今までじっと動きもとれずにいた、若者の胸を満たす心の願いにも、やっと輝かしい行手がひらかれようとしていたのです。一歩足を前にすすめるだけで、まったく新しい生涯に踏み入る司祭さながら、私はすでに身をささげ、心を誓っていたのです。
-フェリックス・ド・ヴァンドネス
昨日、“我がロック四天王”の一人、ラーマ・アメーバの秋間経夫さんのライヴへ行ってきた。俺にしか見えない扉を叩く夜──今回はそんな神秘体験的記録──やや長文につき、いざ覚悟!!
9月16日、それはマーク・ボランが星となった日。「グラムロッカーを自称するなら、一度は行かねばならぬ」と毎年開催される“グラムロックイースター”へ、渋谷クワトロまで行ってきた。1987年の初開催から今年で30回目、つまり30周年ということで由緒あるイベントである。
場内は既に7割程のお客さんで埋まっていた──T.Rexのシャツを着た人や外国の方もちらほら。そう、この“グラムロックイースター”は世界的にも有名で、日本を代表するマーク・ボラン及びT.Rexのトリビュートライヴイベントであり、愛に満ちた世界最高峰のグラムロックの祭典なのである。
ちょうど開演で暗転、バンドが登場する瞬間の写真(ライブ中は撮影できないから、これがライヴ前の最後の写真)。マークの語りが大音量でクワトロの壁を響かせると、そわそわし始める客たち──
秋間さん、降臨。前に押し寄せる客たち。そして、何だこのオーラ……さすが魔女の使いのマークの伝道師。
偏見に近い私的な想いではあるが、マークに対して秋間さんは“和”の顔と雰囲気を持っていらっしゃる方で、だからこそ余計に大好きで心より尊敬している──マークが好きだからって、単なる模倣ではないのだ。
西のマークに東のツネオは宇宙でシンクロしていて、2人が西洋と東洋の異なる人種で直接逢ったことはなくとも、この星を超えた次元の繋がりを見たとき、道理で辻褄が合っていて、真理は1つであると確信する──。
一緒のクラスになることはなかったけど、お互いにテレパシーを送受信できるマブタチで、ガンダムで云うところのニュータイプ、決して顔を合わせることのないコインの表と裏みたいな。
やや観念的な話題に逸れてしまったが、ライヴの話に戻って、T.Rexのナンバーってこんなに踊れるんだ!と実感させられるライヴであった。
T.Rex絶頂期の名曲“ジープスター”や“テレグラム・サム”なんか演られた日には、頭がもげるくらい踊るしかないってもの──天上から見えない糸でマリオネットの様に引っ張られ、自分の意志とは関係ないところで、踊り狂う感覚──至極ハッピーだぜ!!
反してスローなコズミック・ブルースである“ライフズ・ア・ガス”では、独りぼっちの暗く儚い青春に立ち戻り、心、涙。
実家の和室で意味も分からぬ歌詞を読み耽り乍ら、何度も口づさんだアルバム「電気の武者」の曲たちである。誰一人として理解者はいない。寂しい?ノン、それで良いの──
正直、最初は良さが分からなかったけど、「布袋寅泰がギターを持つきっかけになった人なんだから、此処にはきっと大切な何かがあるんだ」と毎日リピートしていた15歳のアタクシ。あの頃と同じ様に“ライフズ・ア・ガス”と口づさむと心はまた宇宙へ引き戻されて、真っ暗な自由に解き放たれた……手前の10代にT.Rexは確実に大きな存在として在ったのだ、と改めて思った。
途中、唐突にバンド撤収、トークショーが始まり、グラム好きなら避けては通れぬカメラマン・鋤田正義がサプライズゲストとして登場──この日、既に何度目かのハイライトである。
私事で恐縮だが、鋤田さんの写真集「サウンド・アンド・ヴィジョン」はとても好きで、まず自身の愛読用に1冊、そして当時付き合っていた彼女にも見て読んで欲しくて2冊目を購入、お誕生日にプレゼントした記憶がある──俺ら友情も愛情もグラムなしには語れぬ哀れな男。
「(秋間さんが)ステージで動いているとその中にマーク・ボランのアクションが時々あって、ファインダー越しにグッと来ましたね」
「後で知ったことなんですけどね……ボウイとボランはメディアではビートルズとストーンズの様にライバルに仕立て上げられて、面白おかしく扱われていましたけど、本当は小さい頃というか、昔からの旧知の仲で、マーク・ボランが(自動車)事故で亡くなった時も、その数日後にボウイが現場に(お見舞いに)行っていたりとか、(マークの)息子のローラン・ボランがまだ幼かったですから、ボウイが養育費を払っていた、っていう話があったんですね」
