2018年3月26日月曜日

梯ノ九行詩

人間篇より


 君だけの罪(つみ)──クラスメヰトや先生と残酷をやり合ふ

 僕だけの罰(ばつ)──取り返しが付かぬまで殺(あや)めるより殺める

 肝斑(かんぱん)や斑紋(はんもん)──墜(お)ちぬ染みと堕(お)ちた色の服と肌と胸と


 肉付きと肉月──経年劣化を身に付けた青年烈火(れつか)の

 焔(ほむら)を点(つ)けた怪人の──灰燼(かひぢん)の舞ひ落ちる先のまた焰(ほむら)

 水を差されて灰神楽(はひかぐら)──今度の舞ひこそラストワルツ


 七行で着いて仕舞(しま)ふ──犀(さい)の西より馬込(まごめ)の南へ──梯(かけはし)せゝらぎ子守歌──僕には吟(うた)ふ資格がない──愛さるゝ素質がない──帰るやうな面目(めんもく)がない──修羅の身に滲(し)む高円寺の唄

 八行で尽きて終(しま)ふ──シヤボテン──モヲビル──クラヽ──ウヱストサヰド──街の鍵──デビツド──ボウヰの雅楽(ががく)

 九行で継(つ)いで了(しま)ふ──苦行──休業──供養──誰とも上手く行かなんだ──犀の星より馬込の皆へ──二度と帰らぬ人々へ──二度と帰らぬあの日々へ──天上や人間や梯の詩


畜生篇に続く


2018年3月22日木曜日

私の偏執時代(頽廃的な、余りに頽廃的な)

『人間的な、あまりに人間的な』は、一つの危機の記念碑である。それは、みずから「自由な精神をもつ者たちのための書」と名のっている。その中の一文一文のほとんどすべてが、勝利を語っている──わたしはこの書で、わたしの性質にやどる非本来的なものから自分を解放したのである。わたしにとって非本来的なものとは、理想主義である。
-フリードリヒ・ニーチェ(Ⅰ)

平成元(1989)年五月(0歳)、東京都大田区にて生まれる。馬込文士村のあった馬込にて、幼年~青年期を過ごす(生家・本籍地は石川県)。文学的な興味関心は高校まで芽生える事がなかったが、軍事兵器や自動車等に関する書籍は二人の兄からの影響でよく読んでいた。物心ついた時から活字は好きだった様に思うが、決して本の虫という訳ではなかった。

平成八(1996)年四月(6歳)、小学校入学。一年生の国語の時間だったか、“えほん・ものがたりをつくろう”といった授業があり、そこで「のっぺらぼう」という作品を担任のI先生に提出する。恐らくそれでI先生から母へ連絡が行き、母から直接なにか言われた覚えはないが、その日の夜に仕事から帰って来た父と母が、息子の精神状態を案ずる様な会話をしていたのを憶えている(寝たふりしながら聞いていた)。

 物語のあらすじとしては、顔のないのっぺらぼうが日本刀で出逢うもの全ての顔を次々と剥ぎ、場合によっては打ち首とし、みな同じのっぺらぼうとなった処で、主人公も自害して結末を迎えるというもの(まだ実家にあるかな?)。手前としては自信作で、「おもしろい本だね」「すごい話だね」と皆から褒められると本気で思っていたのに、友達も先生も怪訝な顔をして反応が良くなかったので、大変ショックだった。ただ二人の兄だけは面白がってくれて、「日本刀は一人斬れば刃こぼれしたりするから、こんなに何人も惨殺できないよ」と真剣に駄目出しをしてくれたのが嬉しかった憶えあり。

平成十七(2005)年四月(15歳)、高校入学。三年間担任だった現代文のM先生(鷺沢萠の麻雀仲間)より、様々な文学作品を教えて貰う。

 教科書に載っていた森鴎外「舞姫」、夏目漱石「坊ちゃん」、「こころ」、芥川龍之介「羅生門」、中島敦「山月記」をはじめ、教科書に収録されていない太宰治、江戸川乱歩、谷崎潤一郎等の頽廃的、変態的な文学作品まで、授業そっちのけでM先生より細かに教示される(谷崎の「春琴抄」もここで“眼に針を刺し入れる克明な描写がヤバい物語”として知る事になるが、読む迄にはあと数年待つ事となる)。

