2021年3月29日月曜日

ない世界にいる

物心付くか、付かないかの時分に入学。四半世紀を費やし、遂に卒業式である。3列目センターのC11、とっておきの席を目指す。



 今回ネタバレあり、まっさらな心持ちで観たい方はこれを閉じてくだされ。



 映画の外の話:
四半世紀のこと、平成と令和のこと

ない世界にいる
ない世界に着いた

ひとりでに思い出す

色んな話をした
色んな声を思い出す

色んなバスに乗って
色んな授業を受けた
色んな電車に乗って
色んなお店へ行った
色んなモノを買って
色んな帰り道を歩いた
色んな夜遅くに眠って
色んな覚えのない夢を観た
色んな取り留めない忘れて

色んな人に出逢った
色んなはもう居ない
色んなは二度と無い

ひとりでにない

ない世界にいる
ない世界はあった世界で
ない世界はない世界とも違う

後悔はしない方が良い
と後悔をする
それは良い
前よりか絶対良い

おめでとう
あんたバカァ

ひとりでにある

ない世界に着いた
ない世界にいる

過去と未来の
アニメとリアルの
目視と想像の
それらすべてあって
なんら区別の


ない世界にいる


~~~~~~


 エヴァの衒学(げんがく)的な設定や雑多な伏線は、作品に多層的な深みや様々な解釈(ないし誤読)をもたらす為のものだと思っていたが、それだけでなし平成日本の混迷そのものだったのであり、善悪二元論的に華々しく駆け抜けた昭和のその後で、善悪も神も大人も不在の解決困難な物語なき物語であった処の平成に、今回ちゃんと決着をつけたのであった。つまり、エヴァもとい平成日本をちゃんと終わらせたのである……だって、もう令和だもんね。

 逆に、エヴァの始まった1995年というのは、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件という(当時5、6歳だった幼き自分にとっても)大変ショッキングな出来事があった年であり、それは1980年代までの昭和日本の死であり、即ち平成は1989年に始まったがまだまだ昭和の続きだったのであり、真に平成が平成として始まったのは1995年に違いなかった。そんな平成日本の四半世紀に、いやエヴァの四半世紀に、いわばハッピーエンドを与えたのだ(アスカフアンの俺としては全然ハッピーぢゃなかったが)。時代精神の鏡としてのエヴァは終わった。フィクションは死んだ。或いは、本当にフィクションとしての、伝説のアニメとなったのだ。フィクションに死んだ。さらば、全てのエヴァンゲリオン。



 二年程前、猫も杓子も大絶賛した映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観賞した際は、多分に順序立てて己れ自らを納得させたけれども、今回の「シン・エヴァンゲリオン」は手放しで、皆と同じく大絶賛であります。私は良い客です(と良い客は自ら名乗らないが)。


 実は人類補完計画の為、実はゲンドウの為、実は手前ら客の為、いやいや庵野秀明の為、というメタメタにメタな構造で貫かれているのは以前より周知の事実でありますが、やるせない気持ちって、こうして俯瞰してやっと捉えられた気がするものです。失敗した友情やら愛情やら、忘れ得ぬ人たち全てに蹴りをつけるべく人類補完、いやゲンドウ、いやいや庵野、手前ら客だろ、とまたメタる野郎、グラム歌謡メタル野郎!!



“Are you burning?”セントラルドグマッ



ない世界にいる


2021年3月13日土曜日

2+0+2+1=5cow-五鈷

昨年を振り返り、2020という数字の並びについて考える──AKIRAのネオ東京よりか平穏無事に過ごして居られるが──オリンピック2020は、やはり幻となった。



 夕べ消灯する時には無かったと思うが、ふと横になって天井を見上げれば、蜘蛛の糸が垂れている──近頃の私は芥川が過ぎる──その糸を掴んでこの地獄から這い上がろうぞ、と決意するには普通過ぎて変哲の無い糸、有り触れて小指で千切れてしまうくらい。



 ぷかぷか揺れる糸に蜘蛛の姿すら無く、人間の相手は人間ばかり、有り難く小指で契りを交わすくらい──そう、救いを約束する糸ではない──蜘蛛が遊びに来る程ここは極楽、と言う方が適切である。



 人間の私は未だ気付かないで、それは心臓が絶え間無く拍動している事を今更に考えないくらい──気付く野暮は二十代で懲りて、極楽か地獄かはもう問題にならない──偸吉、邪太郎、妄介、殺雄、飲五郎、みなと過ごした日々はもう戻らない、五つの戒めも、卵と呑み込んだ!!

