2020年7月24日金曜日

慢性の何某

畜生篇より


耳鳴りが止まない事を知っている。幾久(いくひさ)しく醒(さ)め続けている。ぼんやりとした低温火傷(やけど)。小さい頃よりそうであるし、皆がその経験者であったりはしないか?「マシニスト」という2004年のサイコスリラー映画をサイコスリラー映画として観られた試しがない──現に私が居る。

「人生は一行の“キーーーーーー”にも若(し)かない」

 上旬、新宿の花園神社へ“月の御挨拶”でお詣りに行った際、発車寸前の中央線に駆け込み、何とか乗車出来たは良かったものの、高円寺から中野を過ぎる迄、車内で視界が真っ白になってしまった。より正確には、天上の銀世界へ呑まれながら脳髄(のうずい)辺りに電気を掛けられ、ブラウン管の砂嵐の明滅(めいめつ)に視野の大半を蝕(むしば)まれてしまった。次第に顔中から大粒の汗が吹き出し、肺を握り潰された苦しさで喉が渇き、半日なにも食べていなかったが無理やり吐き気を催(もよお)した。周りの目など気にしないで、電車の中で膝(ひざ)と手を突(つ)いた。揺れる車内の乾いた床に、汗がぽたぽたと小さな水溜まりを作った。嘔吐はしなかったが、血の気は暫(しばら)く戻らなかった。

一時間に三千六百回、「キーーーーーー」がささやく、
忘れるな! と。──素早く、虫の鳴くような
声で、「現在(いま)」が言う、私は「過去(むかし)」だ、
私のけがれた耳管(じかん)でおまえのじかんを吸い取った! と。

 自覚症状の無いだけかもしれないが、未だ新型コロナウイルスに感染した事は無い。予防は徹底しており、人と密(みつ)になる事もないし、第一その様な友人を持たない。陽性反応が出て入院した人の話をニュース等で見ては、例年の渋谷ハロウィンを蔑(さげす)む位に他人事であった。或いは嗅覚(きゅうかく)障害や味覚障害に理解が無い訳では無いが、その苦悶(くもん)を体験した事も無かった。小学校低学年の頃に信号の無い横断歩道で車に轢(ひ)かれ掛けたのと、17歳の初秋(しょしゅう)に南アルプスで数十メートル滑落(かつらく)した時と、今回、久し振りに“死ぬ時が来た”と中央線の車両内で思い知らされた為、先に述べた無思慮な言動を改めて慎(つつし)む所存である。大いなる不穏を、受け取る準備が厭になった。

「君や僕は餓鬼(がき)に憑(つ)かれて居るんだね。世紀末の餓鬼と云う奴にねえ」

 慢性の何某(なにがし)か、お前だけは変わり果てずに、徐々に常に傍(そば)に居て。地表を削る光線のチリチリと耳障(みみざわ)りな音、円周を描いて俺を隔絶(かくぜつ)し、忘れ難(がた)き高音が想像力に残響す。93年式初期型、闇よりも暗い闇夜のイントロダクション、平成元年製の僕は3歳のまま──ダーカー・ザン・ダークネス。

 (キーーーーーー)


「如何(いかが)ですか、この頃(ごろ)は?」
「不相変(あいかわらず)神経ばかり苛々(いらいら)してね」
「それは薬では駄目(だめ)ですよ。信者になる気はありませんか?」
「若(も)し僕でもなれるものなら……」
「何もむずかしいことはないのです。唯(ただ)神を信じ、神の子の基督(キリスト)を信じ、基督の行った奇蹟(きせき)を信じさえすれば……」
「悪魔を信じることは出来ますがね。……」
「ではなぜ神を信じないのです?若し影を信じるならば、光も信じずにはいられないでしょう?」
「しかし光のない暗(やみ)もあるでしょう」
「光のない暗とは?」

 小生(しょうせい)は平成元年、西暦1989年生まれで、現在は2020年という事である。比較として一世紀前の明治22年、西暦1889年に生まれた人達の、歿年(ぼつねん)を参照してみる。瓶詰(びんづ)めの遺書や絶対探偵小説を書いたを小説で描いた夢野久作は1936年、芸術は爆発だの生みの親のまた産みの親である岡本かの子は1939年、金沢に生まれながら後半生を馬込で過ごした室生犀星は1962年、ピアフの後を追う様に逝ってしまったコクトーは1963年、1945年に自決したヒトラーと同い年のチャップリンは1977年、そして1880年代生まれ最後の生き残りと云われたマリア・カポビージャなる女性が2006年に116歳で亡くなられている。詰まる処、これから後十年くらい2030年代頃まで全力疾走するか、2060年代から2070年代辺りまで挫(くじ)けずに頑張るか、運良ければ2106年までは生きられる、という事である。しかし、長寿記録一覧の殆(ほとん)どは女性が占めており、医療技術等が発展してそれを享受(きょうじゅ)できない限り、22世紀をこの目で見る事は無いであろう。無思慮な言動を改めて慎まない所存である。取り急ぎ、平成は総括した……