 上記、M先生と縁のあった鷺沢萠の「指」という短篇を授業で取り上げた日の事を妙に覚えている。先生お手製のコピー用紙に刷られた「指」を皆で読んで、登場人物の心理描写について議論したのだが、自分と友人がいちいち「“市原”悦子の指が」と発言すると「“家政婦は見た”ぢゃねえよ」「でもこれ市原悦子だったら嫌だな」と苦笑しつつ面倒そうに応えてくれたのを覚えている。20年近く経った今でも、こんなどうでも良い一日の、どうでも良い一場面が鮮明に記憶されているのだから、どうでも良くなかったのだろうと思う。もしかしたらこの日、文学の重たい扉を一度こぢ開けたのかもしれない──そして入らずに、すぐ閉めたはずである。

 M先生からは山田詠美、江國香織、柳美里、吉本ばななら女流作家の他、ばななの父である吉本隆明(←後にミチロウ経由で再び読む事となる)や橋本治らも紹介して貰った。「柳美里って最初“やなぎみさと”だと思ってたら、そのまま“ゆうみり”だったんだよ」とか、先生がのぼーんと話していたのを昨日の事の様に覚えている。それから夏目漱石の「こころ」をクラスの皆で順番に朗読していた際、“何だかKの胸に一物(いちもつ)があって”という一節に「イチモツ?」「イチモツ!」「イチモツッ?」「イチモツッ!」祭りとなった事もある(男子校ゆえ御勘弁)。

平成十八(2006)年五月(17歳)、三島由紀夫の「金閣寺」を東京の丸善(十代の頃の己が行きつけ)で買う。本文と巻末の注釈を往き来しながら、第一章(5~39頁)まで読んだ処で「こんなもん賢く見られたいだけの文章やろ!」と投げ出した思い出(その後、手前の人生経験を積んでから再読、三島文学の父性その独断性に心酔す)。

平成十九(2007)年六月(18歳)、太宰治の「人間失格」を東京の丸善で買う。こちらは夜通し読み進め、一夜で無理矢理読破した。しかし共感する処一つとなく、「こんなもん哀れに思われたいだけの自慰やろ!」と腹が立った思い出(その後、手前の人生経験を積んでから再読、太宰文学の母性その共感性に心酔す、まい、と未だ強情を張り続けている)。

平成二十一(2009)年二月(19歳)、大学一年の終わり頃に人生初のエレキギターを横浜のイシバシ楽器にて購入(黒のレスポールのコピーモデル、アンプ・チューナー・ギターケース込みで2万円也)。ギターの神様にあやかろうと布袋寅泰の誕生日(2月1日)に購入するも、基礎的なローコードの練習など繰り返す内、“こんなん全然布袋ぢゃねえ”と阿呆らしくなり三日で挫折の三日坊主(ここから五年間ギター弾かず仕舞い)。その反動で詩作に没頭、大学卒業までに千以上の作品を認める(良い頃合いで世に出す予定です)。

平成二十四(2012)年九月(23歳)、定職に就いてから半年ほど経って、職場から近い高円寺にて一人暮らしを始める。室生犀星、寺山修司、ボードレール、ポーらの詩集を読み耽り、十代で挫折した三島リベンジにも成功する(再読のきっかけは、短篇「憂国」に描かれた容赦ないエログロの美に、文学の真髄を見てしまったから)。また、高校時代に教えて貰った谷崎の「春琴抄」や「陰翳礼讃」にもぶん殴られる(やっとこさ「春琴抄」に眼をやられただ)。加えて、三島経由でバタイユを知り、彼の処女作「眼球譚」によって谷崎にやられていなかった方の眼まで盲いられる(とうとう文学の沼に嵌まっただ)。更に、20世紀(大正~昭和)の日本の文豪へ影響を与えたスターン、ワイルド、バルザック、モーパッサン、ゲーテ、マンらのヨーロッパ文学にも手を出し始める。レコード屋巡り以上に、古本屋通いが趣味となる(遅読なので、未読の積読がみるみるうち溜まってゆく)。