 粋な、活き活きとした、生きもの──ここに降り立つ蜘蛛が如く──どこまでも愉快に。


2+0+2+1=5cow-五鈷


2021年3月3日水曜日

「Nori MBBMのカバーMVシリーズ」まとめ3

皆様おはようございます、ノリ・エムビービーエムです。

 平成28(2016)年12月末からゆるりと始めたこの活動も、お陰様で30作目を数える迄になりました。MVを観て頂いた方、撮影に携わってくれた友達、そしてこれを読んで下さっている貴方に、心より感謝を申し上げます。ありがとうございます。

 当記事では「Nori MBBMのカバーMVシリーズ」まとめ3と題しまして、MVの21~30作目をご紹介いたします。




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「Nori MBBMのカバーMVシリーズ」まとめ3


21.「恋のハイパーメタモルフォーゼ」(2018, ザ・クロマニヨンズ cover)

 ザ・クロマニヨンズ、2018年の作品(作詞・作曲:甲本ヒロト)。カバーMVは2020年3月にアップ


22.「Lonely Planet Boy」(1973, New York Dolls cover)

 ニューヨーク・ドールズ、1973年の作品(作詞・作曲:デヴィッド・ヨハンセン、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2020年5月にアップ


23.「ハリキリ坊やのブリティッシュ・ジョーク」(2007, 髭 cover)

 髭、2007年の作品(作詞・作曲:須藤寿)。カバーMVは2020年8月にアップ


24.「What Do I Get?」(1978, Buzzcocks cover)

 バズコックス、1978年の作品(作詞・作曲:ピート・シェリー、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2020年9月にアップ


25.「I'm swayin' in the air」(1983, THE ROOSTERS cover)

 ザ・ルースターズ、1983年の作品(作詞・作曲:大江慎也)。カバーMVは2020年10月にアップ


26.「Nori MBBMの夢は夜ひらく」(1970, 藤圭子 cover)

 藤圭子、1970年の作品。三上寛が1971年にカバー(作詞:Nori MBBM、作曲:曽根幸明)。カバーMVは2020年11月にアップ


27.「追憶」(1974, 沢田研二 cover)

 沢田研二、1974年の作品(作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦)。カバーMVは2020年12月にアップ


28.「Steppin' Stone」(1966, The Monkees cover)

 ザ・モンキーズ、1966年の作品(作詞・作曲:トミー・ボイス&ボビー・ハート、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2020年12月にアップ


29.「Walking the Cow」(1983, Daniel Johnston cover)

 ダニエル・ジョンストン、1983年の作品(作詞・作曲:ダニエル・ジョンストン、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2021年1月にアップ


30.「LEMONed I Scream」(1996, hide cover)

 ヒデ、1996年の作品(作詞・作曲:hide、日本語詞:Nori MBBM)。カバーMVは2021年3月にアップ


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 ちなみに、撮影用カメラにはソニー・サイバーショットの型落ちモデルを何年も何年も使っているので、「今時スマホのカメラの方が画質良い」とか「撮影のプロにちゃんとした機材で撮って貰うべき」など、ご指摘を頂く事があります。お気持ちは嬉しく、鮮明で高画質なMV、というのは何にも勝る気がします。

