2026年5月2日土曜日

フウルな詩(十二支詩・午)



僕は近代が身籠(みごも)った、近代の最後の子

僕の生誕の年──西暦1989年──に彼女、息を引き取ってしまったのだから

近代の末っ子は見た、無邪気に燥(はしゃ)ぐポストモダンの子供らを

何の話も言い聞かせぬ、云い聞かせられぬポストモダンの親達を

神話や思想や大いなる何か、大きな物語の一つも知らなんだ

主従の従と思わなんだ、主たる言動が全てだった

結局ルーツを忘れてしまった、覚えていても喪(な)くしてしまった

ソウルな、ソウルフルな、ソウルがフウルな、フウルな詩

FOOLな、馬鹿な、馬か鹿な、いや馬としか云えない様な、COOLな歌


ヒヽィイン(パカラッパカラッパカラッパカラッ)


歌おう無駄を──無駄の無い人間は無駄でしかないと!

歌おう馬鹿を──馬鹿しない人間は馬鹿でしかないと!

歌おうFUCKを──FUCKぢゃない人間はFUCKぢゃないかと!

プログレが最早(もはや)プログレではない様に

ニューウェーヴがもうニューウェーヴでない様に

ポストモダンとは何とその場しのぎの適当で自分勝手な名前だろう

モダン家のポスト君のポスト君もモダン家も

近代も近世も中世も古代も原始もかつてそうだった?

みながみな通った道だという事を忘れたか!


ヒヽィイン(パカラッパカラッパカラッパカラッ)


十二支詩・未に続く


2026年5月1日金曜日

37歳23歳:令和に落ちてきた男

今から11年前──このブログ随筆やバンド活動をやり始める少し前のこと──2015年の正月に、父方の実家で何となしNHK「100分de名著」の新春スペシャル(“日本人論”特集)がやっていたので居間でぼうっと観ていたら、ばあちゃんが後ろから「えらい良いもん観とるで」とニコニコ話し掛けてきた(何故だかよく覚えていないが、居間にはばあちゃんと自分の二人しか居なくて、家の者はみな出払っていた様だった)。その時、テレビ画面に映っていたのは“加賀の三太郎”の一人・鈴木大拙(本名“貞太郎”)で、紹介されていた著作がこの「日本的霊性(1944)」であった。


多くの人が所蔵しているのは、まず間違いなくクラシックな岩波文庫版の方だと思うが、実は“第五篇・金剛経の禅”が(昭和24年に大拙自身の判断で「この話はやっぱ別の機会に」と)削られているとの事だったので、自分は敢えて(昭和21年の第二版を底本とした)角川ソフィア文庫の完全版の方を求めた

 日本的霊性をここに書き綴ります──わたくし大拙七十五歳です──いえ愚禿(ぐとく)憲宏三十七歳でございます。ちょうど執筆当時の大拙の、あたしゃ半分の歳なので、こいつぁ中拙(ちゅうせつ)でも良いですね。而(しこう)して日本的霊性なのですね──決して日本的“精神”ではありませぬ──断じて大和魂でもありません。ましてや人々を右(ないし保守)へ左(ないし革新)へ導こうと躍起(やっき)になるものでもございません、よくある二項対立でも二者択一でもいけません、かといって三者三様とか三者鼎立(さんしゃていりつ)でもないのです。

 そうです、精神(こころ)と物質(もの)が、矛盾ないし相克(そうこく)/相殺(そうさい)を免れぬ時、その二つを包括(ほうかつ)し、二つでなし一つとし、一つでありながら二つとするもの──これが霊性である。(二元論的なる)精神とか物質とは、次元が違うのだ。或いは、霊性を“宗教意識”と言い換えても良いが、宗教という言葉を“迷信”の別名と誤解する人が多い為(これは昭和19年当時も令和8年現在も同じ)、だから“霊性”という言葉を用いるのである。霊性は無論、我ら大和民族に限った話ではなく、(成熟した文化を持った)世界中の民族──漢民族や欧州の諸民族など──にも見られる普遍的なものである。

 それでは、“日本的”霊性とは何か──浄土系思想と禅である。これら日本的霊性の内、情緒的なる展開が浄土系思想であり、知的なる展開が禅である。浄土系と禅は共に、仏教における代表的な思想と云えるものであり、しかしその仏教というのは外来宗教であるからして、それを日本的とするは大いなる誤りではないか?否、仏教の伝来とは主に儀礼的なものに限った話であり、仏教の儀礼的なものと日本的なもの(霊性)とは無関係である!と断言したい。

 まず、浄土系思想は──古代インドで生まれた後(のち)、中国で漢訳された“浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)”を根本経典とする──日本最大の仏教宗派“浄土真宗(じょうどしんしゅう)”として、我が国に広く根付いた。しかし、その様な真宗信仰はインドでも中国でも見られず、“他力(たりき)”とか“横超(おうちょう)”といった真宗の重要概念は日本(法然-親鸞)独自のものであり、これこそがまさに日本的霊性の発顕(はつげん)であった!先に述べた通り“霊性”を“宗教意識”と言い換えても良いが、これこそがまさに日本的宗教意識の発露(はつろ)であり、それがそのまま浄土真宗の発生であった……その開祖である親鸞は、師・法然に留(とど)まらず、聖徳太子まで遡(さかのぼ)り、恐らくは日本的なる霊性を自覚するに至った──西洋的二元論で決して導かれる事のない、莫妄想的/無分別智(まくもうぞうてき/むふんべつち)。

 また、禅は中国で生まれたが、漢民族の生活には定着せず、こちらも大和民族の方に広く浸透した──てか、日本人の生活がそもそも禅的であった!禅のルーツもやはり南方系・インド民族の思想にあり、それが北方系・漢民族によって論理的に実証(ないし発明)され、また南方系の日本的霊性と邂逅(かいこう)したって訳。つまり大和民族は、南方系・インド民族の(論理性でなし)直覚性を禅に見出し、そこに日本的霊性の姿を見(み)、安堵し、満足し、勝手に腑に落ちたのである……鎌倉武士達はただちに禅院(ぜんいん)を訪れ、時(とき)同じくして法然と親鸞もまた日本的霊性に目覚めたのであった。

 平安以前、日本最古の和歌集「万葉集(780頃)」には(天皇から庶民まで)古代日本人の生活ないし精神世界が描かれている。人々と自然との戯(たわむ)れ、産まれながらの人間の情緒そのままに、しかし大した反省や思索もなく、その精神に深いものが見られるとは言い難い。すなわち宗教的な反省や深さが無い。神を歌ったものもあるが、そこに人間以上の神はなく、願い事が叶わぬならこの名も命も捨ててやる(だから神様お願いしますよ!)、と取引するよな自暴自棄な歌も散見される。神の尊厳性が希薄だ。やはりここに宗教は無い。天皇や皇族の死を悼(いた)む挽歌(ばんか)に宗教心の萌芽(ほうが)は見られるが、ただ悲しいと泣いたり嘆いたりするだけで、宗教的な内省を持つものは無い。ここに日本的霊性なるものは皆無である。

 平安時代、この長き400年の間に万葉の思想は洗練・深化された(そして次代の鎌倉にて、遂に宗教的自覚を得る事となる)。繊細で、女性的で、優美で、感傷的なる平安文化……その中心となった京の都(みやこ)には、文芸・美術・宗教・学問があった。「万葉集」が平安以前の古代日本の情緒を表していた様に、「古今和歌集(913頃)」には平安時代の人々の精神がよく現れている──彼等は何かと泣いている、常に袖を涙で濡らしている様だ。或いは「源氏物語(1008頃)」における貴族の恋愛、政治、官能、文学。或いは「枕草子(1001頃)」における上品さ、優雅さ、そう、みやび。しかしそこに宗教的、霊性的な深さは無い。現世肯定的な、現実を受け入れるだけの世界で、宗教は育たない。万葉の原始性に比(ひ)して洗練・深化した、というだけで。仏像も仏教学者も仏教的儀礼もあった。が、本当の意味での仏教をまだ知らなかった。古今集、源氏、枕草子……これら歌集、物語、日記に見られる憂愁、無常、もののあはれは、(漢語文化に対する)日本語・大和言葉で表現されたものとして、我ら固有の独自性を確立したものとして、もちろん特筆すべきものであるが、甘い。まだ、淡い。宗教や霊性というのは天上界のものの様で、その実は大地にある。故に平安人には宗教や霊性が無い。平安人とは──大地を踏まぬ──貴族である。人間は天に対して受動的であらざるを得ぬが、地に対しては能動的に振る舞う事ができる。そして平安人までの日本人は、ただ受動的であった……いや、大地を知らぬ貴族達の歌や物語がそうなのであって、他方、実は都の外の地方においては、大地に親しむ(真に能動的な)ものたちが居た──農民と武士である。歌詠(うたよ)み女の部屋の戸を叩く優男(やさおとこ)より、生命の真実を把握していたのは農民と武士であった。平安人の観念ばかりの政治や思想に取って代わるべきものは、農民と武士の宗教的真実その霊性であった。霊性とは、決して影の薄い化け物なんかではない。霊性は、生命そのものである。霊性は、大地に関係している。平安時代後期、地方においてはその様に、次代を担う勢力が潜在していたのだった。そして、平安文化は大地からの文化に、公卿(くげ)は武家に置き換えられた。

 鎌倉時代、日本人は宗教ないし霊性に目覚めた。平安の400年は無駄ではなかった──この鎌倉がやって来(きた)る為に。まず浄土系思想、浄土宗・真宗の展開。次いで、禅宗の伝来。“日本的”霊性とは何か──浄土系思想と禅である。とは前にも一度書いた。或いは、“蒙古襲来”という海の外からの敵性勢力(モンゴル帝国)に、初めて“我が国”というものを考えなければならなくなったということ──日蓮宗(にちれんしゅう)や伊勢神道(いせしんとう)の発生。万葉の日本精神は謂(い)わば原始的・幼児的であり、平安においてもまだ霊性を見出す迄(まで)の内省・反省は見られなかった訳だが、鎌倉においては遂に国内外からの圧力によって政治的大変動がもたらされ、宗教意識ないし霊性の覚醒を促される事となったのだ。そう、霊性の扉は開いた──浄土教の終極はここ──真宗は庶民のものとなった。鎌倉の精神は大地の精神であり、大地の精神は親鸞の精神であり、親鸞の精神は鎌倉の精神である。であるから鎌倉の世において、親鸞による浄土真宗が花開き、それは大地に親しき庶民のものとなった。そもそも流罪(るざい)となった親鸞の越後(えちご=新潟)での生活は過酷なもので、僧でも俗でもないもの(非僧非俗)で、またこの時から“愚禿親鸞”を名乗るようになったのであるが、その後すぐに京の都へと戻らずに、常陸(ひたち=茨城)を拠点に20年も布教活動を行なったのは、親鸞がここで初めて大地なるもの/日本的霊性なるものに開眼したからである。

 令和時代、鎌倉とは何も遠い昔の話ではなかった。今の時代を見よ──国内外からの圧力による政治的大変動を。この人を見よ──日本的霊性なるものに開眼した男・憲宏を。だから私は親鸞に興味がある。こうして本を読み、親鸞の(日本的霊性ないし仏教者としての)生き方を知ろうとする。ご住職さんより“念仏者”と云われた、父方の祖母に(日常的念仏者もとい仏教者としての)生き様を見ようとする。念仏者とは仏教者である。そして仏教者の使命は、時局に迎合するものであってはならぬ。親鸞の様に、ばあちゃんの様に、私の様に。カルト教団なんかと一緒にされては困るのだ。スピリチュアル宗教とは全く訳が違う。教祖など知らん。インフルエンサーみたいな承認欲求も要らん。われ実践者、念仏者、仏教者である。

