2019年4月25日木曜日

「平成の人殺し」

「──その女というのが、耳のうしろに花を挿した野性的な、宿命的な女で、青年の魂をすっかりとりこにしてしまいます。そのために青年は完全に道を踏みはずしてしまって、女のために何もかも犠牲にして、脱営し、女といっしょに密輸入者の群れに入り、すっかり堕落してしまうのです。さてそうなると、女は彼に飽きてしまって、闘牛士とくっついてしまうのですが、それがまたすばらしいバリトンの持ち主で、女が絶対にいやとはいえないような男なのですね。そうしてこの気の毒な兵隊が、顔を真っ青にして、シャツの胸をはだけてでてきて、闘牛場の前で女を短刀で刺し殺しておしまいになるのですが、女はまさか男がそんなことまでするとは思わなかったので男を挑発したというわけです。」
-ハンス・カストルプ

 そもそも恋人の二人の出逢った事が間違いだった十年、間違いが本当に間違いか確かめてみたかった二十年、これほど悩ましく恨めしい事もない三十年──「平成の人殺し」 by Nori MBBM

 Unfinished Balladesのライヴでミッシェルの「ゲット・アップ・ルーシー」に「ダニー・ゴー」、またソロの弾き語りで「キラー・ビーチ」も演ったし、ニルヴァーナの方も弾き語りで「About a Girl」を以前カバーしたけど、この“カバーMVシリーズ”でもカートとチバユウスケの曲は絶対に演っておきたかったので、前回のカバー、そして今回の「人殺し」と一通りレコーディング・撮影する事ができて良かった。



 今回、このカバーMVシリーズでは初めて打ち込みドラムやシンセベース等のリズムトラックを録らなかったんだけど(原曲もギターとボーカルのみだし)、己がカバーとロッソの原曲で最も異なる点を挙げるとするならば、それは“湿っぽい”ってとこかな。

 チバさんって生まれながらにして、また自覚的にも“カラッ”と乾いた人でしょ。ミッシェルやバースデイのフアンの方も、そういうサバサバしたのが好きな人多いと思うし。バースデイのファーストに「うんざりするぜ、お前のしめった感じ、メキシコ行け」って歌う曲もあったよな──しかし如何して俺は湿っぽい(メキシコへ行く予定はないが)

 故に今回のカバーと原曲で一番異なる点は“湿っぽい”ってとこ、チバさんの曲を吉井さん(それも「39108」を出した辺りの)がカバーしてる感じ?これは意識的にアレンジしたというより、吉井さんとチバさんのロックンロールを10代の青春の終わりに毎日聴いていた手前のサガが出ただけのこと。


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 まあカラッと乾いただのサバサバしているだの言いましたが、チバさんが実に面白い人だなと思うのは、時折メルヘンで至極ロマンチストな詩世界を描くところだ。この人の詩集にはボールペンやマジックで描かれた幾つかのラフ画(書き殴られたイメージの断片)が載っていて、其処にも無邪気な夢想家としての一面を垣間見る事が出来る。

 子供が頭の中の箱庭で遊び回る奔放な感じ、そういう一面を“男の顔は履歴書(安藤昇)”みたいな世界観に紛れ込ますのがホント上手いし、絶妙でズルいし、それがチバさんの言語化しづらい潜在意識的な魅力だと思う(言語化できたらブコウスキー、ブコウスキーは「魔の山」を退屈と見なす、それを有難がって読む俺はチバユウスケから“メキシコ行き”を告げられる、そこでまたブコウスキーと再会す、俺はきっと人殺す、チバの詩をこうして論評する様に、憧れを喪くす、いま此処で文章を書く様に、平静に人を殺す)。

 ミッシェルのライヴの入場SEが「ゴッドファーザー・愛のテーマ」だった時期(チバさんがオールバック・リーゼントだった数年間)があったけど、あのマフィア的な世界観なんかまさにそうだ──“冷淡かつ残酷で容赦のない大人の男”と“友情や絆とか家族愛を重んじる純なままの幼い男”の同居。



 MVの撮影は、高円寺から中野へ行く途中にある公園にて決行(友人が以前、この公園で雷に打たれて入院した⚡KAMINARI TODAY)。



 また何でスーツ着てブランコに乗って弾き語りしたかって、別にうらぶれたサラリーマンを演りたかった訳じゃなく、この「人殺し」って曲がキーを変えたバンドアレンジで「ブランコ」という別名で演奏されているからです(「ブランコ」の方は公式にMVも作られている)。スーツの方はと云えばバンド・TMGEからの観念連合、或いは前述した“大人と子供が同居した様な男”のイメージから着用。



 バンドで初音源を出したら、久し振りにライヴがしたいし、ニルヴァーナやミッシェルのカバーもまた演りたい。バンドのメンバーにもそう話しておこう。


 ではまた、令和あたりで!!