平成二十五(2013)年七月(24歳)、ライヴに通っていた大好きなバンド・ダンボールバットのフロントマンであるアミさんの影響で、ブコウスキーや中上健次(それとあと「マカロニほうれん荘」)を読む様になる(今にして思えばワタクシ、アミさんから音楽だけでなし、いや音楽以上に文芸的な、余りに文芸的な影響を受けている)。

 時を同じくして、T.レックスの「20センチュリーボーイ」のイントロのリフを遂に習得し(←超簡単よ)、グラム・歌謡・メタルの神様に日がな取り憑かれ、五年越しにギター練習を再開(自宅用マーシャル製小型アンプによる爆音演奏を昼夜繰り返し、隣人、大家、管理会社から口頭および書面での注意・退去勧告を何度か受ける)、そうして今度こそは作曲に没頭(大学時代の反動の反動)、断片も含め一年で百程の楽曲を認める(良い頃合いで世に出す予定です)。

平成二十七(2015)年七月(26歳)、我が人生初となるバンド・MBBM結成。バンドでの作詞作曲も始める。

平成二十八(2016)年八月(27歳)、当ブログ執筆開始。近況報告やライヴ告知の他、随筆エッセイ、詩、短篇・掌編等を書き始める。

平成二十九(2017)年一月(27歳)、MBBM解散ライヴ当日より──今日の常識を覆す為の今日、即ち──“毎日更新”を標榜する詩作活動【MBBMの日めくりバーニン】シリーズをTwitter上にて開始。翌月26日に新バンド・Unfinished Ballades結成、現在に至る。


あのいちばん底にひそんでいた自我──他の多くの自我の言うことに絶えず耳を傾けていなければならない(──つまりそれが読書といわれるのだ!)という重荷を負って、いわば土砂の下に埋まってしまい、声を失っていた自我が、しだいしだいに、おずおずと、ためらいがちに目をさました──そして、ついにそれはふたたび語りだしたのである。
-フリードリヒ・ニーチェ(Ⅱ)


2018年3月21日水曜日

「Nori MBBMの人生名盤10選」

この谷間の眺めはまさにみごとなエメラルドの杯そのもので、その底をアンドル川がゆったりと身をくねらせて流れています。荒地の景色に倦(あ)き、道に疲れていた私は、この眺めに接し、なおのこと甘美な驚きに打たれました。──あの人が、女性の花たるあの人が、もしこの世のどこかに住んでいるなら、この地をおいてほかにない、私はそう考えながら、一本のくるみの木に身をよせました。
-フェリックス・ド・ヴァンドネス

 本日3月21日(水)は“春分の日”なのだが、外はまさかの雪である。

 冬のあいだの寒さは耐えられるというか受け入れられるけど、一度暖かくなってからの所謂“寒の戻り”というのは、「また寒くなるんかい!そりゃないぜブルブルッ」と理不尽に震えてしまいますね、これも風情なのでしょうかヘックシュン


 よし、昨日のブログ記事で予告した通り「Nori MBBMの人生名盤10選」いかせて貰います!!


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「Nori MBBMの人生名盤10選」


1.「jaguar hard pain」(THE YELLOW MONKEY, 1994)

 “究極の1枚を選べ”と言われたら、コレ。イエモンのメジャー3rd「ジャガー・ハード・ペイン」──このアルバムとなら心中できる。ボーカルの吉井さんがデヴィッド・ボウイに倣って構想した「日本版ジギー・スターダスト」と云われたりもする(これぞ換骨奪胎、ジャガーはジギーを超えてゆく、ジギーがイギーをそうした様に)。

 “雷が落ちる”、“目から鱗が落ちる”ような瞬間というのは生きていれば何回もあるが、吉井さんの「演歌は日本のブルースだ」という言葉は手前を哲学させて、「日本人にしか出来ない、世界の何処にも負けない最強の音楽を演るんだ」という決意をさせた。

 要するに、英国の白人青年達が海を隔てた米国の黒人音楽・ブルース(謂わば“魂の絶唱”)を聴いて、居ても立っても居られずに自らバンドを組み、R&Bのカバーをして、オリジナルのナンバーを書いては歌い、ビートルズやストーンズと相成った様に、私は日本人の魂の叫びである演歌・歌謡曲を血肉として、日本人にしか出来ないロックンロールを演りたい。

 このアルバムを聴けば、日本に生まれた事を誇りに思える。三島由紀夫、美輪明宏、或いは、あがた森魚……日本伝統の幻想耽美。あゝ万歳!!