 仏教の実践とはつまり、日本文化において最も世界的意義を持つものであり、日本的霊性の自覚それ自体である。大半の人は、仏教をインド由来のもの、外国から輸入されたもの、純粋に日本のものでなし、と考えるやもしれぬが、ならば今日(こんにち)の我々の生活様式一般──衣・食・住のいずれも──は日本のものでなし欧米のものなのか?やはり日本的なるものは平安以前の古代にしかないものか、否、先述(せんじゅつ)した通り平安とか鎌倉にあるのか、否、もっと下(くだ)って江戸か明治か、三たび、否、俺の大好きな文学や音楽が百花繚乱の大正とか昭和か、もし本当に昭和ならば昭和の初期か末期か、いやはや一体全体どこにあるのだ?以上、“日本的”には確固たる概念が無い。実用的に役立つなら最早(もはや)立たせて良く、外国も日本も大した問題ではない。しかし、それが霊性ともなると話は違う。日本的という事を表面的・地域的・時間的にのみ考えてはならぬ。例えば、時間的には仏教が日本に来てから千年以上も経過している。千年は長い様で短く、また短い様で長い。一人の寿命の十倍以上の長さにはなるが、たった十人位の人生の長さでしかない。それだけの時間を掛けて植え付けられ、芽生え、花咲き、実を結んだ仏教である。

 オランダから輸入されたチューリップやヒヤシンスといった草花があって、初めの年はオランダの花を咲かすけれども、2、3年経つと日本の風土に同化し、日本的チューリップ、日本的ヒヤシンスとなるのだ。或いは、日本で盛んに栽培される菊の花が一度(ひとたび)イギリスへと渡れば、それは英国による英国なりの立派な菊となり、更に言えば、菊はもともと中国から日本へとやって来ており、日本に来ては日本的となり、ヨーロッパへ行ってはヨーロッパ的となるのだ。中国の菊だから、日本で咲こうが中国の花、ヨーロッパで咲こうが中国の花、では断じてない。菊は菊として、菊たる所以(ゆえん)を全(まっと)うしており、地域的にのみ菊を見るべきではない。菊の生命の在る処に目を向けるべきだ。これが草花でなし精神・文化の事となると数年、十数年の話ではなく、少なくとも百年、数百年の年月を要するはずだ。仏教が日本に来てから千年以上も経過している──(たとい仏教がインド由来のものであっても)仏教が日本的なものとなるに十分の歳月はとうに過ぎた、と云っても過言ではない。充分な歳月を経て、仏教は日本化し、あまりにも日本的なものとなった。というよりも、もともと日本的霊性なるものがあって、その霊性が仏教的なものと鉢合わせた、と言うべきである。

 そもそも仏教がインドで生まれたのは今から2500年前(紀元前6世紀頃)で、千年ほど発展し続けた後、仏教は彼(か)の地で途絶(とぜつ)してしまった。それから一方は中央アジアを経由し、またもう一方は南アジア(南海方面)を通り、中国へと入ってきた。仏教は、中国の北からと南からと入ってきたのである。しかしながら仏教はインドそのままの姿で、中国に受け入れられた訳ではなかった。中国の人々は仏教に反発した(同様に日本でも仏教が入ってきた当初は、反対する人々が多数居た)。仏教ではお坊さんとなるに出家し、独身生活を貫き、殺生をせぬ、という戒律を守らねばならぬ。しかし実用主義的で、実証性を重んじる中国の人々(漢民族)は、子が無ければ親に孝を尽くし得ない、先祖の伝統を絶つ事になっては不孝この上ない、と考える人が多いので、インド的仏教生活と矛盾・反発してしまったのだ。更に中国では(今日でも依然として)、豚とか羊の丸煮に牛までも加えて“太牢(たいろう)”と称した大騒ぎをやる。この三種(の生け贄)がないと祭祀(さいし)は完全なものとならない。先祖を十分な儀礼によって祀(まつ)らなければ、これまた子孫として不孝この上なく、だから“生き物を殺すな”という仏教が入って来られては困るのだ。それが何故に受け入れられたのか?漢民族は、インド民族の提唱する仏教的思索に反論・抵抗すべきものを持っていなかったのだ。実際、先祖の伝統を絶つ事になっては不孝この上ない、とする点においては仏教に反対するが、思想・理念・哲学・宗教論理においては、中国の人々はインド的なものに反抗・反駁(はんばく)しなかった。すなわち仏教は、インド的なものはインド的として保ちつつ、中国的なものまで取り入れ、中国化したのである。こうして中国仏教というものが生まれたのである──一方では禅宗となり、他方では浄土系の念仏となった。

 日本のアサガオを欧米の何処(どこ)かへ持ち出し、初めの年は日本のアサガオを咲かすものの、2、3年するともう西洋のアサガオとしてしか咲かぬ様に、インドのものを移して来て、中国の地面で作り上げられた仏教、つまり漢民族的霊性から生じた中国仏教があった訳だ。ただし、日本の大和民族の様に生活の真っ只中までそれらが入り込む事はなかったという処に、中国の漢民族の生活に禅や念仏と渾然として一つ流れと成り得ぬものがあったのではないか。また念仏に関するお経はインドから来たが、念仏宗(ねんぶつしゅう)とも云うべきものは中国でないと出来なかった。そうしてその二つが日本へと入り、日本的霊性がそれを日本のものにして、それらは次第に日本的な特徴・特異性を持つ様になったのである。そこんとこ、詳しく見てゆく。

 仏教は何事も無く日本に取り入れられると思われたが、やはりその際にも論争があり、政争があり、宗旨(しゅうし)・宗派の分かれる事となった──華厳(けごん)も天台(てんだい)も三論(さんろん)も唯識(ゆいしき)も倶舎(くしゃ)も入った。今日それら宗旨・宗派は理論として研究されてはいるものの、生活の中には少しも取り入れられていない。奈良時代に繁栄したとも云われるが、いずれも上流階級においてであって、概念的・享楽的に流行したに過ぎない。なかなか日本的なものとならず、日本的霊性はまだ仏教を通して現れるという事はなかった。それが次第に日本に落ち着き、日本的霊性の洗礼を受けた。インドのものでも中国のものでもない“日本仏教”となった。と同時に、日本仏教はあらゆる東洋性をも兼ね備えていた──インドで発生したのでインド性を持ち、それが中央アジアを経由した事でその地方性も加味され、更に中国において一大転換があった為に中国性も十二分にあり、最後、遂に日本へと入って来て日本的霊性化したので、日本仏教は全ての東洋性を内包(ないほう)・包含(ほうがん)していると言って良い。仏教は更に、南アジア方面をも経由してきた為に、北方民族的性格だけでなし南方民族的性格も、インド的直覚力も中国的実証性も、みな同様に具有(ぐゆう)しているという事である。日本的霊性が中枢となり、それらを生かし、活(い)かしているのである。

 インドでは、仏教という宗派は絶(た)えてしまった様だ──伝統的カースト制に反対した仏教は、政治的勢力を失った。しかしそれでも、その精神は他宗派の中に取り入れられた様だ──武力にも権力にも頼らず、無抵抗主義で抵抗したガンジーが如き大人物(だいじんぶつ)は、この精神に生きていた一人であった。また、仏教がインドで今日まで流行らなかった主たる原因は、余りに抽象的に概念化し、生活そのもの、大地に根差した生活と乖離してしまったが為である。山を山と、水を水と見るのが具体的な見方で、水を冷(れい)と、湯を暖(だん)と感ずるのが具体的な感じ方で、これは大地を離れぬ見方・感じ方であるが、有が無で、無が有であるとか、心が、意(い)が、識(しき)がどうのこうの云うのは全て抽象的で、中論(ちゅうろん)も識論もみな概念的で、大地を離れているのだ。元来が行為であり、生活である処の思想が、大地との繋がりを断ち、ふわふわと風船が如くなれば、人間に対しての迫力を失ってしまう。そんなインド仏教が、漢民族の実証性、実技第一主義の中で再生されたのだ。

 中国は、四書五経(ししょごきょう)の国である。中国には「ヴェーダ(バラモン教の根本聖典)」も「ウパニシャッド(古代インドの奥義・哲学書)」も「華厳経(大乗仏教を代表する仏典の一つ)」も「マハーバーラタ(「ラーマーヤナ」と並ぶインド二大叙事詩)」も無い。インド民族の自由な想像力と奔放な思索とは、中国の実技第一主義によって初めて何か役に立つものとなる。仏教も現世利益(げんぜりやく)でなければならぬ。インドの空想と中国の実証が融合し、日本へ来て日本で育(はぐく)まれたのであるから、謂わば我々は全てご馳走の旨い処をみな吸い上げたのである──それが一方では禅となり、もう一方では浄土系思想として現れて念仏として受け入れられたのだ。

 それまで長い間、外国との交通が途絶していたのが鎌倉時代になってまた始められた、という事実も、日本(的霊性)史において見逃すべきではない。入宋(にっそう)の僧侶達が新しき大陸の空気を吸って、再び日本へと帰ってくる。沈黙を守るしかなかった庶民階級の思想と感情が、武家文化(大地の精神)を通じて聞かれる様になる。武家階級は禅道に入り、庶民階級は浄土思想を創(つく)り上げた。武家文化は更に公卿文化を統合・包摂(ほうせつ)し、禅の精神を日本人の生活および芸術に深く浸透させた。浄土系思想の方は日本的霊性の顕現(けんげん)として、大地に親しむ多くの人々(主に庶民)の中に結実した。

 繰り返しになるが、平安時代は女性文化の時代であり、公卿文化の時代であった──先(さき)の奈良時代における雄大豪壮(ゆうだいごうそう)なるに対し、平安時代は繊細優美(せんさいゆうび)であった。紫式部、和泉式部、清少納言といった女性達が居た事は、日本の誇りではある。佶屈聱牙(きっくつごうが)たる漢文字に対し、“女もじ”を考え出し、それを自由自在に駆使し、柔(やわ)く細(こま)やかな感情を表現した平安の女性は偉かった。そして男(紀貫之)もまた、「をとこ(男)もすなる日記といふものを、をむな(女)もしてみむとてするなり」と(女のふりをして)女文字を使い、初めて日記を書いた──何とも"粋"な男のバーニン日記 –Nori MBBM no Blog–が如し(蛇足、失敬!)。自然に対する優しい心持ち、刻一刻と移り変わる時節について、きめ細やかに触れゆく神経……これぞ日本女性ないし女文字の表現である。

 こうした仮名(かな)文字の発展・発達が、どれほど日本思想の独自性に寄与(きよ)したか。漢文字と漢文学とに支配されている限り、日本思想に自在たる立場は無かったろう。江戸時代に国学(こくがく)が盛んとなり、自らの主張を持つ様になったのも、仮名文学に負う処が大いにある。屈伸(くっしん)に自由が無く、連結も緊密でない漢(文)字においては、思想の表現も自らそれに制せられるからだ。仮名文学が無かったら、明治維新の大業(たいぎょう)も成し得なかったろう。海外の文学・思想・技術などは、仮名文字の屈伸性・弾力性・連結性などによって、国民の精神へ自由に取り入れられたのだ。平安女性の創造の天才に今一度、感謝せねばならぬ。日本文学が男の手だけに委(ゆだ)ねられていたら、日本文化は漢文学の圧倒的勢力から容易に脱する事は出来なかったに違いない。漢字・漢文・漢文学には独自の腕力があり、それ自体おもむきがあり、こちらも中々捨て難いのではあるが、日本は中国でないから、であるから決して中国の延長であってはならないのだ。従って“大和魂は日本女性によって発揚(はつよう)せられた!”と言わなくてはならぬ。

 しかしその長所が、そのまま短所その欠陥ともなる。和(やわ)らぎは良いが、骨がなくてはならぬ。柔らか味(み)は良いが、女々しさばかりは歓迎できぬ。時に泣くのも良いものではあるが、いつまでも涙ぐましいでは埒(らち)が明かぬ。大和民族の感情的なる性格は、日本女性によって代表されるものとなったが、実際の生活は感情だけでは立ち行かない。理智も霊性も必要不可欠である。平安時代においては、その機がまだ熟していなかった。感覚から感情、感情から霊性という順に、次第に深まり行くには、幾らかの年月と政治的・社会的な試練を通過しなければならなかった。女性文化は温室の、箱庭(はこにわ)で出来るものだ。平安時代とは箱庭に生きた時代であった。風に当たらず、雨にも濡れず、平穏無事に育つ苗(なえ)はかよわい。丈夫な大木は、暴風雨に曝され、吹き飛ばされそうになっても、深く大地に根を張らねばならぬ。強靭な根幹(こんかん)は、もののあはれの世界で成長せぬ。もののあはれは今一度、試練を乗り越えねばならぬ。霊性へと行く前に、感覚や感情など感性の世界が再検討されねばならぬ。今まで直覚した世界は、まだ徹底したものでなかった、と思い至らねばならぬ。そう思い至ったが、鎌倉時代であった。大和民族の宗教意識が、自己肯定をやってのけたのだ。