2019年4月19日金曜日

平成最後の春に会いましょう

五月に死んだ友だちのため
これからはただ彼らのために
-ルイ・アラゴン

 昨日は大阪からグラムな知人が此方に来ていたので、一緒に“我がロック四天王”であるhideさんのお墓詣でと地元・横須賀探訪をして参りました。
 ※我がロック四天王とは、“吉井和哉-北方毘沙門多聞天王(ほっぽうびしゃもんたもんてんおう)”、“hide-南方毘留勒叉増長天(なんぽうびるろしゃぞうちょうてん)”、“ROLLY-西方尾嚕叉広目天王(さいほうびろしゃこうもくてんおう)”、“秋間経夫-東方提頭頼吒持国天王(とうほうたいとらだじごくてんおう)”からなる4人のこと、過去のブログ記事でも彼等については色々と書いてきたから良かったら見てね

 この大阪の知人はコズミック・ホールズのそまちゃんからの紹介で、昨年より仲良くさせて頂いているのだが(会うのは今回で3回目でもメール・文通では既に何十万字と言葉を交わしているので意志疎通バッチリ)、とにかく面白い人である。

 元々は美輪さんやシャンソンに関する共通の話題、それから今回のhideさんの事で親交を深めていたのだけども、この知人はフランスのパリを拠点に40年近く海外生活をしていたので、どの話もぶっ飛んでいて面白いのだ(以下に列挙す)。

・山本寛斎のオフィスで長年働いていて、ファッションショーで世界的モデルのナオミ・キャンベルのフィッター(着付け担当)を振られた事が一度だけあり、リハから超ワガママで手に負えず大変だった話(本番は別の担当にして貰ったらしい)

・パリでバスに乗っていたら、あのゲンズブールも一人で乗ってきて、本人は周りに気づかれたくないのか、左手で顔を覆う様にして気難しい表情で窓の外を眺めていたので、声も掛けられなかった話

・ドアーズのジム・モリソンの大ファンだったので、彼の亡くなったパリで大勢のファンと没後10年にあたる1981年7月3日にお墓参りをしていたら、ドアーズの元メンバーらとテレビ局のクルー達が突然やって来て、墓地でライヴを演り始めた話

・マツダの社内誌編集のバイトもしていたので、彼の名車・787Bが優勝した91年のルマン24時間耐久の際も現地で仕事しており、スタッフパスも与えられて舞台裏まで観戦していた話(あのイカれた4ローターサウンド、俺も前に何かのイベントで生で聴いてチビッたぜ)

・20代の初め頃、アメリカを横断する為に現地のオークションでボロい中古車を落札したのだが、バックギアが死んでいて機能せず、一度もバックなしで駐車等しながら何ヶ月も掛けてアメリカ横断した話

・生活に困窮していた為、一円にもならない石ころや針金を手細工して、アクセサリーにしては露天で売り捌きまくって糊口を凌いでいた話

・パリのシャンソン教室に通っていた頃の癖が強すぎる先生の話

・パリの大学の食堂で用心棒(ガードマン)をしていた頃の話

・パリの郵便局で遭遇したスリと決闘になった話

・不法滞在と密輸の心得

 思い出せる範囲で大雑把に10個ほど挙げたけど、実際に会って聞いてみると話のディテールまで細かく覚えていてホント面白いのよね。俺は知人の話を信じているが、別に作り話でも良いくらい(笑)


 他にもお互いに車が好きだから、シトロエン“2CV”、“DS”、“GS”等の実用性とか乗り心地について、実際に運転したり乗せて貰ったりしていたそうなのでレビューして頂いたり(あの外観・デザインには文句の付け様がないからさ、利便性とか実用的な事だけ訊いてみたの)。