2.「君繋ファイブエム」(ASIAN KUNG-FU GENERATION, 2003)

 ロックとの出逢い、悶々と鬱屈した中坊にアジカン。このメジャー1stを聴くと嬉し恥ずかし13歳──得も言われぬ大変な気持ちとなる。

 2ndシングル「君という花」が出た時、その歌謡メロディを分厚いディストーション・ギターで織りなす現代的な和ロックの世界観に、まるで“カーテンの向こうの朝焼けを見て、訳もなく泣いてしまう”ような不思議な気分になったのを覚えている。日本人ならお馴染みの光景であるコンクリートの団地前で踊るMVにも、“未来的なノスタルジー(←甚だしい矛盾)”と言えば良いのか、未体験なゾーンに半ば安堵するよな危うい錯覚と多幸感に見舞われた。

 今は何とか言葉で説明できるが、当時はこの訳の分からぬ高揚感、焦燥感の理由を突き止めたくて、ひたすらこのアルバムを聴き、2000年代の日本のメジャーシーンに突如登場したブラックホールを彷徨ったものである。ここから己が“日本ロック探究の旅”が始まる──アジカンとの出逢いはその後、ミッシェルやナンバーガールを聴くきっかけにもなった、だからゴッチには最大級の感謝……謝謝……シエシエ(アジアン感風)。


3.「JUST A HERO」(BOOWY, 1986)

 14歳になった中2の冬、TVK(「saku saku」や「新車情報」といった伝説の番組を放送していた“テレビ神奈川”)でやっていたMVを垂れ流すだけの番組(名は失念)で、代表曲「B・BLUE」のライヴ映像が流れてきて、「あっ、この映像の中の青く澄んだ世界、好きかも」と一目惚れしたのが、“ボウイ”との出逢い(他に兄からの影響もあったが)。上記アジカンも同じ様な出逢い方で、手前はTVKに育てられた様なものだ(クラッシュ・イン・アントワープ、ラウンドスケープ、サウンドスケジュールetc……好きだったバンド、俺の青春、何だか急に胸がソワソワする)。

 ボウイの話に戻って“一体何にそんな惹かれたのか?”と今に分析してみれば、ロキシーミュージックやクラフトワークを愛好する布袋さんのヨーロッパ的ハイセンスとユーモア、ヒムロックの透き通るよなイノセントな声と詩に心を奪われたのである。私の患っている“グラムロック”という音楽的な病気は恐らく、このアルバムがそもそもの発端である(このアルバム自体は、グラムロックというよりニューロマとかニューウェーヴに当たるが)。

 この80年代的でハイファイな音像、ディスコティックでダンサンブルなミックスがイカして“ない”時代もあった──ちょうど俺がボウイを聴いていた頃はまさにそうだった──のだが、今や何周かしてむしろ粋に響くものである(と言いつつも手前の作る曲は基本ローファイだし、じいさんばあさんの家の離れで作った様な土着的なものばかりだが、笑)。

 因みに「1994 -Label of Complex-」という楽曲における布袋さんの音使い、コーラスワーク、そしてヒムロックの詩世界が、火星からやって来たデヴィッド・ボウイと解読不能の言語でコミュニケートする程に極まっている──この粋な感じ、ホント好きサBABY


4.「Great Hits」(T.Rex, 1973)

 ボウイ(DavidのBowieでなし暴威)の布袋さんが影響を受けていた“グラムロック”という世界に惹かれ、洋楽の初体験はボランちゃんのT.レックスだった。これはベストアルバムだけど統一されたチープな世界観があって、ばあさんが独りでやっている駄菓子屋さんの様な、或いはスーパーの最上階の寂れたゲーム広場が如く、カラフルでポップでユニークなのにどっか切なくて──正に“グラム”そのもの──よく出来た1枚のオリジナルアルバムの様である。このベストの他に名盤とされる2nd「電気の武者(1971)」や3rd「スライダー(1972)」の映し出す光景は更に不可思議で、より宇宙的で、15歳の殆どJ-Popしか知らない少年には到底理解できなかった……今は心の底から好きだけど。

