2022年9月30日金曜日

おのがくるりプレイリスト –のりの51回転編–(Q)

【Nori MBBMの場合】


1.ワンダーフォーゲル(TEAM ROCK)
2.Morning Paper(アンテナ)
3.リルレロ(魂のゆくえ)
4.お祭りわっしょい(NIKKI)
5.益荒男さん(天才の愛)
6.アナーキー・イン・ザ・ムジーク ANARCHY IN THE MUSIK(ワルツを踊れ Tanz Walzer)
7.花の水鉄砲(アンテナ)
8.虹(さよならストレンジャー)
9.argentina(坩堝の電圧)
10.遥かなるリスボン(THE PIER)
11.Superstar(NIKKI)
12.最後のメリークリスマス(THE PIER)
13.ばらの花(TEAM ROCK)
14.男の子と女の子(THE WORLD IS MINE)
15.石、転がっといたらええやん(言葉にならない、笑顔を見せてくれよ)

Total Time“63:53”


–ライナーノーツ–
「高円寺の円とはこれ如何に」

51回転の15曲とはこれ如何に?数字をテレコ(手入子)、否、くるりした訳でありますな。

 アタシゃ聴きまくりましたわよ、この数年間ないし令和の四年足らずに、やっと平静に平成を見つめられそうだと過ぎ去りし時代へ想いを馳せ乍ら、聴きまくったって一体何をってくるりをですな。

 そこで一つ、くるりっとくるりを包括的にくるり振り返るよな試み、そのプレヰリストを釈迦力になって作ってやりましたわよ。

 私事で済まぬがね、のりの51回転だからちょいと大目に見て欲しいのだけど(51っつーのは5月1日生まれだからよ)、高校時代は山岳部の部長だった訳よ、あれオシャレに云うとワンダーフォーゲルとかワンゲル部いうらしいじゃないの、違う?まあ山岳部だワンゲルだ抜きにしたって、イントロの♪ジャジャッ、ジャジャッ、ジャジャッジャッジャ一ジャつうギターに被さる細かい粒のよな♪ピコピコピコピコピコピコピコピコ!!キラキラと広がってゆく世界、一日のはじまり、人生のはじまり、そして勿論このプレヰリストのはじまり、あらゆるはじまりに持って来いだと思うの。

 さあ始まったわ、初めは何も無いんだわ、そんで澄んだ朝の日射しは眩しいわ、処で隣でモヲニングペイパアを読んでいるのはだあれ?お父さんかしら?いやんアタシ、まだ政治とか経済にゃ興味ないの、さっさと家出て登校中にヘビメタ聴くわ(蛇の目爛々)、ハードロック聴くわ(蛇の目爛々)、お前そんな小手先の技術ばっかに頼ってちゃ駄目だ、漢なら腕っぷし一本でいかなきゃ、うっさいわこの筋肉馬鹿!!益荒男乞食!?お祭りわっしょいしてらっしゃい!!出店で焼きそば食べてらっしゃい!?ア~イアムァン、アナアキスッ!!喰らえ、花の水鉄砲~っと其処に虹が掛かりまして、喧嘩していた二人もすんと見とれてしまいましてからに、カメラは徐々に遠巻きの上空へ、二人はスクリーンからフレームアウト、長い線路に重なり合う端のない虹が幼少の感覚とか感情を何かフラッシュバックさせ、気付いたら其処は“雌しべと雄しべがふれ合う”よな国、その首都ブエノスアイレスにて、見知らぬ男女は(かつての日本の赤い)電車を乗り継ぎ、踊り続け、何故かまた都から都はリスボンにて、実はパパとママでした、あの隣でモヲニングペイパアを読んでいたお父さんよ(一面、黄金の夕暮れ、黄金の国のジパアング)!!