 ことロック音楽に関して云えば、“クイーン”や“パティ・スミス”に最近だと“ミューズ”とか、色んなバンド・アーティストのライヴを観てきた話もしてくれたけど、個人的にグッと来たのはスウェーデンの都・ストックホルムで観た“スウェード”のライヴの話。

 ボーカルのブレッドは過激な言動で有名だけど、その日は全曲歌い終わったらマイクスタンドを天井までブン投げ、最後は床に落ちた“ドスーン!!”って音を会場中に響かせてステージから去って行ったと……マヂかっけえ(機材スタッフやPAからしたら「おいコラ何してくれてんねん」って感じだが)。


 あゝいかんいかん、hideさんのお墓詣でと地元巡りの話をします!!


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 まずは大阪の知人と「東京駅」にて待ち合わせ、そこから「品川駅」でJRから京急に乗り換え、墓所の最寄り「三浦海岸駅」まで(さらっと書いたが、神奈川のほぼ最南端まで行くので、この工程が一番長かった)。お参りの前に、駅近くのhideフアン御用達のお花屋さんで、お供えの花を購入す。


 店内に入るなり、お花屋の店主のおじさんが「撮って良いよ」とhideフアンに慣れた御様子で対応して下さる。お言葉に甘えて、沢山のhideさんとお花達をパチリ(どうも有難う御座居ました)。



 次に「三浦海岸駅」からバスで、墓所のある「三浦霊園入口」まで。平日の14時過ぎという中途半端な時間でしたのでバス停の周りには人影もなく、穏やかな波の音と奇麗な海だけが静かに広がっていました。



 バス停から墓所まで10分ほど歩き、“三浦霊園”に到着。こんなに広大な墓所は初めてで、hideさんのお墓は霊園内の6区(ロック!?)にあります。


 hideさんのお墓です(お写真、失礼致します)。既に沢山のお供えものがあり、毎年、毎月、毎週、毎日……大勢の方がhideさんへ逢いに来ているのでしょう。


 花をお供えして、手を合わせ、平成にあった事を偲びつつ、これからの事も念じつつ、ゆっくりとお祈りをしました。hideさんと初めてお話ができた様な気分です。


 hideさんの愛機・モッキンバードと「HURRY GO ROUND」の詩が刻まれた石碑(ご両親の御言葉も記されていました)。hideさん、平成時代はお疲れ様でした!!また、春に会いましょう★



 名残惜しくも墓所を後に、行きと反対方向のバスで「三浦海岸駅」まで戻り、今度は電車で「横須賀中央駅」まで。そう、hideさんのご実家があり、hideさんがロックの何たるかを教わった不良の街、横須賀の“ドブ板通り”へ!!


 hideさん所縁の地、行きつけの店をひたすらに巡らふ──此処はミリタリーショップの“FUJI”、ミリタリー系・軍服を中心に扱っているお店です。そういえばhideさんの最初のモッキンバード(“X”加入以前の“横須賀サーベルタイガー”時代のギター)は迷彩柄だったし、ソロになってから迷彩柄のジャージのセットアップなんかも着てたよね。当日は財布に余裕がなかったので、お金がある時にまた覗きに行きます!!


 一方こちらは、hideさんが横須賀サーベルタイガー時代によく出演していたというライヴハウス“ROCK CITY”。現在はロックバーのみの営業なのかな?ライヴハウスというより、ロック音楽の流れるミュージックバーの趣きでした。中にはビリヤード台があり、屈強な外人の方々がいっぱい居て、楽しそうにお酒を飲んでおりました。


 此方もhideさんが通っていたという鰻屋の“うな八”、しかし俺は魚介類一切ダメなんだ……


 知人いわく映画「HURRY GO ROUND」で、“hideさんはうな八の「二段重」を食べていた”と紹介されているらしいのですが(俺ら未視聴)、一人前何と5,900円!?税抜き!!


 という訳で“一福”へ(うな八さんに他意はありません、店構えからして絶対に良いお店でしょう)!!