 奈良時代、或いはそれ以前より、法隆寺や東大寺といった仏教建築があって、大仏も既にあった訳だが、それらは日本的霊性の顕現にはおよばなかった。平安初期の仏教的な盛り上がりも、概念的かつ抽象的で、有閑者(ゆうかんしゃ)の遊戯的なものに過ぎなかった。日本的霊性の真剣な発揚が無かったのだ。自分自身の力を自覚するには一度、崩壊を経験せねばならぬ。対外的な何かにぶつからなくてはならぬ。鎌倉時代はその機会と条件を与えた。平安末期の政治的・経済的不安、国難到来の予兆、人心の乱れ──永承7(1052)年から末法の世に入る、と信じられた“末法思想”──によって、皆もののあはれを鑑賞するだけでは居られなくなったのだ。その時、国民は霊性の上に深き振動を感じ始めたに違いない。

 やはり“元寇(げんこう)”という歴史的大事変は、我が国の上下を通じ、国民生活の各方面に渡って、並々ならぬ動揺を生じさせたはずである。こと精神的な面において言えば、国民の多くが“我が国”という事について、深く考えさせられたであろう。神道家が“神道-我が国の神の道”というものを意識し始めたのも、鎌倉時代である。それ迄にも考えられなかった訳ではないが、“外国”という事を意識した上でのものではなかった。親鸞上人が我が国の教主(きょうしゅ)として聖徳太子を認めだしたのも、漢由来の仏教という事に満足しなかったからである。日蓮上人はもっと鮮明にこの点──我が国の何たるか──を意識していた事だろう。日本的霊性は、鎌倉時代にその中心を据(す)えるべきなのだ。

 令和八年、霊性は現世に対する深い反省から始まる。この反省は、因果の世界から離脱し、永劫回帰の願いに進む。業(ごう)の重圧から遁(のが)れたい、という願いが昂(たか)まる。これが自力で無理だ、となると因果の束縛/呪縛(じゅばく)から離してくれる絶対者/大悲者(だいひさ)を求める事となる。業の重圧を感じられぬなら、霊性には触れられぬ。これが仮に病的な考えだったとしても、その病(やまい)というのに一度取り憑かれ、それから再生を経ない限りは、宗教/霊性の話などみな解せぬ。病的と思う人は、一度もその経験が無かっただけだ。

 平安までの“もののあはれ”は、まだ感情の世界をうろつくばかりで、霊性の動きが認められない。自己を尽くしていない。病気に罹(かか)っていない。自己否定の経験が無い。病気とは、この経験である。世間一般で云う“病気”は、肉体の否定である。この否定によって、肉体の実在とやらに遭(あ)う。ここに人間と動物の差を見る。宗教意識はここで初めて息をし始める。業の重さはここまで来ないと感ぜられぬ。原始的な生活を送っている限りは無理。神ながら──随神/惟神──の世界は一度、反省せられなければならぬ。この反省/病気/否定/経験を通過した後の生活は、原始の範疇(はんちゅう)に無い。ここで感ずる“もののあはれ”は、平安歌人(かじん)のものより徹底している。“物自体(カント!)”に触れている。平安歌人は“時の人これを見ること夢の如くに相似(あいに)たり”の境涯(きょうがい)で、分かっている様で未だ分かって居ないのである。かつて平成時代の──死を、すなわち生を知らなかった──わたくし憲宏である。

 感情や感覚、それに思慮分別など、元来が霊性の働きに根差しているのだが、霊性それ自体に突き当たらぬ限り、根無し草の様に──今日は此岸(しがん)、明日は彼岸(ひがん)、と──浮浪(ふろう)的生涯の外に出てゆく事が出来ない。これでは個人の生活である。個人の根底にある超人(ニーチェ!)にまだ出逢えていない。普通、人は個人の世界しか見ない。全体主義とか虚無主義とか何とか主義とか云った処で、なお個人を離れていない。その束縛を受けている。超人は、個人の世界には居ない。その“人”と云っても、個人の上に動く人ではない。森羅万象を払い除(の)けて、そこに残る人でもない──そんなのは、まだまだ個人だ。超人は、個人と縁が無い人でなし、大いに個人と縁がある人だ。全く離れられぬ縁がある。個人を離れて存在し得ない。しかし、個人は超人ではない。やはり、超人は不思議である。思議(しぎ)を超えている。“一無位(いちむい)の真人(しんにん)”である──何ものにも囚(とら)われない真の主体である。“万象之中独露身(ばんしょうしちゅうどくろしん)”である──森羅万象の中で唯一絶対なる身である。この人が感ずる“もののあはれ”こそ、日本的霊性である。

 超人が、本当の個人である──「歎異抄(1288)」における“弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよく/\案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり”の“親鸞一人”である──「百条法話随聞記(1944)」における“この界にわろき者はわれ一人、地獄へ行くもわれ一人、浄土へまいるもわれ一人、一切みな一人一人と覚へにける”の“一人”である──いつか霊性に憑かれ著(しる)した己が処女作「六界記紀(2022)」の“憲宏一人”である──真宗信者はこれら“一人”を徹底する事で、日本的霊性を会得(えとく)する。

 真宗的ないし浄土系的な日本的霊性と、禅的な日本的霊性と、両者の間には相異(そうい/あいこと)なる点が認められる。つまり前者は個人の方に超人を見、後者は超人の方に個人を見る。それで臨済(りんざい)は“一無位の真人”と云う──そこには知性的な響きが聞こえる。真宗では“親鸞一人”ないし“われ一人”と云う──ここには個人の姿が現れている。しかし、禅の場合でも“一棒一喝(いちぼういっかつ)”の上に個人を現出させている。で、真宗の方では“南無阿弥陀仏のみぞ”とも云う。禅宗は知性的に進展してゆき、真宗は情緒的に展開してゆく。知性においては概念性が加わり、情緒においては具象(ぐしょう)の一々に取りすがる。禅宗においては浄土往生の念仏は分かっても、真宗のわれ一人の為の本願は解らぬ。が、こうした相違に囚われないで、“日本的霊性とは、超人であり、個人である”という処に自覚がありさえすれば良い。

 超人が個人一人一人であり、かつまた個人一人一人が超人にほかならぬ、という自覚は、日本的霊性でのみ経験せられた。インドで生まれた浄土系思想は、中国に来てそれそのものの基礎概念となったが、千年の月日を経ても真宗的浄土思想とはならなかった。漢民族の心理には“超人即個人、個人即超人”を攫(つか)むものが出現しなかった。一人一人の往生という事は意識せられなかった。真言系の思想には、“法身説法(ほっしんせっぽう)”の説、“即身即仏(そくしんそくぶつ)”の説などがあって、よほど真宗的浄土思想に近いが、情緒的には把握されていなかった──個人の超人的経験が。経験とは個人の上でのみ有り得る事象だから、超人的な意味は成さないと考えられる。しかし、この経験はまた個人の限られた意識の上だけでは生(しょう)じ得ないので、どうしても超人的な視点で見ないと解せないのだ。これを“信(しん)”と云って、普通の“知(ち)”、または“解(かい)”、或いは自“覚(かく)”などとは、はっきりと区別されたい。他の宗教では“神の天啓”とか云って、これら人間理性の限りでなく、ただそのままに受け入れるべしであると──宗教意識の受動性はここに在る。しかし日本的霊性には情緒的なものが多分にあり、霊性とは情緒を辿(たど)るものなのだ。

 日本的霊性は、個人の情緒的な面で発動す。中国の浄土系思想が日本で育まれると、その面で進化/深化していった。法然上人が浄土一宗(じょうどいっしゅう)を創(はじ)め、親鸞上人がその中に含まれていたものを意識的に抽出した。親鸞上人が中国でなし日本に現れた、という事に意味がある。法然上人に続いて現れた、という事にも意味がある。法然と親鸞とを一人(格)と見るのが、妥当である。親鸞の背後には、中国における浄土系の千年がなくて、日本的霊性の千年があった、という事に意味がある。それが鎌倉時代であった、という事に意味がある。

 日本における親鸞の出現が、中国における賢首大師(けんじゅだいし)や智者大師(ちしゃだいし)の様であったら、親鸞の教説は華厳や天台と同様に長続きしなかったであろう。賢首も智者も東洋の偉大な宗教思想家ではあるが、彼等には全くインド的なものが抜け切らなかった。彼等の思想は、漢民族の精神そのものからの土着的発生ではなかった。しかるに親鸞の“一人一人”的経験は、大和民族の精神的生活、すなわち霊性自体からのものであった為、日本人の心理に深く働きかけたのである。そしてまた、未だ働きかけている──少なくとも、わたくし憲宏一人に。

 法然-親鸞の霊性的経験は、大地から獲得せられたもので、それは鎌倉時代に初めて可能なものとなった。それまでの日本的霊性は、十分に大地との連関を持っていなかった。充分に具体性を持っていなかった。個人が超人との接触・融合によって、自らの存在に目覚めていなかった。それが親鸞で可能なものとなった。親鸞はまた幾らか公卿文化の産物ではあったものの、彼の個としての存在は越後での生活で目覚めた。京都で法然上人によって洗礼を受けたのであるが、それはまだ超人というものに触れていなかった。京の文化が到(いた)り及(およ)ばなかった処に定住した時、それは初めて動き出した。具体的事実としての大地の上に、大地と共に生きている越後の人々と暮らし、彼等の大地的霊性に触れた時、個人を通して超人というものを経験した。親鸞はどうしても、京都では成熟できなかった──京都に仏教はあったが、日本的霊性の経験はなかったが為。

 親鸞の本領は「教行信証(1224)」でなし、その「消息集(1689)」、その和讃、その「歎異抄」にあるのだ。真宗の学者は「教行信証」を無上の聖典と見るが、実は親鸞の真骨頂は何となしに吐露した言葉の中にある。「教行信証」が無上の聖典であるのはごもっともなのだが、そこには公卿文化、学者気質の残滓(ざんし)がある。それだけで親鸞を判断しようと云うのなら、霊性的な自覚が足りぬと言わざるを得ぬ。「歎異抄」の第二条に“各々(おのおの)十余箇国(じゅうよかこく)の境(さかい)を越えて身命(しんみょう/しんめい)を顧(かえり)みずして尋ね来たらし玉ふ”とあるが、仮に親鸞を尋ねて来た彼等を常陸地方からはるばる上京して来た田舎の人々と考えてみると、親鸞と彼等との関係が概念的・言語的・形而上学的なものでない事が分かる──彼等の繋がりは大地的だった。“南都北嶺(なんとほくれい)の学生たち”の間では見られなかったものが、ここには在るのだ。親鸞の根拠は、大地にある。大地とは“田舎”の意、“百姓・農夫”の意、“知恵・分別と対照する”の意、“起きるも仆(たお)れるも此処(ここ)においてする”の意である。親鸞は越後に流され、一個の俗人として在家(ざいけ)的生活を送った。天台や真言のお寺に居た訳ではない。いち小庵(しょうあん)というものも持っていなかった。農業に従事するほかなかった。乞食坊主として百姓の間に生息したものでもなかった。法然によって得た信心(しんじん)を実際、生活の中に錬磨(れんま)しようと考えた。比叡山に居た時の様に、その信仰を文字の上に検討しようとはしなかった。彼は既に“南都北嶺の学生たち”の一人ではなかった。念仏で往生する事の他には何ものをも持たなかった。この日常生活──俗人的・在家的・肉食妻帯(にくしょくさいたい)的生活──鋤/鍬(すき/くわ)と大地との交渉において味わわれる生活──を踏みしめて居た。また親鸞は商人に成り得なかった。猟師にも漁師にも成り得なかった。工芸的・職人的な生涯も有り得なかった。江戸時代の牢人/浪人の様に手習(てならい)/習字、読書などを村のものに教える事もなかった──当時の田舎にそんな要求は有り得なかった。それから地方の権力筋と結託する事もなかった。武士階級とも深い関係になかった。どうしても一個の百姓男として、他の百姓の間に伍(ご)して、静かに念仏の生活を生き抜かんとした。関東から京都へ尋ねて来た人々は、決して権力筋でも知識人でもなかった。親鸞は無名のいち愚禿として、在家的生活の第一歩を越後の田舎の大地に踏み出した……そしてそのまま、この歩みを関東へと続けたのであった。