「イギー・ポップとボウイと……ルー・リードかな。有名なスリーショットがあって(※グラムファンの間ではブームの全盛を象徴する写真として、グラム特集の音楽雑誌などで何度も見かける有名なショット)。その時にイギー・ポップがT.Rexのシャツを着ているんですね。だから、イギー・ポップもT.Rexに引っ掛かるものというか、ニューヨークの連中も(T.Rexのことが)気になって居たんですね(鋤田さんはT.Rexのアメリカツアーにもカメラマンとして同行している凄い人である)。」
書き出したらキリがないが、鋤田さんの話はこんな感じでどれもメカラウロコ(!)で、本当に一言一句聞き漏らしてなるものかと全集中して聴き入ってしまった。ボウイとボランを撮った世界的なカメラマンと云えばイギリスのミック・ロックも居るが、“我が日本には鋤田正義が居る”と思うと勝手に誇らしい気持ちになる。
しかしまあ、ボウイがかつてのライバルであったマークの息子に(マークと不仲な時もあったと言われているが)、亡き親のマークの代わりに息子・ローランの養育費を払い続けたという話には、友情とか男気とか安直な物言いで片付けられない、熱くて、温かな、優しさだけではない色んな気持ちが綯い交ぜになって、益々ボウイの株が上がってしまった──いくつになっても紳士で、あんなオシャレな美男子で、作る曲はどれも天才的で、その上かつてのライバルの息子のことまで気にかけるって……どんだけできた人だよ少女漫画が描く男同士の友情かよ……やらないか?
他にも頭脳警察のパンタさん、そう生パンタを見て「うわ、本物のパンタだ!レフトギターなんだぁすげぇ知らなんだぁてか歌うめえ」ってなったり、バックバンドのドラマーのシシド・カフカさんが別嬪すぎてときめいたり、書き出したらもうキリがないんだけど、大変な長文となりそうなので、ご割愛!!
……と言いつつも、これだけ。そのパンタさんのトークショーも鋤田さんのとは別に設けられ、気さくな腰の低いお人柄とお茶目でユーモアのある性格に憧憬の念を抱かずにはいられなかったが──事務所が「笑うなパンタ」と作り上げた怖くて過激な頭脳警察のパブリックなイメージにリミテッドされていた俺だから──、しみじみと「(ティラノザウルス・レックスの3rdアルバム)『ユニコーン』はハマったなぁ……うん、あれは全てに影響している」とボソッと云われていたのが印象的で、俺はそれを聞き逃さなかったぜ!!
ライブ終盤、すべての若き野郎どもに捧ぐマークが残した名バラード“ティーンネイジ・ドリーム”では、苦悶とも恍惚ともいえない微妙な表情をした秋間さんが汗にまみれながら、ギターの銀色のピックアップに照明を反射させて、ギラギラとその熱光線を辺り構わずに振りまき、太く妖艶にサスティーンする音色を皆の心に差し入れた──。
アンコールの“ホット・ラヴ”と“ゲリローン”では、会場内の演者と客一同による発狂に似た大合唱……歌い、叫び、そして踊り狂う──。
T.Rexはもう居ないけど、日本の渋谷の昨日の夜だけは、其処に確かに“T.レクスタシー”があった。俺は本当に見た──1972年、ロンドン、グラムロックの熱狂を。
秋間さん「(今年で30回目を迎えるグラムロックイースターを)いつまで続けるか分からないけど、また9月16日は来るんだろうな。そしたらまた、やるんだろうな。パンタも出るんだろうな……」
パンタさん「だろうな(満面の笑み)」
66歳になるパンタさんの少年の様な「だろうな(満面の笑み)」が、何か俺に静かな決意をさせた。
俺はT.Rexが好きだ。死ぬほどグラムロックが好きだ──。
あぁ優しいから好きなんだぁあああ by 甲本ヒロト
ライヴハウスを出るといつもの渋谷……それも乾ききった時代の。
ハチ公前のスクランブル交差点、見上げれば朧月夜。
一瞬、シャッターを切るとお月さんはすぐ雲隠れ。
涼しい風が夏の終わり、秋の宇宙に漂うは無垢な心。
これはグラムロッカーの入り口、そして何かの出口。
──俺にしか見えない扉を叩く夜。
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追伸、、0時過ぎに家へ帰ってテレビをつけると……
NHKで今度、ティラノザウルス特集をやるらしい(バンドでなし恐竜の方)。番組の予告・あらすじによると「ティラノサウルスは最初から強かったのではなく、当初は恐竜界のヒエラルキーでも下層に属する小さくて弱い存在であったが、進化を遂げて強く、大きくなった」のだとか。ほぉん、グラムロックな話や!!
何の因果か、いたずらか?きっとボランの仕業だろう──。