 昨日ツイッターで「hideさん行きつけの中華料理屋・一福さん、美味しかった!!」って呟いたのだが、“お食事処 一福(和・洋・中華 各種定食)”って看板にも書いてあるし、周りの人が食べていたものを思い出しても全然中華じゃなかった、、中華専門みたくツイートしてスマン(笑)


 hideさんがよく頼んでいた「中華丼」と「牛すじ煮込み」だ、ドンっ!!(「ホッピー」まで頼むお金はなかった)

 味はもちろん美味しかったし(知人は「牛すじウマいわあ」としみじみ絶賛)、店内の昭和感がガチなので落ち着くし(客席の後ろの机や本棚には、自由に読んで良いと思われる昭和の白茶けた漫画本の山に、薄暗い蛍光灯が明滅するお座敷席もある)、何より店主のおじさんとおっかさんが泰然としていて最高であった。hideさんが好きになるのも分かる──特に年の頃80前後と思われるおっかさんが、調理を終えると我々と同じ客席の方にポツンと座るのが可愛かった。御馳走様でした!!



 以上、hideさんのお墓詣で&横須賀探訪でした(おしまい)


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 帰りにドブ板通りを歩いていたら阿木曜子(言わずもがな宇崎竜童の奥さんであり、山口百恵とか郷ひろみとか昭和歌謡のアイドルらの代表曲を多数作詞して、女優としてもドラマや映画等に出ていた方ね)の手形レリーフがあった。俺と誕生日が一緒だから、こうやって写真を撮ってみたり、意味もなく手形に手を合わせ、その大きさを確認してしまった(笑)

 阿木曜子の曲に“横須賀”とか“ヨコスカ”ってよく出てくるものね(彼女自身は横浜出身らしいのだが、そのご実家が後年、横須賀に引っ越したからだそう)。hideさんだけじゃなかった、横須賀での出逢い。


 今度はまた“令和”の春に会いましょう!!港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ~♪


2019年4月17日水曜日

THE YELLOW MONKEYを一言で表すなら

本日、19年振りにイエモンの新譜が、願ってもなかった9枚目のアルバムが発売された。

 THE YELLOW MONKEYの魅力や唯一無二のその訳は、当ブログでも事ある毎に書いてきたが、このバンドを一言で表すなら、こうなる──

 ニルヴァーナと初期レディオヘッドがエフェクターボードに置き忘れた終末オルタナ・ディストーション──諦観の向こう側で鳴らされる蒼を“紫の炎”へと変えて仕舞う紅いエロスのギターリフレインに、ツェッペリンが如く巨大なスケールで体現される強靭でタフなロッククラシックの骨格を持つ好色一代のグルーヴ、更にデヴィッド・ボウイと美輪明宏が白粉と知性と品格と麗しきコンプレックスで御粧ししたヴィジュアルショッキングな風貌とオーラをも纏い、おまけにもう一丁、前川清の全身全霊を超えた情念と怨念の偏執狂的ビブラートが人類の琴線へ執拗に愛撫する歌心で以て、是ら膨大な情報と歴史・文化が刷り込まれた遺伝子を「グラム・歌謡・メタル・野郎」と一つの螺旋に体系化し、“カウントダウンTV”や“ヘイヘイヘイ”や“うたばん”や“ミュージック・ステーション”といった歌番組で放送コードすれすれのエクストリームな愛憎ロック音楽(非日常)を御茶の間(日常)に贈り続け、90年代日本の音楽チャートを名実共に制したミドル級・世界チャンピオン4人組(a.k.a. パンチドランカー、ハレンチな)が、“THE YELLOW MONKEY”というバンドである。 Nori MBBM拝

 我ながら一言で簡潔に纏められたな、よし。


 本来、見せ物小屋とは、こっそり営業して、こっそり観に行くものであるが、THE YELLOW MONKEYは公然猥褻罪を犯す様に、日本武道館だろうが東京ドームだろうが何とかアリーナだろうが、渋谷ラママから変わらずに“ウェルカム・トゥ・マイ・ドッグハウス”を表明し、それを奏で歌い続けた。バンドに関わる人間が何万、何十万と膨大な数になっていっても、個人間の一対一の関係のままで曲を聴かせ続けるとは、何と純粋で尊く偉大な事なのだろう。

 このバンドを超えるには、如何したら良いのであろうか?