 大地の生活とは、真実の生活、信仰の生活、偽りを入れぬ生活、念仏そのものの生活である。流謫(るたく)の身となった親鸞は、自らの信心に大地生活の実地試験、試練を与えたのだった。彼は“念仏のみぞまことなりけり”と云って、朝から晩まで空(から)念仏のみを繰り返した訳ではなかった。それは実(じつ)念仏であり、すなわち大地に接触した念仏であった。鈴木正三(しょうさん)の「驢鞍橋(1660)」における“然間(しかるあいだ)農業を以て業障(ごっしょう/ごうしょう)を尽くすべしと、大願力(たいがんりき)を起し、一鍬/\(ひとくわひとくわ)に南無阿弥陀仏/\と耕作(こうさく)せば必ず仏果(ぶっか)に至るべし。云云(うんぬん)。”である。幾千鍬を重ねる事で業障を尽くし得るでなし、南無阿弥陀仏の一鍬毎(ごと)に幾百千劫(せんごう)の業障が消えてゆくのである。鍬の数、念仏の数で、業障をどうしよう、こうしようというでなし、振り上げる一鍬、振り下ろす一鍬が、もう絶対である。弥陀の本願そのものに通じて行く、いや、本願そのものである。本願の静かな、ささやかなる声は、鍬の一振りの上下に聞こえる。正三は禅宗のものであったが、彼の無意識は深く、親鸞の浄土真宗と相通ずる処がある。親鸞の念仏とは、大地から出て、大地へと還り行くもの、であるが故に。それまでの清浄なる概念性だけの、何ら実証的なものを含まぬ生活を振り捨てたのである──「教行信証」を生涯に渡って加筆・修正し続けたのは、青年期の煩悩がたびたび再発したに過ぎない──いや、加筆・修正その事こそが、鍬の一振りの上下、本願の静かな、ささやかなる声だったか──Are you burning?己が日毎(ひごと)のドグマ、言語体系が鍛錬(たんれん)の為の日めくりバーニン、弥陀の本願そのものであるが如し!ドグマッ

 弥陀の本願ないし超人とは、個人の霊性を通して自己肯定を行(ぎょう)ずるものである──「歎異抄」における“ひとえに親鸞一人がためなりけり”の体験である。「百条法話随聞記」における“地獄へ行くもわれ一人、浄土へまいるもわれ一人”の宗教的意識である──「六界記紀」における“憲宏一人”の(宗教的意識)体験である。「涅槃経」その三五に基づく“皮膚(ひふ)脱落してただ一真実のみあり”という薬山惟儼(やくさんいげん)云う処の一真実がそのまま一人なのである──「平成総体(2023)」にて“ばぁあんっびぃっしゃあゝ”と破裂した新高昂(にいたかのぼる)の肉体なき後に平成そのもの/それ自体・物自体/平成総体となった一人がこのまま一真実なのである。アンダスタン?日本的霊性において、ここ結構重要だから!ドグマッ

 一人の具体性とは、一人の実在性である。みやびをとこは平安において、もののあはれを感じた。親鸞上人は鎌倉において、念仏のまことを見た。前者は感性的に、花鳥風月において。後者は霊性的に、大地の上において。もののあはれは、念仏のまことに進化/深化した。花鳥風月には四季の移り変わりがあり、(その移り変わりが)もののあはれの心理に呼応するのであるが、そこに大地の鈍重性・不変性・無頓着性は皆無である。そして今一度──一人の具体性とは、一人の実在性である。これは人間が大地へ還る時、初めて会得せられる。念仏のまこと──親鸞一人──日本的霊性──超人──は、大地の真実性・絶対性・具体性・究極性と呼応する処の直覚である。京都文化・公卿文化・女性文化を離れ、鎌倉文化・大地文化・男性文化の中に認められる直覚である。「念仏はまことに浄土に生(うまる)るたねにて侍(はん)べるらん、また地獄におつる業にてや侍べるらん、総じてもて存知(ぞんち)せざるなり」と。「詮(せん)ずるところ、愚身(ぐしん)が信心におきては、かくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じ奉(たてまつ)らんとも、また捨てんとも、面々(めんめん)の御計(おはから)ひなり」と。親鸞のこの言(げん)に──涙ばかり流している平安歌人の夢想だにしなかった──鎌倉武士気質(かたぎ)の一面が覗(うかが)われる。“莫妄想!”、“驀直向前(まくじきこうぜん)!”と相通ずる処がある。真宗信仰には、何か禅的なものがある。そしてそこに、日本的霊性の特殊性を見出し得る。真宗的表現には、まどろっこしい処がなくもない(嗚呼まさに、こんなややこしい言い回しみたく!)。禅宗ならそんな長ったらしくしないで、“覿面底(てきめんてい)!”と喝破(かっぱ)するのみだろう。一方で、真宗は時間を直線的に見んとする傾向があり、他方で、禅宗は時間の円環性を固持(こじ)せんとする。而して、直線可(か)なり円環可なり、である──親鸞も往還二相(おうげんにそう)の廻向(えこう)を教えるではないか?従って“まこと”とは、霊性の世界もとい一人の世界においてのみ、見出されるのである!ドグマッ

 日本的霊性なるものは、具体的かつ現実的かつ個人的かつ“われ一人”的である。かように、日本的宗教意識の原理が確立するには、中国を経由したインド的なるものによって、概念的な準備がなされなければならなかった。また、伝教大師(でんぎょうだいし=最澄)や弘法大師(こうぼうだいし=空海)など、諸高僧および諸学僧の多数が必要だった。殊(こと)に、平安末期における源信僧都(げんしんそうず)の学と徳と芸術とが必要だった。彼の名高き「往生要集(985)」は、どのくらい当時の民衆を動かしたのかは分からぬ(南都北嶺の学生たちの間で、話題となっただけやもしれぬ)。しかし、彼の芸術は視覚に訴えるものがあり、これに触れたものは、異常な興奮と感動を覚えたに違いない。また、彼の芸術は彫刻をはじめ、絵画(絵巻物)として伝写(でんしゃ)せられるなど、多くの模倣者を生み出した。“地獄変”なるものは、平安末期から鎌倉時代に入って、随分と描かれている様だ。漢文の書物が分からなくとも、また高僧の道徳に接しないでも、紙片(しへん/かみきれ)に描かれたものは、誰の目にも入り、彼の心をも動かすのだ。

 源信に次いでは、法然である。この二人がなかったら、親鸞もなかった。法然は源信より時代が下がっているので、割と近寄りやすい。源信はまだ聖者の風(ふう)であるが、法然の方はよほど親しみやすい。「一枚起請文(1212)」として知られる彼の遺言は、親鸞より一歩手前の大地性を帯びている。親鸞ほどに徹底してはいないが、そこには日本的霊性の直覚がある──法然と親鸞とは二つの人格でなし一人(格)である──法然は親鸞において生まれ変わって出たのだ──日本的霊性はまず法然に目覚めて親鸞へと引き継がれた。法然は晩年(75歳)に田舎へと流され、一文不知(いちもんふち)の愚鈍(ぐどん)なる人々に多く接し、彼等が何ら知的な振る舞いをせず、尼入道(あまにゅうどう)の無知そのままに、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」と繰り返すのを見、その純真さに心打たれた。彼が流罪となった際に“遠隔のものの教化(きょうか)が出来る”と喜んだのは、彼が他者に働きかけるだけでなし、彼自身もまた他者より学ぶべき処あるを予知したからであろう。彼は既に老齢であった為に、親鸞の様に生きた教えを弟子達へ充分に伝え得なかったが、彼あったが為に親鸞の体験も可能であったとすれば、霊性は個人に生き、しかもその個人を通じ、また超(個)人の一人であったという事が、皆はっきりと理解できるだろう。そんな日本的霊性の囁(ささや)きは、一文不知の尼入道の心にまで響き渡らなければ、嘘である。いや、一文不知であるからこそ、それが聞き入られるはずである。法然の“南無阿弥陀仏”は、地方の人々にとって福音(ふくいん)であったに違いない。法然は何ら概念的な文句を並べなかった。ただ仏の悲願と念仏とを教えるに過ぎなかった。そして地方の一文不知の愚鈍なる人々は、ただちにこれを取り入れた。日本的霊性は、かように現実的な純粋性の中から生まれ出る。この現実さと純粋さとは、ただ大地を離れていないものである。

