2023年12月31日日曜日

令和五年“松柏後凋”完了

私はただ一頭の牡牛であるのに、闘牛場に連れて行かれ、闘牛士が連れて来られ、明けても暮れてもそれ、繰り返し群衆は叫び猛(たけ)り怒り狂い、遂に腹を突き、破ってやった時に眼玉をも突き抉(えぐ)ってやった

 倒れ込んだ闘牛士の、ざまあみやがれ……待てよ、血で染まる前から真紅に違いなかったナポレオンジャケット、私を散々煽り立てたマントと同じ色の、それを着た屍がまた、いつの日かの手前、戦いを挑んだのも挑まれたのも仕組んだのも俺だ。その心は今日の日めくりバーニンで呟く呟きツイートツイッターした

【MBBMの日めくりバーニン七条】肉体に賭けた強靭な精神力を、精神にまた還元させて、精神にだけ還流される肉体は形を崩し、あはれ!滑稽と結婚するのだ!戦争した事もないのが軍服に身を包むのだ!不用な装備がその気にさせるのだ!生きて死ぬ緊迫や壮絶を再現するのだ!死なねえからだ!ドグマッ

 そもそも闘牛場へと自ら出向いたのでした。だって楽しそうぢゃありませんか?昔からユーモアが尽きなくて、それ所か止め処(ど)無く溢れ返り、溺れ、死にそうにならんと生きられなくて困って升(ます)。

また認識の聖者になることはできないにしても、せめて君たちは認識の戦士であれ。戦士はそういう聖者たちの伴侶(はんりょ)であり、先触れである。
 兵卒は多い。だがわたしの見たいのは戦士たちだ。かれらが着ているものは、制服、すなわち「単一型」と呼ばれている。その単一型の制服につつまれている者が、単一型でなければいいが。
 君たちの目は、つねに敵を──君たちの敵を、さがし求めていなければならぬ。君たちのうちの何人かは、ひと目見ての憎しみということを経験したことがあるだろう。
-ツァラトゥストラ

 一目惚れ以上に経験あるね、馬鹿が、最悪の一目惚れは──こいつ、相容れぬ、というひと目見ての憎しみは。

 なあんだ、この世の敵は全て我が願望なんだ。今年もまた一つ己が叶えてやった、用済みの四字熟語がまた一つ増えた──“Song Bo Hou Diao”。是ぞ殺生ワード頭蓋骨、其のアイ・キル・ユー!!



 今年も益々有難う、令和五年“松柏後凋”完了。


2023年12月29日金曜日

鉄人・狂人

超人鉄人!!カバーMVが五十本、こうして綴る胸の内が五十編、どうして五十回も吐露したのだ己が胸中──その心は。

「いまも読まれ、将来も読まれる」
-アルトゥール・ショーペンハウアー

 やりたいこと、やらねばならぬこと、やめねばならぬこととやめたいこと。以上が渦巻くこの師走に、綴る胸の内が五十編、カバーMVが五十本。



 やりたいこと、ハードなロックとヘビィメタル、巷で噂のHR/HM。十代から変わらぬ、いや、生まれた時から兆しはあった。誰よりも重たかった、五月一日の夜に、日赤病院の二階で。予定日の平成元年五月八日より一週間早く、身長五十一センチの、体重四千五グラムで産まれた。


身長百七十九センチ、体重八十二キロ(令和五年十二月現在)

 やらねばならぬこと、カバーMVが五十本、令和が五年の十二月に。当初オジーおぢさんの、変なおぢさんのオズボーンが誕生日の十二月頭に、と考えていた処。訃報、訃報、何という無謀。ならば来年に持ち越そう、いや無理だろうが、この鉄人狂人!!


今の気分にぴったりな、というより今年一年を象徴するよな“深淵の季節T(スレイヤー)”を着用

 そうです私が、鉄人もといアイアンマン、狂人ないしパラノイドです(さもKen SHIMURA風に)。さもNori MBBM風の、さあれどもNORIの逆様(さかさま)、IRON MAN様。完璧なアイロニー(IRONY)、皮肉をして皮肉にされる牡牛座、挽き肉にされた皮肉屋さんがPARANOID。七年前の平成二十八年三月、MBBMというバンドの自主製作盤にて、一度カバーしているのだ“狂人”は。曲構成も詩も手前勝手に、MBBMバーニン勝手に改変して演りましたが、今回は詩も構成も原曲に忠実に。ドグマッと言いつつもNori MBBMの自分勝手、ヴァース後の“オーイエー”だ奇声だギターソロだドラムのフィルだフレーズだって、俺ら印の手前勝手(やっぱ原曲無視で)。御覧になってさあ、御託並べましたは、御目に掛けませう。


「Paranoid」
作詞・作曲:ギーザー・バトラー&トニー・アイオミ&オジー・オズボーン&ビル・ワード

Finished with my woman
'Cause she couldn't help me with my mind
People think I'm insane
Because I am frowning all the time

All day long I think of things
But nothing seems to satisfy
Think I'll lose my mind
If I don't find something to pacify

Can you help me
Occupy my brain?
Oh yeah

I need someone to show me
The things in life that I can't find
I can't see the things that make true happiness
I must be blind

Make a joke and I will sigh
And you will laugh and I will cry
Happiness I cannot feel
And love to me is so unreal

And so as you hear these words
Telling you now of my state
I tell you to enjoy life
I wish I could but it's too late


日本語詞:Nori MBBM

あの娘とは終わったよ
もう互いに知らない
皆々知らなかった
狂人変人好かない

日もすがら夜もすがら
明けても暮れても足りない
上げても呉れても
精神神聖知らない

聞こえますか
頭ん中?
Oh yeah

見たいだけ魅せてくれよ
魅せた処で見えない
観られた物ぢゃない
読める訳でもない

戯(ざ)れ言に溜め息で
嘲(あざけ)りが切ない
幸福不感症
愛着形成不可能

後そうだ最期に
一つだけ言いたい
人生楽しめよ
俺が楽しめない



 ちなみに人生de初、スーパーライトゲージちゅうのを張りましたda、ギターの弦の話death(壱)。いつも人並それ以上にヘビィゲージ、だって音楽も文学もヘビィでナンボ、全く不器用な奴で御座ゑました。白状すりゃチョーキングやビブラートなぞ苦手でさぁ、それがあんたぁ、目から鱗ぉdeath(弐)。こんなに柔くてぐにゃんぐにゃん、それ故、チューニング狂いやすしきよしdeath(参)。一長一短、玉に瑕、諸刃の剣って奴death(死)。


Merry Christmas, Mr. Crowley (not Lawrence)

 やめねばならぬこととやめたいこと、神の信仰、神は死んだってこと。現に音楽と文学、それにも云えること、それでも手前やめないか。令和五年に生命(いのち)散って、皆様目一杯精一杯生きた、神様もなしに無様に生きてみせた。さながらニーチィズム、さもなくばドグマティズム、この人を見よ。


Ecce homo, Nori MBBM (not Nietzsche)

「いまも読まれず、将来も読まれず」
-フリードリヒ・ニーチェ

 カバーMVが五十本、こうして綴る胸の内が五十編、どうして五十回も吐露したのだ己が胸中──その心は。


 みんな読めないのであるから、みんな恥ずかしくなんかないのだよ、さあ堂々巡りだ堂々と。永劫回帰!!




2023年10月15日日曜日

超人・鉄人

誰も座(ざ)せぬ神棚。四年前から誰も座せぬで、空っぽなままの神棚。言うて御粗末な、高円寺の近所のホームセンターで買ってきた細長いプラスチック板を壁に固定したそれが、私の神棚。いつか日々の信仰も何も、もう毎日が無気力となって、心願成就の己が名入り木札(きふだ)、破魔矢(はまや)、芸道成就の御守りを、彼(か)の花園神社へ還した後も、信者をやったやめたが馬鹿らしく、棚そのままとなっている。

 何年も一日と欠かさず、神棚へ和菓子・洋菓子・飲み物ジュースをお供えし、想うところ心で唱え、次の日はまた新しいお供えを捧げ、古い物は御下がりとして、毎日毎日頂いた。確かにあの頃の私は、神憑(がか)っていた様だった。何ものかが、見守って居られた。

 四年前、まだら牛の金の星、ないし牡牛座見守る金星、その名もツァラトゥストラ、ニーチェその人が現れてからは──

 低俗な者たち。神、或いは超人・鉄人を名乗る者たち。今日ちょうど数えで180歳の彼、ニーチェと私が対話する。

わたしの深部はゆらぐことがない。しかしそこは、泳ぎ遊ぶさまざまの謎(なぞ)と笑いとで、かがやいている。

 惑わせても無駄だ。自ら戸惑いを楽しむ者に、他の誘(いざな)いは一つも聞こえぬ──自前の謎が最高となりますよう。

 もし大声で大声を認めさせても、美声でないならうっとりせぬ。もしも美声で惹き付けたとしても、己が声の楽しさを愉しむのに美しさは要らぬ──手前の笑いが最強となりますよう。

かれは、あいかわらず、とびかかろうとする虎(とら)に似た姿で立っている。しかしわたしはこういう張りつめた魂を好まない。わたしの趣味には、こういうような内にこもっているすべてのものがいとわしい。

 強いね、格好良いね、憧れるね、末恐ろしいね、きっと君が世界一だね。うん、世界一だと思うね。世界一、つまらないと思う。誰よりもつまらないよ、誰よりも誰よりな誰だよ、君は君に成れなかったのよ、君しか君に為れなかったのによ。全く惜しいよ。強いって罪だよ……その罰だよ。

かれは牡牛(おうし)のようにふるまうべきだったのだ。そしてかれの幸福は、地の匂(にお)いを発すべきで、地への蔑みの匂いを発すべきではなかったのだ。
 白い牡牛として、鼻息も荒く、うなりながら、力強く犂(すき)を引くさまをわたしは見たいのだ。そして、そのうなりが地上のもの一切の讃歌の一つであってほしいのだ。

 そうは云ってもツァラトゥストラ、のニーチェ。一度くらい蔑みをしないと、当たり前の様に慈(いつく)しみは出来ぬ。高嶺の花を最愛の華には出来ぬ?崇高な美を当然の美とす!牡牛の犂は十字架す、こんなにも貴女を慕(しと)うて居る──犂、犁、鋤、隙、空き、透き、すき by Nori MBBM、の憲宏拝

そしてわたしは、力強い者よ、だれにもまして、君からこそ、美を期待するのだ。やさしい心を獲得することが、君の最後の自己克服であるように!
 わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。
-ツァラトゥストラ

 優(やさ)しいは、優(すぐ)れる、と書くね。あの憧れと悪行の数々は、この数知れぬ当然、と善の為にね。英雄と美のない処とは、もの凄く醜い低俗な場所か。或いは、唯一の英雄と美が存在する所の処か──素晴らしき貴女に、貴女の素晴らしさ認められぬか──

 低俗な者たち。四年前、神は死んだ。あらゆる宗教の戒めを笑ってやったのだ。人を戒めなければならぬ神の力不足を認めたのだ。戒めに人を呪う教条の全てを無視したのだ。私をして良く言えば超人・鉄人、神をして悪く云えば──


 低俗な者たち。


2023年9月16日土曜日

“An Ignorant Street in September”

九月の無智な街で──星の王子様は生まれた。九月の無智な街路に僕はバック・ギアをいれる──哀しいかな王子様はまた星になって帰って行った。


Oh, man, I need TV when I've got T.Rex!!