 ゲンズブールに「グラム・歌謡・メタル・野郎な感じで」と作曲を依頼する一方で、作詞の方はバタイユ(オーシュ卿)に新たな“眼球譚”を書いて頂き、大島渚に「“愛のコリーダ”が如く剥き出しの無修正でモロに撮って」とMV監督をお願いして、とどめは“センチメンタルな”ジャケ写をアラーキーに撮って貰い、究極のロック音楽作品を一枚成就……で何とかなるだろうか?いや、そんな“ロングスカートを穿いた女の尊さを自宅の布団にうつ伏せで寝かせてやって、足の裏からお尻に背中や可愛い頸の頭に至る迄、ゆっくりと目の色を変えて一望する俺だけの為のエロス(性癖の至高)”が一般大衆に理解される訳ないし、それがチャートの一位を取んなきゃいけないなんて、ましてや恒常的にそんなクオリティを保って活動しなきゃいけないなんて、ハードルが高いぜ、高すぎるぜ。

 THE YELLOW MONKEYは何時だって教えてくれる──夢よ飛び散れ花となれ!!悲しきエイジアンボーイ!!!


 愛されないパラノイアバンド“Unfinished Ballades”のボーカル(にギター)、Nori MBBMより


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本日発売のアルバム「9999」を早速ウォークマンに入れて、お出かけだ!!

 それにしても新譜「9999(フォーナイン)」である。父方の曽祖父は漢数字の“九”から始まる立派な名前を持っていて、大正生まれの祖母は「この世でいちばん大きい数字は九ぢゃ」と云っていたが、だからこの“9”という数字は手前にとっても縁起ものなのである。己が祖先も君の祖先も吉井さんの祖先も、何時か何処かで繋がって居たのが別れて終(しま)って、此処でまた出会うべくして出逢ったのだ。♪四次元だけが通り過ぎれば、果てる事など夢のまた夢……

 あゝ遂に音源で聴けるインディーズ時代からの名曲──「毛皮のコートのブルース」

 当時の吉井さんは本能的にこれが好いもの、というか己に流れる血に必要不可欠なものとして、こういったエログロ・ナンセンスな退廃美を表現していたのだろう(一例として吉井さんはデビュー当時から、お気に入り映画にホドロフスキー監督の「サンタ・サングレ」を挙げている)が、自身の価値観、及びルーツとなった様々な芸術の先人達の評価が、時の流れと共に言語化されるにつれて、更にイエモンの影響を受けたバンド“毛皮のマリーズ(志磨さん)”ら後継者達の登場もあり、現在の吉井さんは自覚的にその音を鳴らし、そしてその声で歌うべくして歌うのである。


 今現在、2019年(平成31年)の「毛皮のコートのブルース」には、かつてない程の美学や論理性が可視化されている。1989年(平成元年)に現ラインナップとなり結成されたイエローモンキーの歴史は、そのまま平成30年間の栄枯盛衰である。インディーズ時代から演奏されていながら音源化される事なく(ライヴ映像はあったけどね)、今回はじめてレコーディングされた「毛皮のコートのブルース」を聴く事は、平成の30年間で浮き彫りにされた“比類なきグラムロック哲学”を耳にする事である。何て俺得の贅沢なんだ!!心も身体も御馳走様です奥様。


今日は外出中も「9999」を聴き乍ら丸一日過ごした、十何年も待ったんだもの


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アマゾンでアルバムを丸ごとダウンロード(CDレコードはお金がある時に改めて……)


 今回、デジタル配信版にしか「毛皮のコートのブルース」が入ってないとの事で、起床してからすぐ朝8時にアマゾンで注文したんだけど、“購入完了”→“ダウンロードできません”となり「ぬおっ!!」と不意に声を出し、何度ダウンロードボタンを押しても“ダウンロードできません、カスタマーサービスへお問い合わせください”となったので問い合わせたところ、混雑しているのか音源の準備が出来ていないのか、まだダウンロードは難しいので数時間後に改めてダウンロードして、それでも出来ないならまた問い合わせて下さい、と……ヒエー(でも丁寧に対応して下さりました、有難う御座居ます)

 凄い良い曲ができて皆に聴かせようとした時、編集を終えたばかりの渾身の動画をYouTubeにアップしようとした時、そんな時に限って事がすんなりと進まないことって多々あって(貴方もないですか?)、今回の“ダウンロードできません”も「イエモンの19年振りのアルバムだしなあ、そうすんなりと手に入る訳ないか」と一人で勝手に納得……また昼前頃にトライしてダウンロードし直したのでした(無事完了)。


 まあ、THE YELLOW MONKEYというバンドを一言で表すなら、そういうバンドだ←どういうバンドだ


-完-


2019年4月14日日曜日

俺はヴァルプルギスの夜生まれ、魔女の使い育ち ~UnGrateful Days~

鋭意制作中であるUnfinished Balladesの初音源、俺の中のニルヴァーナやミッシェルが爆裂都市するマッドスターリンなアルバムになりそうなので、そういった青春時代に聴いたバンドのカバーも演っとかんとな、という訳で今回はニルヴァーナのカバー、もといニルヴァーナがカバーしていた曲の更に和訳カバーであります!!