 憲宏かばあちゃんか大拙か親鸞か釈迦か、もう訳分かんなくなった。無分別智?自他一如(じたいちにょ)!さながら日本的霊性、そんな感じでさあ。釈迦は80歳、親鸞は90歳、大拙は95歳、ばあちゃんは100歳、憲宏は何歳まで生きられるのかね?未だ37歳、何とも厳しく険しい道だべ!日本的霊性って奴はよ。


~~~~~~


 以上、「日本的霊性」のカバーでした。要は“弾いてみた”、“歌ってみた”です。俺の考えというより、大拙の考えだ。しかし大拙の考えの節々に、あの日あの頃の俺が顕現す……如法(にょほう)に。やはり大拙の考えではない──これは我が精神より自生(じせい)している。「日本的霊性」を己が心身にぶち込み、出力されたはこの文章。AIなんかクソ喰らえ、I(アイ)あるのみのこの言葉。「日本的霊性」はそこかしこに漂(ただよ)うていて、我ただ吸い込んだり吐き出したりしただけの事なり。の理(ことわり)。愚禿憲宏拝。


 本日は拙者の誕生日だったので、以前より準備していた詩の長編をどどんとアップするつもりでしたが(それは来月の中頃に発表する予定)、ばあちゃんのこともあったので急遽、ばあちゃんに想いを馳せながら粛々と、ばあちゃんが“えらい良いもん”と云っていたことについて、つらつらと書き連ねてみました。「えらい良いこと書いとるで」と云って貰えたら嬉しいのですが、令和の今の世にゃ時代錯誤でしょうか……令和に落ちてきた男、もう時代遅れでしょうか?高円寺に落ちてきた男、もう時代遅れでしょうが!遅すぎて速すぎる様に見えた金星の妖精?速すぎて遅すぎる様に見える日本的霊性!僕?近代の末っ子!あなかしこ、あなかしこ。


2026年4月28日火曜日

祖母を恋ふる記

今に至りて、たれか百年の形体(ぎやうたい)を保つべきや。
-蓮如上人

 即ち、一生過ぎ易し。しかし、幻の如くなる一期(いちご)を実に、人生百年・夢のまた夢を現(げん/うつつ)に、そう実現した/現実にしたは、ばあちゃん!とは四十九日法要のご住職さんの言葉を受けて、この胸を/脳裏を駆け巡ったこと也(なり)。人生は儚きものだろう、が永遠でもあるだろう。ニーチェの永劫回帰──過去と未来とは物理的に存在しない人間の創造した想像(イメージ)の世界、モノとしての地球や宇宙は科学的に常に唯(ただ)一つでだから別の時空間へ行こうとするタイムマシーンとかタイムテレポートなど有り得ない、(原罪というよりも)現在に永遠に閉じ込められたニヒリスティックで絶望的な人間生涯、しかし今に永劫に帰ってくるだけの虚無とはまた同時に希望の世界だ手前(てめえ)次第、だって“Gott ist tot(神は死んだ)!”……キリスト教的世界観である処の過去-現在-未来という一方向の一直線上の物語など無い──を持ち出す迄もなく、ばあちゃんが身を以(もっ)て教えてくれた。つまり一生は儚き一瞬にして、一瞬とは果てなき一生でもあると──アンフィニッシュド・バラッズ!──それは例えば、僕のばあちゃんへの愛の詩(うた)。これは一瞬の内の一生の、一生の内の一瞬の歌。



悼辞「ばあちゃん、ありがとう」

2026/4/28(Tue) Nori MBBM

実家から、ばあちゃん危篤の報を受けた
夜勤の休憩中にそれに気付いた
平静を装って、簡潔に返事をした

夜勤が終わり携帯を見ると
状態が良くない旨の連絡が来ており
またそれに返事をした
何かみな上の空だ

2時間半ほど眠ったようだった
ライヴハウスのバーカンで働いている夢だった
ドリンクが何故か百倍位の値段で、一杯5万もした
“高過ぎるな”と思いつつ来る客に酒を作る
客も不服そうな顔で一杯に見合わぬ大金を出す
お釣りを数えていると客が睨んでくる
お札と小銭を数えて客に渡すと
めちゃくちゃ不満そうな顔でそれを受け取り
開演前の客入れBGMが流れる暗いフロアに消えてった
(あっぶねえ、何とか会計乗り切った)と思う俺の前に
また別の客がドリンクを注文しにやって来る
こちらを不審がる、怪訝な顔をしている

目が覚めて情けなくなる
それはすぐに夢と分かったし
これがすぐに現実と分かって携帯を見れば
また新たに連絡が来ていて
“ばあちゃんの意識が下がっていて、いつまでもつか”と
こんなばあちゃんと何の関係もない
お金のやり取りをする夢を見た自分が情けなくて

考えたくないが、ばあちゃんがもしもの時の
今後のことを少し確認して、また寝ちまった

薄暗い森の中に少し開けた処があって
何か汚れた塔の様なものがあって
見上げるとそれは朽ちた天秤だった
秤は一方に傾いてきていて
軋むような鈍い音を立てている
手当たり次第、石ころだ木の実だ枝だ葉っぱだ
かき集めては秤に投げ入れる
傾きは一向に直らない
手は爪は土で汚れて真っ黒けに
秤が少し、均衡に向け、動いた様に見え
(よっしゃ、いけるかも)と思った処で
また目が覚めた

3時間は眠れたんではないか
携帯を見ると、ばあちゃんが息を引き取る前に
急遽、逢いに来た親族のことが書いてあった
激務の合間を縫って向かったようだった

フロイトなら、どう夢判断してくれる?
制御不能な死を夢の中で操作可能な生に変形したとか?
いわゆる“願望充足”とか?
祖母の危篤が“ライヴハウスの酒のインフレ”で
(あっぶねえ、何とか会計乗り切った)という手前は
社会的役割を何とか全うしたと?
罪悪の感を回避したってこと?
破局の恐怖を免れたと?

ラカンなら、どう精神分析する?
アンバランスに秩序を失くした巨大な
年季の入ったボロボロの旧い天秤の
不穏な音を立てて傾いたことを知らせてくれるは
象徴界に留まる手前の軽さに対する
現実界の生/死の重たさとか?
そびえ立つ、天を司る両の秤そのものが
生/死のバランスそのものであるとか?
「君なりに生/死を受け止めようとしているのだ」とか?
カウンセリングして、慰めてくれるかな?

ふと、枕元を見やれば
ここ数日読んでいた河合隼雄の本が
もうすぐで読み終わるんだが
ばあちゃんがこんな状態で
内容が全然頭に入ってこなくて
1、2ページ読んでそのまま放ってしまっていたのだった

ユング派の河合隼雄なら
どんな夢分析をばしてくれる
“ライヴハウス”、“酒”、“インフレ”
これらリビドーの極端な増幅と
フロイトの云う性的なものでなし
より生的、心的なエネルギーの象徴と
そんな心理的不均衡の再統合と
一杯に不釣り合いな高額会計を乗り切って?
森の中の巨大な天秤の均衡の為に
(よっしゃ、いけるかも)と石ころかき集めて?
河合隼雄なら“魂の物語の再編成”と
あの優しい、懐の深い、どっちつかずの文体で
少し安堵させてくれるかもしれない


訃報が届いたのは3月の早朝だった
1月にばあちゃんが倒れ
2月に主治医の方から
“遠方に居るご家族は、今の内に会いに来て下さい”と云われ
その3日後に逢ったのが自分との最期だった

声を掛けるとこちらを見つめて居たがすぐに目を閉じ
「ご飯をちゃんと食べて、いっぱい寝てね」と言うと
また目を開けてこちらを見つめ
そしてすぐにまた眠ってしまった
言葉はなかったが声は聞こえていた

“五感の内で聴覚は最後まで残るので、声掛けは続けて下さい”
“できれば手を握ってあげて”
“患者さんも安心して、不思議と脈拍や呼吸も安定します”と
どの本にも同じ様な事が

看取り・終末期に関する本を
ちょっと泣いては読んでをして
“終末期のせん妄は、9割近くの方が経験する”とも
そう書いてある本もあった

とすると最後に話し掛けたとき
自分が誰か分からなかったかもしれない
何を話しているのか分からなかったかもしれない
ここが何処かというのも分からなかったかもしれない
それが夢か現実かはっきりしなかったかもしれない

少しでもはっきりしていたら
嬉しい事は嬉しいけど
そうぢゃなかったとしたって別に良い
みな分からなくなるという事だから
この世界から居なくなるのかもしれないとか
体がなくなってしまうかもしれないとか
それも分からなくなるという事だから

“終末期せん妄がやって来る前に”
“意識がちゃんとしている間に”
“大切な事は話し合っておいて下さい”とも書いてあったが
自分だって、ばあちゃんだって
終わりは認めないって
認めた上で話などしないって
だから言葉は交わせなかったけど
どちらにせよ、思い残す事が無い様にするなど
有り得ない事だった
だから目を見てくれたらばそれで良かった
言葉はなかったが声は聞こえていた
自分だって、ばあちゃんだって

父方と母方の二人のじいちゃん
母の弟だったおっちゃん
それぞれ全くてんでばらばらの生き方
その三者三様の生き様を見ては
どう生きていったら良いかを学んだ
或いは学んだり真似したりする以前に
それらはそれぞれ少しずつ確実に
手前の中に既に息づいていた

適当な感覚でいなしたり
情より理性で見極めたり
妙なセンスで笑わせたり

余韻を残す様に吐露したり
余計な事は言わなかったり
余裕振りつつ全力だったり

そんな事する度しそうなる度
血の中の誰かと逢う旅のよう
俺生きてりゃ生きているよう

何かしぶとく続けたりする
投げ出さないでやり切る力があったなら
それは、ばあちゃん!
半世紀以上毎日欠かさず日記をつけていた
大正・昭和・平成・令和と百の年を重ねた
ばあちゃん!
その血の己が流れているを知っている
豪快に強引にでも生きてやるから

「さようなら」などよう言わん
大切なものなら皆そう
ばあちゃんでも、友達でも、彼女でも
「またね」くらいしか言わん
また逢うつもりなんだから

死後の世界も幽霊も見たことはない
だからそれを信ずることができない
オカルトやスピリチュアルではない
有るもの・在るものしか有り得ない
ただ死んで全く無になると思えない
物理・科学も同じ様に信じたくない
妄信的/狂信的、虚無、無、それこそ
オカルト・スピリチュアルぢゃない
僕が死んだら何か誰かに作用したい
ばあちゃんの四十九日にこんな詩を
こんな詩をただ書いてしまうみたく
これを聴いているあなたにとっては
僕が生きてようが死んでようが同じ

自らがこの己として生まれてきたこと
そしてその自己があの父と母と
この祖父と祖父と祖母と祖母と
そう、ばあちゃんと
ばあちゃんの孫として産まれてくること
ほとんど0に近い天文学的確率
少しも可能性がない
また出来そうな気がしない
全く同じように

ばあちゃんとまた会えるとか
この世ではないあの世があるとか
にわかに信じがたい
自分が自身として産まれて生きていることと同じ位に
ほとんど0に近い天文学的確率
少しは可能性がある
また出来そうな気がする
全く同じように

だからさ、また逢えると思っているの!
いつか別れた誰かと
その人とあの人とこの人と
ばあちゃんと


東京の家に戻る日はいつも
“また来いや、待っとるぞ”と見送ってくれた
じいちゃんと二人並んで
じいちゃんが逝ってしまった後は
いつも頑張って立ち上がって
玄関まで出て来てくれて

その声をまた聞きたいから
じいちゃんとの馴れ初めもまた聞きたいから
必ずそちらにいきます
また逢う日まで、待っていてね


ばあちゃん、ありがとう


~~~~~~


 春にしては暑すぎる太陽の下で、ジリジリと灼(や)かれながら。ただ死を想う、せめて詩が終わる迄(まで)は。顔はもう真っ赤っ赤になって、明日には鼻の皮でも捲(めく)れている事だろう。今日はただ祖母の詩を聴いてくれよ、神話/宗教だの歴史/国家だの“大きな物語”は聞きたくないんだ。死を見つめていたいんだ、太陽を見つめてみたいんだ。


太陽と死とは、じっとして見てはいられない。
-ラ・ロシュフコー


2026年4月1日水曜日

金星馬鹿の五月馬鹿が(四月馬鹿に)

今迄まあまあ詩を書いてきました。19歳から書き始めて大学を出る迄に千以上の、そして今現在は未発表作も含めて把握しきれぬ程に。



 作曲もそうですけど、まれに夢の中で作れる時があるのです。そしてその様にして出来上がった詩や歌は強い、理屈ぢゃないから。この「金星人」という詩も久しぶりに夢の中で作りました──正確には寝ぼけながら書き殴りました。寝起きに思い出しながら、夢半ばの意識/無意識で以(もっ)て。自動筆記の様に、延々止まらぬ手で以て。こちとらまだ休んでいたいのに、忘れぬ内にと書き終えた頃には目も冴え冴(ざ)えて。こいつはもう眠れん、AIよりAI。偶然に偶然を重ねた凄い必然性、理屈ぢゃないから……あ、でも、ちゃんと金星については調べましたわよ!



 最初に数ページだけ立ち読みして“これだ!”と思って買っておいたNASAの最新レポートをまとめた金星本が意外と役に立たなくて(実験とか研究の内容が仔細でマニアック過ぎてチンプンカンプンやった)、それ3割くらい読んだ処で“違う!参考ならん!図書館いこ!”となり、中野と野方と高円寺の図書館で宇宙・天文の専門書やら写真集やら児童書やら7、8冊借りて、それらを数日読み込みながら、夢の中で作った金星の詩全体に、学術的な補強をまんべんなく行いました。荒唐無稽(こうとうむけい)、奇想天外、夢見心地で、自由気ままな、宇宙みたいな、嘘みたいな詩、しかしエビデンスエビデンス五月蝿(うるせ)え現代にも何一つ文句を云わせぬ詩、つまり牡牛座の心と天秤座の頭で書いた様な詩、ヴィーナスに愛された星々の詩、アフロディテその愛と美の詩……ご・ら・ん・あ・れ。


「金星人」
by Nori MBBM

1. ぼっち成層圏

太陽系という家には
太陽という親が居て
その周りを回り巡る
九人の子供らが居る
一番目の子を水星と
二番目の子を金星と
三番目の子を地球と
四番目の子を火星と

五番目の子を木星と
六番目の子を土星と
七番目八番目九番目
天王星海王星冥王星
と説明する迄もない
水金地火木土天海冥
ただ末っ子の冥王星
彼は勘当させられた

今回はその二番目の
金星という子の話だ
太陽系で一番熱い星
太陽家の輝ける星だ
気温500℃に近い星
昼間が58日間続く星
私はそこで生まれた
そこで詠まれた詩だ

いま三番目の地球という子に語り掛ける
──“I'm a Venus Loon.”