 軽々しくも神々しい黄金の日暮れは束の間、静かな異国の空には名も知らぬ星々、あの一番光っているのが貴方のとびきり大切な人、スーパースタア、そう見えるは視座、そう輝くは星座、今日はクリスマスだったわね、もうすぐ私達の誕生日ね、プレゼントは……海に行きましょうよ、え?こんな寒い冬の真っ只中に?それもこんな人気(ひとけ)のない真夜中に?えゝ、誰も居なくて、ゆっくりできるから。

 二人歩いた、道も分からぬまま辿り着いた、深い暗がりの蒼、それは海と空の碧、青、だんだん白けてきて、朝、それは海と空と二人の心の白さ、好意は隙、空白、好き、白状、数寄、薄情、昇る朝陽、そして別れた。

 今日の朝の日射しは、何時かキラキラ広がってゆく世界、一日のはじまり、人生のはじまり、そして無論このプレヰリストのはじまり、あらゆるはじまりに似ていたが、僕は独りだった、独り言だった、恋は幻だった、イカれてた。

 イカれちまったベイベー、いかれたBABYはフィッシュマンズとか、ローリングストーンズとか知らねえけど、BABY言っときゃええやん?石、転がっといたらええやん。ベイベー壱睡もせずに昼過ぎ、ベイベー此処まで来るともう寝られないぜ、ベイベー今どき夢オチなんて出来る訳ないぜ、二人して巡ったあのアルゼンチンもポルトガルも夢だったとは言わせないぜ、確かに恋したぜ愛したぜ、二つ合わせて恋愛だぜお前、俺らずっと高円寺の純情商店街なんだぜ、ここで色んな季節の色んな朝昼晩がくるりした訳だぜ。

 さて、この解説もそろそろ、くるりしなけりゃなりませぬな。

 高円寺の円とはこれ如何に?街中がエンコ(縁故)、寺、くるりした訳でありますな。


 富士そばに於ける、冷やし肉富士そば大盛り。丸亀製麺に於ける、タル鶏天ぶっかけ冷や得。ロックチームくるりに於ける、Nori MBBMの51回転。此のプレイリストの意義、詰まりは其れ──特濃特盛特大日本、さよならアメリカさよならさよなら。


 ただのメモだ、気にするな。京急よりあからさまに律した(♪ファソラシドレミファソー)。選曲のないアルバムは念頭になかっただけだ。

 君にだけ打ち明けよう──おのが回転


 ドグマッ


2022年9月29日木曜日

無題(破)

エレキをアンプに、ただ刺した。何の変哲もないギター弾き語り、演らせて頂いた。



 激しくやるより優しくやる方が、何事も難しいのです。“やる気がない”と捉えられたら、誰からも愛想を尽かされますから。だから、いつもみたくギターの音も激しくしないで、めずらしく優しく弾いて演った。

 それでも原曲より“ワルツを踊れ(Tanz Walzer!!)”、そのビートを感じてしまうのは、BPM速めてしまうのは、手前がピック弾きゆえ(岸田さんは指弾きゆえ、つまり原曲との差別化を図るため、と指弾きをしない口実作り)。


バンドカラー×スキニー×ノーショーソックス×レザースニーカー×台湾茶カフェ=俺流ノームコア2022(くるりへ最大級の愛を込めて)

 今回のワルツのその前に、「無題」と云われる“言葉にならない”曲を演ったのは、くるりのこと好きな誰かへのちょっとした愛、否、天才の愛、ないしラヴぃ、なあ、笑顔を見せてくれよ(イヤだ云うなら、石、転がっといたらええやん)。