 ただ私の心は、彼の谷崎が認(したた)めた“陰翳礼讃(いんえいらいさん)”という思想によって貫かれて居るのです。我がカバーMVに関して言えば、2000年代初頭迄のブラウン管テレビが点描する不明瞭な神秘であり、VHSやベータによる記録が記憶の曖昧な模糊であり、LDの半透明インナースリーブが鼻を抜けて薫(かお)る恍惚であり、ATGやニューシネマの不条理が落とす陰りであり、1976~99年まで西新宿に構えたロフトのステージと客席に閉ざされた翳(かげ)りであり、T.レックスで歌われる処の“20世紀少年”の礼讃そのものなのであります。

 このまま年を取って老害と云われる未来もあるやもしれぬが、これは信念であるから押し付けるつもりもなく、ただ良いものであると疑わずに生きて居るのです。西洋方便 科学陰惨、文明御免 陰翳礼讃。


「MBBM killed the YouTuber.」
by Nori MBBM

Video killed the Radio Star.の内の誰ももう居ない。そもそもレディオだって活字のアイドル達を本当の意味で人間失格させた。文豪という生き物は二次元に消え失せた──それは元々か。SNSで私はビデオやラジオや活字のサイボーグとなるが、SNS自体どうなるかしらん?

回答①今世紀の始まり方は肌身を持って知っている。一つ前の20世紀は映像で、それより前は本で知っている。さらに、各世紀に時代を語る者が居る。しかし、悪い事ばかし語る者ばかり、良い事は見当たらぬと言わんばかり。

かつて、お金の無い娯楽は紙面いっぱいの活字だらけ。いまや、時間も無い娯楽は倍速ぜったいの映像だらけ。そして、お金と時間の無い娯楽は一杯も絶対も呑み込んだ私だらけ。私だけ?

回答②もし私が先に亡くなったら愛しものよ、誰の云う事も聞かないで呉れ給え。君を大切にしようとするものが現れても何も見失うことなく、ひどく傷ついてしまわぬ様に。


愛しものよ、我がカバーMVよ、永遠に




2021年3月1日月曜日

レモネードアイスクリーッマ

令和三年三月、“Nori MBBMのカバーMVシリーズ”は、遂に30本目と相成りました。



 記念すべき今回は、“我がロック四天王”の一人であるhideさんの名曲「レモネードアイスクリーッマ」で御座居ます。黄色っぽいし春っぽい、黄泉っぽいし春に会いましょうっぽいでしょ。

 “我がロック四天王”はみな“グラム歌謡メタル野郎”と言い換えられるんだけど、hideさんも云わずもがな、グラムロック、昭和歌謡、ヘビィメタルへの愛を数々の音楽誌やラジオで語っておられました(ミーは十代の頃にインタビューもラジオの文字起こしも貪り喰らっていたので、肝に銘じているhideさんの言葉が幾つもあるワ)。


檸檬、それは梶井云う処の爆弾
(高円寺民お馴染みの高野青果で8個入り198円也)

 hideさんのギター論(練習における挫折やリズムの話)、パンク論に歌詞論(クラッシュとかブルーハーツの話)など、どの話もマヂ面白えので誰かと語り明かしたいが、当記事でそれをやると話が四分五裂(しぶんごれつ)して収拾がつかなくなるから一旦置いといて、今回の「レモネードアイスクリーッマ」の話をしましょう。

 15、6歳で初めて聴いたそのナンバーは、ミーと同じ“グラム歌謡”の匂いがしたのである。初めてなのに、前にもあった気がしたのである。hideさんは当初「1996年のヴェルヴェット・アンダーグラウンドの新曲」ないし「昭和歌謡のデュエットソング」をテーマに作曲したと仰られていたので、なるほど合点です。ライヴだと女装したチロリンさんとデュエットで演っておられましたね(いとグラム歌謡で候)。


 そんな完璧なグラム歌謡ナンバーへ真心込めて、原曲の魂を受け継ぎながら天上天下唯我独尊、私なりに演らせて頂きました。

 まずオープニングのメルヘンなオーケストラですが、私の手弾きシンセ、シンセ、シンセを重ね重ねに重ねまくって、結構忠実にカバーできたと自負しております。キラキラした遊園地のメリーゴーランドや、コーヒーカップがくるくると回る光景、そんな様なものが貴方にも見えたならば幸いで御座居ます。

 次に打ち込みのドラムはhideさんとか布袋さんをイメージして、モジュレーションかけまくりの“ポヨンポヨン”な音にしました。超具体的に言えば、Xの「セレブレーション」とかBOOWYの「ワーキングマン」のイントロのバスドラのあの感じ。