 マーク・ボランちゃんへのラヴソングとしてカバーいたしましたワ★イアン・ハンターはそのつもりなかったと思うけどネ☆

 そういえば、ボウイ(←日本の方の暴威)に“ビート・スウィート”というグラム歌謡メタル野郎なナンバーがあるのだが、それのデモ音源の時の仮タイトルが“モット・ザ・フープルにはなれなかったよ”というものであった。布袋さんが冗談半分で付けたんだろうけど、そのおかげで16歳のJ-POP少年はモットまで辿り着く事ができた(ボウイの未発表曲デモメイニアが故)。そうだ、T.Rexが好きな君に★★★★★★★(←三日前に新譜「ギタリズムⅦ」が出たわね、の七ツ星death)


野球では虎が18年ぶりのアレで持ち切りだ

 イエモンやバビロンズーが取り上げていた“ホナルーチ・ブギー”もハイロウズがヒロト節を炸裂させた“ロックンロール黄金時代”も最高なグラムナンバーでカバーしたかったけど、どのカバーもレベル高くてアレンジまで全く隙が無かったから、改めて手前でカバーする意義を見出だせなかったワ……という訳で“ロール・アウェイ・ザ・ストーン(邦題:土曜日の誘惑)”よ!今宵、エス!エー!ティーユーアー!ディーエーワイ!ナイッ♪だからよ!“サッカー(←吸う方)”も“ヴァイオレ~ンス”も、我が国では雨上がりの夜空に塗り替えられちゃった“ドライヴィン・シスター”も絶望少女達に歌われた“マリオネット”も、モットにはもっともっと凄い曲が沢山あんだかんね(“スウィート・ジェーン”はヴェルヴェッツの原曲を超えちまって、切なすぎて優しすぎて懐かしすぎて涙出るワ)!ところでコレ読んでるアンタ、ロッカビリパーティあんだけど行かっない?


「土曜日の誘惑 –Roll Away the Stone–」
作詞・作曲:イアン・ハンター

Baby, if you just say you still care
Follow you most anywhere
Roll away the stone, roll away the stone

And, in the darkest night
I'll keep you safe and all right
Roll away the stone, roll away the stone

Won't you roll away the stone
Why be cold and so alone?
Won't you roll away the stone
Don't you let it die

No matter if fools say we can't win
I know I'll fall in love again
Roll away the stone, roll away the stone

So sing - we still got a chance
Baby, in love and sweet romance
Roll away the stone, roll away the stone

Won't you roll away the stone
Why be cold and so alone?
Won't you roll away the stone
Don't you let it lie

There's a rockabilly party on Saturday night
Are you gonna be there?
(Well, I got my invite)
Gonna bring your records
(Ohh, will do)
Hahaha, made it!

Won't you roll away the stone
Why be cold and so alone?
Won't you roll away the stone
Don't you let it die

Come on roll
Come on roll, yeah

Come on roll
I want you to roll
Come on, yeah

Come on roll…


日本語詞:Nori MBBM

君がまだ僕のこと
想っているなら
Roll away the stone, roll away the stone

暗すぎる夜も
君が安らげる様に
Roll away the stone, roll away the stone

Won't you roll away the stone
独りぼっちは寂しいね
Won't you roll away the stone
行かないで

野暮な奴等にゃ分からねえ
恋しているのさ
Roll away the stone, roll away the stone

そう、謳う-諦めないぜ
愛することの全てを
Roll away the stone, roll away the stone

Won't you roll away the stone
独りぼっちは寂しいね
Won't you roll away the stone
云わないで

ロカビリーパーティーあんだけど行かない?
レコードある?
「あるわよ」
どんなのある?
「ううん、無い」
ははは、無いね!

Won't you roll away the stone
独りぼっちは寂しいね
Won't you roll away the stone
逝かないで

Come on roll
Come on roll, yeah

どかそう
どかしたいよね
どかそう、イエイ

どかそう…



 普段より、原曲の歌わんとする事を出来るだけ損なわずに訳詩しようと心掛けておるのですが、ラスサビ前のブリッジ部、原曲だとイアン・ハンターとリンジー・ディ・ポール嬢の掛け合いの場面、ここだけはROLLYさんの引用で演らせて頂きましたで候ふ

※再結成後のすかんちによる“恋のローラースケート(30th ver.)”を参照のこと

 グラムロックは我が生業(なりわい)で御座居ますから、皆が皆分からなくても仕方ねえのです。自然と無意識に分からねえ事を多々演っちゃいますから、気付く人だけ気付いてくれりゃあ良いのです(私はROLLYさんの演ること成すこと一々気付いているわよ、スウィートにマッドにBCR、クイーンもツェッペリンもパープルも、ジュリーや近田春夫やはっぴいえんどだって)。そんなミーのこと、分かってくれた貴方はそうね……ウルトラバーニンソウルメイト🖤

 ドグマッドグマッドグマッ


未完の、終わらない詩……全てはここから始まった(今回サングラスしてないが)

 ああ、NN。つまり長すぎる夏、ないし夏が長い。夏も冬も想い出たくさん大好きな季節だけど、春や秋をこれ以上なくさないで!って感じ。東京の真夏日(30度超え)日数は今年既に80日以上を数え、明治五(1872)年からの観測史上、過去最高とな。何ならこのまま真夏日日数90日、100日と以後超えられない記録として、ガンガン更新して行って欲しいね令和五(2023)年……ここんとこ谷川俊太郎とか中原中也とか詩集ばっかだったから、そろそろ分厚い長編でも読もうかしらん読書の秋(←いつ来んねん暑いわい)


“Seven years bad luck ain't that long──(7年間の下積みなんてたいして長くない──)”
~Mott the Hoople「Through the Looking Glass(偽りの鏡)」より~




ぢゃ、これにてグラム歌謡、次はメタル野郎で逢おうぞ!!



2023年7月25日火曜日

オルタナ畑でつかまえて(The catcher in the nevermind) –我、令和オルタナティヴⅢ–

「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」
-ヴィルヘルム・シュテーケル

 私がTHE YELLOW MONKEYというバンドを好きなのは、グラム・歌謡・メタル・野郎だからというのは無論、詩曲や佇まいに言動それから“イエローモンキー”という名が示す通り、日本人が避けられない日本人というものを自覚的に演っている日本のバンドであるからに他ならない。三島や谷崎を読まずには居られないのと同然の道理である。

 このどうしようもなく日本人な、どうしようもない日本人はまた、日本語に聴こえてしまう外国語の、日本語で歌われるに相応しいよな旋律の、そんな洋楽につい惹かれる(マーク・ボランとかイアン・ハンターは時たま日本語で歌ってなあい?本当に私の空耳かしらん)。こちらはまた、バタイユやバルザックを読まずには居られないのと同じ訳である。



 BUSTERSないしピロウズフアンにとっては退屈で冗長な導入部となったやもしれぬが、私が今までピロウズを通って来なかった理由を明確にし、また今回カバーするに至った訳を打ち明ける為にも、この回りくどい前置きが適当だと判断したのである。

 つまりだ、私はこうも日本人した日本人なので、昭和歌謡やジャパニーズポップスなどと“故意に”断絶しているオルタナティヴロック(=邦楽に代替するロック)を演っているザ・ピロウズという日本のバンドを聴いて来なかった訳であるが、染みたれた四畳半の情景を想起させ“ない”ピロウズの、さわおさんの何処迄も風通しの良い日本語詩の響きに洋楽を感じた時、私がマーク・ボランの詩や節回しに日本を感じたのと逆向きに照応する形で、今回ピロウズをカバーしようと思ったのである。

「アリーが死んだことは僕だって知ってるよ!知らないとでも思ってるのかい、君は?死んだからって、好きであってもいいじゃないか、そうだろう?死んだからというだけで、好きであるのをやめやしないやね──ことにそれが、知ってる人で、生きてる人の千倍ほどもいい人だったら、なおさらそうだよ」

 私は何でも、超越するもの、調節するもの、境界に佇むもの、共感せざるを得ないもの、に否応なく惹かれる。中途半端を嫌な言葉とは思わぬし、優柔不断は何とまあ美しい態度であろう。断定や断言など、何時だって馬鹿に任せておけば良い。何処かの誰かが言ってたろう、最も美しい女というのは適度な男性性を持ち合わせ、逆もまた然り、適度に女性性を併せ持った男というのは美しいものである、と。中性的なグラムロックを好きにならずに居られないのも、そういうこった。グラマラス、つまり魅惑的なもの、その魅了してくるものに、平凡な人の私は惹かれる他ないのだ。



 ピロウズといえば、三期だろう。メンバーやフアンはピロウズというバンドの歴史を全四期に分けて、音楽性の変遷その全貌を捉えている訳だが、バンドのブレイクのきっかけとなり、飛ぶ鳥を落とす勢いで次々と画期的な新曲・新譜を発表していたのが、ニルヴァーナやピクシーズに代表されるUSオルタナ直系のギターロックサウンドを展開していた三期(1996~2012年の間)なのである。その頃を象徴する様なナンバーを演りたくて、今回この選曲に落ち着いたって訳。

 影響を受けた先輩バンドにコレクターズの名を挙げ、影響を与えた後輩バンドのボヘミアンズを自身のデリシャスレーベルに擁す、このピロウズというバンドの存在を鑑みれば、一期(1989~1993年の間)のパンクでモッズな音楽性は腑に落ちる。

 反して二期(1994~1996年の間)、ジャズやボサノヴァ的な凝ったフレーズを繰り出すギター、ベース、ドラムetc.……ピロウズにして意外でしかない(モッズ的といえば、さもありなんではあるが)。こんな時代があったのか!と三期のイメージしか頭になかったエセBUSTERSの私はあんぐりしてしまったが、これがどうして聴き心地、最高である。ジャズやボサノヴァなどと抜かしちまったが、楽曲によっては幻想的でサイケな瞬間もあって、個人的にはそこに90sシューゲをひしと感じてしまい(そして手前は隠れシューゲイザーだから)、このピロウズ結構好きだ。二期は、今後の己が研究課題である。



 んで、本題の三期。5枚目のアルバム「プリーズ・ミスター・ロストマン(1997)」から今に続くピロウズの全てが始まったかの様な評を多々目にしたのだが、まだ二期の穏やかさや優しさ、奥ゆかしさを引きずっている様に思う。ピロウズが攻撃態勢に入ったのは、6枚目の「リトル・バスターズ(98)」からであろう。アルバムのジャケットでもう既に勝ち、はい優勝(ライオンが凄む檻の前で外国の少年がアイスクリンをペロっ)。一曲目から歪みまくったディストーションのグランジサウンドにメタル野郎はブッ飛んだぜ……カバーMVするならこれしかねえ!

ものによっては、いつまでも今のまんまにしておきたいものがあるよ。そういうものは、あの大きなガラスのケースにでも入れて、そっとしておけるというふうであってしかるべきじゃないか。それが不可能なことぐらいわかってるけど、でもそれではやっぱし残念だよ。

 どんなバンドにも大なり小なり長きにしろ短きにしろ黄金時代ってもんがあって、ピロウズのそれは7枚目の「ランナーズ・ハイ(99)」と8枚目の「ハッピー・ビバーク(99)」なんでねえか?ってのが手前の持論である。笑っちゃう位に無敵、やりたい放題を神から許されている感じ──マリオにおけるスター状態。しかもその二枚共を同じ一年の間に出しているというのも凄い話だし、きっとそれはあの頃の世紀末的な狂騒がバンドの勢いを更に後押ししたのだと思う。イエモン、ミッシェル、ブランキー、ハイロウズ、みんな軽く躁状態だったぢゃん?ミスチルが「ディスカバリー(99)」みたいな全編ギターロックで尖りまくったアルバム、もう二度と作らないと思うぜ。全くどうかしてるぜ、90年代──「電波少年」とか「めちゃイケ」とか無性に観たくなる時があるんだよ、小学校の教室の窓から工場の煙突がもくもくしているのを朧気に見たみたく!授業が余りに退屈過ぎた時、誰も居ない校庭を見たくもないのに見たみたく!