 あと原曲のピアノフレーズは、大好きなローズピアノの音色でアナログシンセを弾いて演った。己がフェチズムだとか我がノスタルジーだとか手前のセンチメントが、多分そうさせた。


~~~~~~



 私がくるりを解せなかったのは、あれが平成だったからだ。私がくるりを解せるのは、これが令和だからだ。イエモンやミッシェルが手に取る様に分かったのは、それが昭和だったからだ。

 寝かせたカレーは深みを増して、冷や飯の方も旨味の角を落とす。棘を抜かれて腑抜けた薔薇の地味、それは勢いを削がれた獣の愛くるしい滋味。カレーだ薔薇だ、ロックチームくるりの抱える苦悩だ。今こそ真価を発揮する平凡の中庸、くるりと回り廻って輝く平成の凡庸。


 そうか、分かったぞ。私がくるりと帰れる距離に今、平成があるから。




2022年9月28日水曜日

くるりのことのこと(序)

令和元年に文庫版として新たに刊行された「くるりのこと」を先ごろ読了したので、「こと」の“こと”のその次第、書き綴る。

 くるりがQURULIのQは9に因み、其の一から其の九まで書籍からの引用とそれに対する考察を順次列挙してゆく(1996年にくるりというバンドが結成された、この9月に)。

 ※一視点からくるりと連なる物語を見出だしたかったので、書籍からの引用は全て岸田さん発言のものだけを選んだ


2016年に刊行された単行本へ新たなインタビューを加えた文庫版を原典とす

【其の一】
ある日ね、そのルーズリーフを机の上にそのまま置きっぱなしにしてたら、俺の机の周りに人だかりができていて。「おいおい、岸田がポエム書いてるぞ!」って言われて。まぁ、それは結構トラウマになりました(笑)
(p24、第一章より引用)

 この話は岸田さんのツイッターでも度々呟かれており(ex.19/1/21、20/9/30の公式ツイート参照)、作詞だけでなし作曲に対する考え方についても、大きな影響を与えた出来事であると思われる。

 手前で抱いていた個人的なくるり観──押し付けがましく具体的なメッセージに成り得“ない”言葉・文章で作詞すること、愛聴してきた楽曲に使われるコードやその進行を分析した上で理論的・構築的に作曲すること──の説明が付く、訳が分かる、合点が行く。机の上のルーズリーフに群がって下卑た声で囃し立てる連中へのカウンターである(俺はそれで野球部の馬鹿と一切口を利かなくなった)。

 しかし同時に私は、出しゃばりな言葉で歌われて、手垢の付いた感覚的なリフを弾かれたら、それで十分な人間であった、それが充分に分かった、くるりとの距離が解った、岸田さんとの差異が判った──くるりのことのこと。


【其の二】
俺らはもう、その京都に脈々と流れるブルースの神様たちの末裔(まつえい)になるんだみたいなモードに完全に入ってたから。
(p39、第一章より)

 エレクトロニカやヒップホップなど打ち込み音楽的な事も演りつつ、思いっきり古典的・ルーツミュージックなフォークとかブルースとかそこに根差したハードロック的な演奏もする、くるりのそれが不思議で堪らなかったけど、そうか京都は村八分か騒音寺か(石、転がっといたらええやん?)、あゝフォークルも居たか(あの洒落とユーモアがあればこそ!)、とこれも至極納得。


【其の三】
特に、もっくんも含めた当時の3人は、自意識が欠如してる人の集まりっていうか。これはいい意味で言ってるんじゃなくて、音楽業界がレールを敷いたスター・システムみたいなところにのっかるためには、悪い意味で俺らにはナルシスティックなところがまったくなかったんですよね、みんな。
(p96、第二章より)

 存在価値のシラフなんだ、くるりの魅力は。存在証明の倒置法なんだ、ロックの奴等は。そんな自意識、くるりには要らない。こんなナルシスティック、ロックって恥ずかしい。“いい意味ではない自意識の欠如”、“悪い意味でのナルシスティックのなさ”。シラフなんだ、くるりの魅力は。倒置法な(以下、略)