 ──オギャー、薬用せっけんミューズ、F/A-18(1/72)、米米、8cmシングル、後楽園ゆうえんちで僕と握手、セガサターン、自虐的CM(湯川専務)、新宿、辛口カレー、MS-05(1/100)、このキットに操縦士はついていません──強い酒、ウォッカ、Mr.ビーン(再放送)、コタツ、GDB-A(1/24)、アジカン、嘘つき、T.Rex、和菓子、カーペンターズ(再会)、初恋、プラトニツク・スウイサイド、彼女(密会)、花火大会、失恋、空洞です──通り抜ける風、恋人、ダブル・プラトニツク・スウイサイド、寺山修司展、一日中SEX、Pulp、我々少年、ナポレオンジャケット、古着コート(1940年代製)、甘口カレー、フォークソング同好会、名代富士そば高円寺店、MBBM、ジョン・レノン展、一夜だけのSEX、彼女(散会)、グラムロック、歌謡曲、ヘヴィメタル、30年、私です──31年、アルコール中毒、宿無し、彼女の家、SEXお断り、俺の家(ボロボロ)、新型ロック、旧型カメラ、ツァラトゥストラ(ボロボロ)、32年、アルコール消毒、緊急事態宣言、春の雪、NO SEX、新型コロナ、旧型ペスト、ツァラトゥストラ(買い直し)、何某です──

 この時代の皆には触れられるのに、聖徳太子が実際に生きて居たのかも分からず、現代音楽の即興演奏ですら意味不明で、つまり我が生涯は既にトリミングされた氷山の一角、やはり現代の皆とも濃厚接触したらだちゃかんわ、せめてソーシャルディスタンス取るから聖徳太子に逢わせてや、どうかジャズのグルーヴでときめかせてや、そうだ慢性の何某か分からせてや、ならば夜毎(よごと)の寂しさを打ち消して、夜通し朦朧(もうろう)と詩を書きて、ほらまた閃輝性暗点(せんきせいあんてん)として、突如“可燃ごみ収集の日だ”と思い出し、朝8時に収集車が来る前に溜まったゴミを集積所まで出しに行かないと、朝6時に誰も居ない近所を寝巻きで歩いて、再び家に戻る迄の徒歩数分の間、それが本当に瞬間移動みたいで、その距離の分だけ自己喪失して、「何時の間に帰って来てたっけ?」と家の玄関で独り、人生の終わり間際もそう思うのだ。

 (キーーーーーー)

 元来が芥川と太宰の流れより、谷崎や三島の一派と看做(みな)されるもの、唯(ただ)ぼんやりした不安も、話の無い話も、はっきりとうっとり述べてしまう癖に、無いならば“無い”と宣(のたま)う癖に、フランス映画のシュールとか、北欧映画の不条理など、然(さ)り気無く始まり、何時の間にか終わるなど、インディのロックぢゃあるまいに、ディレイやリバーブぢゃあるまいに、ディレイのロジック-蜃気楼(或は「続 海のほとり」)、人生そんなんで良いのか?

 (キーーーーーー)

 “何、この苦しみも長い事は無い。お目出度くなって(=死んで)しまいさえすれば……”と玄鶴(げんかく)、人間本来がそうだからって、何処(どこ)ぞの女が勝手に「鶴は病みき」って、幻覚、余りに芸が無いんぢゃないか、「文芸的な、余りに文芸的な」は、この耳鳴りを野放しにするもの、かの子を野放しにするもの、私は意味を付与するもの、反駁(はんばく)するもの──耳鳴りよ、この作為、いけないか?

 (キーーーーーー)

 慢性の何某か、お前だけは変わり果てずに、徐々に常に傍に居て。現に彼女から別れを告げられ、独言(ひとりご)ちるバンドマン。夢でも恋人から終わりを言い渡され、独り善(よ)がって善がる餓鬼マン。夢現(ゆめうつつ)で“ガキ”と嘲笑(あざわら)い罵(ののし)られ、残された道はひとつ地獄へと向かう六道(りくどう)マン。「サヨナラ」ダケガ人生ダ、振ラレルダケノ人生ダ。愛想ハ尽キル事ナク、愛想ハ尽カサレル為ダケニアル。皆ソウデアル、皆ホラ居ナクナル。ダカラ慢性ノ何某カ、オ前ダケハ変ワリ果テズニ、徐々ニ常ニ傍ニ居テ。

 (キーーーーーー)

 昭和二年ノ今日、彼ハ逝ッタ!

 (キーーーーーー)

 令和二年ノ今日、私ハ如何(ドウ)ダ?


 (ブーーーーーン)



同時に又僕の堕(お)ちた地獄を感じた。「神よ、我を罰し給(たま)え。怒り給うこと勿(なか)れ。恐らくは我滅びん」──こう云う祈禱(きとう)もこの瞬間にはおのずから僕の脣(くちびる)にのぼらない訣には行かなかった。
-芥川龍之介


地獄篇に続く