雲のふとんの上で
演奏者の誰か分からない
ピアノを聴いている

惑星を眺めながら
雨も雪も降らない世界で
ピアノを聴いている

初恋より前の恋人
時期も四季もない宇宙の
ピアノを聴いている

犬のお腹みたいなふとんの上で


2. 結構天才

昔、地球は日本の東京が新宿の歌舞伎町にて
とあるロックバーでバンドのギターと呑みで
よくグラムロックをかけて貰ってたんだけど
その時の俺らの虚名は“バカボンさん”だった

“西から昇ったおひさまが東へ沈む”の一節が
俺の中の俺の名前の俺に因んでピッタリでね
しかし本当の由来をここに打ち明けますとね
陽が西から昇るなど金星では当たり前なんだ

だって自転の向きが違う時点でお察しだろう
地球やその他の惑星は左向きに回転するとか
しかし金星だけは右向きに回るのですねとか
いやいや金星だけがちゃんと時計回りですよ

なに反時計回りしちゃってんすか
──“I'm a Venus Loon.”

居ない方が良い時に
居ない方が良い処で
やらなくて良い事を
そういうやり方の人

とても災難な人生を
かなり厄介な生活を
自ら手招いている人
こういうやり方の人

そんなんで嘆くのは
こんなんで泣くのは
本当に間抜けですが
天才だとも思います

本当の間抜けは無難ですから


3. アンチ侍ナイト

昔の夏はもっと涼しくてね
480℃もいかなかったんだ
だけどこの前の夏は507℃
めちゃ暑いよ、金星の夏は

地球と比べもんにならん!
507℃だよ、暑すぎだろ?
海という海は干上がったよ
雨だって降る前に蒸発する

1962年にマリナー2号がさ
温度を測ったら477℃だと
地球に知らせたんだろう?
あの頃より30℃も上昇だ!

こんな事ならいっそ自裁したいよ
──“I'm a Venus Loon.”

武士道だか何だか知らぬが
生き死にを見極めた退屈が
生き死にを語るのは止せよ

侍だかナイトだか知らぬが
生き死にしか知らぬ人間が
生き死にを語るのは止せよ

生き死に以外を知ってこそ
論外ばっかり極めて愉快な
生き死にを演ってのけるよ

処世術とは敢えて破る為にあるよ


4. 愛と美の惑星から

金星の顔を覆い隠す様に常に
金星の雲は黄色がかっていて
金星の夜はオレンヂ色である

電波望遠鏡で覗いて見てご覧
人工衛星を飛ばして来て着て
探査機のカメラ撮って取って

ティラノザウルスが居た頃の
地球に似た太古の温かい海よ
金星から来た僕は古代人だよ

火星から来たジギーは未来人だよ
──“I'm a Venus Loon.”

否定させてください
占いではねえんです
この地球の日本では
僕のこと誤解される

金星人の僕のことを
金星人というのはね
占いごとではないし
ただ金星で生まれた

それだけのものだよ
愛と美の使者ですよ
そんなんで良ければ
いくらでも話します

ちなみに火星に友達も居ますよ


5. 金星招致ツアー

陽が東に来たれる時
西の空に宵の明星と
陽が西へ行く時には
東の空へ明けの明星

宵と明けに現れたる
二つの星は別なる星
それが何と同じ明星
二つの名誉を冠す星

二つの栄誉に浴す星
それ即ち愛と美なり
二つの星を護する星
これ則ち牡牛と天秤

太陽と月には敵わぬが、惑星の中の一番の煌めき
──“I'm a Venus Loon.”

様々に君がアクセスできるならば
色々に君はアクセスされるだろう

主体性を君が奪おうとするならば
主導権は握られてしまうだろうよ

例えば私に握られたとして諸君が
反旗を翻したらば金星も変革する

地球の歴史がそうした様に願うよ


6. 牡牛と天秤の人々

ヴィーナスの一挙手一投足に一喜一憂する日々
バビロニアの僕ら足し算引き算掛け算割り算と
プトレマイオス恋焦がれた女とその他大勢の女
ガリレオ見つけた女の悩みを僕らと同じ悩みを

僕らは決して宇宙の主役なんかぢゃなかったと
惑星一輝く女もヒロインなんかぢゃなかったと
主演はどうやらやっぱり太陽と月で間違いない
ならば宇宙の片隅でひっそりとゆっくりとラヴ

トラブルは付き物憑き者ラヴだけぢゃないもの
ビューティーなんだもの彼女それに纏わる僕ら
“ルシファー!”と馬鹿にされたって光運ぶ僕ら
“ルシフェル?”と呼び止めたって捕まらない女

満月半月三日月、否、満ヴィーナス半ヴィーナス三日ヴィーナス
──“I'm a Venus Loon.”

恋多き女が消え去った
醜悪な男ら消え失せた

また自由がやってきた
我らに自由やってきた

牡牛と天秤の民達から
金星の女神は祝福され

その報いに我ら愛と美を与えられん


7. あたかも無重力

たった24時間で一日が終わるとか
地球みたくぱっぱか行きませんよ
こっちはそっちの243日が一日で

でも逆に一年は短過ぎるみたいで
224日と14時間で一年終わりです
365日と4分の1日が長過ぎなのよ

それから僕の体重は60キロ前後で
でも地球だと70キロ前後になって
健康診断で“少し太り過ぎ”だとか

地球の皆さん、こちら0.88Gなんすわ
──“I'm a Venus Loon.”

渋々と重い腰を上げて
より重たいものを担ぐ
身体より精神への重荷

一旦成し遂げたならば
重たさが気持ち良いと
重さのある程に愉快と

世界が背負ってくれる
皆が背負ってくれると
だから背負ってみるよ

喜んで引き受けた人が今泣いて引き受ける人と同一で人物宙ぶらりん


8. 金星の人々

いつか皆が安らげる様に
地球の皆も住めます様に
百合、薔薇、さくらの花

フリヰヂヤに、黒椿の華
草花の命の種を蒔く様に
植物の細胞を金星の雲に

この98%のCO2を0.1%に
いつの日にか21%のO2に
金星に人が住めます様に

金星で君と二人で暮らせます様に
──“I'm a Venus Loon.”

ちぎった生地を公園の蟻に与え
それを巣まで運ぶ行列を眺める
ジャンボシュークリーム食べ太
浮かぶ風船とシャボン玉を数え
数調整の為にレモン銃を構える
トロージャンスープ吸い取り美

三連装エクレアのミサイル伍長
食べ太の弟で吸い取り美の旦那
至近距離攻撃でクリームまみれ
ジャン・バルジャン84.7世市長
ヴィシソワーズ片手にベトベト
国とエクレア隊に怒りの生電話

わいが歌うマイスタージンガー
異国文化は戦略ゲームで覚えた
マイステルジンガイつうのかい
全くそれは誰の唄だい?えゝ?
人外の曲なんてやめてくれやい
とうそぶく彼が6.1代目D.D.I.B.S

うまい棒を29本指に差して食べている


9. 金星のアフロジニー

地球と一番距離の近い惑星であり
直径がほんの652キロ小さいだけ
“地球の兄弟・姉妹”、“双子”とか
色んな呼称で親しまれていたのに

未だ地球から誰一人やって来ない
金星人待ちきれずそちらに向かう
元地球人の火星人ジギーにも逢う
彼も火星で独り寂しかったみたい

彼は素晴らしい声で歌を聴かせた
“火星の生活”という題のバラッヅ
僕も金星人として歌ってみたいな
金星で出逢ったアフロの女の事を

それでは聴いて下さい
──“Afrogenie in Venus”

Yeah, she 死にたい少女
Yeah

やあ、云ってよ
──C'mon
詩人ジニー
やあ、読んで捨てても良い
Yeah

ふかふかの悪戯
I want a lie
I got a funny, funny, funny, funny lie

I need you, 金星のアフロジニー
金星のアフロジニー
妖精の・幼生の・陽性の・溶性の
Yo say No/Yo say No/Yo say No/Yo say No
言え
Yeah
Oh

