天上篇より
──おれがおまえを傷つける必要がどこにあろう? この世の中にはおまえとおれを両方とも入れるだけの広さはたしかにあるはずだ
-トウビー・シャンディ
皆様、私奴が二百五十年の時を経て改めてここに掲げたい事は、Nori MBBMが夏目漱石先生の様な面持ちで申し上げます(と言ってもあれ程の髭は生えてきやしませんが)、二ト半世紀前に生きた海鼠(なまこ)──否、性器を窓にスパーンされたこれが本当のギロ**子トリストラム・シャンディ──否、精気迸(ほとばし)るスターン家の申し子ロレンス・スターン──否、世紀の乳呑み児(ちのみご)──否、いやはや勢い余って──否、のつもりもないのに──否、と入れてしまうのは動物精気が過ぎますね、奥さま──何なのよ貴方、卑猥な事ばっか言ってないで、さっさと話を進めなさいよ!──そうかっかしないで下さいませ、世の中には無駄がないとやっておられません、そうでしょう、奥さま?仮に私の髭(ひげ)がチョビっとしか生えないものとしても、貴女のソレで無駄に多少の脈絡がもたらされたりもしますし、まず卑猥とは何ですか?その為にも貴女の古帽子(ふるぼうし)をとっくり拝見させて頂けませんか?とまれかくまれ無駄のない世の中なんて言語道断、まあまあこれは二ト半世紀経って無駄がほとんど無くなってしまったものですから、何と言うか無駄が無くて謂(い)わば無無駄というべきものです(この場合、二つの無ないし二つの損失を掛けて有駄、いや、ユダになるわい、などと冗談でも口外しないで下さい)。
処(ところ)で今度、Unfinished Balladesという新しいロックバンドが初めての演奏会をするそうですよ──まあ、私奴のロックバンドなのですがね──あいや、ロックで思い出しましたけれども(以下に述べる事こそ、まさに今直面するこの現象そのものを表しているのです)、恐らくは哲学者ジョン・ロックの著書「人間悟性(ごせい)論(1690)」で論じられた観念連合を用いたのだと推測されますが、このUnfinished Balladesという聞き慣れないものの心地の良い響きや字面(じづら)は、United Kingdomの文化的な匂いや国旗の赤・白・青を連想させる事によって、その音楽までもが英国的に響いて聴こえるという仕組みになっている様です。
いえいえ違います、このブログ記事で本当に伝えたかった事はこうです──皆様、私奴が二百五十年の時を経て改めてここに掲げたい事は(冒頭で申し忘れましたが、もちろん私と奴でワタクシメと読んで下さい)、ずばりその名も「精神支柱変遷表(せいしんしちゅうへんせんひょう)」というもので(名付け親は私奴であります)、これは千七百六十七年に刊行されたとある紳士の著作の九巻・第十章の片隅に載っていたものを私奴が拾い上げ、人生百年時代と云われる現代にも通用するであろう大変に学術的資料価値の高いものと判断いたしましたから、そこに多少の加筆修正と上に申した題目ばかりは付けてやりましたが、是非とも皆様の生きる糧(かて)、或いは滅びの果て、その他、酒の宛(あ)て、矛の盾(ほこのたて)、飼犬(かいいぬ)や道楽馬(どうらくうま)に対する「待て」、まあ何にでもご活用なさって結構な代物(しろもの)です。
それでは「精神シチューポトフポタージュ及びルポルタージュ戻ってスープ味噌汁に脳の味噌は赤出汁(だし)?白出汁?皺(しわ)無し?脳無し?トリストラムシャンディ宛ての酒ガフ」でしたっけ?何とぞ御照覧(ごしょうらん)の程、宜しくお願い申し上げます。
「精神支柱変遷表」
*好奇心、損得観、意地、意地、意地、意地、最初の別離、意地、意地、意地、意地、意地、意地、意地、意地、意地、意地、意地、意地、意地、意地、第二の別離、意地、意地、意地、意地、意地、意地、長い不在期間、意地、意地、意地、意地、意地、意地、永遠の別離
永遠の別離=永遠の邂逅(かいこう)
*意地だけで三十個も用意いたしましたが、もし足りないようであれば何なりとお申し付け下さいませ、奥さま
貴殿(きでん)よ、汝(なんじ)の最も従順、最も献身的、
かつ最も謙虚なる下僕(げぼく)、並びに、
自我の、最も献身的にして、
最も卑(いや)しき下僕、
Nori MBBM
“二百五十年の後、日本人某(なにがし)なる者あり、その著作を連想して物ずきにもこれをネット社会に流布(るふ)したりと聞かば、彼は泣くべきか、はた笑うべきか。”
いつ迄に死ぬべきか、いつ人間をやめるべきか、それは過去の自分と出会う時、まだ大した過ちをしていない自身に逢う時、身と心と目の下に影も裏も闇も持たない、汚れ知らずの人間に出逢う時であります。
わたくし紳士ですから、色々と隠して生きて居るのです。何の隠し立てもいらない生命(いのち)、それを認められたら御暇(おいとま)致しましょう。嗚呼、修羅場(しゅらば)が僕に見えている、阿修羅(あしゅら)が僕を待っている。いま行かなければ、すぐに逝かなければ──
でも今日みたく何でもない日は、未(いま)だ人生を隠して居ましょう。いちばん安全なのは、財布を相手の金庫に隠し、財貨(ざいか)を相手の財布に隠し、心を君の胸に託(たく)し、あらゆる罪科(ざいか)を隠す事です。いつ死ぬべきか、失敗を償うべきか、過ちのない手前に出逢う時、君に全て託す時です。
何でもない人間に、呪われた部分を御披露目(おひろめ)しましょう。最後の人間のそのまた最期、とくと御覧に入れましょう。
修羅篇に続く