【其の四】
(ナンバガ・向井くんは)ちょっとね、ノリが演劇っぽいっていうか、芝居がかってるなって思って、最初はなんとなく苦手やったんですよ。
(p110-111、第三章より)

 (【其の三】の己が主張の続き)んだ、ロックの奴等は。シラフなんだ、くるりの魅力は。逆説的なんだ、ナンバガの魅力は。反語的なんだ!?This is 向井秀徳だ!!

“何故、そこまでして、腹を切らなきゃいけんのか?何でそこまでして、自分の、プライドを見せ、つけなきゃいけないのか?俺にはよう分からんが、凄い、それは、素晴らしい事だ、かもしれなせんね?SAMURAI(ライヴ盤「シブヤROCKTRANSFORMED状態」の向井秀徳・MCより)”

 かもしれ“な”せんね?(←超好き、謂わば自意識とナルシスティックの理想形)


【其の五】
音楽って、結局そこに込められた熱量やと思うんですよね。「完成度が高い」とか、「こういうコンセプトだからいい」とか、いろいろ作品によっての良さってあると思うんですけど、「図鑑」の良さは絶対的な熱量が高いこと。
(p121、第三章より)

 熱心なくるりファンからの人気が高いとされる「図鑑」にあまりピンと来なかったのは、その熱量の高さが俺に分からなかったからか。一方で“完成度が高い”上に、“こういうコンセプトだからいい”と感じたから、「THE PIER」が、「ワルツを踊れ」が、「TEAM ROCK」が、飛び切り名盤に聴こえるのか(是ぞ己がくるりベスト3)。あと「NIKKI」もマジで愛してる(ど直球のストレート・変化球なし、くるりがくるりしていないというメタくるり状態・俯瞰で捻くれて結局くるり常態)。


【其の六】
(コラボしたユーミンについて)音楽的にはすごく褒めてくれたんですけど、歌詞の書き方については徹底的に直された。直されたというか、アドバイスを受けて。まぁ、歌詞にもいろんなやり方があるし、ユーミンのやり方がすべてではないと思うんですけど、俺の歌詞ってわりと直感的で散文詩的じゃないですか。
(p229、第六章より)

歌詞にちゃんとストーリーがあることによって、聴いてる人は誰でもそのシチュエーションを想像することができて、歌の登場人物の気持ちがわかるじゃないですか。そういう曲の作り方って、俺まだその当時かなり弱っていたんですけど、それもあってすごく心に響いて。なんか、新しい宿題もらったような感覚がして。次の「言葉にならない、笑顔を見せてくれよ」で、何曲かそういうことにチャレンジもしたんですけど、いまだにその壁は越えられていないですね。きっと、ソングライターとしての自分にとって、一番苦手なところだと思います。
(p230-231、第六章より)

 この長過ぎる引用の方がメインとならぬ様に、手前の主張をここぞとばかり一生懸命に述べてやろうではないか(岸田さんが重要なことしか言わないので、引用のどこも省く事が出来なかった)。

 俺は、くるりの真髄を見たのである。思い掛けず長所と短所というものは表裏一体を成すもので、先の引用に述べられた事実こそがくるりの、岸田さんの真の長所であり、“98年の世代”──くるり、ナンバガ、スーパーカー、中村一義ら──の衝撃であったと考える。

 岸田さんの持ち帰った“新しい宿題”とは、今や“J-POP”と呼ばれたりもする立派な肩書きを持った偉大なる先達・先生達から与えられたもので、そんな「J-POPの課題・宿題なぞ知るかいな」と傍若無人に振る舞うが如き“98年の世代”の鳴らした音楽こそが、J-POPに対するオルタナティヴ(代替物)だったのではなかったか。1998年(平成十年)とは、昭和に有り得ぬ平成が十年で遂にモノにした、日本の大衆音楽に相対する、オルタナティヴロックが生まれた瞬間ではなかったか。明確なストーリーや登場人物が不在の、意識の断片が刹那、フラッシュバック、現代に似合いの、カットアップ、平成に似合いの、ファック、無意味な意味深に、崩れたベルリンの壁に、弾けたバブルの後に、ぶち壊された昭和の幻想に、ぶち撒けられた僕らの全てがあったのではなかったか。そんな歌詞ありかよ、こんな音楽聴いたことねえよ、と取り憑かれた僕らが夢にまで見た霊的なる存在、ピクシー(妖精)でもなく、ニルヴァーナ(涅槃)でもなく、ナンバガ(透明少女)であり、くるり(ワールズエンド・スーパーノヴァ)だったのだ。