 そしてギターに関しては、私が歌いながら弾いているイントロとアウトロのフレーズにはフランジャーやコーラス等の空間系エフェクトを強烈に掛けて、それ以外のリズムギターはほぼクリーントーンのままチャカチャカとファンキーに演奏いたしました。跳ねるリズムで歯切れ良くカバーしたかった為、原曲の様にワウを使う事はしませんでした。

 最後にボーカルですが、こちらは原曲よりエフェクト弱めで、はっきりと言葉が聴こえる様にレコーディング・ミックスいたしました。恒例、ルースターズの大江方式で、前半は原詞、後半は日本語訳詞となっております。


「LEMONed I Scream」
作詞・作曲:hide
日本語詞:Nori MBBM

One day, I was walkin' down the streets
Looking for anything, Any surprise
Feel like a treasure game on a rainy day

Then it happened suddenly, I saw, I saw
And there it was fallin' down under my feet

Then, You know, It had something spiney head,
And I was gonna touch it
Then I got a pain,
My fingers painted in blood,
but I feel so fine

Nobody could find out, but I knew, I saw
I don'care if nobody can love it, oh yeah
Because ah hahahaha

ah… I've got a feelin' in my hand
It's a lemon lemon lemoned - I scream!

とある日、散歩をしてたの
イカしたミュージック聴きながら

そしたら突然、アヒャ、アヒャヒャ
と聴こえてきて
ええねん、ええねん
いこうぜ、ああん

ああ、ご馳走だ
スウィート・ポイズン・ケーキ
喰うて即ハイ的な
早よ早よ

嗚呼、性別年齢不詳ソング
It's a lemon, lemon, lemon & I scream

ああ、心から壊れたマシーン
でも大好き、大好き

嗚呼、なんて不適合者
It's a lemon, lemon, lemoned I scream! yeah

It's a lemon, lemon, lemoned I scream! yeah

It's a lemon, lemon, lemoned I scream! yeah


※Lemon:ミカン科の常緑低木、その果実のこと。
(俗語で)欠陥品、不快なもの。



メリケンのサブカルを敷き詰めた様な部屋にてMV撮影す

 今回はストリートファッションを気取って、罵詈雑言が列挙された黒のトレーナーにスキニーパンツ、昨年のドールズのカバーの時も履いた厚底のラバーソールを(このラバーソールのブランド名に“レモン”という単語が入っていたので)。後はオーテクのレモンイエローなヘッドホンを首にぶらん、と。


15年以上前に通った塾も今は誰かの一軒家
(高円寺から1時間半かけて一目見に)

 レモンが私に連れて来てくれるのは──レモンの飴を舐めながら勉強していた学習塾の小さな教室の湿った匂い、参考書の焼けた余白と目に痛い文字列の黒、履き古されて色褪せてほつれたスリッパ、立ち上がる度にミシッと軋む床、部屋の隅で必死に唸る暖房ヒーターに、尊敬する石川先生の低い声と咳払い──十代の断片達。

 二十代であれば、カクテル用レモンを仕込むライヴハウスの薄暗いキッチンの中、或いは付き添いで通った病院近くの喫茶店の低いテーブルとレモンティーのグラスの汗。

 同じ柑橘類でもミカンの匂いならまた別に、実家やら友達の家やら給食やら職場での記憶を引き連れて来る──そういえば芥川の短編「蜜柑」の冒頭は、hideさんの生まれ育った横須賀から始まるね──匂いとノスタルジーの話。

 貴方だって石鹸が香れば、学校の蛇口にぶら下がるネットがそれに食い込む様や、校庭にサッカーボールが擦れる音、野球部とかバスケ部の奴等の下卑た笑い声を思い出したりするであろう。

 私の場合なら実家の洗面所で、手を洗う直前まで作っていたプラモデルのディテールや、組み立て途中のパーツの形状、掛けられた手拭きタオルの柄や大きさを思い出したりするのである。