金星のアフロジニー
妖精のアフロジニー
幼生の・陽性の・溶性の
Yo say No/Yo say No/Yo say No
Afrogenie?
Aphrogenie?
ア・フ・ロ・ジ・ニ・ー
Genie! Genie! Genie!
Yeah


~~~~~~



 これが金星の“ナイン・ストーリーズ”、そして俺なりの“ジギー・スターダスト”であります(が、“ジギー・スターダスト”にはなれなくて……さしずめ“ズィンク・アロイ”のマーク・ボランがヴィーナス・ルーンで御座居ます)。バンドで完璧なコンセプトアルバムを作ってオマージュするのもアリだけど、それはもう“ジャガー・ハード・ペイン”という大名盤があるしやな。だから俺は俺なりのグラムロックの理想形というのを今回、俺らしく詩でやってやった次第。ラストの“金星のアフロジニー”だけは、バンドで昔(ちょうど10年前!)に作った曲だけどね。その詩を丸々ボーナストラック的に収録って訳。気が利いているでしょう?手前味噌ながらこの詩の全体構成、気に入っております!いつもながら一行一行に意味深な何か仕込み・忍ばせ・潜ませて、一字一字を神経症的にカッチリ・キッチリ・揃えたり(毎日140字ちょうどの詩作──アンフィニッシュド・バラッズ!──その賜物ないし後遺症)、そうしないと何か作った気がしなくて、わざわざ俺がやってる意味が無いよな感じがして。



 まずは平成の初年に生を享(う)け、平成の30年間は存分に子供をやり、つまり自己存在の確立への闘争、令和に入れば何も云われなくなり、そして誰もいなくなった、大人となった姿を誰にも披露する事ができなくなり、しかし孤独や孤立は孤高の感を醸(かも)し出すもの、自信たっぷりに詩作ができる様になり、もはや自己存在は確立されたという──一つの人生があって。彼は平成元年に末っ子の三男として産まれ、物分かりが悪く、分別もなく、我がままで欲深く、幼稚園や学校で諍(いさか)いや問題を起こすと友や先生や親兄弟に迷惑をかけ、働き始めても周囲への甘えや依存は一向に改善されず、“自己存在の確立”といえば聞こえは良いが、実態は“他者依存の隠蔽”、その正当化であるという──幾つもの解説があって。大変申し訳ありませんでした、Nori MBBM/金星人として音楽をやりながら、自己存在の確立をしながら、耽美/頽廃主義者として文学をやりながら、他者依存の隠蔽をしながら、今日まで宇宙人/異星人として生きてきた事の、人間の不明をお詫び申し上げますという──また一つの人生があって。

 ただ一点、確認したいのは、果たして“他者依存”のない“自己確立”なんてものが存在するのか?一生とまで言わなくとも、たった、一日の内で。ウィー・キャン・ビー・ヒーローズ、ジャスト・フォー・ワン・デイ。教えてよ、そのやり方を!



 我が人生の秘密は、私一人だけなら非常に分かりやすく、ひと処に偏っている人間なのであるが、そこに山羊座の父と母、天秤座の二人の兄ら、彼等が居る事によって理性の方へ、双子座の、乙女座の親友、牡羊座の、魚座の恋人、そうだ客観の方へと引っ張られている、故に私が私たる、現状ややこしいものになってしまっている訳で。

 何か言っている様で何も言っていないか、この文章……しかし、いや、だから、いつもここに立ち返ってくるのだ。



 世間話を、他愛のないお喋りを、何かの感想を、何某かの感慨(かんがい)を、独り言を、不安定な空言(そらごと)を、インタビューを、誰かからの問いかけへの答えを、実は、本当は、ただ個人的な、ただただ私的な、後で見返す価値も無い振りをしておいて、後で見返したら私だけが把握できる──そう、真実の横たわる──メモ代わりにしている。忘れたくなくて、覚えておきたくて、だから忘却しておく様に憶えておきたくて……我が外部化、さながら金星に置いてきた幼少時代のよう。


 サイエンス・フィクションですけどね、ほらSFですよ、つまり“すこし・ふしぎ(by 藤子・F・不二雄)”の略なんです。君の幼少の記憶もそうだよ?しかしだな、そりゃ別の云い方で、すっごいウソになっちゃうか!SF=スーパー・フェイク。こりゃ困ったな、四月馬鹿(エイプリル・フール)に。少し不思議=凄い不可避。だって僕は、金星馬鹿(ヴィーナス・ルーン)よ。ホントなんだってば、五月馬鹿!?




2026年2月22日日曜日

重金属教育講座(Q)

三島由紀夫の「不道徳教育講座(1959)」は、不道徳の推進・促進によって、道徳的の何たるかを逆説的に、道徳よりも鋭角・明確に浮き彫りにする試みであった。ならば我が「重金属教育講座」は、“重金属”と名付けた世界の方を今度、ヘヴィメタルの方から逆照射し、世間がただ軽佻浮薄(けいちょうふはく)であっただけの事を曝露する戯(たわむ)れに過ぎない──自分の音楽や文学が重苦しかった訳ではない、世俗の何時何時(いつなんどき)もが軽薄であっただけのこと、自身の文章が執拗(しつよう)かつ陰湿であった訳ではない、俗世の平常正常が淡白であっただけのこと。・Q、メタル随筆三部作、こゝに完結。


横浜・港町、かすかに海の匂いがするぜ(by チバユウスケ)

 前作「Still Can't The Dead(2016)」からもう十年か。あの時も確か15、6年振りの新作ってんで“おゝ再始動後初のニューアルバムか!”と興奮して聴いたもんだが、今回は新譜「APOCALYPSE(2025)」を手に入れる前にもうレコ発のチケットをすぐさま購入したよね。だって一番好きなメタルバンドと云っても過言ではないから、DOOM。


その昨年12月に中止となったレコ発ライヴと今回2月のライヴチケット(に後述するインディー再発盤を買った時の特典缶バッジ)

 DOOMとの出逢いは、ジャパニーズスラッシュメタルのオムニバス名盤「SKULL THRASH ZONE Vol.1(1987)」の一曲目“YOU END.GET UP!YOU.”だった(インディーズ時代のXが聴きたくてね、これと同じくスラッシュのオムニバス名盤「HEAVY METAL FORCE Ⅲ(1985)」にもXが入ってるんだけど、実家で死ぬほど繰り返し聴いたワ)。一発で好きになった……と言いたい処だけど、その前に“なんぢゃこりゃ”ってその変態性、変態的な演奏に度肝を抜かれちゃって、また聴きたいまた聴きたいとやっている内に“DOOMメイニア”となった記憶。ベースだよね、あのグニョングニョン・ブヨンブヨンのフレットレスの訳分からん音。諸田コウ。まあ聴けば聴くほど、ギターもボーカルもドラムも全部変態なんですが。


ギター・藤田タカシの足もと

 そうして十代の終わりからDOOMの旧譜をディスクユニオンで一枚一枚買い集めていって(一番好きなアルバムは2nd「Complicated Mind(1988)」で、それは過去に詳しく書いたから割愛)、諸田コウがDOOM以前にやっていたZADKIELってバンドの海賊盤みたいな劣悪な音質の6曲入り音源(でも一曲一曲のリフとか演奏は破茶滅茶にカッコいい)とかも買ったりして、実家で聴きながら畳をギィイイイと掻きむしった──己がこの経験は、ヒロトがマンフレッド・マンを初めて聴いた日の事と、ほとんど似ている──よね、こんな超マイナーで自主制作盤みたいなメタル聴いてシビレまくってる平成生まれは俺しか居ねえ!何で学校の奴ら何も知らねえんだ!ザドキエルに負けず劣らず“爆裂モーターヘッド”なスターリンのタムがやってたG-ZETとかさ!話したいのに誰もできねえぢゃねえか!って熱い涙を流しながら。


ベース・アベユキヤ(諸田コウの教え子!)の足もと

 俺の生まれた年に出た3枚目の「Incompetent...(1989)」もね、もう笑っちゃう位に無双状態で天上天下唯我独尊って感じ。“Eating It Raw”とか“Lost! In My Head”とか始まって即頭どつかれるよなアグレッシヴなナンバーもあるけど、前作よりは複雑怪奇でプログレ的な作風かな……ヴェルヴェッツの2枚目「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」がスラッシュメタルしたら「Incompetent...」だろね、要は“アヴァンギャルド”、“狂気”っつうこと。諸田コウのベースはずっと変態的で天才的だけど、やっぱギタボの藤田タカシもド変態の超天才で、唐突に曲中で語り始めたり“グァワハハハハハ”とか笑ったりすんぢゃん?あれとかめちゃ影響受けたよね!ユーモアだよな、やっぱ、カッコ良くて、それ以上に笑えないと。タイトルトラックの“Incompetent...”のラストなんか「ドゥームってこんなブルースのパロディみたいな事も出来るんだ」って初めて聴いたとき驚いたもん。曲が終わって、つまりアルバムの全てが終わったと同時につい“かっけえ……”と口から漏らしてしまったのを昨日の事の様に覚えているよ(まあ、それでも俺の一番はずっと「Complicated Mind」なんだけどね)。


ライヴ前、アベさんのシルバーのフレットレスベース、がキラリ

 その後、もう自分の最初のバンド・MBBMでライヴとかし始めていた頃だけど、インディーズ盤が1、2万とかで毎回ジャケだけ眺めて買えずにいたDOOMの「NO MORE PAIN(1987)」が再発されたりしてね、ユニオンのメタル館で即購入して聴きまくったな──あん時はまだCDレコードよく買ってたワ──まあそれはDOOMの再始動に合わせて再発されたんだけど、その翌年(2016年)の春、先に述べた「Still Can't〜」が発売されたって話。そうしてやっと今回の新譜「APOCALYPSE」のレコ発に至るって訳。


昨年末に購入した新譜と特典の缶バッジ(スペシャルサンクス欄に“K.Morota”のクレジットを見つけ胸熱)

 帰って来たぜ、あのDOOMが!!新譜「APOCALYPSE」の感想ね、昨年・巳年の最後に届いた最高のプレゼントだったね。前作「Still Can't〜」より曲構成もミックスもゴッリゴリのストレートで超攻撃的、演奏のアグレッシヴさは勿論、藤田さんのボーカルもあのザラついた声、変態的シャウト、これもう再始動後の代表作だろ。てか節々に“神楽坂エクスプロージョン”を感じるよ──ライヴハウスの暗がりで真っ赤に勃起した俺のジャパメタを(リズム録りでクリック使ってないんだってね、チャック・ベリーの“ジョニー・B・グッド”は出だしと最後でテンポ違うけどそれがロックンロールだろって50回転ズのダニー云ってたね、そうだそれがロックだろメタルだろ)!!出だしインストからの2曲目“KNOW YOUR ENEMY”の執拗に繰り返される攻め攻めのギターリフを聴き、「Killing Field…(1988)」とか「Complicated Mind」にブン殴られた10代の終わり頃を思い出す。今作、藤田さんのスラッシーに暴れ回るギターリフに狂おしいソロとイカれたシャウトがいちいちクソかっけえ攻撃的な曲(3曲目“SMASH iT DOWN”、5曲目“HATE MEMORY”、7曲目“WAR DADDY”、9曲目“REDRUM”)と、諸田コウを諸田コウ以上に血肉化したよな諸田コウの直弟子(じきでし)であるアベユキヤさんのグニョングニョン・ブヨンブヨンのフレットレスベースが織り成す幻想と狂気のインストナンバー(4曲目“CATREANA”、6曲目“LEAVE iT ALONE”、8曲目“FREEZE”)が、交互に繰り出されるその波状攻撃が、アルバムの最初から最後まで世界最高のあのアヴァンギャルドスラッシュメタルが、世界最強のこのジャパニーズヘヴィメタルが、耳を心を肉体を精神を徹底的に完膚無きまで犯してくれる──俺のイチオシは9曲目“REDRUM”ね。「そんな良いもんかい」とかほざくシケた輩が居たらば(いたんだよ実際、ファック!)、まずこれだけ聴かせれば充分、マヂざまあみやがれ。



いきなりメタルサーベル持ってキイチ登場(これをマヂで演れるのキイチすぎる)


どこかの偉い人が「サバスはヘヴィで、ジューダスはメタルだ」と云っていたが、サブラベルズは本当ヘヴィだった

 で、今回そのDOOMの対バンがサブラベルズってのもね、こちとらもう誌面が足りねっすよ──爆裂、神楽坂エクスプロージョン!!イエモンとか吉井さん好きなんでね、吉井さんがサブラベルズを(しかも変化球アレンジで!)カバーした時も驚いたが、やっぱ己が出逢いはユニオンのメタル館・旧お茶の水店で15年以上前、あの伝説のインディーズ盤を買った時のこと(今やその再発盤もプレミアついてんのか……)、大学1年の終わりで19か20だった。それからメジャーデビュー盤とその後のラストアルバムがネクサスレーベルつう処から格安で再発されていたから買って、“あれぇええぇ”となった苦い想い出……だってインディーズ時代の名曲達がスッカスカの軽いサウンドに、しかもテンポもキーも上げちゃってササッと終わっちゃう、何ぞコレって……やっぱドロドロ・ヌチャヌチャに重ね塗り・重ね録りされた日本語サバスな、特級呪物なインディーズ盤一択であります(その昔ラジオで吉井さんが、メタルそんな好きぢゃないだろう志磨さんにコレをオススメしていて、“あひゃああぁ”となった記憶……志磨さん、聴いてどう思ったんだろか)!!


メジャー後の曲もゴリゴリ爆音の重たいギター、ベース、ドラムで分厚い演奏、最高だった(キイチの声もまさか80年代から変わらず、あのまんまで驚愕す!)

アンコールにてキイチより「あいつ(高市総理のこと)色々云われてるけど、初めてコピーしたのサバスらしいぜ、それだけで良いよ……いつかサブラベルズのステージ上げて、一緒にサバス演りたいね」からの“DEVIL'S RONDO”(しかし“HELL'S RIDER”と“鏡張りの部屋”は演ってくれなかった)!