 そんなくるりの岸田さんが、わざわざ生身の身体で以て、新しい宿題に取り掛かって居るのだから、これまた受け取る方の先生も、涅槃でまったり、この世ならざる体で待ったり、する他ない、南無(♪チーン)。


【其の七】
これは俺の持論ですけど、バッハ、モーツァルト、ハイドン、そしてバロック以降の20世紀前半ぐらいまでの古典音楽、近代音楽っていうのを、ポップスと結びつけている人って、世界的にも結構少ないと思っているんですね。実は、ボブ・ディランの音楽にさえ、そういう要素を感じることがあるんですけど、そういう部分が、もしかしたら上の世代のミュージシャンの方々におもしろがられているのかなって気はしますね
(p235-236、第六章より)

 俺は、くるりの真髄を見ていなかったのである。だってオルタナティヴはオルタナティヴでも、オルタナティヴの斜め上をゆくオルタナティヴだったのである(ティヴティヴうっさくてゴメン)。そうかピクシーでもニルヴァーナでもなく、レディオヘでもマイブラでもソニックユースでもなく、バッハにモーツァルトにハイドンだったか、(J-POPに対する)これ以上ないオルタナティヴの極みであったか……何故かふと十年以上前にナンバガ・向井さんが公式でYouTubeへアップしていた童謡「ふるさと」のオルタナ弾き語りカバーに動揺「ふるさと」したあの日の事を思い出してしまった(“98年の世代”のオルタナティヴ、ここに極まれり)。

 立派な肩書きを持った偉大なるJ-POP先生、オルタナの教え子が放課後の音楽室でクラシックとか童謡を演っているの、微笑ましく見ていたって訳かい?


【其の八】
バンドも20年近く続けていると、普通やったら円熟の演奏とちょっとしたエスプリで、音楽の色気を醸し出して、みたいな感じになりがちじゃないですか。でも、「THE PIER」では寸分の狂いも許されなくて、全部に決まりがあって、それを肉体を通して演奏することで敢えて自然にやってるように聴かせるっていう、ちょっと頭のおかしいやつがやってる実験みたいなことをやっていて。だからちょっと、第六感みたいなものが鋭い人が聴いた時に、気持ち悪がられることが多いんですよ。
(p280、第七章より)

 手前の第六感の感度がどれ程のものかは知らぬが、こんな馬鹿でも情緒的なことに関しては昔から人一倍の自信がある(何だその自信は)。であるからして、「THE PIER」が、くるりのアルバムでいっちゃん好きや、それがこの訳や(以下、詳細)

 思えば“気持ち良い”と感ずるものほど世間にとっては“気持ち悪い”とされるものばかりで、“素直だな”と思うものほど皆様にとっては“捻くれてんな”って奴ばかりで、“自然と違和感もなしにウキウキしちゃうワン”と嬉しくなっちゃうのは“なーにこれ人工甘味料バリバリじゃんウゲ”って嫌な顔されちゃうの……これってすっげーすっげーグラムロックぢゃん☆☆☆(←因みにこれボランちゃんの頬に付いてた星ね)。え、括弧内の事までちゃんと説明しろって?当記事は「くるりのことのこと」、その本題へと戻らねば怒られちゃうわよ~、一体誰に?って、アンタのオレよ、アンタの中のアタイに値しないアタイよ、それ本当は他人なのよ!?

 そんな他人なんかと同じ事したくない、一理ある。だが本当にそれだけか?実は規則的な生活を送っている人より、不規則な生活まで味わって、誰より規則的になりたいんじゃないか?バランス良い食生活なんて知らねえぜ、こちとら滅茶苦茶偏食だもんで、これが、これだけが、これだけで、よくよく誰よりバランス取っているんじゃないか?変態ですよ、だって誰より平凡ですもの。中庸ですよ、だって誰より際物、極者、キワモノですもの!!

