2019年4月19日金曜日

平成最後の春に会いましょう

五月に死んだ友だちのため
これからはただ彼らのために
-ルイ・アラゴン

 昨日は大阪からグラムな知人が此方に来ていたので、一緒に“我がロック四天王”であるhideさんのお墓詣でと地元・横須賀探訪をして参りました。
 ※我がロック四天王とは、“吉井和哉-北方毘沙門多聞天王(ほっぽうびしゃもんたもんてんおう)”、“hide-南方毘留勒叉増長天(なんぽうびるろしゃぞうちょうてん)”、“ROLLY-西方尾嚕叉広目天王(さいほうびろしゃこうもくてんおう)”、“秋間経夫-東方提頭頼吒持国天王(とうほうたいとらだじごくてんおう)”からなる4人のこと、過去のブログ記事でも彼等については色々と書いてきたから良かったら見てね

 この大阪の知人はコズミック・ホールズのそまちゃんからの紹介で、昨年より仲良くさせて頂いているのだが(会うのは今回で3回目でもメール・文通では既に何十万字と言葉を交わしているので意志疎通バッチリ)、とにかく面白い人である。

 元々は美輪さんやシャンソンに関する共通の話題、それから今回のhideさんの事で親交を深めていたのだけども、この知人はフランスのパリを拠点に40年近く海外生活をしていたので、どの話もぶっ飛んでいて面白いのだ(以下に列挙す)。

・山本寛斎のオフィスで長年働いていて、ファッションショーで世界的モデルのナオミ・キャンベルのフィッター(着付け担当)を振られた事が一度だけあり、リハから超ワガママで手に負えず大変だった話(本番は別の担当にして貰ったらしい)

・パリでバスに乗っていたら、あのゲンズブールも一人で乗ってきて、本人は周りに気づかれたくないのか、左手で顔を覆う様にして気難しい表情で窓の外を眺めていたので、声も掛けられなかった話

・ドアーズのジム・モリソンの大ファンだったので、彼の亡くなったパリで大勢のファンと没後10年にあたる1981年7月3日にお墓参りをしていたら、ドアーズの元メンバーらとテレビ局のクルー達が突然やって来て、墓地でライヴを演り始めた話

・マツダの社内誌編集のバイトもしていたので、彼の名車・787Bが優勝した91年のルマン24時間耐久の際も現地で仕事しており、スタッフパスも与えられて舞台裏まで観戦していた話(あのイカれた4ローターサウンド、俺も前に何かのイベントで生で聴いてチビッたぜ)

・20代の初め頃、アメリカを横断する為に現地のオークションでボロい中古車を落札したのだが、バックギアが死んでいて機能せず、一度もバックなしで駐車等しながら何ヶ月も掛けてアメリカ横断した話

・生活に困窮していた為、一円にもならない石ころや針金を手細工して、アクセサリーにしては露天で売り捌きまくって糊口を凌いでいた話

・パリのシャンソン教室に通っていた頃の癖が強すぎる先生の話

・パリの大学の食堂で用心棒(ガードマン)をしていた頃の話

・パリの郵便局で遭遇したスリと決闘になった話

・不法滞在と密輸の心得

 思い出せる範囲で大雑把に10個ほど挙げたけど、実際に会って聞いてみると話のディテールまで細かく覚えていてホント面白いのよね。俺は知人の話を信じているが、別に作り話でも良いくらい(笑)


 他にもお互いに車が好きだから、シトロエン“2CV”、“DS”、“GS”等の実用性とか乗り心地について、実際に運転したり乗せて貰ったりしていたそうなのでレビューして頂いたり(あの外観・デザインには文句の付け様がないからさ、利便性とか実用的な事だけ訊いてみたの)。

 ことロック音楽に関して云えば、“クイーン”や“パティ・スミス”に最近だと“ミューズ”とか、色んなバンド・アーティストのライヴを観てきた話もしてくれたけど、個人的にグッと来たのはスウェーデンの都・ストックホルムで観た“スウェード”のライヴの話。

 ボーカルのブレッドは過激な言動で有名だけど、その日は全曲歌い終わったらマイクスタンドを天井までブン投げ、最後は床に落ちた“ドスーン!!”って音を会場中に響かせてステージから去って行ったと……マヂかっけえ(機材スタッフやPAからしたら「おいコラ何してくれてんねん」って感じだが)。


 あゝいかんいかん、hideさんのお墓詣でと地元巡りの話をします!!