 元々はニルヴァーナのカートが好きだった事で有名になった“ヴァセリンズ”っていうスコットランドのインディーバンドの楽曲で、60sガレージな演奏の上に透き通るよな女の子ボーカルが乗る可愛らしいナンバーなんですが、それをカートは歪ませまくった“グランジサウンド”もとい“スーパーファズ・ビッグマフ(by Mudhoney)”で、勝手にツーコードパンクなアレンジにして爆音カバーしてしまったのです。

 己がカバーはニルヴァーナver.を参考に、しかしツーコードでは退屈だったので、曲後半を勝手に転調させました(ニルヴァーナはレコード音源とライヴで楽曲のキーを変える事が多いので、別に俺らも好き勝手に演ったら良いやと思って)。


 カートって人は本当に“少年ナイフ”とか“ダニエル・ジョンストン”とか、歌メロは親しみやすくて普遍的なのに、こと演奏や活動のスタンスに関しては王道を外れた、否、敢えて外したローファイなバンド、インディーのB級アーティストが好きよね(ダニエル・ジョンストンのカバーもいつか演らんとな)

 この曲も前述した様に至極ポップなのですが、詩がちょっと捻くれていて、“(イギリスの子供向け番組に出ていた魔女役のおばさん女優である)モリーの唇にキスしたら、魔法で何でも叶えてくれるみたいだけど、お前それ出来るか?やれるならやってみ?”というのがその大まかな内容であります。

 以下、前半が原詩、後半が手前による日本語詞という形でカバーさせて頂きました(以前、ラモーンズのカバーでも採用した“ルースターズの大江方式”です)。


「Molly's Lips」
作詞・作曲:ユージン・ケリー&フランシス・マッキー
日本語詞:Nori MBBM


She said
She'd take me anywhere
She'd take me anywhere
As long as she stays with me


She said
She'd take me anywhere
She'd take me anywhere
As long as I stayed clean


Kiss, kiss
Molly's lips
Kiss, kiss
Molly's lips


Kiss, kiss
Molly's lips
Kiss, kiss
Molly's lips 


彼女
みんなの魔女です
言うこと聞けば
何でも叶えるぜ


尻です
それより顔です
それより×××です
なに言ってんだタコ


Kiss, kiss
Molly's lips
Kiss, kiss
Molly's lips


Kiss, kiss
Molly's lips
Kiss, kiss
Molly's lips 


She said
She'd take me anywhere
She'd take me anywhere
As long as she stays with me


尻です
それより顔です
それより×××です
なに言ってんだタコ


Kiss, kiss
Molly's lips
Kiss, kiss
Molly's lips


Kiss, kiss
Molly's lips
Kiss, kiss
Molly's lips




 ※日本語詞の方に放送禁止用語を使っちゃったので、レコーディング後にピー音を入れときました

 このヴァセリンズのカバーは、ニルヴァーナの「インセスティサイド」っていうB面とか未発表曲の寄せ集めオムニバス作品に収録されているんだけど、カートがデザインしたアルバムジャケットのドクロのポーズに沿わせて実は文字が隠されていて(英語で4文字、また5文字の言い方もあるし、日本語だと3文字、丁寧に言えば4文字か)、それが手前の和訳の×××の部分に当たります、お察しください──おまんこ



 MVでは“魔女のモリー”に因んで魔法使いのコスプレをしましたが、魔法の杖は「スネイプ先生モデル」を使用させて頂きました(ハリーポッターシリーズに明るい訳ではないのだが、スネイプ先生は一目見た時からビビっと通ずるものがあったのだ)。