 外へ出れば近所から煮物の匂いがして、狭い裏路地に続く生け垣の高さや、夕暮れの太陽と雲の分布の仕方に、夜に成りかけた橙と紫のマーブル模様の空を思い出したりもする。

 嗅覚とノスタルジーにはキリがない。切りがなくて、意識は全て繋がっていて、結局、三つ子の魂百までと為る。


如何なる時もグラム期のボウイ様がミーの背後に

 勿論、目にだって耳にだって口にだって、手足にも沢山あるけれど、私は鼻──またぞろ芥川──が人よりデカいからか、そこが一番の記憶装置となっている様である。

 このデカい鼻……まあ目も耳も口も手足もデカいんだが、それらを生かして、千差万別の記憶を次々と手繰り寄せ、これからも芸術して行く所存で御座居ます。


 とりあえず30本できました、どうぞ宜しく!!!


2021年2月26日金曜日

冬眠あけて(8:04-30:00)

8:04

 ゆさゆさと起こされる。また女と音楽の類いが、眼暗(めくら)に光を与えようとする魂胆(こんたん)か。いつも俺を放って置いて、冴え渡って行く空の蒼さ、それもまた女と音楽の類い、の癖に。窓から見えた747の影、この部屋まで轟々とジェットの残響が届いた。あれは羽田空港に行くのだろう。

8:31

 また女と牡牛の類いが、もう少し寝かせて、お茶をいれたワ、テレビや新聞、うるさい、歯磨き、うるさくない、陽(ひ)の光が白くて強い、あゝ重い、反対に寝返りを打つ。布団にて冴え渡らないでこれ認める

 髪、きっと変な形で、ただシャツのボタンを上から留めて、日射しの中を泳いでる糸くず、適当に些細(ささい)に順番に、靴、がつがつやるから折り目ついてる。がつがつ乱暴にやらないで

 俺は君を忘れない。急(せ)かしたって忙(せわ)しくならない。心なくさない、言い聞かす。

9:19

 世界──歩道を区切る白──線を辿りながら、電柱とブロック塀の狭い方を潜(くぐ)り抜け、俺は頬と耳たぶの治外法権、体温に対する天の邪鬼を行使し、誰も居ない神社の誰も踏まぬ蒼き砂利が敷き詰められた境内(けいだい)にて、陽の光が白くて強い、ああ軽い、やっと朝にご機嫌よう。

 俺は二月に馬鹿だよ。だって不思議の国のアリス。惹きつけて儚く、潔(いさぎよ)くナンセンス。

10:04

 レストランでは浮き足立つ、どうしよっか、水の入った冷たいグラス、ナプキンにナイフとフォーク、注意された幼少の癖がカチカチ音を立て、再び心と身体の違和を露(あら)わに、どちらかが大きくなり過ぎた。成長する身体、心がそれ以上になった。

 勉強もスポーツもてんで苦手だ。数値に表されるのが退屈だ。嘘偽(うそいつわ)りなく、誤魔化しの利(き)かない数値として表す──それこそ嘘偽りの、誤魔化しにしか見えない。たくさん集めて抱えた秘密が、そんな分別(ふんべつ)ある訳ない。野暮ぢゃない、俺は彼女との約束を思い出す。

Sint vera vel ficta, taceantur sub rosa dicta.

 風とか影とか、形のないものに形を与える方が良い。然(さ)れど風も影も、勉強とスポーツと仲が良い。残された方の俺は飛行場まで車を飛ばし、空へ直談判しに機上(きじょう)の人となる──勉強もスポーツも苦手なのだから勿論(もちろん)パイロットとしてではなく──或いは翼を焼かれたイカルス。

11:40

 正確には旅客機(りょかっき)と云って、空でそわそわする方の客人(きゃくじん)として、そわそわさせる方から聴き慣れない英語のアナウンス、ポンと云う警告灯、触り慣れない布地(ぬのじ)の、座り慣れない狭い席で、嗅ぎ慣れない印刷インクの、見慣れない表紙の月刊誌ないし機関誌を、不慣れな文字列の多さに漂う。従って、聞き慣れたものも特別な響き、意味深長に持たざるを得ず、ここで聴く音楽は何時(いつ)も、特別な想い出となる──百合、薔薇、さくら、フリヰヂヤ、枝切られる、枝切られる──と書いては両手を伸ばせない、都会では両手を伸ばせない。恐いものだらけ、怖いものなし、今から15歳、いま直結してやる。

12:15

 空に想いを馳せるのは好き──でも、地に足が着いて居るのが良いみたい。

14:06

 君に想いを馳せるのは好き──でも、家で横になって居るのが良いみたい。

15:48

 旅はきっと一番好き──でも、春迄はこの調子みたい。

17:30