拍手ってものは、いつだって、的外れなものに送られるんだ。

 閑話休題。9枚目の「スマイル(01)」も素晴らしいよ、アルバムからのシングルカットが一曲もないっつうストイックさ。実を言うと今回、“ハロー・ウェルカム~”でなし“ウェイティング・アット・ザ~”を演ろうと思っていたんだけど、今は手前のオルタナ欲がすんごいもんだから、迷いに迷って前者にしたのさ(後者は来年辺り演ると思うね)。それから“スキム・ヘヴン”なんてゴキゲンなナンバーは、ミッシェルに衝撃を受けたさわおさんなりの“キラー・ビーチ”なんかな?などと邪推してみたり。



 その後、10枚目の「サンキュー・マイ・トワイライト(02)」でピコピコ電子音が入ってきたり(今回のMVのオチとして弾かせて貰いましたワ)、11枚目の「ペナルティー・ライフ(03)」からはグッとルーツミュージックとしてのロック、つまりロックンロール志向になったり、14枚目の「ウェイク・アップ~(07)」ではまたオルタナに回帰したり、そういえば手前がまだピロウズを聴いていなかった頃、高校の友達(山岳部のSくん)が静岡だか名古屋だか遊びに行く道中にカーステでこのアルバムを流してくれて、「これ良い曲ね、何て曲?」と訊いてみたらば「んと、“シリアス・プラン”って曲だよ」って教えてくれたり、前のバンドのギターがカラオケ行くと「この曲カッコ良いっすよ」って“ライド・オン・シューティング・スター”を歌ってたなとか、そもそも今使っている赤いストラトをくれた高校の親友が代表曲“ハイブリッド・レインボウ”を教えてくれたんだっけとか、思い返せば節目、節目でピロウズを薦めてくれる人が何時も自分の周りに居て、それは自身のオルタナギターロック好きが滲み出ちゃっていたからかしらん?ひええええ自分語り語り過ぎて四期まで語れる気がしねえザ・ピロウズ!とりま、さわおさんの英語詞と己が日本語詞のせとくわ。


「Hello, Welcome to Bubbletown's Happy Zoo –Instant Show–」
作詞・作曲:山中さわお

Greedy pig, Idle monkey
Perfect bat
Lazy bear, Intelligent fox
Stylish dove

Modern mouse, Prosy elephant
Honest duck
Oh, fantastic!
I'm never tired of looking at them
Come on

Float like a butterfly
Sting like a bee

Hello, welcome to bubbletown's happy zoo
Instant show

Fat deer, Slim tiger
Drooping giraffe
Cross dog, Fishy pussy cat
Sunburned crow

Clever sheep, Jolly panther
Standard owl
Oh, fantastic!
I'm never tired of looking at them
Come on

Float like a butterfly
Sting like a bee

Hello, welcome to bubbletown's happy zoo
Instant show

Guilty man, Guilty woman
Innocent child
Oh, fantastic!
I'm never tired of looking at them
Come on

Come on
Come on
Come on
Come on
Come on
Come on


日本語詞:Nori MBBM

欲豚、横着猿
完璧蚊食鳥
怠惰熊、知的狐
当世風鳩

近代鼠、散文的象
正直家鴨
驚き!
飽きないね
何時迄も
Come on

舞う蝶の様に
刺す蜂の様に

Hello, welcome to bubbletown's happy zoo
Instant show

太鹿、痩身虎
垂下麒麟
雑種犬、魚介仔猫
日焼烏

賢明羊、上機嫌豹
標準梟
驚き!
飽きないね
何時迄も
Come on

舞う蝶の様に
刺す蜂の様に

Hello, welcome to bubbletown's happy zoo
Instant show

罪男、罪女
無罪餓鬼
驚き!
飽きないね
何時迄も
Come on

Come on
Come on
Come on
Come on
Come on
Come on



 ちょうど去年の今頃に知り合った友達が、もう今の私のピロウズの先生なのね。知った風な口で一期だ二期だ語っちまったけど、この一年でピロウズのこと猛勉強したんだわ(←唐突にベンジー)。その友達から“アイシンク・アイキャン”とか“ワン・ライフ”とか“リトル・バスターズ”など教えて貰って、シンガロングなオアシスのギャラガーで三男が私は甚(いた)く感動してしまってね、追い打ちを掛ける様に「ニルヴァーナ好きならコレっすよ」って怒涛の波状攻撃が私を“カーニバル”まで“ラッシュ”させた挙げ句“ノー・セルフ・コントロール”状態にまで“空(←インスタント・ミュージックのMVで珍棒振り回していたクマっぽい何か)”させてしまい、我、令和オルタナティヴそのⅢに至った訳で御座居ます。今回のMVの撮影はその友達にやって頂きました──牡牛座・愛・爆発──誠に有難い事で御座居ます。圧倒的感謝!!ドグマッイヤァオ(MBBMと中邑真輔)

僕は例の赤いハンチングをかぶり、僕の好きなようにひさしをぐるっと後ろへ回し、それからありったけの声を張り上げてどなったんだ──「ガッポリ眠れ、低能野郎ども!」ってね。



 あの頃の“ボキャブラ”も“ガキ使”ももう無えさ!“Mステ”も“うたばん”も“HEY!HEY!HEY!”も“CDTV”も用無しだ!“ロキノン”ないし“ジャパン”その二万字インタビューもな!ってな気分で──CORPORATE MAGAZINES STILL SUCK (As Worn By Kurt Cobain, NIRVANA)

どこかを去って行くときには、いま自分は去って行くんだってことを、はっきり意識して去りたいんだな。そうでないと、なおさら気分がよくないもんだぜ。
-ホールデン・コールフィールド




2023年5月31日水曜日

私のつくりかた

「字於世代之問題」
「ジニオケルセダイノモンダイ」
「じにおけるせだいのもんだい」
-谷川俊太郎

 世代論は嫌いだ──いや人に纏(まつ)わるものだけは。文化だとか文字だとかなら寧(むし)ろ好きだ──私の事は一言も話すな。いいか、決して話すな!


2023年5月18日木曜日

卓上即興(18歳の谷川少年に感化された詩)

 ヱレクトリツクギタア
己が手により
物の怪の類ひ呼び寄せる

 アンプリフアヰヤ
彼等の波動を
何倍か増幅して世に放つ

 マヰクロフヲン
手前が声帯を
彼の生態に沿つて震はす

 マルチトラツクレコヲダア
幾重もの因果
応報となる様な逢ひ引き

 フエヱダアヰコライザア
遥かなる逢瀬(おふせ)
美化されゆく我が想ひ出

 アヱユウブアニン?
未だ燃ゆるわ
灰の中に契機が有るぞゑ

 ドグマッ


2023年5月17日水曜日

「俺が眼ん玉は中也とカズキの両の眼のダブル・アンコールぢゃ」

僕はあなたがたの心も尤(もっと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに


 詩を詠むのに吟ふのに、リヅムキープとか千分の一秒とか馬鹿ぢゃねえの?だから中也だカズキだ、クリックやらプロツールスを無下にする音楽だ。だって音楽を無下にするのが、クリックしたがるプロの何某だらう?



 かつて俺が眼ん玉は文学的に盲いられた──左を谷崎に右をバタイユに。いつか音楽を嫌いにならないで居る為、さうした方が良かった。

 そして俺が眼ん玉はダブル・アンコールぢゃ──片方は中也の、もう片方はカズキの。ずっと音楽が好きだという導線を引く為、文学はいっそ詩となった。


中也自選の、生前唯一の作(右)、と没後唯一の作(左)
※写真はどちらも平成九年刊の文庫版

 文学は物語の為に忘れられないし、音楽は忘れられない様に聴き続ける繰り返し、したらば詩なんてもんはその中間、せやんなあ中也?

 昔読んだのだけれどスッカリ忘れてゐた、在りし日の歌。今回カズキの旋律で歌ってみて二度と忘れ得ぬ、山羊の歌。

 詩とは悉(ことごと)く忘れられるものぞ、繰り返し。詩とは読むより詠まれる為に在るものぞ、繰り返し。これでもうわかったか?遂に心底思い知ったか?


仏文学に造詣のある中也に因み、また画家としての顔も併せ持つカズキに因み、フランス留学していたとある洋画家の、大田区は蒲田にある某アトリエにて撮影

 いつかの今日、泉谷しげるのカバーを演ったんだけど、それと言うのも5月17日がフォークでロックな友達のお誕生日であるが故、であるが故に、今回は今回で友川さんのカバーを演ってやったの。

 彼の名曲“生きてるって言ってみろ”とか“トドを殺すな”とか、俺らが昔やってたMBBMってバンド内でも流行ってね、よく話題にしてゐたから、いつか必ずカズキのカバーをしようと思ってゐたの。己が心より敬愛する世界一の歌姫・ちあきなおみへ提供した“夜へ急ぐ人”なんか情念が怨念と化して最早ホラーで最高にトラウマよ……しかし今回“サーカス”を選んだのは、最近また中也を読み返してゐたから。あと前回が“ピエロ”の歌だったからね、今回は“サーカス”の歌って訳。


 それにしても友川さんの四枚目「俺の裡(うち)で鳴り止まない詩(もの)」である。誰かが既成の詩に自らが毅然と曲を付ける、不可逆の成功。則ちカズキの旋律と絶唱を聴く前の世界に我等、もう二度とは帰れない。全くミユヂシヤーン冥利に尽きる。つうか俺も絶対に演るわ、いつか必ず室生犀星の詩に。

 詩集「山羊の歌」の冒頭を飾る“春の日の夕暮”の、カズキによるカバーその絶唱も、俺は頗(すこぶ)る演りたかったけんど。或いは“六月の雨”かな、名盤「俺の裡で~」の中で一番ロック度数が高いんでなあい?いつか人間椅子のワジーがカバーしてくれねえかなと密かに願ってゐるよ、それくらい相応しいと思うワ。

 されどもやっぱり、中也の代表作“サーカス”にしたよ。カズキの弾き語りライヴを参考に、でも楽曲のキーはレコード音源と同一に、ギターソロなぞは手前の勝手にしやがれってね。それから冒頭に“汚れつちまつた悲しみに”も詠んでやったよ。中也といえばこれなんだらう?ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん


 で、俺といえばこれなんだやう……アヱユウブアニン?ドグマッ


「カズキさんの眼は中也の眼のアンコールぢゃ」by 中原フク


と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
僕は美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!
-中原中也




2023年5月3日水曜日

子供ぢみた汚い詩

その子供の父と母は、我が両親は、谷川くんと同じ十二月生まれであります。

仕方なく僕はひとり神話を空想する
〈一杯のクリイム・ソオダをストロウでかき廻して国が出来た 全く新しい 全くすき透った国が出来た〉

 白と黄と緑と青の鮮明な季節は、谷川くんに不快で、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、濁った処の五月病──この病名を考案した者のセンス・オブ・ワンダー──が、この子供ぢみた汚い詩が、僕を不快にさせる事で初めて証明される春爛漫、あゝ五月かな、五月かな

天上からの街頭録音のために僕はたくさんの質問を用意している
しかし地獄からの脅迫のために僕は武器をもたぬ

 今日は憲法記念日であります。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重をするであります。神様など居ません──私が私の生活を守る為に生きるのです。輪廻も転生も有りません──冷静に平静に人生を考えるのです。天上の街頭録音も、地獄の脅迫も、平成の、あ、いや、令和の時の世の、貴方たった一人の行いです。

やがて忘れられた戦禍のイメエジが雲をよび
五月の無智な街路に僕はバック・ギアをいれる

 左様、さようなら。退きなさい、君の居る場所ではない。

 俺は無智だから五月、トップ・ギアに入れる。


 谷川くんの居る十二月まで駆け抜ける!


