2024年4月27日土曜日

復活の日 –跋文–

もうこの本の読者ではないのかもな、と思い始めたのが十年前。もうこの本の読者ではないのだな、と想い至ったのが数年前。だからもう買っていないロキノン、そのJAPAN。先月出た五月号にイエモンの最新インタビューが載っている、という訳で近所の図書館に行った。ライヴ前に。



 2016年の再集結は、再結成というより新しいバンドをまた一つ組んだ感じ、という話の中でアニーさんの云われた「だから『9999』もちょっと、インディーズ的な──すごいでっかいインディーズなんですけど(笑)、そういう感覚はありましたね」という言葉が、なるほどそういう事か!と今のイエモンを理解した想いで、膝(ひざ)を打った。とすると次の10枚目が(二度目の)メジャーデビュー作か、了解した。図書館の破れた椅子で。



 それから喉頭癌(こうとうがん)の放射線治療により、半年声が出せない状況下での楽曲制作、「シンプルにならざるをえなかったっていう。ほとんど口笛で作ってたので(笑)」という吉井さんの告白は、今のイエモンの楽曲を“円熟した洗練の極み”とか短絡的に判断してしまいがちな、手前の考えを改めさせた。「今までは客観的な死を歌ってたけど、今は主観的な死を歌うように聞こえてるんですよね、僕はね。」とはアニーさん。東京ドームへ向かった。




 SUPER指定席で観てきたぞ(何とお土産付きだ)。今回の東京ドームは“(バンド史上)過去最多動員らしい”と吉井さんがMCで仰っていたが、そんなライヴをスタンド席でなしアリーナの良い席で観られたのだから、それだけで望外(ぼうがい)の喜びと言うべきである。が、(二度目の)復活ライヴという事で、コアなアルバム曲はほぼ演らず、シングル曲やアルバムリード曲のオンパレードであった。いや、演って欲しかった曲は数あれど、超充実した楽しいライヴだった。“人生の終わり”、良かったねえ



 演奏はもちろんだけど──ヒーセおやびん興奮しすぎて一睡もせずに今日の本番を迎えたそう──吉井さんの歌、凄まじかった。数曲歌ってやはり声が掠(かす)れてしまい、時折裏返る所もあったけど、終盤ではまたどこまでも伸びる様な声、裏声、叫び、がなり、圧巻だった。喉頭癌の治療の為に何度も手術を重ね、誰もやった事のない様な歌のリハビリをして、東京ドームで3時間近いライヴを演る……いやはやまったくとんでもない。



 それとこれは縁起でもないが、吉井さんの声がこれからどんな状態になろうと、“Welcome to my Doghouse”だけは格好良く歌ってくれるんだろうな、という事は分かった。あれは、そういう歌だ。良い時も悪い時も、たといガラガラに声が掠れても。






 生演奏ではなかったけれども、VTRで流れた新曲“復活の日”、これは俺達の為の、日本語による、令和における“すべての若き野郎ども”だね。ちゃんと大事な所はグラムロックしてくれるから、つくづくこのバンドを好きで居て良かったと思う。信じていて良かったと。



 暁に果てるまで、で、パーン!!東京ドームに紙吹雪がキラキラと、金銀テープがひらひらと、身長を活かして空中キャッチしましたわよ……Asian boy、Asian boy、もしかして君も、Asian boy?


 ィエッッサー!!


2024年4月11日木曜日

詩集を買いに

都内の桜は先週がピークだった。ここ数日の強い雨風で花弁を落とされ、いま枝に残っているのは丁度半分くらい。



 (イエモンを始めとした)連日のリリース情報も相まって高揚していた心持ち、こちらの方も丁度落ち着いてきたので、ようやっと吉井さんの二冊目となる詩集を買いに、その“詩と言葉展”なるものを観に、渋谷のパルコの地下一階に、踏みしだかれた春の桜の絨毯を行った。



 「l LOVE YOU」が灰になる──トーキョーのアスファルトで桜色が灰色に死んでいる、それ見やりつつ、高円寺から渋谷へ着く迄の間、過(よぎ)った言葉たち。吉井さんを初めて意識したのは、その声・言葉・顔を認識したのは、4枚目のシングル“CALL ME”だったから、平成17(2005)年か。とても暗い中学生だった(その後の高校時代ほど、楽しいものを未だ知らない)。


枝切られる 枝切られる
都会では両手を伸ばせない
だから何を抱いていいのか
わからなくなることあるんだ

“人間的”とは何かな?
答えの数が世の中の形


 初めて聴いた時、今日の事を一生覚えているんだろうな、と思った。19年経ってやはり、何もかも憶えているんだな、と知った。きっと最期の最後には、一生忘れなかったな、と思い知る事だろう。

 本当に忘れていたのは平成17年より前、YOSHI LOVINSONを聴いた後に急いでTHE YELLOW MONKEYの音源までかき集め、初めて聴いたはずが“LOVE COMMUNICATION”は知っているわ“SPARK”は知っているわ、“楽園”も“BURN”も“SHOCK HEARTS”も“プライマル。”も既に!!何故(なにゆえ)?と思ったら実家のCDレコード棚から学校の帰りに買ったのと同じイエモンのベスト盤が、あゝおかんかおやじかどっちやろ、どっちかやろ?無意識裡(むいしきり)に聴かされていたんだワ、この、グラム・歌謡・メタル・野郎!!



 渋谷のハチ公前では外国人が列をなし、記念撮影に興じていたが、一瞬の隙をついてハチ公の顔を撮ってやったぜ。スクランブル交差点にも、スマホや自撮り棒を持った外国人がわんさか居た。ROSSOの“シャロン”の一節を口の中で歌いながら──あの娘はきっとパルコにでも行って 今頃は茶髪と眠ってるだろう──宇田川町の公園通りを歩いた。



 さっき迄の渋谷の喧騒と真っ昼間の陽(ひ)の光が嘘みたいな、パルコの地下一階の隅に会場はあった。入り口でチケットを買う際、昨日オールでもして一睡もしていないのかという位やる気のないお姉さんから料金と会場内の説明を棒読みで受け、何だか逆に“詩と言葉展”を全力で楽しむ気力が湧いてくるのだった。



 花柄の作詞ノート(吉井さん曰く“お徳用牛肉”)のみ撮影OKだったけど、会場内は基本的に撮影禁止なので、今回の展覧会の内容をあまりここに書けない。書けないけど、そうか、グラム気分の時はそういうワードチョイスなのね、吉井さんも「デッドマン(by ジム・ジャームッシュ)」好きだったのね、それであの曲が出来たのね、道理であの曲好きになっちまった訳だ、と腑に落ちる事しきりであった。



 “愛”とか“星”とか、自分もバンドの曲で使った事があるけど、なるほど吉井さんはそういう心構えで使っていたのね、と言葉の扱い方、詩との距離感も大変参考になった。グッズコーナーのアクスタと展覧会限定T(TALIシャツ)も欲しかったが、少し迷って、お目当てだった詩集だけにした。その“TALI”の相手は元々、エリコだったのか(これから歌う時はこれだな)。で、公式の詩の方は従姉妹の名でもあったのか(俺と同じぢゃん)。



 帰りに再びハチ公前を通ってみたらば、やはりまだ外国人が列をなしていた。私はまた踏みしだかれた春の桜の絨毯を行き、高円寺の家に着くが早いか、買ったばかりの詩集を開き、これを書き始めた。




 今月末、イエモンの復活ライヴが東京ドームで行われる予定だが、チケットはもう取っておいてある。それも良い席のを。