 もっと素直であれ、と昔から叱られる。それは素直でなし、ただの我が儘(まま)という事である。心底回り諄(くど)くて、不慣れな文字列の多さにただ酔う。そうして頭が痛むのと同時に、ずんずん眠くなる。未だ特別な想い出が沢山あるけれど、今宵どうでもよい、今から幼少、いま溶解(ようかい)してやる。

19:24

 枕を新しくした、今度は優しく包んで逃がさない奴だ──独りで寝るには丁度良かった。仰向(あおむ)けに寝ながら本を読んでいると、頭が埋まって熱っぽい。前の枕は固くて突き放す奴だった──二人で寝るには丁度良かった。

 春の来る迄に、この枕と仲睦まじく馴(な)れて居るだろうか。冬眠から覚めると、深く寝入(ねい)る事はもう暫(しば)しない。四六時中耳鳴(みみなり)。彼女とはそれきりで、二月も終わる。

19:51

 女と音楽の類い、冴え渡って行く空の蒼さ、夜になって流れて消えて、横になって聞こえた歌が

彼女のドレスは青いヴェルヴェット
それより青い夜のしじま
サテンよりなめらかな
──星の光

彼女のドレスは青いヴェルヴェット
それより青い彼女の瞳
5月より温かい彼女の吐息

愛は僕らのものだった

(中略)

深い深いブルー
青い星のように

独りぼっち

20:21

 終始、抽象的な物言いで御免、やっと醒めてきた。

 俺の正義は、君の正義を疑うこと。俺の正義は、人の正義を疑うこと。俺の正義は、俺の正義を疑うこと。都度、話の腰を折って来る奴は論外であるが、これから誠実に身を捧げるが良い。

 「こうして“冬眠あけて”って御題目(おだいもく)で書いて、何か結論とか目的はあるの?」
 「どうしてまたそんな事を?」
 「質問返しか……結論とか目的とか無いにしろ、とても無様(ぶざま)で不恰好(ぶかっこう)に見えるよ」
 「それが貴方の結論ですか?それを伝えるのが目的ですか?」
 「うん、歪(いびつ)な形で今にも崩れ落ちそうだよ、この話」
 「この様な作中作の劇中劇の談笑で章段を整えようとしているのです、貴方こそ」
 「ああ冷メタ、お前がうらやましいよ」
 「ええ読メタ、貴方がうらめしいです」

 うらやましい、うらめしいを以(もっ)てして、これだけの言葉を垂れるまで──気儘に生きてやって来た。うらやましい、うらめしいなど思ってもみないこと、と抽象的な寝起きの風景──冬眠あけて。うらやましい、うらめしいを眺めていたら、否が応でも心象風景──存在証明。

21:52

 それは握れなかった旅客機の操縦桿(そうじゅうかん)の、不可侵(ふかしん)に輝く仏壇の、鋭さ隠す日本刀の、分厚く重たい金庫の、火薬を抱えたマッチの、甘さ匂わすウイスキーの、狙いを澄(す)ますライフルの、気になって仕様(しよう)がなかった女の、延長線上で肌身離さず弾き語る、もの乞(ご)いの恋だ。

22:07

 寝起きの風景、子どもの頃は不安が過(よぎ)って、外気(がいき)に自ら突っ込んで、身震いし、何度も繰り返しながら忘れて仕舞(しま)えば、心は馴れ馴れしい重たさを含み、一口手掴(ひとくちてづか)み、身軽に、君へと渡そう。

23:20

 運命とは取り引き、対極する生い立ち、磁場(じば)の満ち引き、逆境の形が恋愛の手応え、持てる持たざる組み合わせ、好きになりそう、実(じつ)を言うと先に惚れていたのは相手の方、その先手で掘られた穴、惚れた、落ちた、よくやった、やらかした。

24:31

 あれは大変良いものだと思うが、綺麗なだけだから大した事はなくて、外界からの隕石(いんせき)、重たければ重たいほど、大きければ大きいほど、退(ど)かしたら生ぬるい湿り気、その跡のその後、手え子(てえこ)さ入れて縁(えん)を組み関係する。

25:25

 ギターは男にとって女の身(み)であり、女にとっては男の体であり、それぞれ鳴らされるキーが異なり、詩の詠(うた)われる領域から乖離し、同性間で異端視されれば異性に近付き、高過ぎるものほど、低過ぎるものほど、ラインを越えてやって来る。

26:09

 その声は何かの凝固(ぎょうこ)であり、出産であり、成人式であり、俺は出産も成人式も経験した事ないが故、ゆっくりと引き延ばし、力を込めて力を逃がしながら扉をそっと開けてやり、閉めてやる何時の間にか、音も立てないで大人になって、終(しま)う。

28:44

 中途半端を愛しながら、中音域(ちゅうおんいき)の増幅をしながら、高音と低音とを補い、運命の人は必ず歴史的な争いを齎(もたら)し、不穏な予兆の味わい深さに唸り、邪道から車道へ大通り、王道の真ん中で横たわり、自然的完全体つまり究極的受動態として、何回も轢(ひ)かれる、肌身離さず弾かれる、命運の両極に惹かれる、岩石ですら退(ひ)かれる、斜に構えた新しい線を引かれる、終焉。