 えゝ、大好きな「THE PIER」というアルバムの話ですが何か?私の話ではありませぬぞ!?ぐぬぬ、そう云われてみれば確かに、至極個人的な私事でしたわネ。「くるりのことのこと」と銘打っといて、こりゃ失礼しましたワ★★★(←因みにこれボウイ様の置いてったブラックスターね)。え、括弧内の事までちゃんと説明しろって?デヴィッド・ボウイよ、そうよ忘れもしない2016年は1月10日(日)よ、出勤して職場の人に「大丈夫?」「死んじゃ駄目だよ」って慰められたんだから、泣いちゃいないわよ、それどころかバンドで一曲作ってやったんだから、“ブラックスタートゥインクル”言うてね、奥さんイヤねえ知ってるでしょ~、こう町の井戸端会議が一向無くならないのは、そう国の有識者会議より一層大切な事が議論・検討されているからよ、あんなの下らぬ話に高尚な題目つけただけよ、人生物語の端から端まで全て取り揃えたいのよ、そら貴方も端までゆくわよ、こりゃ桟橋よ「THE PIER」の話なのよ!!


【其の九】
でも、(アルバム「ソングライン」の)その作り方に関して言うなら、やっぱり異常な作品なんですよ。人肌っぽい曲やサウンドにするために、作ってる側はもうパソコンを前に血走った目でマウスを動かしてるみたいな(笑)。
(p313、新章より)

 生々しい初期衝動からなるロックンロール、リバーヴやディレイなど掛け過ぎない様に、DTMソフトのタイムライン上の同じ所ばっか不安そうな顔で幾度となく徘徊し、執拗にエフェクトの加減を確認し、順番を入れ換えたり結局元に戻したり、恩返し真っ只中の鶴が織り出し紡ぐが如く、人知れず繊細なミックスを施してゆく──直感的で、計算度外視な、天性の振りをして──つるは、むしったじぶんのはねで、はたをおっていました。「すがたをみられたら、おわかれしなくてはいけません」。つるはよわよわしく「こうー」となき、そらへかえっていきました。

 一方で、無機質かつ神経質に戦慄くプラスチックのロックンロール、心血を注いでパキパキと緻密に打ち込み、バキバキに打ち込み、バシバシ打ち込み、徐々にリズムがずれて歪んで行っても気付かずに、それが余念なく、信念めく、情念めいて、怨念めいた思い、目眩く想い、思い掛けず重たくなり、理路整然とした当初の軽いヴィジョンは綺麗さっぱり──むかしむかしのおはなしです。あるところにびんぼうなわかものがいました。ゆきのひ、わかものはいちわのつるをみつけました。バサバサッ、バサバサッ。「たいへんだ。わなにかかっている」。たすけてあげると、つるは「こうー」となきました……(そして物語は前段の結末へと繋がるって訳、くるり輪り廻って岸田と繁るって訳)

 僕らこうして右往左往、のらりくらり、くるり駆け巡る訳が、一所懸命ゆえ。うっさいのもしんとしたのも、あっついのもさめざめしたのも、一生懸命ゆえ。いつも厳しかった書道の先生ごめん、珍しく褒めてくれたその達筆も実は二度書きで。面白いと笑ってくれた友達ごめん、嬉しいと喜んでくれた恋人ごめん、どれもこれも打算的な悪知恵が働いて。ただ唯一の救いは極め付き、くるり一周してしまえたら、一番遠いが実は一番近かったんだね、不純に思う事の純粋だね、見透かされちゃうよね……嗚呼そういえば、くるりのことのこと、多分ついさっき、めでたしめでたしっした、皆様おつかれっした(完)。


我誕生日、回転之事、初版刊行、偶然必然!?


2022年9月7日水曜日

wearing a mask, take off a mask, choose your task.

夏は散文、詩、短編にも満たぬ掌編小説を日ごと読まれたい。何故こうも暑いと食欲でなし読書欲まで落ちる気がして、上下巻とかシリーズ物の長編を読む迄の気力が湧かぬ(故に“読書の秋”という言葉がある、かは定かでない)……まあ暦上はもう秋なのだが。