2023年5月2日火曜日

男女と水と油の詩

 男の私が油なら
 女の方は水なのか
 であるから馬鹿には出来ぬと
 水無しで生きてはゆけぬと
 油なんて無くてもね
 有った処で有り余ってね

  私は全く持て余し
  身体に悪いとぶく/\肥える
  彼は全く健康的
  彼と彼の姉を見て思ふ
  彼の情念は流るるやうに
  私の不健康を嘲笑(あざわら)ふ

   いゝだらう、いゝだらう
   私の不健康はいゝだらう
   声高らかに笑ひ飛ばし
   実は隠れて飲んで升、水
   彼の姉だってみる/\内に
   どろ/\するは弟より、油

    君と私で交はらぬ
    はっきり水と油なら
    これが不思議とセックス・ファック
    どんより水と油から
    ばち/\跳ねるを見たことあるか?
    飛び込む水と油やら

     あんた油気取りで
     良い気なもんさね、と女
     水に油が浮いてるね
     私も油を売ってやる、と男
     誰があんたのものなんか
     水が飲みたいのよ、み・ず・が


      男の私が油なら

      女の方は水なのか

      であるから馬鹿には出来ぬと

      水無しで生きてはゆけぬと

      油なんて無くてもね

      有った処で有り余ってね


2023年5月1日月曜日

34歳26歳:笑って申し訳ありません、病気なのです

全く忌まわしい男、桃井銀平と同じ34歳になった。しかし私はトルコ風呂なぞに行かない、一度も娼婦と遊ばない。そればかりかタバコも吸わない、一本たりとて喫しない。ギャンブルもしたことない、これは手前の生活が賭け事みてえなもんだから。みんな嗜みとして格好のつく時代もあったやもしれぬが、私には全く以て余計なこと。ロッカーなら「ヤレよ」「吸えよ」と何百回言われたか、そんなダセーロッカーなら即死しな。即ち死ぬまで俺と縁がない。別にわたくし酒は呑むが。それから桃井銀平ですらやらなかった酷い事だって沢山してきた。人に言うには憚れる。彼と同じ34歳になれそうもない。全く忌まわしい男、26歳になった。



だから道化師も言っている。「人間との交際は性格をそこなう。ことに性格のないやつの性格を」と。

 どうやらこれにて“我がロック四天王”のカバーMV、無事完了す。


 願望が形に成っただけ、心象風景を皆様へ見せられる様になっただけ。それだけの為に生きてきたの、産まれてきたの。そう、誕生日に思う。確実に老いてゆくのだが、着実に上手くなってゆく。皆様が気付かない処で、音楽も文学も意のままに。本人の成長は当人に一つも嬉しくない、その一つの何倍か恥かいて。そう、誕生日を想う。

未来と、最も遠いこととが、君の「今日」の原因であれ。君の友の内部に、君は君の原因としての超人を愛さねばならぬ。

 ここんとこギターばかりだったもんで、しばらくぶりにピアノひっぱりだす、そんなカバーMVす。原曲と一味違う演奏を聴かせてあげよう、だってトイピアノの高級になれない高尚にならない音色が好きさ、“Let's Play Music♪”とポップなフォントが踊るオラの御自慢のヤツが火を吹くぜ(ガンバレ中華製)。

 こんなのピエロにしたら朝飯前さ、ピエロといったら“ジョーカー”さ、2019年のホアキン・フェニックス版さ──登場曲は勿論、ゲイリー・グリッターで「ロックンロール」★★★★


Forgive my laughter: I have a condition.

わたしの兄弟たちよ、わたしは君たちに隣人愛を勧めない。わたしは君たちに遠人愛を勧める。
 ツァラトゥストラはこう語った。
-フリードリヒ・ニーチェ


2023年4月30日日曜日

新刊「平成総体(へいせいそうたい)」上梓

間に合った。三十四歳となる前の今日迄に、三十三歳迄の人生に書いてやったのだ。バルザックよりもバルザックらしく、神様よりも神様らしく。

 この破廉恥を如何に、正直かつ誠実に、制御・統合してゆくのか?生涯かけてやらねばならんのだ、バルザックよ、神よ!

 その真面目を如何に、俗悪かつ猥褻に、波及・伝播させてゆくのか?生涯かけてやらねばならんのか、父母よ兄よ恋人よ、私以外のものどもよ!

 これでようやく平等なのです。


前作「六界記紀」に引き続き自ら装幀をデザインした
※=:イコール、平等、平均、平行、平凡、ないし平成の意


~~~~~~


–序文–
(令和五年二月二十六日)


–本編–
(令和四年十一月三十日)

(令和五年二月二十八日)



–跋文–
「三十代の青春小説」

「ライ麦畑でつかまえて」が十代の青春小説なら、「鏡子の家」は二十代にとっての其れだろう。

 どちらも滅茶苦茶に背伸びをした、つまり十代にはまだ早い十代の行動をする主人公と、二十代にはそぐわない二十代の言動をする主人公達とが繰り広げる、読者の共感以上に作家の虚栄心と保身が感ぜられる物語だろう。だってサリンジャーは32歳で、三島は34歳で、それを書いたのだから。両者を割った平均(=)の処の33歳となった今、私は一体何を書くべきか?

 そこで三十代の青春小説を探している。三十代には似合わぬ老衰しきった、しかし三十代にしては若すぎると云えるよな、そんな本がないものか?と古本屋を練り歩く。

 しかし古本屋というのは静かで他人に無関心な、本にしか相手にされぬよな人間の巣窟だ。人目も付かぬ独りの家でこんな文章を綴るよな、愛想良いのも悪いのも沢山の意気地なしが、其処(そこ)には居るんだ。

 一人は四十過ぎの自営業やっておますみてえなヒゲ面メガネが、私の物色する棚にぐいぐいと無言で身体をねじ込ませて来る。こんな意気地なしより意気地がなくたって構わないから、私は無言で其処をどいてやるとほら勝ち誇った様に、仁王立ちして思う存分に大好きな本を漁ってらあ。色んな文学だ哲学だ読み漁っていても此の様ぢゃ、全くこっちまで哀れな気分になっちまう。

 またある時は、私が背中の向こうの棚に立つ七十位のじじいが“ぶしゅうゝ”なんて排泄音を立てたもんで振り返ったらば、素手で鼻をかんでいた。しかも其の手で矢継ぎ早に、陳列された色々な本へ手を掛けて、一冊一冊の状態をまぢまぢ確認し始めちゃうもんだから、私ほとほと嫌気が指して、購買意欲も失せちゃった。じじいが見ていたのは時代小説の棚で、手前が読まぬ類いのものだったからまあ良いが、読書からしか学びが無かったであろう、こんなじじいにはなりたくねえ、としみじみ切なくなっちまう。

 そうだ、三十代の青春小説を探していた。三十代には似合わぬ老衰しきった、しかし三十代にしては若すぎると謂われるよな、そんな本がないものかと。お手本も無しに斯(こ)う、自分で書くしかないものか?

 そもそも小説の書き方なんて、誰も教えてくれなかった。日々の出来事などを綴るうち、日記のつもりが人生めいてきて、こら小説そのものぢゃないか、と書き方を突然に分かる迄。人間、結局、人生な迄。

 そうだ、曲作りもこんなだった。さて、続きをやらないと。イコールの、向こうまで書かないと。



~~~~~~


 月の世界と太陽の世界のどちらも克明に描けたら、午前中午後どちらも書けたら、陰陽どちらに地球が転んだって、東西に分かれたって上下に離れたって、私はその片方で多分、生きてゆけると思うのです。

 これでようやく平等なのです。



「今こそおまえは偉大へと向かうおまえの道を行かねばならぬ。山頂と谷──それらはいま大きい一体のなかに包含されたのだ。
 おまえは偉大へと向かうおまえの道を進んでいる。今まではおまえの最後の危険であったものが、おまえの最後の隠れ家(が)になったのだ。
 おまえは偉大に向かうおまえの道を行かねばならぬ。おまえの背後にもう道がないということが、いまおまえに最善の勇気を与えねばならぬ。
 おまえは偉大へと向かうおまえの道を行かねばならぬ。ここでは何びともおまえのあとに従う者はないだろう。おまえの足が自分で自分の歩いた道を消して進むのだ。そしてその道の上方には、『不可能』という大文字がかかげられている。」
-ツァラトゥストラ


2023年4月20日木曜日

私のレーゾン・デートゥルは

読む前から好みではないと分かっていたが、村上春樹を遂に読んだ。皆読んでいる作家だから今まで避けてきたのだが、やはり好みではなかった。日頃より粋なことしか話したくない書きたくない、と心掛けているから不本意ではあるが、本当に野暮なものは話題にすらしない質(たち)なので、ここは一つご勘弁を頂きたい。

 まず、三島が大宰へ感じたものに対応しそうだが、ひたすらに手前の自慰を見せつけられる様だった──それもかなり勿体ぶった。百歩譲って手前の自慰は許しても、それなら思いっきり果てやがれと思う。同じ村上でも龍の自慰の方がまだ、前代未聞の破天荒で見ていられる(女装させられ、“黄色い人形”と罵られ、黒マラを口に突っ込まれて射精された挙句、バチコン殴打されるのはホント御免だが)。

 そもそも今回、やっとこさ春樹を読もうと思ったのは、駅前の本屋に“御年74歳、6年ぶりの新刊「街とその不確かな壁」発売”と大きなポップが出ていたからだ。但し貧乏な私はハードカバーの新刊など滅多に買わないので(7、8年前に新宿の紀伊国屋で買ったサルトルの「嘔吐」が最後か)、スミスとかストーン・ローゼズのファーストを中古盤で買った様に、彼の処女作「風の歌を聴け」の文庫版を求めて古本屋まで行くことにした。春樹なんて何処にでも売っているから、適当な古本屋に入り、適当に安いのを選んで、適当に読めたら良かった。

 本棚のおびただしい春樹作品の中にそれは三冊あって、価格はどれも半額程の250円であった。一応綺麗なやつをと思ったが、三者三様に表紙の角が削れて白く毛羽立っていた。中に書き込みとか傍線が引かれたのを読むのは死ぬほど厭なので、一応パラパラと頁をめくって確認してみたが、どれも書き込みは無さそうであった。ただ三冊のうち二冊には、前の持ち主が気になったであろう頁に折り目が付けられていたので、それがない一冊を買って帰った。

 さらさらと読める。なるほど風の歌だ。エッセイとか詩に近い。こういうのは経験上、印象に残らない。さっと読めるは即ち、さっと忘れる。作者の思惑通りだよ、とハルキストが得意気に云うやもしれぬ。構わない。

 しかし手前のペニスを「レーゾン・デートゥル」と述べられた件(くだり)には、思わず声が出た。これがマジなら飛んだ風の歌だ。ここに思いっきり傍線を引いてやろうか。そしたらやっと私の本になる気がする……いや、私のレーゾン・デートゥルに。

 それから無性に腹が立ったのは、中盤まで読み進めていたら結局、頁にうっすらと折り目の跡が付いていたのだ。店員か前の持ち主に直された後だろうか、ちっとも共感できない頁に折り目の跡が付いていて、何だ古本屋にあった「風の歌を聴け」の三冊全てに折り目は付けられていたのだ。ハルキストの生態を垣間見る様で、ニヤけ面を見せつけられる様で、無性に腹が立つ。谷崎やバタイユなら全頁に折り目が付くから、折り目なんて要らんのだ。いや、そんなに厭なら新品を買えよ、それはごもっとも。だから春樹はこれから新書のみ買う。買わない。