 ギターのペラペラな薄い音、能天気にブーブー鳴っているサックス、か細い声で歌うマーク・ボラン、全てが妙ちくりんで歪んだ己が幼少時代の様であった。かと思えば「20センチュリー・ボーイ」に「メタル・グルー」、「ジルバの恋」、「ミッドナイト」といったヘビィメタルなギターが暴れまわる強引な曲もあったりして……侮れないなマーク・ボラン

 この人のダメそうで弱そうなところがとても好きです。後は「ソリッド・ゴールド・イージー・アクション」を聴いて、世界中のパンクスはぶっ飛ばされてください☆☆☆


5.「Bleach」(Nirvana, 1989)

 高校の友達が教えてくれたニルヴァーナ。ギターのフィードバックが不穏に鳴り響く1stアルバム、80年代を過去に葬るほどカッコ良い……(話は逸れるが不協和音最高のカタルシスと言えば、このニルヴァーナでもシューゲイザー系のバンドでもなく、永遠のジャパニーズロケンローバンド“ギターウルフ”であり、嵐の如くハチャメチャなフィードバックの連続に「うるせー!」と家で一人爆笑した学生時代の記憶)。

 まだ殆ど無名だった頃の「ブリーチ」の後に大ヒットした2nd「ネヴァーマインド(1991)」、3rd「イン・ユーテロ(1993)」のどちらかというとパンクスターのイメージが世間的なニルヴァーナ像なんだろうけど、俺はこの“ブラックサバスがアメリカのスラム街に迷い込んだ”ような根暗なメタル、ハードロックのニルヴァーナが好きです(カートはサバスやツェッペリンも好きだったというから信用できる)。

 このアルバムもやはり何も知らない16、7歳の頃に出逢ったから、訳も分からずドキドキする理由を知りたくて、毎日何度も聴き込んだものです。詩も全部ワードで起こして印刷してファイリングして歌って覚えて、1曲1曲にまつわる㊙エピソードが載っているニルヴァーナ徹底解説本みたいなのも買って、後にギターでコピーもしたし、結構のめり込んだ──ショットガンで自ら命を絶つ事を神聖視することは出来ないが、涅槃に入ってしまった超常的なバンドの、その全ての契機となった悪夢を垣間見たいが故に。


6.「Complicated Mind」(DOOM, 1988)

 ディスクユニオンのヘビメタ館──よく行ったのは新宿店とお茶の水店──に入り浸っていた己が暗黒の10代、洋の東西を問わず様々なメタルを聴き漁っていた。その時に見つけた最強のHR/HMの名盤が、この“ドゥーム”のメジャー2nd「コンプリケイティッド・マインド」であります。これを聴けば地獄経由の天国まで逝けます、メタルゴッドに誓って保証いたします。

 天才ベーシスト“諸田コウ(通称ヘビメタ界のジャコパス)”ばかりが取り沙汰されるけど、ドラムの変拍子、ギターのアドリブ、音作り、攻撃型ボーカルの時に変態的なシャウト……全てが異次元であり魅力的であります。つべこべ言わずに聴けば分かるさ、繰り出されるギターリフとかシャウトがいちいち世界最強だから(このアルバムぢゃないがメジャー1stに収録されている「ゴースト・オブ・プリンセス」って神曲があるので、そちらも是非聴いてほしい)。

 日本には世界で戦えるメタルバンドが沢山おりますが(羽鳥さん率いる“カスバ”や、名古屋の“アウトレイジ”も超エゲツナイからチェックしてみて!)、ドゥームもそんなバンドの1つです。あと人間椅子な(それとサブラベルズな)。んでフラットバッカーもな(♪いいかげんにしなさいよぉおゝゝ)


7.「Ramones」(Ramones, 1976)

 大好き“おかっぱパンク”ラモーンズのカッコ良くて、どこか可愛いらしいデビューアルバム──心で泣ける、笑える、そして速い、2、3分のファストパンクソングたち。

 T.レックスぢゃないけど、ラモーンズもへなちょこなところが好きです。同じクラスに居たら友達になれそうな感じ──おかっぱ野郎どもの反逆の狼煙!!