※魔法の杖でドラムを叩いてはいけません

 今から30年前の1989年、5月1日になったばかりの夜0時過ぎに俺ら生まれたのだが、この4月~5月を跨ぐ一夜は(スカンジナビア地方を含むヨーロッパ広域で)魔女たちの春の祭典“ヴァルプルギスの夜”と云われているのよ。ドイツ北部にある“ブロッケン山”という山が魔女達の集会場所として有名で、ゲーテの「ファウスト」にも登場いたしますが、そこへ直接行った事のある知人は「車の運転中に何度も魔女からのイタズラ(怪奇現象)に遭った」と話しておりました(その知人と今度、Xのhideさんのお墓参りに行ってくるよ)。

 魔女達の春の祭典──今でも覚えているわ、生まれた日の夜のこと。だから今回のカバーは俺に打って付けって訳。俺はヴァルプルギスの夜生まれ、魔女の使い育ち、悪そうなウィッチは大体友達、悪そうなウィッチと大体同じ、山の道歩き見てきたこの街☽


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ニルヴァーナ/涅槃(仏教用語)のカバーなので、3年前に高円寺で買った“般若心経T”を着用

 今回のMV然り、Unfinished Balladesを始めてからメインで使用しているギター(フェンジャパの赤いストラトちゃん)、実は高校の友達からの借り物なの。それを何年も借りっ放しにしていたもんだから、お金も用意して友達から買い取ろうとしたんだけど、「いいよ、あげる」って貰っちゃったんだ(そのお礼として彼の好きなニルヴァーナのレコードに、オアシスやブラーが出てくるブリットポップのドキュメンタリー映画のDVD等を遅ればせながらお返ししました)。

 その高校の友達とは別々の大学になってからもよく遊んだもので、10代の終わりから20代の始め頃、謂わば青春の終わりに、ニルヴァーナとかミッシェルとかドアーズとかビートルズとか、サイケだのガレージだのブルースだのロックンロールだの、毎晩ファミレスやらマックやらで何時間も朝まで語り合ったの。カートやチバさんの物真似しながら(「もしもチバユウスケがみたらし団子を食べたら……」とか色んなモノマネレパートリーがあった)、ある時はカラオケのフリー昼夜二連チャンで入って一日で130曲くらい歌って、ウイスキーやスピリタスで声を潰し、何度もオールしては朝まで語り合ったの。東急の線路沿いを真夜中から徐々に空が明るくなる時間まで、電車もないから何時間もかけて歩いて帰った人気のない静かな街の風景、昨日の事の様に覚えているし、いま思い出しても胸騒ぎがする──BGMはバースデイの「涙がこぼれそう」、寝静まった街で勝手にブっ壊れたい最高な気分。俺は友達が少ないから、あれは貴重な青春の思い出だった。

 唐突に自分語りして済まぬ。ニルヴァーナとミッシェル、それに赤いストラトをくれた高校の友達は特別なのだ。お陰でカートとチバさんの書いた詩は、今でも諳(そら)で歌えるよ。


 という事で次のカバーMVはチバさんを演る!!

 また更新する、バーイ


2019年4月1日月曜日

私達は平和に暮らした –平成挽歌–

平成も残り1ヶ月となりました。愛憎相半ばして得も云われぬ時代へ、断ち切れぬ悔恨や罪悪のせめてもの埋め合わせに、真心込めて一編の詩を贈ります。


「私達は平和に暮らした –平成挽歌–」
by Nori MBBM

起きて、ご飯を食べて、学習や労働等をして、眠る。
また起きて、未だ昭和の感傷が残っていて、年功序列で上から嘆いて、上から眠る。

“失われた10年、20年”なんて失望したがる──そんなセンチメント、30年で飽き飽きしたぜ──ここ平成31年。

テレビはとっくに使命を全うした。大人は鳴りを潜め、子供の様なものが大挙する中、恋をして、しかも愛さねばならぬ。

「織り姫と彦星の年一イベントより、十年に一度位で良いから神武景気やいざなぎ景気の再訪を、ヒト・モノ・カネの邂逅を」
「もはや戦後ではない──様に、もはやバブル崩壊後ではない──様に」
(図々しく願う短冊は知らぬ間に捨て去られ、運命の恋人はおろか身近な友人や恩師まで失くすのであった)

そういえばシングル盤のCDは短冊の様に細長く、あれって一体何だったんだ(日本独自の規格だったらしいよ)?コンポに入れたら物足りないし、CDの棚にも上手く入らず。

うまくはいらず(恥ずい恥ずい、まるで俺だ)