 さっきから気になり出してはいたが、春樹を読んだ後にこれを認(したた)めたので、この手前の文体も気取って仕方がない。こんなのは葬り去ってやった方がマシなのだが、敢えて恥を曝(さら)してやろうと思う。たまには手前の恥部を……いや、私のレーゾン・デートゥルを。


2023年4月1日土曜日

洋琴のこごと

作話・画、Nori MBBM



 むかしむかしあったんやといや。ある男の家に、しばし弾かれぬ洋琴が。

 この男、兄が二人おる三男坊主で、これまた絵に描いた三日坊主で、「どうしてかうしてギタアが欲しいわ」「ギタアならわしゃ、きっと世界一や」と方々に出鱈目宣って居った。

 あるとき男の昔なじみが、「こりゃ先輩から譲り受けたんやけど、自分は自分で矢っ張しお気にの持っとるさかい、弾かんけん君にあげるわ」とそれはそれはハヰカラな洋琴を男に呉れたんや。

 男は嬉しゅうて嬉しゅうて、そりゃ嫁さん貰ったとばかりに、「わしゃお前を一生大切にするさかい、これからほんまごつ宜しゅう」と真っ紅で美しい洋琴を抱き抱え、来る日も来る日もぽろり弾いたそうな。

 しかして男の腕はあるとこ一定頭打ち、やがて洋琴を抱き抱える日も少のうなって、音楽から文学、三文小説に浮気するようなったんや──長兄「あゝ情けなし情けなし」。

 「はあこりゃまた面白か、昼抜いた甲斐があったわい」「ほうこりゃまた哲学や、三食抜いた甲斐があったわい」と飯代で飯も食はずに何の虫喰はせ、寝食わすれて顔まで青くおぞましき本の虫喰はせ──次兄「あゝ情けなし情けなし」。

 寝不足やったある朝のこと、積む読(つんどく)山に囲まれた寝床で寝まっとると何処からともなし、“さみしわさみしわ、愛想尽かしや”“みんな嘘やったん、ほんま信じられへん”としくしく泣く声が聞こえたんやと。男はばちっと叩(はた)かれたよに頭冴え、「はて今のすすり泣きは何ぢゃ?誰か居るんかァ?」「をかしな、甚だをかしな、独りごちや、こんな男独りの家でな」と手前に問うた──三男坊主の三日坊主「あゝ情けなし情けなし」。

 “さみしわさみしわ、愛想尽かしや”──

 薄暗し家の狭さ見渡せど人影あるはずなし、だが男なるほど膝打った。「何やさうかいな、さうやんな、矢っ張りお前や」と壁の隅に洋琴がつんと。たいそう青ざめて、ハヰカラな紅も褪せてどんよりと。「ごめんなごめんな、ほんま許してくれ、申し訳ない」「わしゃお前を大切にする云ふてこの様、これから人間入れかえて死ぬ気でやるさかい、今度こそ宜しゅう」と洋琴を涙ながらさすりさすりて。

 経てから真っ紅な洋琴から言葉発せられること二度となく、ただ男が上手くやれば上手くやり、下手に焦れば下手に焦った。

 「ほんまお前はかてこ(=賢い子)や、あん時ちゃんと鳴いて呉れて、ほんまごつ有難う」「ずっとずっとやさしくするさかい、今度はわしが何事も我慢する番や、お前は世界一の別嬪さんや」

 最期云ふまでなし男の家からは亡くなるその日まで、赤い洋琴がぽろりぽろりつま弾かれる、いと美しき声が聞こえたさうな。


 そうろうべったり、がんのます。




2023年3月30日木曜日

ジャパニヰズ・スティヰル(とマッシュの鉄板)

グラムにしろ歌謡曲にしろメタルにしろ、好きな音楽のジャンルというより既に人格の一部であった──音楽以前の話、前世辺りが起源の話──この愛着と諧謔(かいぎゃく)がグラムを、懐古と郷愁が歌謡曲を、仁義と父性がメタルを、それぞれ引き合わせた、互いに惹き付けた、やたら聴かせた、口を利かせた、幅を効かせた……“グラム歌謡メタル野郎”まで行き着かせた。

 短い青春が強靭な音楽と出逢うのに長い成長と友達と恋人を省略し、最高のリフと出逢うのに最速のリズムを刻まれたかった。少年が恋い焦がれた強靭な音楽、そのヘヴィメタルとは何ぞや?英国はバーミンガムが生んだ偉大なるバンドを二つばかし聴けば解るさ──ヘヴィを知るにはブラック・サバスを、メタルを知るにはジューダス・プリーストを。



 したがってジューダスである(今年中にサバスも必ず演る)。一般的に云われるところでは、伝統のブリティッシュハードロックから出発し、6枚目のアルバム「ブリティッシュ・スティール(1980)」でヘヴィメタル宣言をし、12枚目の「ペインキラー(90)」でブチギレモードへと突入、まさにこれからという時にフロントマンのロブ・ハルフォードが脱退……という流れで間違っていないと思うが、ファーストはまあ確かに哀愁のツインギターによるブリティッシュハードロックだとして、しかしセカンドからもう非常に(非情な)メタルである。それは哀愁の泣きでなし、狂気に鳴き叫ぶよなイカれたイントロからの、ザクザクとブリッジミュートで刻むギターの冷徹さ──“切り裂きジャック”、最高にメタルぢゃありませんか?


十年前に買った革ジャン一張羅、ショットのヴィンテージ“Perfecto”
(生地は傷だらけファスナー閉まらずポッケにゃ穴あきボタン錆び錆び)

 俺はベスト盤から入った口だけど、ジューダスというのはストイックなメタルバンドであるにも関わらず、急な路線変更を繰り返すバンドでもあるから、アルバムを一枚一枚ちゃんと追っていくと戸惑うんだよね(10枚目の「ターボ(86)」とかテクノ入ってるし)。上述した6枚目や12枚目もそうだけど、長いキャリアの中で何回も再デビューしている様な感じ?キャリアを通じて全作品好き、というジューダスマニアにはお目に掛かれた事がない。個人的には、80年代初頭のゴリッゴリッにパワーメタルしちゃってる屈強なジューダスが最高に胸アツであります(8枚目の「復讐の叫び(82)」なんて、我らが日本のラウドネスの3rd「魔界典章(83)」を聴いてる時みたく、このジャパメタ狂いの拳を我武者羅に振り上げさせてくれるよね)。

 前段でうっかり“ベスト盤から入った口だ”と言ったけど、ジューダスとの出逢いをよくよく思い返してみたら、2001年の年末にやっていたタモリ倶楽部の「空耳アワー傑作選」って特番だったわ!!まだ洋楽はおろかロックすらも聴いていない、J-POPしか知らん12歳の頃の話。空耳の傑作選に取り上げられていたのは初期の代表曲“シナー(罪業人)”で、♪母さんが言う こういうパーマは変だと 死のう~ってソラミミ界隈で伝説となったヤツ、あの再現ドラマみたいなチープな映像と相まって大爆笑した記憶があるけど、それがジューダスとのファーストコンタクト(今は空耳なしで素直に聴けるよ、ここまで来るのに十数年かかったけど、笑)。メタルって様式美だから、キメの一番盛り上がるところが空耳フレーズだったりすると他の音楽ジャンルより破壊力が凄いんよな……メタリカとか異常に空耳の傑作が多いし


己がジャパニヰズ・スティヰルは“サンダー・イン・ジ・イースT(ラウドネス)”と迷ったが、今回は“戦術T(アイアンメイデン)”で許してやろう

 という訳で(どういう訳で)、俺の初めての洋楽体験は15歳で買ったピストルズかT.RexのCDレコードだと思っていたけど、12歳でこういうパーマは変だと死のうのジューダスでしたのメタル野郎!!これが俺らのジャパニヰズ・スティヰル!!!!


「Breaking the Law」
作詞・作曲:グレン・ティプトン&ロブ・ハルフォード&K・K・ダウニング

There I was completely wasting, out of work and down
All inside it's so frustrating as I drift from town to town

Feel as though nobody cares if I live or die
So I might as well begin to put some action in my life

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

So much for the golden future, I can't even start
I've had every promise broken, there's anger in my heart

You don't know what it's like, you don't have a clue
If you did you'd find yourselves doing the same thing too

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

You don't know what it's like

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law


日本語詞:Nori MBBM

全き無駄遣い、一世一代
苛立ち止め処無き市井無頼

伸しても伸びても構われない
構って欲しけりゃやるしかない

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

沢山だ黄金時代、俺は降りた
大体が気分次第、俺は滾った

貴様にゃ分からねえ、分かる筈が無え
分かるとしたらばこれをやれ

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

貴様にゃ分からねえ

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law

Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law
Breaking the law, breaking the law



 手前のカバーMV史上、最も上手く訳せたのではないかと自負しております。詩の伝えようとする意味だけでなく、韻や語感も含めて全て。トラックに関しては、ブリッジで勝手にブレイクポイントを作るなど独自のアレンジを施しましたが、その他は原曲に忠実に、いつも通りシンプルなエイトビートとヘビィメタルなディストーションギターで、そう、こういうのでいいんだよ、こういうので


※「孤独のグルメ」12巻より

 あゝ高円寺マッシュなぜに閉店したのだ。死ぬほど頼んだ俺のお気にの“C(630円)”、オレンジ色の甘辛ソースのスパイシーな香りが食欲をそそるダブルメキシカンハンバーグ、その場で殻を割られてジュージュー焼かれた目玉焼きに平皿のライス、業務用を解凍したチープな感じがまた良いミックスベジタブルに鉄板の上で炒められて少しカリッとなったソース無しパスタ、そして何故か洋食の付け合わせに卵とワカメの入った熱々のお味噌汁、世界一美味しかったなあ“C(630円)”……店内に流れるラジオのMCの吉田照美のしょーもない下ネタ(←マジでおもんない)が妙にツボったらしく、突然後ろ向いて肩を震わせていたマスターにつられて俺もよく吹いたなあ……いや、高円寺にはまだ、姉妹店のニューバーグがあるぢゃないか!!


行こう、MBBM、行こう
※現在“C”は780円らしい

 そして件のタモリ倶楽部も今月いっぱいで、その40年の歴史にとうとう幕を下ろすらしい……ソラミミストの安斎さんは今や、空耳でメタルを聴き過ぎたせいか、スレイヤーのトム・アラヤと見紛う程である。


 ドグマッ


2023年2月28日火曜日

平成総体(下)



四日目の午後

 よう寝たな、もうすぐ12時か。朝昼夕兼用の、でっかい一食の時間だ。夜はあんぱん一つで良いだろ。

 新高の家から徒歩8分の処に、“成都(せいと)”という彼の行きつけの中華料理屋がある。其(そ)の名が示す通り、四川料理である。定食メニューで一番安い、一番先頭に乗っている(看板メニューの)麻婆豆腐がごつ旨い。壺の様な黒いお椀に入って、真白なレンゲが刺さった状態で出てくる。この見た目が何とも良い。愛嬌があって、且(か)つ挑戦的で、食欲だとかその他諸々の欲までそそる。嗚呼、思い出しただけで腹が鳴る。何かしらの香辛料の数々、山椒の爽やかな辛さ、涼(すず)やかな熱さ。

 厨房には平日は一人、週末は二人くらい、日本語を殆ど話せない現地の人が、中華鍋をせかせかと振るう。ホールには平日は二人、週末は三・四人の、日本語を片言で話す現地の人が、いずれも早口でオーダーを取りに来る。オーダーを受けたら最後には必ず「ライスハ、セルフサービス」、「サラダ・ヤキソバ・トンソク・ザーサイ・スープ・アンニンドーフ、オカワリジユウ」と説明がある。みな明るい性格と見えて、その愉(たの)しげな雰囲気が、一人暮らしの何の刺激もない新高を此処(ここ)に連れて来る。事実、開店直後の成都へ行ってみれば、そんな様な陰気な一人男を幾人か見つけられる。20歳そこそこの女の子も案外来る。