 何が良いって世界一のパンクソング「電撃バップ」もあれば、「ムカつく奴をバットでぶん殴れ」っていうポップな曲もあるし、初恋胸キュン片想いソング「アイ・ワナ・ビー・ユア・ボーイフレンド(=彼氏になりたい!!)」もあるところ。あとライヴ盤を聞くとどの曲も同じで笑えます──ワンツースリーフォー!ダーダダーッダダーッダーンダーン(よっ偉大なる金太郎飴!)


8.「suede」(suede, 1993)

 90年代イギリスのヴィジュアル系──と言ったら怒る人が居るかもしれない──バンド、“スウェード”。ナルシスなボーカルのブレッドと天才サスティーンギター王子──ないし職人──のバーナード……この美男子2人。

 70年代のグラムロックを幼少期に聴いて育った人達が90年代の“ブリットポップ”というムーヴメントを担っていたので、それまで「グラム好き好きー」だった手前が大学時代にスウェードと出逢ったのは必然でした。ブリットポップ・ムーヴメントには他に“パルプ”っていうバンドとか、“バビロンズー”、“へヴィーステレオ”なんていうグラムなバンドもいて、彼の有名な“オアシス”もT.レックスやゲイリー・グリッターの歌メロやギターリフを引用した曲を演っていたり、スレイドやボウイのカヴァーをしていました(グラムロックはイギリス人にとって、身近なポップスだったのです)。

 スウェードの話に戻って何が良かったかって、やっぱり歌です。ブレッドのアヘアヘなシャウト。「アニマル・ナイトレイト」という曲は衝撃的で、“バーナードのエロいギターはどうやって弾いているんだろう?”とYouTubeにあった本人が解説する動画を見ながら、下手なりにギターをよくコピーしましたが、やっぱあのボーカル、ブレッドありきです(バーナードが居なくなってからのポップなスウェードもイカしてて、特に2010年の再結成ライヴでブレッドが汗まみれになって客達と大合唱する「アニマル・ナイトレイト」は、全盛期の妖艶なイメージを覆すような“漢”らしさで、手前も男ながらに“抱かれたい”と思いましたワ)。


9.「有頂天」(サンハウス, 1975)

 ブルースを教えてくれた70年代日本のハードロック・バンド。ギターの鮎川さんは演奏だけではなく人柄も朴訥としたブルースマンで最高だし、柴山さん a.k.a. 菊は“和製ジギー・スターダスト”だ(あの淫力魔人感は“和製イギー・ポップ”とも言える)。

 サンハウスも出す曲すべてが名曲しかない上に、楽曲の幅が広くて大好きです。全く以て“粋”なのだ。だって「レモンティー」とか「カラカラ」みたいなヤードバーズもエアロスミスもダムドもぶちのめすブルースパンクもあれば、「夢見るボロ人形」とか「もしも」、「傷跡のロックンロール」みたいな独りで部屋で聴いて泣きたい様な沁みる曲もあるし、モット・ザ・フープルやシルヴァーヘッドばりにへヴィーでブルージーでドスの利いた「キング・スネーク・ブルース」とか「爆弾」、「なまずの唄」もある。

 “どのアルバムが1番いい?”って訊かれたら正直迷うな……日によって違うアルバムを推しそうなんだけど、やっぱりこのファーストです(でもメンバーの皆様は、このファーストの歌謡曲的でペラペラなミックスに不満があったそう)。


10.「1」(The Dresscodes, 2014)

 ──縦横無尽に音楽を聴いていた20代半ばに出逢った孤高の1枚。

 最初の出逢いはやっぱり“毛皮のマリーズ”というグラマラスでルーズなバンドでしたが、解散後にボーカルの志磨さんが新たに結成したこの“ドレスコーズ”というバンドはもう……バンドではない。

 言わずもがなグラムフリークなので当初は毛皮のマリーズの方が好きでしたが、次第にこのドレスコーズが描く“蒼い世界”というのか、やや語弊があるけど“青春”、これが手前の心を打ちました──ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなんかいらない──「1」は私の目指す1つの極北であり、この然りげ無い“優しさ”と“諦め”だけが汚れてしまった心をそっと包んでくれる。