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 まずは大阪の知人と「東京駅」にて待ち合わせ、そこから「品川駅」でJRから京急に乗り換え、墓所の最寄り「三浦海岸駅」まで(さらっと書いたが、神奈川のほぼ最南端まで行くので、この工程が一番長かった)。お参りの前に、駅近くのhideフアン御用達のお花屋さんで、お供えの花を購入す。


 店内に入るなり、お花屋の店主のおじさんが「撮って良いよ」とhideフアンに慣れた御様子で対応して下さる。お言葉に甘えて、沢山のhideさんとお花達をパチリ(どうも有難う御座居ました)。



 次に「三浦海岸駅」からバスで、墓所のある「三浦霊園入口」まで。平日の14時過ぎという中途半端な時間でしたのでバス停の周りには人影もなく、穏やかな波の音と奇麗な海だけが静かに広がっていました。



 バス停から墓所まで10分ほど歩き、“三浦霊園”に到着。こんなに広大な墓所は初めてで、hideさんのお墓は霊園内の6区(ロック!?)にあります。


 hideさんのお墓です(お写真、失礼致します)。既に沢山のお供えものがあり、毎年、毎月、毎週、毎日……大勢の方がhideさんへ逢いに来ているのでしょう。


 花をお供えして、手を合わせ、平成にあった事を偲びつつ、これからの事も念じつつ、ゆっくりとお祈りをしました。hideさんと初めてお話ができた様な気分です。


 hideさんの愛機・モッキンバードと「HURRY GO ROUND」の詩が刻まれた石碑(ご両親の御言葉も記されていました)。hideさん、平成時代はお疲れ様でした!!また、春に会いましょう★



 名残惜しくも墓所を後に、行きと反対方向のバスで「三浦海岸駅」まで戻り、今度は電車で「横須賀中央駅」まで。そう、hideさんのご実家があり、hideさんがロックの何たるかを教わった不良の街、横須賀の“ドブ板通り”へ!!


 hideさん所縁の地、行きつけの店をひたすらに巡らふ──此処はミリタリーショップの“FUJI”、ミリタリー系・軍服を中心に扱っているお店です。そういえばhideさんの最初のモッキンバード(“X”加入以前の“横須賀サーベルタイガー”時代のギター)は迷彩柄だったし、ソロになってから迷彩柄のジャージのセットアップなんかも着てたよね。当日は財布に余裕がなかったので、お金がある時にまた覗きに行きます!!


 一方こちらは、hideさんが横須賀サーベルタイガー時代によく出演していたというライヴハウス“ROCK CITY”。現在はロックバーのみの営業なのかな?ライヴハウスというより、ロック音楽の流れるミュージックバーの趣きでした。中にはビリヤード台があり、屈強な外人の方々がいっぱい居て、楽しそうにお酒を飲んでおりました。


 此方もhideさんが通っていたという鰻屋の“うな八”、しかし俺は魚介類一切ダメなんだ……


 知人いわく映画「HURRY GO ROUND」で、“hideさんはうな八の「二段重」を食べていた”と紹介されているらしいのですが(俺ら未視聴)、一人前何と5,900円!?税抜き!!


 という訳で“一福”へ(うな八さんに他意はありません、店構えからして絶対に良いお店でしょう)!!


 昨日ツイッターで「hideさん行きつけの中華料理屋・一福さん、美味しかった!!」って呟いたのだが、“お食事処 一福(和・洋・中華 各種定食)”って看板にも書いてあるし、周りの人が食べていたものを思い出しても全然中華じゃなかった、、中華専門みたくツイートしてスマン(笑)


 hideさんがよく頼んでいた「中華丼」と「牛すじ煮込み」だ、ドンっ!!(「ホッピー」まで頼むお金はなかった)

 味はもちろん美味しかったし(知人は「牛すじウマいわあ」としみじみ絶賛)、店内の昭和感がガチなので落ち着くし(客席の後ろの机や本棚には、自由に読んで良いと思われる昭和の白茶けた漫画本の山に、薄暗い蛍光灯が明滅するお座敷席もある)、何より店主のおじさんとおっかさんが泰然としていて最高であった。hideさんが好きになるのも分かる──特に年の頃80前後と思われるおっかさんが、調理を終えると我々と同じ客席の方にポツンと座るのが可愛かった。御馳走様でした!!



 以上、hideさんのお墓詣で&横須賀探訪でした(おしまい)


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 帰りにドブ板通りを歩いていたら阿木曜子(言わずもがな宇崎竜童の奥さんであり、山口百恵とか郷ひろみとか昭和歌謡のアイドルらの代表曲を多数作詞して、女優としてもドラマや映画等に出ていた方ね)の手形レリーフがあった。俺と誕生日が一緒だから、こうやって写真を撮ってみたり、意味もなく手形に手を合わせ、その大きさを確認してしまった(笑)

 阿木曜子の曲に“横須賀”とか“ヨコスカ”ってよく出てくるものね(彼女自身は横浜出身らしいのだが、そのご実家が後年、横須賀に引っ越したからだそう)。hideさんだけじゃなかった、横須賀での出逢い。


 今度はまた“令和”の春に会いましょう!!港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ~♪


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