 「ライスハ、セルフサービス」、「サラダ・ヤキソバ・トンソク・ザーサイ・スープ・アンニンドーフ、オカワリジユウ」。全ての定食にバイキングの食べ放題が付いているので、11時の開店から十数分で席の半分以上が埋まってしまう。700円前後で定食のおかず、それに付随して冷奴サラダ(千切りキャベツに薄切りの豆腐を乗せて胡麻ドレッシングを掛けたもの)、中華焼きそば(人参、キャベツ、ニラ、もやし、きくらげと麺を紅油:ホンユーで炒めたもの)、豚足(最近は圧力鍋に入ったままで提供)、ザーサイ(たまに市販の細切れザーサイの日がある)、白米(最近はもっちりめで炊かれている)、かきたま汁(さっぱりと淡白な味)、杏仁豆腐(原材料高騰と経費削減の為か最近はフルーツが入らなくなった──其れを新高は“ストイック杏仁”と呼ぶ)が食べ放題である。新高は何時も此(こ)れらを丼六杯、腹十二分目、はち切れんばかりに喰らう。周りの客は大抵、小皿に色んな種類のものを少しずつ装(よそ)うから、新高の丼六杯は少しやり過ぎだ。しかも彼は別に大食いを自覚していないので、周りの目を大して気にしない(“力士にでもなるの?”、“私まで力士にさせたいの?”と先日、小食の篠歩に言われて初めて気が付いた)。というか別に今だって、そない食べる事を変だとは思っていない。

 会計、其れから帰り道では何時も、汗だくで鼻水まで垂れそうになる。きっと麻婆豆腐の辛さと食べ過ぎによるものであると思われるが、まるで鼻炎アレルギーとか誤嚥(ごえん)でもしたかの様である。家に着く迄の外の空気が気持ち良い。漠然と不安定な幸せを感じている。不穏と幸福が綯(な)い交ぜのあれ。満開の幸せよりもずっと身の丈に合っていると思われて、一筋縄ではゆかないこの感情──ハッピーサッド──こそが、新高には何よりの幸せなのであった。

 帰りにスーパーへ寄り道して78円のあんぱんを買い、冷蔵庫に其れを放り投げた。隣のマンションに日を遮(さえぎ)られ、13時前というのに部屋は以前にも増して暗かった。ツァリンツァリン

五日目の午前

 「昂君って普通よね」
 「え?まあ普通だよ」
 「何で?」
 「何でって……変な事しようとしたり、変な物が好きっていうのが、本当に凡人なんだと思うよ」
 「ふうん」

 篠歩は不服そうな顔をしていた。品定めされていたのだろう、試されていたのだろう、男として、人として。今にして思えば冷静にそう考えられるし、斯(こ)う答えておけば良かったとも思う──

 「普通、如何(どう)でも良い事、そんなのばっか特別な気がして、人が見過ごす物に執着したくなる、すると自分はどんどん他人と違う事に熱中しているのだと興奮して来る、其れが余計、皆からして普通だし、退屈だし、平凡に見えるのかもしれないね」
 「うん、もっと素直に表現したら?」

 新高が、篠歩の表現を不快に思ったのは、つまり表現という行為は篠歩が羨(うらや)むものを変換したものでもあるから、何だそんな詰まらないものを羨んでいたのか、と萎(な)えてしまう為であった(此処で上記“羨むもの”という箇所が誤りで“決してそんなものではない”と彼女に訂正でもされたら、新高は更に萎えるに違いない)。

 そうして我等、分かり合えぬが良い。其れだけを強制する。其処(そこ)の所、同調圧力かける。無意識に重力も掛かる。何時もの自由だ、粋だねえ、持って行けよ。

 蒲団(ふとん)の上で新高は無性に苛立ち、次第に悶々と鬱屈した気持ちは下半身へと集中し、ふと朝勃(あさだ)ち、一昨日の篠歩の身体を思い出しながら、滅茶苦茶に手淫(しゅいん)した。気持ち良かった。その後、体感では3時間くらい、実際は40分ほど気を失った。腑抜けに成った。意識と無意識が混濁とし、実際、考えながら夢を見た様だった……

 「おやすみなさい、昂君」

 「篠歩……いや」

 -平成明朝体-

 「俺はふぉんとに欲情したんだあゝゝゝゝゝ」

五日目の午後

 人の話が入って来ない。誰とも噛み合わない。何時からか?

 中学からぢゃないか、其れより前にも親戚や友達に対しても、其の片鱗はあったやもしれぬが。あれだよ、最低の中学で英語を教えていた浅黒い肥満体の眼鏡、先公の河山。

 あいつは気付くと脈絡のない板書(ばんしょ)をし始める。こっちはノートに書き留めながら、あれ?何時こんな話になったんだっけ?さっきまでSVOCが如何の言うてたのに、此の唐突な設問は何だ?でも皆は平然として受講し続けているから、付いて行けてないのは私だけなんだろう。大事な何か、きっと聞きそびれたのだろう。世界は平然と進み続けるから、戸惑っているのは私一人だけなんだろう。他の奴に一々確認した事はないけど、そんな確認をするのも面倒なこった。

 其れが私の過ちだった。そしてまた、其れが世界の過ちでもあった。そんなとき先公の河山は必ず、腑に落ちない私の顔を見て嬉そうに「新高!」と指差し当ててくる。私は何も答えられず、他の誰かが何か答えない限り、教室の沈黙は延々と続いた。今でも煮え切らぬ事がある度、其れを思い出す。

 とある日の英語の授業では、こんな事もあった──「新高の父さんはM銀行だったな」「M銀行のCMのキャッチコピー、文法的におかしいと思うんだよね」「どうもあそこはおかしい所だよ」「今日帰ったら父さんに言ってみたら、はははは」。河山の饒舌(じょうぜつ)に、何も言い返せなかった。大切な何か、言いそびれたのだ……

 「おやすみなさい、新高君」

 「篠歩……いや」

 -ツァリンツァリン-

 「いや?」
 「以前、神田辺りで勝手に……」
 「レンタカーに同乗した神のツァリンです」
 「だから銀行も信仰も貯金の類いは全て使い果たしたの!コミュニケーションはもっと尊いの!金ぢゃないの!神ぢゃないの!ツァリンぢゃないの!」
 「何の用かね?と言いたいのですね?」
 「てか神って?自ら神を名乗るものなのかね?」
 「もう神ではないのですツァリンです」
 「人か?」
 「人でもありませぬ」
 「ヒト科?」
 「そう、文字だけ換えても……文章でしか伝わりませんよ新高さん」
 「此れは文章だから良いの!」
 「そうですか……わたくし何を隠そう、阿弥陀様、それからお釈迦様より、“平成時代は御前に任せたぞ”と三十数年前に云われましてね」
 「何て?今とんでもなく大切なこと言ったな?」
 「えゝ、前に言いそびれたのです、あのレンタカーの時に、貴方が“コミュニケーション云々(うんぬん)”、“畜生云々”、“云々/\”と取り乱したものですから」
 「失礼致しました」
 「はゝ、此方(こちら)こそ……其れでわたくし平成の三十年間を任された訳なのですが、全ては虚無だったのです」
 「今さら“失われた三十年”とか誰でも思い付く戯言(たわごと)を云う事もないでしょう?可燃ゴミクズ箱に入れますよ?会社も社会も全部いらねえんだ」
 「全く違います……会社も社会も、平成も六界も、私も貴方も、全ては虚無だったのです」
 「其れが言いたかったこと、言いそびれたこと」
 「はい、すっきり致しました……虚無(こむ)はすなはちこれ解脱(げだち)、解脱はすなはちこれ如来(によらい)なり、如来はすなはちこれ虚無なり」
 「あゝ、虚無は乃(すなわ)ち解脱であり、解脱は即ち如来であり、如来は則ち虚無である、と……ばあちゃんも毎日称(とな)えていた」
 「親鸞上人(しょうにん)の」
 「『正信偈(しょうしんげ)』の」
 「『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の第五巻“真仏土文類(しんぶつどもんるい)”、其の『涅槃経(ねはんぎょう)』について書かれている処です……詰まり是(こ)れが真理なのです」
 「虚無ってこと?信じた全ては、捧げた全ては、生きて居た世界も死んだ後の世界も、虚無だってこと?」
 「其の通りで御座居ます」
 「ニーチェと変わんねえぢゃん!神は死んだ!って言われたって頑張ってよ!みんな救ってやってよ!大丈夫大丈夫って、大乗仏教ってよ!」
 「ニーチェさんも此方に居ますよ、ほら」
 「本当だ!どうも」

 ──ニーチェ氏、軽く会釈す、机上(きじょう)に『歎異抄(たんにしょう)』を広げながら、“~はこう語った。”と原稿へ書き付けている様子──

 「で、真理なのですが、新高君、お見せしても宜しいですか?」
 「良いですよ、見せてください、ツァリンさん」
 「わっかりました……平・成・総・体!!」
 「わあ!!目の前に見えるは平成三十年四月一日(日)の大和町中央通り、スナック葵(あおい)!こっから数年で拡張工事されて令和の今は随分と道幅が広くなったんだよなあ、役所は余計な事にしか金使わねえなあ、やっぱ隣のマンション邪魔だよな、此の懐かしいアパート群の景観から浮いてんだよな……って東京都中野区大和町一丁目の我が家の窓から眺める馴染みの風景やないすか、何処(どこ)が真理すか、何時もと何も変わらんすよ!」
 「新高君、是れが真理で御座居ます」
 「いや私はまだ良いけども、ニーチェさんや読者の皆からしたら訳分からんですよ、大和町一丁目が真理です!って、えゝ?」
 「別の言葉が良かったですね、虚無でなし、そう……自然なのです」
 「真理は、自然」
 「そうです、ただありのまま……ただ自然の事につきましては、あれこれと詮索しないで頂きたい……其れはいずれいづれも不自然となり、必ずや計らいや思議(しぎ)となり、貴方は私と共に平成から往生できなくなりますから」
 「……わっかりました、往生際が悪いって事ですね」
 「そういうこと(微笑)……言いそびれた事は云えました、新高君、隣の高層マンションが君の自然を遮ったとて、令和の世界で強く生きてゆかなければなりませぬぞ、平成の事は私と共に忘れるのですよ、絶対に!!」
 「……はい、ツァリンさん」
 「ぢゃ、わたくし何時とは言わん迄も、何時も君が両手を合わせる其の、向かう側に居る、仏壇へと還りますね……平・成・総・体!!」

六日目の午前

 私の怖(おそ)れる一番厭(いや)な奴は、水と油、対極に居る決して混ざり合わない人間だ、と思わされる私なのだ。最も離れた場所に居る、宿命的な繋がりを持った生き別れの、見た目だって似ても似つかない私なのだ。街中で出会(でくわ)す気違い、思わず眉をひそめてしまう下等(かとう)な生き物、何を隠そう何より君なのだ。おぞましい言動で、救いようがないから、いたたまれない気持ちになるけれど、其れは其れが君だからだ、詰まりは私だからだ。汚い声で名を叫ばれて、汚れた手を振りながら追い掛けられて、狭い路地の行き止まりに身を潜めていたら同じルートでそいつがまさかやって来る、何でだよ、何て憎たらしい奴なんだ、私の心の内が読まれてるんぢゃない、思考回路を一緒にしている君なれば、不思議なことぢゃない。ただ身体は別だから死ぬ時だけは別々だ。お前が死ぬと自らの死を予見させられている様で、この上なく不吉な想いをさせられるけど、私ぢゃないから構わない。此処で同情したり運命を感じたら、漫画だ映画だ小説だ、命拾いする処で拾える命も拾えなくなる。話は面白くなるだろうが、面白いと思う私が君もろとも息絶える。面白いのは外野の客だけ、私は作品になんて成りたくない。私は作品を作る側なんだ、あくまでミイラ取りなのだ、追い掛けてきたミイラの仲間入りを恐れる、君の偉大さを理解しているからこそ畏(おそ)れる、他の誰よりも私だ。鉢合わせたら、迷わず殺(あや)める。もう一度言う、迷わず・殺める。己に言い聞かせ、迷わず殺める。二度と来るな、迷わず・殺める。四回言った、不吉は知らない。業は要らない、業が私を要るってだけの話──LIKE A RPG