 “名盤10選”の最後に挙げたアルバムが「1」、という訳で振出しに戻って“1”枚目の「ジャガー・ハード・ペイン」から人生やり直します、なんてな……(死ぬのは奴らだ♪ダーダッダダーン、ダーダッダダ⤴ン←人間不信 by メジャーデビュー直前の毛皮ズ)


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 以上、「Nori MBBMの人生名盤10選」でした。最後まで読んで頂いて、有難う御座います。どうか今度は貴方の「人生名盤10選」を教えて下さい。わたし本当に好きなんです、こういう話。冗談抜きで朝まで延々と語り合えます(このブログみたく此方から一方的に話し続けたりはしないから)。

 昔から仲良くなりたい人とこういう音楽談義ばかりするのだけど、最近は“1アーティスト、1バンドを愛し続ける”というよりも“1曲、1曲を愛する”という人がかなり多いな、と実感しております(実際に会って話すと後者“曲単位派”がとても多い)。手前は言わずもがな前者ですが、後者の方というのは“YouTubeとかで出会って、その曲が気に入ればダウンロード、ないしサブスク等で1曲ごと繰り返し聴く”という人なのでしょう(どちらが偉いという事でなし、多くの人の聴き方が変わりつつあるぞ、と思いました)。俺はやっぱり音楽とか楽曲よりも、その人柄とか生き様に興味があるのだ、と改めて思ったり(吉井さんやヒロトなら「何言ってもOK!」って思っちゃうから)。


 話が脱線しました。実はこの「人生名盤10選」というのは、前にやっていたMBBMというバンドのホームページに設けていたコーナーの1つで、個人的に「皆の好みが分かって、このコーナー良いなー」と思っていたのですが、周りからの評判が芳しくなかったので、データだけ取っておいてホームページ上からは削除したものを2年ぶり位に自分の分だけ引っ張り出してきて、当ブログに再掲したのです(他の方々のものは一切公開しないのでご安心を、独りで眺めてニヤニヤする用です)。

 再掲にあたって、名盤たちのジャケ写の画像サイズも編集ソフトで全て均等に揃えたのだ(偉そうに言う程の事ではない)。


 あゝ話が終わらない。近頃はライヴ活動よりも宅録やMV撮影がしたいなあ、と創作意欲が止め処なく溢れているNori MBBMでした。またね


「おわかりになりますかしら、私は一つ一つの目に私の秘密を打ち明けました。でも最後の肘掛椅子(ひじかけいす)の仕上げのときは、あなたのことを考えすぎましたわ。そう、フェリックス、ほんとうに私、あなたのことを考えすぎましたわ。あなたが花束にこめられる思いを、私はこのつづれ織りの柄一つ一つに語りかけたのですもの」
-アンリエット・ド・ルノンクール


2018年3月20日火曜日

“ロックの正しいかたち”

ロックの正しさというか、正しいロックとは何だろか──そんなのないのがそうなんだ、は承知の助で──てな訳で、先日の弾き語りライヴの映像を2本ほど。


3月にぴったりの「カナリヤ」──だのに当日は極寒の雨で春を通せんぼする冬

気の早い私は夏の曲まで演っちゃう──史上初かなアコギ弾き語りで「キラー・ビーチ」

 アップした2曲はそれぞれ言わずもがな、日本最強のロックバンドである“イエモン”と“ミッシェル”のカバーで御座居ます。

 仮にロックバンド世界選手権があったなら、日本代表には間違いなくこの2バンドの名が真っ先に挙がるぢゃん(あとはXとかハイロウズとかルナシーとかブランキーとか)?具体的に言えば、音楽的な筋肉量と知識量が共にズバ抜けている眩いバンドたち。

 ライヴを演れば伝説の名演、新譜を出せば名曲・名盤、360度死角なし、ロックンロールに資格なし、絶え間なく現る刺客の屍だけが其処に有り、って感じ。90年代を制したバンドは洋の東西を問わず、私にとって“ロックの正しいかたち”である。


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 次回、「Nori MBBMの人生名盤10選」!!ご期待あれ(明日ぐらいに暇だったら)