気が付いたら昭和も80年代も冷たく硬くなっていた。サブッ、とも云うね。

【主犯】ニルヴァーナ(カート・コバーン)、ダウンタウン(松本人志)、新世紀エヴァンゲリオン(碇ゲンドウ=庵野秀明)

別に「巨人の星」とか「機動戦士ガンダム」の世界へ還りたい、とは思わないが(
まだ僕には帰れる処があるんだ、こんなに嬉しいことはない)。

だって、私達は平和に暮らした。

傷つきながら、健気に因習を忘れた。そうして、ゆるやかに絶つのだ。

得したのか損したのかは分からない、旨みも痛みも分かるまい。既に知っているか味わっているか、もっと後から来るか。

“きっと、30年かけて悟ります”

表立って争う事はしなかった──内省的ハラワタ、沸騰寸前エヴリデイ

それでも平成を人一倍には愛していた。
誰よりも愛着がある。

「COUNT DOWN TV(CDTV)」とか「JAPAN COUNTDOWN」とか真夜中にカウントダウンばっかしていた。ピンクの髪のhideに、ナース姿の椎名林檎、ゴルフウェアのYOSHII LOVINSON(そのあと坊主でチャーフィー乗りながらCALL ME)にも出逢ってしまった。

生き別れた人達、忘れ得ぬ人達、いま何処(いずこ)

私達は平和に暮らした

私達は平和に暮らした


時代がこうも気になって仕舞うのは、物語に見えて終うのは、時代が完全になったから、まるで平らかに均(なら)してくれたから──平成よ、有難う──表現を尽くしてくれて、形骸化してくれて、問題は問題にならなくなった。

本当に有難う、こんな時代は滅多にないのです。そんな滅相も御座いません、「余計な事をしてくれた」と云う向きもあるでしょう。これから先の手前らは、新たな問題を見つけたいんだ。形式を信用しきって、時代に目もくれないんだ。昭和だ令和だ云いながら、和む振りして問題を見つけたいんだ。目先の事ばかりで、時代を気にしないんだ。平成みたく時代時代を気にしてしまうのは、真っ平ご免蒙(こうむ)る訳だ。

みんなが埋めた平成をまた掘り返す、だから一向に分かり合えないんだ。ただ誤解しないで欲しいのは、誰よりも平成を生きてみたかったということ。一見すると懐古主義的で、表向き見向きもせずに御免ね。

それでも平成を人一倍には愛していた。
誰よりも愛着がある。

私達は平和に暮らした

私達は平和に暮らした


私達は平和に暮らした



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 何年になるのでしょうか?前のバンドの時のいつからか?



 毎月お詣りしている花園神社さんへ、今朝は四月の御挨拶をしてきました(夜勤明け)。此処を歩く時だけ、空想というにはあまりに大きな、大いなる花園を眺めながらである為、のっそりとした足取りになって仕舞う。己が願望を取り溢さぬよう、悠長にして慎重で在ろうとする。お詣りを終えた後、普段と変わらぬ人々の歩みが、心なしか性急に感じる。確かなことは境内の領域に於いてのみ、まじまじと本心で居られる。“神聖”という一言では済まされぬ、この気持ちを大切に持ち合わせて居たい。私はこの先も平成で居られる、居ようと思う。何時か昭和の煩わしさに懲りて居たから、新しい元号に押し付けがましい事はしない。



ソメヰヨシノが春の雪
新宿早朝──阿呆馬鹿皆無
天まで蒼く澄み渡り
色香も冷たく張り詰めて
(憲宏ノ詩 Nori MBBM書)



 己が誕生日でもある来月5月1日から始まる新元号“令和(れいわ)”と発表されましたね(出典は「万葉集」からとのこと)。

 我がバンド“Unfinished Ballades”のツイッターに於いて、日めくりカレンダー宛ら毎日欠かさずに2、3年ほど詩を詠み続けておりますが、これは「私なりの万葉集を作りたい」と予てより考えていたものであります(或いは、バルザックの“人間喜劇”か、プルーストの“失われた時を求めて”か……で当ブログ随筆は“どくとるマンボウ”シリーズか)。

 新たな元号“令和”になっても、一日も欠かさずに、変わらずに続けてゆく所存です。



 平成31年、残り1ヶ月も宜しくお願い致します。