 もっと自分で考えたくない。よりいっそ他人が考えてくれ。「お前馬鹿ぢゃん」「あんた怠惰だ」って軽蔑してくれ。世界中みんなそうしておくれ。そして我が読者だけは見抜いて居てくれ。自分で考えない事の自虐的、他人で考えられる事の越権的、行い。世界の少数位が丁度良い。本の類い好きな輩は少ない数の方が良い。スノッブ、ジャブ、一発、二発、世間知らず、セコい生き方、世界、破滅しちゃうから。みな本など読まないでおくれ。文学だけは嗜(たしな)まないでおくれ。自分でモノ考えられなくなるぞ!他人の受け売り人間になっちまうぞ!心にも身体にも悪いんだぞ!だから決して読書などしない様に!自虐も越権も本来生き物がやる事ぢゃあないんだ!本の虫など馬鹿にして人は生殖を中心とした出来事だけ重要視しなさい!びっくりマーク六つも使いました──BUT NOT RPG

 誰かが如何にかしてくれるだろうという甘えがある内は、安心して人を傷付ける事が出来た。顔に一生の傷を付ける位の兄弟喧嘩、心に一生の傷を負う程の友達との争い諍(いさか)い。縁など切れる訳ないだろうと思う存分に暴れ回り、実際に幾つかの縁が切れてしまった。或いはまた、縁など簡単に切れると知ってからは慎重になった。親友や親戚や恋人や両親に、無口になったと思われた。若(わか)すぎる青春を経た後の、苦(にが)すぎる青年の時に思われた。恐る怖る人と付き合う様になり、いま殆(ほとん)ど一人となった。要するに如何やっても縁など切れてしまい、結局は独りとなった。時が平等に全てを引き裂いてしまった、慎重で繊細な努力も愛情も尊敬も皆(みんな)全て。二回も四回も六回も、六界も九界も知ってしまった──LIKE A RPG, BUT NOT RPG

六日目の午後

 私は私の性器とか臓器とか脂肪をこんなにも別のものとして感じて居るのに、人は当然そりゃ君のもんだと認識して私に触れたり触れなかったりする。此のどちらが本当に正しく、人を理解して居るのだ?分別して考える方なのか、一体として考える方なのか?

 嫌いだ厭だと決め付けたら最後、好きだ同じだはもう見えぬ、吐き気が一切を見せぬ。理解したくて奴を、君を、言葉でバラバラにしてやるぞ、と本気で真面目にそう思っている。難しい事なのは分かっている。

 真面目は理性と思われがちだが、あれ本能だ。若しくは理性が考えるより理性は、より本能だ。こんな思考の跡を見られて恥ずかしい、新高、冷や汗が出ちまう。お腹が痛い、新高、眠れない。肌も荒れる、貴様、戯(ざ)れる──

 何だお腹が弱いの?お前アトピーなの?本当に物は言い様だ。貴様よりも感じる。何でも腹や肌が感じ取る。感受性豊かに。本当に良い様に言ったな?其れだけの事。だから黙れや、鈍感君。

 (新高はいつも──スマートフォンのアプリの──Twitterを起動してキーボードのフリック入力で得意気に140字ちょうど呟いてハートいわゆる“いいね”を幾つか貰っていた)

【MBBMの日めくりバーニン外伝】終わり、終わらすのだ、消すに似て、でも消さないで消せないで消えないで、だから終わるのだ。始まり、終わりと似ていない方の消すに似て、何も無くて消せなくて、書きたくて描きたくて得たくて、だから始まるのだ。此処に登場してはならぬ円環、循環、鈍感ドグマッ

 (新高はいつか──いやもうすぐか──スマートフォンもTwitterもキーボードもフリック入力も140字も通じなくなる時代がやって来るだろうと幾らか思っていた)

 鈍感さえも渡すかよ、お前なぞに。良いから、退屈だけをやりなよ。似合いの、退屈だけをやりなよ。暇潰しに、人と会うなよ。人でなしに会いなよ、ろくでなしが良いんだろ?

 出来る事なら、“無題”と題する事すら厭なんだ。無を与えたくもないし、論外と扱いたくもない。生殺し、飼い殺し。そりゃあ、形容し難い毎日になっちまいますわな。形容詞がない、毎日に。お願いだから関わらないでくれよ、いま形容しているんだから。

  ばぁあんっびぃっしゃあゝゝゝゝゝ!!!!新高は破裂した。彼は辺り一面に飛び散った:冷奴サラダ(千切りキャベツ、薄切りの豆腐、胡麻ドレッシング)、中華焼きそば(人参、キャベツ、ニラ、もやし、きくらげ、麺、紅油:ホンユー)、豚足、ザーサイ、白米、かきたま汁、ストイック杏仁、此れら丼六杯に、ハッピーサッド……

 否──私は、此の人を知らないが、愛していた気がする

 早稲田通り沿いで、にこにこ笑いながら買い物袋を下げた小肥(こぶと)りのインド男二人、とすれ違う。すかさず篠歩が云った──
 「あ、クシーの人だ」
 「そんな何処ぞのアイドルみたいに」
 「芸能人の誰々だ!みたいな」
 「そうそう、ただ仲良く買い物しているインドのおぢさん二人だから」
 「世間からしたら、誰?っていう」
 二人は笑い合いながら世界一幸せだった、と同時に其れが終わるという事も感じていたから、超ハッピーサッド……

 ※クシー:KHUSHI(東京都中野区大和町一丁目にあったインド・ネパール料理屋)

 否──いや、そうぢゃなくて、確かに愛していた

 ばぁあんっびぃっしゃあゝゝゝゝゝ!!!!新高は破裂した。彼は辺り一面に飛び散った:冷奴サラダ、中華焼きそば、豚足、ザーサイ、白米、かきたま汁、ストイック杏仁、此れら丼六杯に加えて、此方(こちら)もまた何度も篠歩と一緒に食べたアボカドサラダ、カチュンバルサラダ、オニオンパコダ、ナスパコダ、マライティッカ(4P)、マトンビリヤニ、チーズナン、ハニーナン、チョコレートナン(メニューには“チョコレートーナン”と表記)、ダルカレー、サグパニールカレー、マトンカレー、バターチキンカレー、ビンディマサラ、ラッシー、マンゴーラッシー、ホットチャイ(無料サービス)、そしてハッピーサッド……それからスーパーへ寄り道して買った78円のあんぱん。

 三たび、否──貴方の云う事は分からないが、貴方は、私が貴方を愛しているという事を知っている

 今日(こんにち)の日本、一昨日(おととい)の中国、遠い昔のインドの想い出たち……世自在王仏(せじざいおうぶつ)、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)ないし阿弥陀仏、お釈迦様、阿難(あなん)、ナーガールジュナないし龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)、ヴァスバンドゥないし世親菩薩(せしんぼさつ)もとい天親菩薩(てんじんぼさつ)、曇鸞大師(どんらんだいし)、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)、光明寺和尚(こうみょうじかしょう)ないし善導大師(ぜんどうだいし)、恵心僧都(えしんそうず)ないし源信僧都(げんしんそうず)、法然上人(ほうねんしょうにん)ないし源空上人(げんくうしょうにん)……そして親鸞上人。

 全部私だったのかもしれないなんて、一番信じられない事が起きて、それをだから、いま形容しているんだから!!

 コケコッコォヲヽヽヽヽヽ!!!!

 黙ってろよ、黙っていれば平和なんだよ、幸せなんだよ。そう言って、周りが黙って聞いてくれたとして、そう訊(き)いてくれたとて、手前からまた、話し出すのが人間だ。幸せとは、平和であるとは、黙るとは──語り出したくなる独りでに、独り占めの快楽に、独りぼっちの特権に、平静に。其れは、昭和の後の、平成に似ている。喧々諤々(けんけんがくがく)の時代の、余韻が残る、其の後に起こる、あれに似ている……

七日目の午前

彼はそのようにして、神であることから休息したのだ……神はすべてをあまりに美しくつくってしまったのだ……悪魔とは七日目ごとの神の息抜きにすぎない……
-フリードリヒ・ニーチェ

 新高は見た、突然道が拓(ひら)かれるのを、張り裂けた心身に蒙(もう)が啓(ひら)かれるのを。

 “そもそも小説にして、物語にしてはいけないものなど無いだろう、君の生活や、私の人生に傷が付いてしまうから悪業(あくごう)に成るのだろう”

 先公の河山徹二(かわやま てつじ)に、皮下の脂肪が、自ら成すのを、平舘篠歩(たいらだて しのぶ)の性器に、内蔵の臓器が、我を為すのを。

 “そもそも想像して、創造してはいけないものなど無いだろう、こう書いて、あれこれ描いてしまうから犯罪に為るのだろう”

 どんどん書いてやれ、手が止まらない、どんどんやってやれ、手が止まらない、どんどん書いてやれ、手が止まらない、どんどんやってやれ、手が止まらない!!!!


~~~~~~


此の世を踏まぬ赤子の四足
二足になったは何時だった

何時頃ぼくら立っちまった
止めてやれば良かったな

人生やり直しがきかぬから

昔は嫌いだった処
処が今は好きな処

人生のそういう処が好きだから

やり直されてたまるかよ
ずっと死ぬ気でやって来た

もう一回は御免だ
もうお腹が一杯だ

普通が如何(いか)に有難いか
普通が如何に尊いか
普通が如何に普通でないか

そういう意味で私は普通

此の世を踏まぬ年寄りの杖
機械的に二輪を走らす知恵

先祖帰りて生まれ直し
逝かせてやれば良かったな

人生やり直しがきかぬから
循環・輪廻やってられっか


天上界-なぜ野暮な事柄ほど心に引っ掛かるか、此の心から去らぬか、其れ、ちゃんとした別れの言葉を待つ為に、あゝ卒業、卒業式、儀式のこと

人間界-寝不足の顔色の悪さ、此の私を揶揄(やゆ)する奴は決まって、安心しきった人生から目覚める事のない、生涯熟睡しきった、思慮分別もセンスもない、顔色の良い野郎

修羅界-なのに私は其れを欲して求めて憧れて、終(しま)いには的外れの権化(ごんげ)みたくなっちって、誰もが苦笑いして、適当にあしらう

畜生界-勝手に忘れやがって、勝手に大人になりやがって、勝手に死にやがって、そりゃ独りになるに決まってる、誰でも分かる簡単なこと

餓鬼界-私は幻想を愛しすぎる、想い出をさ、皆が欲しいのは身体なのにね、私は偏執狂(へんしつきょう)みたく心ばかり、手に入れたいよ

地獄界-言われたい放題に言われて“良かった……人より成長したが故なのだ”と安堵(あんど)する私は、全く世俗(せぞく)に侵(おか)された、手垢塗(まみ)れの穢(けが)れた魂、まだまだ生きて居たいよなあ


~~~~~~


 “良い形容が浮かんだぞ!
 修行にしては楽しすぎるし
 娯楽にしては苦しすぎる
 それは何だ人生か?

 いいや、平成だ!!”