 そうだ唄を歌う意欲もなく、インスト等を演る始末(但し誰より唄を歌う者、我慢できずに叫びはした)。ツイッターの方では、詩人としてのポーや宮沢賢治に敬意を表しつつ、また“百年に一度の世界的な猛暑”とか“日本国内コロナ新規感染者数世界一”など今年の夏のトピックに絡めながら、今回のカバーMVのアップを告知した。

 正直なところ、マスクを着用してないと下着を穿いてないみたい、或いは露出しているみたく恥ずかしい、と感じるよな生活の今を記録して置きたかった。そんな想いで以前より、「マスクを着けたままインストナンバーなどカバーMVしてみたいな」とひっそり画策していたのである。



 当初はベンチャーズを演ろうと思って、選曲もアレンジも服装も撮影場所もばっちし決めていたのだが、名だたるインストナンバーの数々を漁る内、この“コマ~ンチ!!”が頭から離れなくなりまして(前回のMVが“おそそ”で今回は“コマ~ンチ”いうんがまた我ながら“ウルトラC”←父方の祖父の口癖)、そらグラム歌謡メタル野郎の新たな歴史の一頁に咥えさせ、失敬、加えさせて頂いた次第で御座居ます。

 リンク・レイについては鮎川誠さんかセイジさん(ギターウルフ)のインタビューで知ったはずだが、今回の“コマ~ンチ!!”に関してはヘッドコーツのカバーで脳天直撃SEGA SATURNしたのでした。だからMVの服装も“ヘッドコーツ→ミッシェル→パイレーツ”と日英ガレージを行きつ戻りつする己が観念連合で、ガイコツなパイレーTを着用という訳ざんす。


※サムネとは別カット

 このまま行くとガレージロッキンLOVE♡なカバーになるところでしたが(コマ~ンチ!ジャブ!シスコ!サタニックブンブンヘッエ~ド!!)、そこはグラム歌謡メタル野郎、我が星の王子さまであるボランちゃん(T.Rex)もリンク・レイに脳天直撃SEGA SATURNされていたのは知っておますから、グラム・歌謡・メタル演ろうで演らせて頂きましたがどう?(←唐突な問い、君に額ぶつける程の至近距離で)

 具体的にはだね(←急にダミ声の怪しい博士か教授みたいな口調)、現代のディストーションサウンドから見れば、いや聴けば然程、歪んでいるとは言い難い鉄弦ジャキジャキ剃刀サウンドにも出来た訳だがね、己が秘めたるジャパメタの遺伝子(略して“秘メタル”)が昨今では邪道と見なされがちなドンシャリサウンドを求めていたという訳だよ(そういえばユニオンお茶の水ハードロック/ヘビメタ館、あっこから移転するってよ、もうあの天国の階段へは昇れないってよ、泣)。

 しかしだな、手前の演奏をこう聴き返してみればだな、結局ガレージロック抜け切っておらんかったばい、至極ギヤブルーズしておったわい


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 時代はどんどん変わるがね、これだけ流行の速度が増して行けば、それだけまたヒットヒットヒット……リバイバル云われんのは癪だがヒットの回数も増える訳で、そんなんはもうどうでもよか、俺らグラム歌謡メタル野郎、相も変わらず此処でギターロック演ってっからアンタ勝手にしいや!!

 「スクリーマデリカ(プライマルスクリーム)」とか「キッドA(レディオヘッド)」とか分かってたまるかい(←最近わかってしまえそうで焦ってる)!!YMOなんか知らんわ、ソリッドステイトサバイバァー!!ヨノイ大尉、ミスターローレンスの馬鹿野郎!!コマンチ(リンクレイたけし)


 wearing a mask, take off a mask, choose your task──今回のカバーMVを通して、使い捨ての黒マスクを通して、俺から言えんのはそれだけだ。

 マスクを着けろ、マスクを外せ、アンタのタスクを選べ──その度重なる着脱が精神衛生上、無論身体的衛生上、正常だ清浄だ。正しいし潔い、まともだもっともだ。伝染病にも罹らねえしシティポップにも関わらねえ、何も流行らねえし気持ちさえ逸らねえ!!


 それではまた、ギターロックで逢おうぞ。