あの頃の“ボキャブラ”も“ガキ使”ももう無えさ!“Mステ”も“うたばん”も“HEY!HEY!HEY!”も“CDTV”も用無しだ!“ロキノン”ないし“ジャパン”その二万字インタビューもな!ってな気分で──CORPORATE MAGAZINES STILL SUCK (As Worn By Kurt Cobain, NIRVANA)
私の怖(おそ)れる一番厭(いや)な奴は、水と油、対極に居る決して混ざり合わない人間だ、と思わされる私なのだ。最も離れた場所に居る、宿命的な繋がりを持った生き別れの、見た目だって似ても似つかない私なのだ。街中で出会(でくわ)す気違い、思わず眉をひそめてしまう下等(かとう)な生き物、何を隠そう何より君なのだ。おぞましい言動で、救いようがないから、いたたまれない気持ちになるけれど、其れは其れが君だからだ、詰まりは私だからだ。汚い声で名を叫ばれて、汚れた手を振りながら追い掛けられて、狭い路地の行き止まりに身を潜めていたら同じルートでそいつがまさかやって来る、何でだよ、何て憎たらしい奴なんだ、私の心の内が読まれてるんぢゃない、思考回路を一緒にしている君なれば、不思議なことぢゃない。ただ身体は別だから死ぬ時だけは別々だ。お前が死ぬと自らの死を予見させられている様で、この上なく不吉な想いをさせられるけど、私ぢゃないから構わない。此処で同情したり運命を感じたら、漫画だ映画だ小説だ、命拾いする処で拾える命も拾えなくなる。話は面白くなるだろうが、面白いと思う私が君もろとも息絶える。面白いのは外野の客だけ、私は作品になんて成りたくない。私は作品を作る側なんだ、あくまでミイラ取りなのだ、追い掛けてきたミイラの仲間入りを恐れる、君の偉大さを理解しているからこそ畏(おそ)れる、他の誰よりも私だ。鉢合わせたら、迷わず殺(あや)める。もう一度言う、迷わず・殺める。己に言い聞かせ、迷わず殺める。二度と来るな、迷わず・殺める。四回言った、不吉は知らない。業は要らない、業が私を要るってだけの話──LIKE A RPG
もっと自分で考えたくない。よりいっそ他人が考えてくれ。「お前馬鹿ぢゃん」「あんた怠惰だ」って軽蔑してくれ。世界中みんなそうしておくれ。そして我が読者だけは見抜いて居てくれ。自分で考えない事の自虐的、他人で考えられる事の越権的、行い。世界の少数位が丁度良い。本の類い好きな輩は少ない数の方が良い。スノッブ、ジャブ、一発、二発、世間知らず、セコい生き方、世界、破滅しちゃうから。みな本など読まないでおくれ。文学だけは嗜(たしな)まないでおくれ。自分でモノ考えられなくなるぞ!他人の受け売り人間になっちまうぞ!心にも身体にも悪いんだぞ!だから決して読書などしない様に!自虐も越権も本来生き物がやる事ぢゃあないんだ!本の虫など馬鹿にして人は生殖を中心とした出来事だけ重要視しなさい!びっくりマーク六つも使いました──BUT NOT RPG
誰かが如何にかしてくれるだろうという甘えがある内は、安心して人を傷付ける事が出来た。顔に一生の傷を付ける位の兄弟喧嘩、心に一生の傷を負う程の友達との争い諍(いさか)い。縁など切れる訳ないだろうと思う存分に暴れ回り、実際に幾つかの縁が切れてしまった。或いはまた、縁など簡単に切れると知ってからは慎重になった。親友や親戚や恋人や両親に、無口になったと思われた。若(わか)すぎる青春を経た後の、苦(にが)すぎる青年の時に思われた。恐る怖る人と付き合う様になり、いま殆(ほとん)ど一人となった。要するに如何やっても縁など切れてしまい、結局は独りとなった。時が平等に全てを引き裂いてしまった、慎重で繊細な努力も愛情も尊敬も皆(みんな)全て。二回も四回も六回も、六界も九界も知ってしまった──LIKE A RPG, BUT NOT RPG
冒頭の引用は決して、デヴィッド・ボウイとゲイリー・グリッターのやり取りなんかではない(しかしボウイ様に当時のグラムロックブームはこう映っていたのではないか……そして彼はグラムをやめた)。そう知る人ぞ知る、アメリカが誇“らぬ”破滅型の無頼派作家ブコウスキーの短編「精肉工場のキッド・スターダスト(Kid Stardust on the Porterhouse)」からの引用である。後段の“”で括った主人公(ブコウスキー自身)のセリフ、きっとゲイリー・グリッターに当時のグラムロックブームはこう映っていたのではないか……そして彼はグラムをやった。やり続けた。
ゲイリー・グリッターやらブライアン・フェリーやらイメージしてギンギラ銀なシルバースーツでキメてみたが、これはあれだ、死ぬほど観ては聴いた2002年の「布袋寅泰 ライブ in 武道館」である(んでもって8th「スコルピオ・ライジング」のジャケ写の布袋さんは、ボランちゃんと同じポーズで、同じ鋤田さんにパシャリ撮られてるんである)。