2021年2月26日金曜日

冬眠あけて(8:04-30:00)

8:04

 ゆさゆさと起こされる。また女と音楽の類(たぐ)いが、眼暗(めくら)に光を与えようとする魂胆(こんたん)か。いつも俺を放って置いて、冴(さ)え渡って行く空の蒼(あお)さ、それもまた女と音楽の類い、の癖に。窓から見えた747の影、この部屋まで轟々(ごうごう)とジェットの残響が届いた。あれは羽田空港に行くのだろう。

8:31

 また女と牡牛の類いが、もう少し寝かせて、お茶をいれたワ、テレビや新聞、うるさい、歯磨き、うるさくない、陽(ひ)の光が白くて強い、あゝ重い、反対に寝返りを打つ。布団にて冴え渡らないでこれ認める

 髪、きっと変な形で、ただシャツのボタンを上から留(と)めて、日射(ひざ)しの中を泳いでる糸くず、適当に些細(ささい)に順番に、靴、がつがつやるから折り目ついてる。がつがつ乱暴にやらないで

 俺は君を忘れない。急(せ)かしたって忙(せわ)しくならない。心なくさない、言い聞かす。

9:19

 世界──歩道を区切る白──線を辿りながら、電柱とブロック塀(べい)の狭い方を潜(くぐ)り抜け、俺は頬(ほほ)と耳たぶの治外法権(ちがいほうけん)、体温に対する天の邪鬼(あまのじゃく)を行使(こうし)し、誰も居ない神社の誰も踏まぬ蒼き砂利が敷き詰められた境内(けいだい)にて、陽の光が白くて強い、ああ軽い、やっと朝にご機嫌よう。

 俺は二月に馬鹿だよ。だって不思議の国のアリス。惹(ひ)きつけて儚(はかな)く、潔(いさぎよ)くナンセンス。

10:04

 レストランでは浮き足立つ、どうしよっか、水の入った冷たいグラス、ナプキンにナイフとフォーク、注意された幼少の癖がカチカチ音を立て、再び心と身体の違和を露(あら)わに、どちらかが大きくなり過ぎた。成長する身体、心がそれ以上になった。

 勉強もスポーツもてんで苦手だ。数値に表されるのが退屈だ。嘘偽(うそいつわ)りなく、誤魔化(ごまか)しの利(き)かない数値として表す──それこそ嘘偽りの、誤魔化しにしか見えない。たくさん集めて抱えた秘密が、そんな分別(ふんべつ)ある訳ない。野暮(やぼ)じゃない、俺は彼女との約束を思い出す。

Sint vera vel ficta, taceantur sub rosa dicta.

 風とか影とか、形のないものに形を与える方が良い。然(さ)れど風も影も、勉強とスポーツと仲が良い。残された方の俺は飛行場まで車を飛ばし、空へ直談判しに機上(きじょう)の人となる──勉強もスポーツも苦手なのだから勿論(もちろん)パイロットとしてではなく──或いは翼を焼かれたイカルス。

11:40

 正確には旅客機(りょかっき)と云って、空でそわそわする方の客人(きゃくじん)として、そわそわさせる方から聴き慣れない英語のアナウンス、ポンと云う警告灯(けいこくとう)、触り慣れない布地(ぬのじ)の、座り慣れない狭い席で、嗅(か)ぎ慣れない印刷インクの、見慣れない表紙の月刊誌ないし機関誌(きかんし)を、不慣れな文字列の多さに漂(ただよ)う。従って、聞き慣れたものも特別な響き、意味深長(いみしんちょう)に持たざるを得ず、ここで聴く音楽は何時(いつ)も、特別な想い出となる──百合、薔薇、さくら、フリヰヂア、枝切られる、枝切られる──と書いては両手を伸ばせない、都会では両手を伸ばせない。恐いものだらけ、怖いものなし、今から15歳、いま直結してやる。

12:15

 空に想いを馳(は)せるのは好き──でも、地に足が着いて居るのが良いみたい。

14:06

 君に想いを馳せるのは好き──でも、家で横になって居るのが良いみたい。

15:48

 旅はきっと一番好き──でも、春迄はこの調子みたい。

17:30

 もっと素直であれ、と昔から叱(しか)られる。それは素直でなし、ただの我が儘(まま)という事である。心底回り諄(くど)くて、不慣れな文字列の多さにただ酔う。そうして頭が痛むのと同時に、ずんずん眠くなる。未(いま)だ特別な想い出が沢山あるけれど、今宵(こよい)どうでもよい、今から幼少、いま溶解(ようかい)してやる。

19:24

 枕を新しくした、今度は優しく包んで逃がさない奴だ──独りで寝るには丁度良かった。仰向(あおむ)けに寝ながら本を読んでいると、頭が埋まって熱っぽい。前の枕は固くて突き放す奴だった──二人で寝るには丁度良かった。