29:55




 冬眠あけて。
 蒼消えた。

 次の日。
 また。

 朝。

30:00


2021年1月22日金曜日

それはもう牛の歩みで

偉大なるロックスターのデヴィッド・ボウイ曰く、「溢れんばかりのポップセンスを素晴らしく悲しみの感情と結び付ける、彼はアメリカの宝だ」と。ギターロックの歴史を今の今まで塗り替えてしまったカート・コバーン曰く、「地球上で最高のソングライターだ」と。



 そのカートが1992年のMTVアワードで“ハイ、ハウ・アー・ユー”Tシャツを着ていた事により、名前すら知らなかった若者の間でも一躍有名となった天才宅録シンガー、ダニエル・ジョンストン。私自身、初めて聴いたその日からもう、一足飛びに好きなど超えて「これは俺だ!!」となり、以前にはサウンドクラウドの方でも、今回とは別曲の日本語カバーをアップした事があります(良かったら聴いてみて)。
 
 ダニエルのアルバムを聴いた後は必ず、何でロック演ってんだっけ?何でバンド組んでんだっけ?何でギター弾いてんだっけ?何で歌ってんだっけ?何で音楽やってんだっけ?と根本的な諸々の問い質しが始まるのですが、それは彼が私よりかそういった疑問を持たないで、直向(ひたむ)きに音楽を演り続けていた為である、と思われます(良し悪しの話でなし、音楽への向き合い方の違い)。
 

 そんなダニエルの真骨頂と言えば、“ローファイの極致”とも云うべき不明瞭な音質のカセット形態で発売された80年代の作品群になるんだろうけど、それより少し垢抜けた90年発売の11作目「1990」が個人的に一番好きなアルバムであります(当時、ダニエルの精神状態は最悪だったみたいだけど)。これもローファイなデモ音源並みの音質と言えばそうなのですが、スタジオレコーディングやライヴレコーディングの寄せ集めであるが故、今までの不明瞭な宅録よりかは聴き馴染みの良いサウンドで、一番心地好いのです。

 それより後に出た94年のメジャー盤「ファン」まで行くとやり過ぎで、ダニエルの脳内にある雑然とした夢の箱庭を明らかに区画整理してしまった感があって、ダニエルの曲を聴いているというより、あるインディーバンドの曲をダニエルがゲストでボーカルだけ演っているみたいな寂しさがあるのです。普通に良いアルバムなのですが、ここがダニエルの桃源郷か!とはならぬ。
 
 従って今回の我がテーマは、90年のスタジオレコーディング作品「1990」の一番心地好いアレンジで、83年の宅録カセット作品「ハイ、ハウ・アー・ユー」収録の“ウォーキング・ザ・カウ”を演るという事です。



 但し、この私が演ったものですから一筋縄では行かず、イメージとしてはヴェルヴェッツのモーリン・タッカーのリズムで、クイーンのフレディーによるオペラが上演されて、主演のボウイとボランがオクターブ歌唱を披露するという、どうやったってどうしようもなくグラム歌謡メタル野郎です。

 演奏は基本的にシンセ、トイピアノの弾き語り。冒頭の牛の鳴き声の後の情けないフレーズは、トランペットの音色でシンセ手弾き。原曲だとダニエルのコードオルガンが全編にわたって使われているらしいので、私は異なる音色の異なるアプローチでトライいたしました(ただ原曲とかけ離れ過ぎるとそれはそれで白けてしまうので、トリビュートアルバムの中のスベッている曲みたいにならぬよう、最終的にはオルガンの音も全編に渡って重ねました)。

 それとトイピアノだけだと寂しかったので、件(くだん)のモーリン・タッカー的なリズム、パーカッションとして、己が人生初バンド・MBBMの解散ライヴで使った黒いタンバリン(ミッシェル風に言えば“ブラック・タンバリン”)をチャカチャカチャカチャカ振りました。我がトラックについては以上で、原詩と日本語訳詞もいつも通り此処に置いておきます。


「Walking the Cow」
作詞・作曲:ダニエル・ジョンストン

Try to remember
But my feelings can't know for sure
Tried to reach out
But it's gone

Lucky stars in your eyes
I am walking the cow

I really don't know how I came here
I really don't know why I'm staying here
