、皮下の脂肪が、自ら成すのを、平舘篠歩(たいらだて しのぶ)の性器に、内蔵の臓器が、我を為すのを。

 “そもそも想像して、創造してはいけないものなど無いだろう、こう書いて、あれこれ描いてしまうから犯罪に為るのだろう”

 どんどん書いてやれ、手が止まらない、どんどんやってやれ、手が止まらない、どんどん書いてやれ、手が止まらない、どんどんやってやれ、手が止まらない!!


~~~~~~


この世を踏まぬ赤子の四足
二足になったは何時だった

何時頃ぼくら立っちまった
止めてやれば良かったな

人生やり直しがきかぬから

昔は嫌いだった処
処が今は好きな処

人生のそういう処が好きだから

やり直されてたまるかよ
ずっと死ぬ気でやって来た

もう一回は御免だ
もうお腹が一杯だ

普通が如何(いか)に有難いか
普通が如何に尊いか
普通が如何に普通でないか

そういう意味で私は普通

この世を踏まぬ年寄りの杖
機械的に二輪を走らす知恵

先祖帰りて生まれ直し
逝かせてやれば良かったな

人生やり直しがきかぬから
循環・輪廻やってられっか


天上界-なぜ野暮な事柄ほど心に引っ掛かるか、この心から去らぬか、それ、ちゃんとした別れの言葉を待つ為に、あゝ卒業、卒業式、儀式のこと

人間界-寝不足の顔色の悪さ、この私を揶揄(やゆ)する奴は決まって、安心しきった人生から目覚める事のない、生涯熟睡しきった、思慮分別もセンスもない、顔色の良い野郎

修羅界-なのに私はそれを欲して求めて憧れて、終(しま)いには的外れの権化(ごんげ)みたくなっちって、誰もが苦笑いして、適当にあしらう

畜生界-勝手に忘れやがって、勝手に大人に成りやがって、勝手に死にやがって、そりゃ独りになるに決まってる、誰でも分かる簡単なこと

餓鬼界-私は幻想を愛しすぎる、想い出をさ、皆が欲しいのは身体なのにね、私は偏執狂(へんしつきょう)みたく心ばかり、手に入れたいよ

地獄界-言われたい放題に云われて“良かった……人より成長したが故なのだ”と安堵する私は、全く世俗に侵(おか)された、手垢塗(まみ)れの穢(けが)れた魂、まだまだ生きて居たいよなあ


~~~~~~


 “良い形容が浮かんだぞ!
 修行にしては楽しすぎるし
 娯楽にしては苦しすぎる
 それは何だ人生か?

 いいや、平成だ!!”


 高円寺から497.8キロ離れた処の、実家の奥の仏間の、その仏壇の結構な障子と、両の雨戸をそっと音も無しに閉じたらば、もう阿弥陀様もお釈迦様も、親鸞上人の尊容(そんよう)も、祖母のボロボロになった正信偈も見えなくなって、すると居間の方から「昂、まだ神さん参っとるのか、早よご飯食べに来い、冷めっぞって呼んでやれ」「昂は、遺影(じいちゃん)に挨拶しに行く云うて、仏壇(あっち)行きましたよ」という、祖母と母親の話す声が聞こえた──本当はこのまま現実の、即ち内陣(ないじん)から放たれた外陣(げじん)の、時の令和の世界へ再び帰るのが、人間の理解というものを最も得られると思うのだが、ここは物語の話の筋を考慮して、平静に留まろうではないか、不思議な事に、思議を超えた処に、そこは想い出の中の、既に存在しないはずの、紛れもない平成に違いなかったのだから──新高は何だか、心から嬉しくなった。言いそびれた事を今度こそ言えるのだ。

 “夢落ちぢゃない、その真逆をやってやった!!今に見てろよ、貴様ら!!読めっぞ、これ迄のこと!!もう誰にも普通と云わせんぞ、これから何年先もずっと!!一陽来復 逍遥自在(いちようらいふく しょうようじーざい)、気韻生動 豁然開朗(きーいんせいどう かつぜんかいろう)、松柏後凋 榑木之地(しょうはくごーちょう ふぼくのちー)……”

 青空にちょうど溢れんばかりの太陽が、或いは正午を常に繰り返すかの様に、甚だ白昼夢の体(てい)であった。時も移ろわぬ古(いにしえ)みたいで、即ち全て取り込まれてしまったみたいで。


 何時か無気力な夜空に見た、月の跡にすっぽり、填(は)まって光、輝いてらあ

 ツァリンツァリン


(完)