 春の来る迄に、この枕と仲睦(なかむつ)まじく馴(な)れて居るだろうか。冬眠から覚めると、深く寝入(ねい)る事はもう暫(しば)しない。四六時中耳鳴(みみなり)。彼女とはそれきりで、二月も終わる。

19:51

 女と音楽の類い、冴え渡って行く空の蒼さ、夜になって流れて消えて、横になって聞こえた歌が

彼女のドレスは青いヴェルヴェット
それより青い夜のしじま
サテンよりなめらかな
──星の光

彼女のドレスは青いヴェルヴェット
それより青い彼女の瞳
5月より温かい彼女の吐息

愛は僕らのものだった

(中略)

深い深いブルー
青い星のように

独りぼっち

20:21

 終始、抽象的な物言いで御免(ごめん)、やっと醒めてきた。

 俺の正義は、君の正義を疑うこと。俺の正義は、人の正義を疑うこと。俺の正義は、俺の正義を疑うこと。都度、話の腰を折って来る奴は論外であるが、これから誠実に身を捧げるが良い。

 「こうして“冬眠あけて”って御題目(おだいもく)で書いて、何か結論とか目的はあるの?」
 「どうしてまたそんな事を?」
 「質問返しか……結論とか目的とか無いにしろ、とても無様(ぶざま)で不恰好(ぶかっこう)に見えるよ」
 「それが貴方の結論ですか?それを伝えるのが目的ですか?」
 「うん、歪(いびつ)な形で今にも崩れ落ちそうだよ、この話」
 「この様な作中作の劇中劇の談笑で章段(しょうだん)を整えようとしているのです、貴方こそ」
 「ああ冷メタ、お前がうらやましいよ」
 「ええ読メタ、貴方がうらめしいです」

 うらやましい、うらめしいを以(もっ)てして、これだけの言葉を垂(た)れるまで──気儘(まま)に生きてやって来た。うらやましい、うらめしいなど思ってもみないこと、と抽象的な寝起きの風景──冬眠あけて。うらやましい、うらめしいを眺めていたら、否が応(いやがおう)でも心象風景──存在証明。

21:52

 それは握れなかった旅客機の操縦桿(そうじゅうかん)の、不可侵(ふかしん)に輝く仏壇(ぶつだん)の、鋭さ隠す日本刀の、分厚く重たい金庫の、火薬を抱えたマッチの、甘さ匂わすウイスキーの、狙いを澄(す)ますライフルの、気になって仕様(しよう)がなかった女の、延長線上で肌身離さず弾き語る、もの乞(ご)いの恋だ。

22:07

 寝起きの風景、子どもの頃は不安が過(よぎ)って、外気(がいき)に自ら突っ込んで、身震いし、何度も繰り返しながら忘れて仕舞(しま)えば、心は馴れ馴れしい重たさを含み、一口手掴(ひとくちてづか)み、身軽に、君へと渡そう。

23:20

 運命とは取り引き、対極する生い立ち、磁場(じば)の満ち引き、逆境の形が恋愛の手応(てごた)え、持てる持たざる組み合わせ、好きになりそう、実(じつ)を言うと先に惚れていたのは相手の方、その先手で掘られた穴、惚れた、落ちた、よくやった、やらかした。

24:31

 あれは大変良いものだと思うが、綺麗なだけだから大した事はなくて、外界(がいかい)からの隕石(いんせき)、重たければ重たいほど、大きければ大きいほど、退(ど)かしたら生ぬるい湿り気、その跡のその後、手え子(てえこ)さ入れて縁(えん)を組み関係する。

25:25

 ギターは男にとって女の身(み)であり、女にとっては男の体であり、それぞれ鳴らされるキーが異なり、詩の詠(うた)われる領域から乖離(かいり)し、同性間で異端視されれば異性に近付き、高過ぎるものほど、低過ぎるものほど、ラインを越えてやって来る。

26:09

 その声は何かの凝固(ぎょうこ)であり、出産であり、成人式であり、俺は出産も成人式も経験した事ないが故、ゆっくりと引き延ばし、力を込めて力を逃がしながら扉をそっと開けてやり、閉めてやる何時の間にか、音も立てないで大人になって、終(しま)う。

28:44

 中途半端を愛しながら、中音域(ちゅうおんいき)の増幅(ぞうふく)をしながら、高音と低音とを補(おぎな)い、運命の人は必ず歴史的な争いを齎(もたら)し、不穏な予兆の味わい深さに唸(うな)り、邪道(じゃどう)から車道へ大通り、王道の真ん中で横たわり、自然的完全体つまり究極的受動態として、何回も轢(ひ)かれる、肌身離さず弾かれる、命運の両極に惹かれる、岩石ですら退(ひ)かれる、斜(しゃ)に構(かま)えた新しい線を引かれる、終焉(しゅうえん)。

29:55




 冬眠あけて。
 蒼消えた。

 次の日。
 また。

 朝。

30:00