 ヘヴィメタルを聴くきっかけ──カッコ良かったから。そりゃそうだ、けど、もうちっと、言い様があるだろう。人が聴いている音楽と違ったから、しかもその“人と違う音楽”を生涯かけて愛している人達が居ると知ったから──そりゃパンクロックもそうだろう。人が作っている音楽に感じられたから、他の何よりも作り込まれていると感じられたから──そりゃグラムロックもそうだろう。よし、その調子、好きなものをもっと、はっきりと言語化してみろ。TSUTAYAで借りてきた薄っぺらいJ-POPとか適当な洋楽にこの身を委ねてたまるかよ、好みを決められてたまるかよ、と行き場のない十代の心が十代の身体の内にのたうち回ったあの日を思い出せ。或いは“聴く側の人間”でなし、“俺は演る側の人間なんだ”という自負があり(まだ何も演っていなかったにもかかわらず)、だから“こんな音楽演ってたまるかよ”とか“こんな曲が演りたかったんだよ”とか、そういう気分でチャートの音楽を拒絶し、メタルを聴いた、聴きまくった。


一日に大好きなバンドを二つも、それもこんな対極的なメタルを二つも──言語を突き詰めた様なメタルと、言語を超えてくる様なメタルと──同じ日に二つも観るもんぢゃない(300人も入ったらギュウギュウなF.A.Dで)

 同級生も先輩も後輩も先生も何も分かっちゃいないし、自分の方だって中途半端で未完成な人間だって事は自覚している。しかし、メタルは違った。分かっていた、分かっていた音楽だった。J-POPの流行(りゅうこう)その場しのぎに話が通じる訳ないし、パンク/ヒップホップの貶(けな)し合い/罵り合うよな関係は青臭え/アホくせえし、ただ自己鍛錬を欠かさず他人に何云うでもなく叫び、速弾き、駆け抜けるだけのメタルが好きだった。このストイックが本物だと思った……クラスメイトや先生が何も分かっていなかったのではなく、むしろ何か分かり合おうとしたり教えて貰おうとする己が生き方こそ分かっていなかった。だから、メタルは違った。分かっていた、分かっていた音楽だった。勝手にしやがれ、よりも勝手にしやがれ。セックス・ピストルズ、よりもマシンガンズにしやがれ(というSEX MACHINEGUNSのベスト盤がありました)。


初回のメタル随筆“鋼鉄綺譚”で言及していたANCHANGの本、やっとこさ見つけたぜ(高校の時よりお世話になっている神保町のブンケンロックサイドで600円也)

 私は貴方を裏切るかもしれぬ、私は私さえも裏切る事だってあるから、と云って築き上げた積み木をどんがらがっしゃん、壊してはまた築き上げ、どんがらがっしゃんを繰り返すよな気持ちは分からんでもない、人間、パンクやヒップホップ的手法を採(と)りたくなる時もある。ただ一方で、絶妙なバランスを保ち続けながら、構築した積み木を来る日も来る日もニタニタ眺めつつ、或いは脂汗を浮かべて険しい顔しつつも増築、ないし最構築するよな生き方もまた真(しん)なり、逆もまた真なり、いや、逆こそが真なりと、ニタニタ眺めるグラム歌謡、険しい顔のメタル野郎。“積み木”というのは単なる比喩で、いわば人や物との諸関係、人間関係でも事実関係でも因果関係でも何でも良い、どの生き方を選ぶかって話だ。私はやはりグラム的であり、メタル的なのであった。なぜ築き上げたものをぶっ壊しちゃうんだろうね、なんていちいち訊かなくても誰しも心当たりあるだろうから君にも分かるだろう、んな事よりこちとら積み木でクソ忙しいんだ、そういう生き方。ロックなんだからもっと過激に、みな全部ぶっ壊せ、という単純な図式に薄ら寒さを覚え、だからこそ誰より丁寧に、偏執(へんしつ)的に作り込む、ロック演ってんならロックの単純な図式も過激にぶち壊す、ニタニタ眺め、険しい顔で、こういう生き方。




この写真を見ただけで曲名が浮かんでしまったそこの君、貴方は生粋のDOOMメイニアでしょう(このベース・タッピングのイントロの後、かつては藤田さんと諸田さんが“アウアウ”“アウアウ”叫んだ、あの曲!)




「ギャップが良いってよく云われるんです」と藤田さん、(歌と演奏はキレッキレなのに)MCは自虐的なジョークばかりで、とてもお茶目な人やった

ベースもギターもボーカルもとんでもなかったが、生で聴くDOOMはパズさんが一番エグかった(変拍子に撃ち抜かれる手数、音数の暴力、そこいらぢゅう蜂の巣、俺達みな穴だらけ、無差別機銃掃射が如きドラムだった)

 グラムに恋した訳、メタルを愛した理由、お分かり頂けただろうか?グラムの人工的なる不自然な迄の歌曲の明るさは、悲しすぎる程の根(ね)の暗さの裏返しである──頽廃(たいはい)の美学、異端者の悲しみ。メタルの様式美たる構築に次ぐ構築を重ねる音声の重たさは、哀しすぎる位の自信の無さの反動である──三島の筋肉、肉体改造の哀しみ。ウォール・オブ・サウンドは音の壁、無用な侵入を許さぬ心の壁。或いは前人未到の周波数帯を塗り潰す、全知・全能・万能の愛す。聴覚だけなど生ぬるい、視(し)・嗅(きゅう)・味(み)・触(しょく)まで覚醒す。演者・客人(まろうど)と一体なりて、メロイック&ヘドバンす。


新譜の曲は勿論、俺が一番好きなあのアルバムからも、それからインディーズ時代のあのナンバーも、ほぼ全てのアルバムからバランス良く選曲されたセトリだった(もし気になるDOOMメイニアが居たら、ツイッターでDMでもください ※これからツアーが続くので、ネタバレ禁止でね)

 普通に聴けばおかしい音の詰め込み方、常軌を逸した速さ、重さ、2倍速みたいなテンポ、倍量増量ギターリフ、それは普通に、常軌と見なされる社会をぶっちぎる為に、執拗な迄に繰り返し繰り返した結果、何もおかしくない音の詰め込み方、社会の方が凄くおかしい人の詰め込み方、至極おかしいヒト科、だからHR/HMは特殊でありながら、変態/偏執的でありながら、その存在を許される/この存続を求められる、それは気の狂った人間社会に対して気が狂う音楽を演る、これは狂気を反映した狂気である、つまり正気である、ないし狂気に追従しない意思としての狂気である、意志の本気である、一種の心意気である、ただ粋である。


ライヴで浴びた音の感覚/感触を上書きしたくなくて、帰りは一切何も聴かずに、ただひたすら脳内で演奏を反復/反芻しながら、放心状態で家路についた、今しがた


 DOOMに恋した訳、メタルを愛した理由、お分かり頂けただろうか?私も眠くなったから、店はもう看板にします。これからあとは、私一人で、メタルをチビチビやります。あなた方とちがって、私の耳/心は、HR/HMなんかで失聴/失調する心配はありませんからね。

 はい、おやすみなさい。




2026年1月10日土曜日

余情といふ事

美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。
-小林秀雄



 君等が現実をやればやる程、生活とか真実へ夢中となる位に、それはどんどん空虚な、虚無の喧騒となり、その色の無い仕様も無さに、避難する様に駆け込んだ静寂の絢爛(けんらん)、実に辟易とした己が耽る美、この見果てぬ夢こそ真なりと、夢現(ゆめうつつ)の逆転現象が起こる迄、私はいっつもいつもこんな事を書くのを生き甲斐にしている、そういう羽目となる人生、性倒錯、人世(じんせい)の盗作……本当はこっちなのだぞ、皆様!!貴様だって、しょうもないぢゃんって?本当しょうがねえなあ、その色の無い仕様も無さは、この仕様が無えのは色々を塗りたくり過ぎた、塗り潰した色の黒なの!!

 憲坊(のりぼう)めが黒い椿(つばき)となった記念すべき日に──チェ/チェ/チェ/チェ/チェ/チェンジズ。てか、ボウイ様が黒い星になってもう十年か……何か一つ、形にしてやろうぞ。ねえ?


「黒椿」
by Nori MBBM

1. 黒椿(くろつばき)

詩人諸君!!
音楽家、文学者共
貴方々に華が無さすぎる
肉体の毒が無さすぎる
豪奢で過剰な執着が無さすぎると
それぢゃあ空気で有りすぎると

エロスだけも
グロテスクだけも
ナンセンスだけも駄目だ
三位一体でヤりまくれ
それとプラスアルファも忘れるな
では、お手並み拝見という訳で

ここに一花咲かせましょう──
黒すぎる椿


2. 黒椿(くろばな)

やっと怒れる華となる
土の中に閉じ込められた
其処からやっと芽を出した
底から空へと華を付ける迄に
抑圧され続けた黒歴史
黒、怒濤が如く咲き誇れ
事情も知らぬ奴等に勝手に
綺麗、可愛いと誉めそやされ

心底ブチ切れているワ
椿、妖しく微笑みつつも
致命的乖離を何とかせねば
心、身体が切り離されている
優しさ柔さ何処かしら
色々と色んな色を探すも
あれも違うのこれも違うの
常に悪戯に混ぜ合わせる程に

黒い華


3. 黒椿(くろはる)

先生や親に進路や成績の事で苦言を呈された
「勉強好きな奴なんて居る訳がない」と反抗した
もちろん勉強好きな奴が居る事は知っていたし
自分はまだ勉強好きな方だと思っていたが
“勉強を押し付けないでくれ”という意味でそう言った

“変わる事を押し付けないでくれ”って意味で
勉強なんてものを始めたら人が変わっちまうから
であるから全て自己責任でやるしかないもんな
逆説的に云えば変わりたくなかったんだろ
変わりたく、染まりたくなかった青さ、黒々しく!!

黒い春


4. 黒椿(くろちん)

世界を変えてやる!
自己も変えられぬのに?
真黒な色を落とす事はおろか
その色々が何色だったかも分からぬのに?
この色々が真白であった事も知らぬのに!

自己を変えてやる?
世界を変えたいならば!
色んなものとの想像や創造を
国と国とで戦えば闘う程に朕は黒くなる!
華と華とで闘えば争う位に椿は黒くなる?

黒い椿


5. 黒椿(ぐろちん)

マイノリティです
生理的、心理的、社会的に
マジョリティではありません
そのマジョリティを退治すること
実はマジョリティへと集まってきた
これがマイノリティの正体であったと
いくらマジョリティを気取った処で拡散される
画期的な個性として拡散されるグロテスクの極み

マジョリティとは
知れば知る程に複雑で怪奇
画一的な無個性はありません
このマジョリティと対峙すること
実はマイノリティが集まってできた
それがマジョリティの正体であったと
いくらマイノリティを気取った処で回収される
画一的無個性として回収されるグロテスクの極み

グロい椿


6. 黒椿(ぐろはる)

変態、狂気、椿事、椿説
誇りだと思っていたのに
変態、狂気、珍事、珍説
罵られると治したくなる
正解、正義、性格、常識
詰まらなすぎて自作自演
正解、正義、正確、正直
誉められたくて自縄自縛

そもそも変態しか居ない
そもそも狂気でしかない
もともと珍事な人間生涯
もともと珍説な人類兄弟
お父さんお母さん祖父母
花弁ぬり潰すは色調補正
先生先輩クラスメイト達
花弁もぎ取るは形成外科

グロい春


7. 黒椿(ぐろばな)

最短かつ最速
で確実な方法
リストカット
傷を付ければ
自己同一性と
それはつまり
独自性なんて
怪我の程度か
軽いとか重い
よくある例か
希少例なのか
そんなところ
無傷は許せぬ
てか有り得ぬ
生きてんだろ

無個性は皆無
無傷は無理だ
何日も掛けて
太陽や大雨や
世話を焼いて
世話を掛けて
愛想尽かされ
害虫に蝕まれ
病気に苛まれ
マヂ傷まみれ
この花まるで
リストカット
星の王子さま
見つけてみて
他とは違うワ

グロい華


8. 黒椿(ぐろつばき)

美しさよりも大切な物事が沢山あるのに
崩れ落ちるより築き上げる方が良いのに
いやだからこそその中で築き上げたいと
美しいものだけ見出したいという二人が
それはきっと変態の成れの果て
普通とか通常の行き着く最果て
これは耽美に取り憑かれた女と
頽廃に魂を奪われた男の話です

ナンセンス、エロス……
ナンセンス、エロス……
何をしているんだい?
貴方との運命を占っているの!
ナンセンス、エロス……
ナンセンス……エロス?
これがお前との運命!
私達の運命はエロスだったの?

ここに一花咲かせましょう──
グロテスク椿


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それは彼の悪の華

あのボードレールと同じ36歳の今

これが私の惡の華

 吾(わ)が十歳迄は平成の十年迄なり、あの平成の一桁の時に感じた汎(あら)ゆる覚束無さ、把握しきれぬ記憶の曖昧さ、すぐノスタルジーと誤魔化されそうになるが、やはりその実態を、感慨を聢(しか)と憶えておきたく、しかし実現できず如何(どう)したものかと、なあなあで生きてきた今日時分、とある作家の平成初期のエッセイを読み、ふと閃(ひらめ)いた。

 昭和を充分に生きてきた者が、平成の一桁を終える時、あゝ昭和も遠くなりにけりと思う時、それは多分に“今の私の令和の一桁”なのであり、“あの時の私の平成の一桁”を掴む鍵なのであると、そうかこの始まったばかりと思っていた令和がじき一桁を終えようとする時、令和の印象の第一を掴まんとする時、時代を味わい味わわされた様な気持ち、それが平成の一桁には無かったのだが、あの当時を味わい味わわされた人の、昭和は遠くなりにけり、平成は闇雲に不穏な未知なりを受け取り、やっと吾が幼少の未知の領域も、その視界不良も晴れてきたのだ。


“降る雪や 明治は遠く なりにけり(草田男)”は昭和一桁に詠まれた句なので、大正の更に前、前“々”時代を懐かしむ処がミソというか、あの句の本来のポイントである、念の為

 その病(やまい)を経験した者だけがその病を好き勝手に語って良い様な特権、にもかかわらず平成を生きた自らが己が平成を語れぬ失権、棄権はしたくないのであるから、その権利を奪還する事が出来た今回、この度は誠にめでたく、物理的には以前と何も変わっちゃ居ねえが、心理的には激変、精神的にも克服されたので今後、物理的にも克服、激変してゆく事だろうと思う、甚(はなは)だ愉快。

 ボウイ様が黒い星になって十年の日に──へ/へ/へ/へ/へ/変身。てか、このブログ随筆も今年の夏でもう十年か……何か一つ、形にしてやろうぞ。なあ?


ボウイ様のグラム前夜“世界を売った男”のオマージュよ(次回の詩の朗読で俺なりのグラム期を演るワ)