 高円寺から497.8キロ離れた処の、実家の奥の仏間の、其の仏壇の結構な障子と、両の雨戸をそっと音も無しに閉じたらば、もう阿弥陀様もお釈迦様も、親鸞上人の尊容(そんよう)も、祖母のボロボロになった正信偈も見えなくなって、すると居間の方から「昂、まだ神さん参っとるのか、早よご飯食べに来い、冷めっぞって呼んでやれ」「昂は、遺影(じいちゃん)に挨拶しに行く云うて、仏壇(あっち)行きましたよ」という、祖母と母親の話す声が聞こえた──本当は此のまま現実の、即ち内陣(ないじん)から放たれた外陣(げじん)の、時の令和の世界へ再び帰るのが、人間の理解というものを最も得られると思うのだが、此所(ここ)は物語の話の筋を考慮して、平静に留まろうではないか、不思議な事に、思議を超えた処に、其処(そこ)は想い出の中の、既に存在しないはずの、紛れもない平成に違いなかったのだから──新高は何だか、心から嬉しくなった。言いそびれたことを今度こそ言えるのだ。

 “夢落ちぢゃない、其の真逆をやってやった!!今に見てろよ、貴様ら!!読めっぞ、此れ迄のこと!!もう誰にも普通と云わせんぞ、是れから何年先もずっと!!一陽来復 逍遥自在(いちようらいふく しょうようじーざい)、気韻生動 豁然開朗(きーいんせいどう かつぜんかいろう)、松柏後凋 榑木之地(しょうはくごーちょう ふぼくのちー)……”

 青空にちょうど溢れんばかりの太陽が、或いは正午を常に繰り返すかの様に、甚だ白昼夢の体(てい)であった。時も移ろわぬ古(いにしえ)みたいで、即ち全て取り込まれてしまったみたいで。


 何時か無気力な夜空に見た、月の跡にすっぽり、填(は)まって光、輝いてらあ

 ツァリンツァリン


(完)


2023年2月26日日曜日

冬眠あけて(6:01-32:03)

子供の頃に遊んだ公園
椿の花は大きく咲いて
ごろっと丸ごと地面に落ちた
数え切れぬ程の嬉しさ
私はひとり喜んだ

友達が出来たなら
恋人と一緒なら
どんなに楽しい事かしら


母と娘(こ)の楽しそうに遊ぶ公園
縁のない誰か遠くに座って
ごろっと丸ごと地面に堕ちた
数え切れぬ程の悲しさ
人がひとり哀しんだ

私に出来やしないんだ
誰とも上手くいかなんだ
現(うつつ)より夢の絶望は
絶対的に絶望的だ


働けど働けど借金は減らぬよに
生きれば生きるほど余命は短く
会えば逢うたび今日(こんにち)はないのに
分かって別れて左様なら

犯人が現場を再訪するよに
心持ち常に訳ありの理(ことわり)
想い出の地を巡る事が出来ぬ
断りがないと出来ぬのです

優しさは優れると読めるよに
過去は去る過ちなのであります
もはや後ろめたくもないのです
心持ち常に訳ありの理

理に則(のっと)るのならまた
この理に則る迄であります
私は初めて断るのであります
認めては文、認めるのです


子供の頃に遊んだ公園
椿の花は大きく咲いて
ごろっと丸ごと地面に落ちた
数え切れぬ程の愉しさ
君はひとり楽しんだ

ひとごとだから

神様、私の余白で居てくれて、どうもありがとう。貴方は余白だ。貴方が居てくれたお陰で、私は安心して生き死にをできる。吐くは迷信、真実、実に余白。貴方が居なくなってからのこの数年、私は私の生き死にだけで大変窮屈である。余白ありから余白なし、六界ありより六界なし、思い切り書きたいが描けない。そうして以前の様に貴方を信ずる事はもうないけれど、貴方が居てくれた事の力は心から信ずるよ、神様。

ひとごとだから




2023年1月10日火曜日

“Kid Stardust on the Black-star-twinkle”

「いいか、あんたはもう50に届いてるんだろう。おれは仕事をまわしてやるのは間違いなんじゃないかって心配してるくらいなんだ。あんたらみたいな連中にかかずらって時間をむだにしたくねえんだよ。」
 “おれはそこらのやつらとはモノがちがう。キッド・スターダストだぜ。”
-チャールズ・ブコウスキー

 冒頭の引用は決して、デヴィッド・ボウイとゲイリー・グリッターのやり取りなんかではない(しかしボウイ様に当時のグラムロックブームはこう映っていたのではないか……そして彼はグラムをやめた)。そう知る人ぞ知る、アメリカが誇“らぬ”破滅型の無頼派作家ブコウスキーの短編「精肉工場のキッド・スターダスト(Kid Stardust on the Porterhouse)」からの引用である。後段の“”で括った主人公(ブコウスキー自身)のセリフ、きっとゲイリー・グリッターに当時のグラムロックブームはこう映っていたのではないか……そして彼はグラムをやった。やり続けた。



 手前で“グラム歌謡メタル野郎”と名乗っておきながら、王道ど真ん中のグラムロックを演るのは結構久し振りだ(気を抜くと素の自分に戻ってしまって、ついついシューゲイザーやらオルタナティヴやらに浮気してしまうから)。然れどこうして色々と寄り道するはグラムへと帰る為、還る為であって己がグラムはより強靭と相成る。俺の取り柄はそれだけ。



 本日はデヴィッド・ボウイが黒い星になった日、そんな日にゲイリー・グリッターの“ロックンロール”を貴方様に捧ぐ、なんて神をも恐れぬ罰当たりな行為!?「勘違いしないで欲しいが、グラムロックを演った事など唯の一度だってないよ」と神様仏様ボウイ様に突っ撥ねられそうだ。だってボウイ様がジギー・スターダストを、グラムロックをやめたのは、何を隠そうゲイリー・グリッターやスウィートみたいな(中身のない)連中と一緒にされたくなかったからであろう。でも(大有り)なんだよ、ゲイリー・グリッターにもスウィートにもスレイドにも、マッドにもハローにもケニーにも、パイロットにもスリックにもベイ・シティ・ローラーズにも……ロックンロールのいちばん美味しいところ、アップルパイの中身ばっかりで、アップルのジャムのフィリングばかりでバランス悪いから、馬鹿に頭悪いから僕ら忘れてはならぬ芸術を、アップルパイのパイを忘れちゃったのさ(そういえば以前、「禁断のアップルパイの中身だけ」という明治製菓のスウィーツがあって超絶大好きだったのに、世間じゃ“マズい”と非難の嵐でスーパーやコンビニから瞬く間に消えちまった……ありゃ至極グラムロックだったな☆☆☆☆)。たといボウイ様がご立腹でもボランちゃんは分かってくれるよね?彼に上手く伝えておいてくれるよね(ジョニィへの伝言ぢゃあるまいに)?グラムロックの名の下に全て許して欲しいよ、このギンギラギンな冒涜行為の数々を★★★★



 それと彼はもうひとつ冒涜的な行為を犯してしまった──れっきとしたブレイキン・ザ・ロウ。“ゲイリー・グリッター”でググれば、ウィキペディアの略歴でも海外のニュースサイトでも画像検索でも、否応なしにそれは目に入ってくる。正直それがなかったら、もっと早く、真っ先に、この王道ど真ん中のグラムロッカーのお気にのナンバーをカバーMVしていたはずだ。じゃあ今回カバーMVしたって事はつまり、彼を容認・擁護できるようになったからか?と問われたら何の弁論・弁護もできないが、そんなもの突き詰めれば人間誰しもが罰当たりで、今に何も聴けなくなるだろう。ましてや散々聴きまくってきた俺だ、ここに彼のロックンロールその“パート4”と銘打ってからに(“パート3”は秋間さんのラーマアメーバによるカバーね)、ようやっと日本語でカバーさせて頂いた次第。


「Rock and Roll part 4」
作詞・作曲:ゲイリー・グリッター&マイク・リーンダー

Hey!! Hey!!

Yeah!! Yeah!! Yeah!!

Can you still recall in the Jukebox Hall
When the music played

And the World span round to a brand new sound
In those far off days

In their blue suede shoes
They would scream and shout
As they sang the blues
Let it all hang out

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and roll, rock
Rock and roll
Rock and roll, rock
Rock and roll

Little Queenie bopped at the high school hop
Dancing to the beat

With her U.S. Male and her pony tail
Well, she looked so sweet

Times are changing fast, but we won't forget
Though the age is passed they'll be rockin yet

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and roll, rock
Rock and roll
Rock and roll, rock
Rock and roll

Rock and ro-oll, rock and roll
Rock and ro-oll, rock and roll

Times are changing fast, but we won't forget
Though the age is passed they'll be rockin yet

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and roll!!!!


日本語詞:Nori MBBM

Hey!! Hey!!

Yeah!! Yeah!! Yeah!!

喫茶店に行こう
あのジュークボックスを
ひたすらかけて

あんなんあったな
えゝ音やんな
今は昔

知るかブルー・スウェード・シューズ
履いてスクリーム・アンド・シャウト
ブチかませブルーズ
誰も構わねえ

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and roll, rock
Rock and roll
Rock and roll, rock
Rock and roll

あのマブい娘
多分、地元(ウチ)の子
胸は高鳴り

でも彼氏と消えるポニーテール
見ちゃいられねえ

時代は変わる
オレ変わらず
恋は終わる
コレ終わらねえ

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and roll, rock
Rock and roll
Rock and roll, rock
Rock and roll

Rock and ro-oll, rock and roll
Rock and ro-oll, rock and roll

時代は変わる
オレ変わらず
恋は終わる
コレ終わらねえ

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and ro-o-oll, rock and roll
Rock and ro-o-oll, rock and roll

Rock and roll!!!!



 まあ人によってはもう無理な人になってしまったゲイリー・グリッターであるが、斯く言う俺だってコーネリアスとフリッパーズをまっさらな気持ちで聴けた試しがない。東京五輪・開会式にまつわる一連の騒動の前からあのインタビュー自体は知っていたので、彼の音楽を聴けば必ず脳裏に過るものがあった。しかし俺だって俺の最低を最低なまま生きている、恥じ入り後悔しながら生きている。


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 音楽的な事を全然話せていないが、俺の大好きなグラムロック、それもグラムの中のグラム、王道ど真ん中のグラムロックであれば奇を衒う様な事はしないで、いやグラムなんだから堂々と奇を衒って、いつもの俺、つまり世間では異常な人間、を今回も演るだけ演っただけ。愛用のコルグ製リズムマシーンにプリセットされたグリッタービートにのせて──小節数やフィルのタイミングは手前の気分次第で、ヘビィメタルギタア、鼻にかかる声で“嗚呼”、ビブラートさせながら歌謡、えゝ左様。これが俺らの“ロックンロール”(しかし一番の推し曲はお馬鹿すぎる“リーダー・オブ・ザ・ギャング”、ないし狂ったシンセのディスコティック“ユー・ビロング・トゥ・ミー”)。そして、最後に……


★グラムロック三カ条★

一、異性は勿論、同性からモテないこと
二、親友は無論、同士すら持てないこと
三、これら以外、以上を必ず持てること

グラムロック三カ条、或いはサディスティックミカ嬢に似た

Nori MBBM



 ゲイリー・グリッターやらブライアン・フェリーやらイメージしてギンギラ銀なシルバースーツでキメてみたが、これはあれだ、死ぬほど観ては聴いた2002年の「布袋寅泰 ライブ in 武道館」である(んでもって8th「スコルピオ・ライジング」のジャケ写の布袋さんは、ボランちゃんと同じポーズで、同じ鋤田さんにパシャリ撮られてるんである)。


 さてと次回のカバーMVは、俺も俺なりにブレイキン・ザ・ロウ、メタル野郎そう決めた!!