Oh, oh, oh-oh-oh
I am walking the cow

Tried to point my finger
But the wind was blowing me around
In circles
Circles

Lucky stars in your eyes
I am walking the cow

I really don't know what I have to fear
I really don't know what I have to care
Oh, oh, oh-oh-oh
I am walking the cow


日本語詞:Nori MBBM

思い出してみても
気持ちの形わからない
手掛かりは
消えた

Lucky stars in your eyes
I am walking the cow

何でここに来たのかな
何でここに居るのかな
オーオーオオオー
I am walking the cow

指差してみても
風の在り処わからない
サークル
さあ来る

Lucky stars in your eyes
I am walking the cow

何で怖いのか分からないし
何で気にするか分からないし
オーオーオオオー
I am walking the cow

Lucky stars in your eyes
Lucky stars in your eyes

Lucky stars in your eyes


 
 最後に、ダニエルのドキュメンタリー映画「悪魔とダニエル・ジョンストン」を観た事はありますか?貴方の人生にも何らかの作用をもたらす様な(きっと毒か薬となる)最高の映画なので、良かったら観てみてください。最高の音楽ドキュメンタリー映画で他に思い出すのは、ミチロウさんの「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」ですが、あれはダニエルと正反対の方へ突き抜けた人間の衝撃があって、実家の玄関で“お母さあん、お母さあん”と連呼して、ミチロウ母が出て来てから親子で語り合う流れはめちゃくちゃ脳裏に焼き付いており、ずっと忘れる事が出来ません。

 話をダニエルの方に戻すと、彼はどんどん童心の方へと突き進んで行ってしまい、アメリカのご長寿アニメ「ザ・シンプソンズ」の作者マット・グレイニングと楽屋で話した後に“やったー!!”と子供さながらに全力で喜ぶ姿は、愛くるしい以外の何者でもなく、自身からポーズとか染み付いた癖や余計なものを取っ払ったら俺もダニエルになるんだろうな、と反省してしまいました(これから生きて行く上で不便が多くなるので、そんな事はやっぱりしないんだけども)。而(しこう)してミチロウさんもダニエルも生涯、心の友であり続ける事でしょう。いつも心の両端にぽつねん、と棲(す)まわせておきます。迷ったら話しかけに行く関係、詩集やCDレコードによってね。
 


 改めまして、お誕生日おめでとう、ダニエル・ジョンストン!!
 
 あなたの誕生日が大好きな“マウンテンデュー”で溢れ返ります様に。
 
 May your birthday be filled with “Mountain Dew”.
 
 Your friend,
 2021.1.22(Fri) Nori MBBM

 
 
 そういえば、幽霊を見た事は人生で一度も無かったが、金縛りには数回遭った事がある。端(はた)からはどちらも自業自得であろうが、この私以外にも歴(れっき)とした中国の古典、或いはそれを翻案した中島敦の短編に、同様の怪奇現象を見つける事が出来る。
 
 中島敦の「牛人」と云う昭和17年(1942年)の作品を御存知であろうか(「山月記」は学校で読まれた人も多いと思うが、こちらは“虎”でなし“牛”)。部屋の天井と人間の表情に寄り添う黒い牛に似た者、その優しさと残酷さの比例関係、因果関係を読んで見てほしい。そして改めて、私は私の金縛りを思い出す。
 
 幽霊を疑う事は一度も無かったが、奇怪を嘲笑う夜には必ず動けなくなったのである。今となれば、私こそが黒い牛なのです。目の周りが凹んで、獣の様に口を尖らせた、せむし男なのです。形態を変えないで、中身は掏(す)り替える、黒い牛なのです。令和三年の丑年に、それはもう牛の歩みで……

 
 それでは次回のカバーMVで、いずれまた!!(もう1か月ほど金縛りにかかろうぞ……zzz)