「──その女というのが、耳のうしろに花を挿した野性的な、宿命的な女で、青年の魂をすっかりとりこにしてしまいます。そのために青年は完全に道を踏みはずしてしまって、女のために何もかも犠牲にして、脱営し、女といっしょに密輸入者の群れに入り、すっかり堕落してしまうのです。さてそうなると、女は彼に飽きてしまって、闘牛士とくっついてしまうのですが、それがまたすばらしいバリトンの持ち主で、女が絶対にいやとはいえないような男なのですね。そうしてこの気の毒な兵隊が、顔を真っ青にして、シャツの胸をはだけてでてきて、闘牛場の前で女を短刀で刺し殺しておしまいになるのですが、女はまさか男がそんなことまでするとは思わなかったので男を挑発したというわけです。」
-ハンス・カストルプ
そもそも恋人の二人の出逢った事が間違いだった十年、間違いが本当に間違いか確かめてみたかった二十年、これほど悩ましく恨めしい事もない三十年──「平成の人殺し」 by Nori MBBM
今回、このカバーMVシリーズでは初めて打ち込みドラムやシンセベース等のリズムトラックを録らなかったんだけど(原曲もギターとボーカルのみだし)、己がカバーとロッソの原曲で最も異なる点を挙げるとするならば、それは“湿っぽい”ってとこかな。
チバさんって生まれながらにして、また自覚的にも“カラッ”と乾いた人でしょ。ミッシェルやバースデイのフアンの方も、そういうサバサバしたのが好きな人多いと思うし。バースデイのファーストに「うんざりするぜ、お前のしめった感じ、メキシコ行け」って歌う曲もあったよな──しかし如何して俺は湿っぽい(メキシコへ行く予定はないが)
故に今回のカバーと原曲で一番異なる点は“湿っぽい”ってとこ、チバさんの曲を吉井さん(それも「39108」を出した辺りの)がカバーしてる感じ?これは意識的にアレンジしたというより、吉井さんとチバさんのロックンロールを10代の青春の終わりに毎日聴いていた手前のサガが出ただけのこと。
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まあカラッと乾いただのサバサバしているだの言いましたが、チバさんが実に面白い人だなと思うのは、時折メルヘンで至極ロマンチストな詩世界を描くところだ。この人の詩集にはボールペンやマジックで描かれた幾つかのラフ画(書き殴られたイメージの断片)が載っていて、其処にも無邪気な夢想家としての一面を垣間見る事が出来る。
子供が頭の中の箱庭で遊び回る奔放な感じ、そういう一面を“男の顔は履歴書(安藤昇)”みたいな世界観に紛れ込ますのがホント上手いし、絶妙でズルいし、それがチバさんの言語化しづらい潜在意識的な魅力だと思う(言語化できたらブコウスキー、ブコウスキーは「魔の山」を退屈と見なす、それを有難がって読む俺はチバユウスケから“メキシコ行き”を告げられる、そこでまたブコウスキーと再会す、俺はきっと人殺す、チバの詩をこうして論評する様に、憧れを喪くす、いま此処で文章を書く様に、平静に人を殺す)。
ミッシェルのライヴの入場SEが「ゴッドファーザー・愛のテーマ」だった時期(チバさんがオールバック・リーゼントだった数年間)があったけど、あのマフィア的な世界観なんかまさにそうだ──“冷淡かつ残酷で容赦のない大人の男”と“友情や絆とか家族愛を重んじる純なままの幼い男”の同居。
MVの撮影は、高円寺から中野へ行く途中にある公園にて決行(友人が以前、この公園で雷に打たれて入院した⚡KAMINARI TODAY)。
また何でスーツ着てブランコに乗って弾き語りしたかって、別にうらぶれたサラリーマンを演りたかった訳じゃなく、この「人殺し」って曲がキーを変えたバンドアレンジで「ブランコ」という別名で演奏されているからです(「ブランコ」の方は公式にMVも作られている)。スーツの方はと云えばバンド・TMGEからの観念連合、或いは前述した“大人と子供が同居した様な男”のイメージから着用。
バンドで初音源を出したら、久し振りにライヴがしたいし、ニルヴァーナやミッシェルのカバーもまた演りたい。バンドのメンバーにもそう話しておこう。
ではまた、令和あたりで!!